278話_side_Ser_黒い森
~"討伐者の少女"セラフィーナ~
粘液にぬめる体表。耳障りな鳴き声。異臭。
湿潤な環境を好んで生息する魔物『トード種』だ。体内で毒を生成する能力と、地属性・水属性複合魔法による泥中潜行が厄介な魔物で、等級はDランク相当。外見は巨大な蛙に近しいが、眼球が存在しないつるりとした頭をしている。てろてろと細長い舌を蛇のように伸ばし、温度と魔力で獲物を捕捉して捕食する。
わたし達が活動拠点にしているバッヘル領の黒い森には、一部に湿地帯が存在している。一口に黒い森と言っても、当然内部環境は黒い森化する前の元々の地形要因によって相当に異なる。他所の森も知っているパーティーの皆曰く、バッヘル領のそれは比較的オーソドックスな森だそうだ。他所だと場所によっては森の中に湖があったり、鍾乳洞があったりもするのだとか。
視界に映るトード種は三体。ただし周囲の沼地の泥の中に潜伏している個体も存在するので、総数は五体だ。
トード種の討伐依頼はクラブ種なんかと比べると桁違いに危険な依頼だが、魔物自体の能力的には比較的雑魚の部類に入る。厄介なのは魔物そのものではなく、トード種が好んで生息する湿地帯の環境だ。地面は泥濘、湿度が高く、空気が淀んでいる。わたし達にとっては移動がし難く消耗し易い。泥の中を泳ぐことが出来る魔物に圧倒的に有利な地形なのだ。
だからバッヘル支部で活動している討伐者でも、トード種の討伐を請け負うのは実力的にトップに位置するような人達だけだ。
言うまでもなく、わたしやランディーには縁のない世界の話であった。
勿論わたし達はトード種を討伐したことなんてなかったし、そもそもこの沼地には近付かないようにしていた。
――ほんの、少し前までは。
「よし。それじゃあセラフィーナさん、教えた通りにやってみましょう」
「はいっ!」
司令塔のクロードさんの指示に従って、わたしは目的の魔法を脳裏に思い起こす。
パーティーの支援を担うことになったわたしの主な役割は、最前線で魔物とぶつかることになるランディーとロルフさんの補助だ。味方を強化する支援魔法――所謂バフと呼ばれるものの適性がわたしにはあるようで、このような役割をパーティーの支援役と呼称するらしい。
魔法を構築しようとするわたしに、おさらいのようにクロードさんが言葉を掛ける。
「いいですか。トード種と相対することになる前衛が最も警戒すべきは、その毒性です。奴等が体内で生成する物質は高い毒性を有します。そして体表を覆う粘液は毒性こそ微弱ですが、泥中を潜行することで周辺の泥を広く汚染する効果があります」
今日の討伐対象がトード種に決まった時に、ギルドで事前にレクチャーを受けた内容だ。クロードさん達は活動歴の長い実力派の討伐者だけあって、魔物に対する深い造詣を有しているし、それを新たに加わったわたし達にも惜しげなく教えてくれる。
討伐依頼である以上、こちらは基本的に討伐対象のホームに出向いて戦うことを強いられる。つまりはこの沼地はトード種のホームであり、そのものが毒性の坩堝だ。
「だからこそ、支援担当が考えるべきは、味方に毒を浴びさせないことではありません。浴びても大丈夫なようにすることです」
特定の攻撃を防げばいいのであれば防御魔法で対処してもいい。今回のように環境が蝕んでくるのであれば、根本的に耐性を付与しなくてはだめだ。
幸いにもわたしはそのための手段を有している。あの日わたし達が出会ったスメラギさんが、連繋魔法を通じてわたしに教えてくれたから。
あの時はわけもわからず彼女の魔法をなぞっていたが、クロードさん達の仲間に加えてもらって魔法使いの先輩であるクロードさんとヴェルナーさんの教えを受けて漸くわたしも理解出来たのだけど、まるでスメラギさんにはわたしがこうして支援役として働くことがわかっていたみたいに、バランスよく隙の無い構成の魔法を教えてくれていたことがわかる。
いや、まあ、わかるというかヴェルナーさんがわたしの魔法のレパートリーを見てそう言ったのを鵜呑みにしているだけだけど。
そしてわたしがクロードさんやヴェルナーさんの教えを受けているように、前線に立っているランディーにはロルフさんが教えてくれている。
「いいか坊主、何度も言ってるが、戦場の主役は魔法使いだ。俺達デミはいかに魔法使いに気持ちよく魔法を使わせるかが腕の見せ所だ」
「うっす!」
魔法を構築するわたしの耳に、彼等の遣り取りが聞こえてくる。
「俺達が多少傷付こうが、後ろの連中が無事ならいくらでも立て直しがきく。だから時には身を挺してでも味方を守る度胸が必要だ」
「男は度胸!大丈夫っす!」
「おうよ。だからまあ、基本的には司令塔のクロードと、回復役のセラ嬢ちゃんに敵が行かないような立ち回りを心掛けろ。魔物は魔力に惹かれる習性があるから、傾向的に魔法使いのほうが狙われやすい。だが頭がわりぃから、目の前の餌には考えなしに食い付く」
「俺達で敵を引き付けておくのが大事ってことすね」
「上出来だ」
ちなみに同じく前衛の会話を聞いていたらしいヴェルナーさんが「私は?ねえ私は?」と呟き、クロードさんが「ヴェルナーは陰険だから大丈夫ですよ」とよくわからない辛辣な謎フォローを入れていた。たぶん殺しても死なない的な意味なのだと思うけど、このパーティーの中ではヴェルナーさんがいじられ役というか、そういうポジションになってるみたい。
「魔法、いつでもいけます!」
「うん。じゃあ、戦闘開始だ。皆、頑張りましょう!」
クロードさんの号令に全員が応じ、わたしは完成した魔法を解き放った。
「――――ふぅ」
戦闘を終えたわたしは一息吐いて額の汗を拭った。
魔力に惹かれたのか追加で現れたトード種をも相手取って、最終的には十体を討伐することになった。討伐依頼の必要数は十五体なので、これで三分の二を消化したことになる。
ほんの少し前のわたし達では考えられなかった快挙に、いまだ現実感が伴っていない気がしていた。勿論、殆どはパーティーの皆の実力による戦果なのだけど、わたしもランディーも多少は貢献したと言ってもいいだろう。わたしはバフで支援をしたし、ランディーは一体を仕留めた。ちなみに討伐数はランディーが一体、ロルフさんが二体、残りはすべてヴェルナーさんである。
攻撃型の魔法使いであるヴェルナーさんの火力は凄まじいので、順当な結果なのだと思う。
「おつかれだし。セラちー」
後ろから声を掛けられ、振り向くとそこにはクレアさんが立っていた。
パーティーの紅一点だった人で、わたしよりも少し年上の女性だ。彼女は斥候役なので基本的には戦闘に参加しない。斥候の役目とは黒い森を探索する際のルート策定であったり、討伐対象の魔物種の捜索、あるいは追跡。そして戦闘中に他の魔物による横槍を警戒することである。当然、場合によってはクレアさんも戦闘に加わるし、その能力も有しているので、わたしは元より現状ではランディーよりも殴り合いで全然強い。
「クレアさんも、お疲れ様です」
「うん。言うて、私たぶん一番楽してたけども」
そこはまあ、役割分担の結果なので仕方がないのでは。
やっぱり女性が一人だけだと寂しかったのか、クレアさんは一番わたしの加入を歓迎してくれてるみたいで、戦闘以外の面でも何かと世話を焼いてくれる。喋り方がちょっとぶっきら棒なのだけど、それによる第一印象からすると意外なくらいに面倒見がいい人だ。
「セラちー、その格好で暑くない?見てるだけで汗かくし」
わたしの装備は相変わらずの中古のローブである。懐に余裕が出来たとはいえ無駄な出費が出来るほど裕福ではないので、この装備も使えなくなるまでは遣い潰すつもりなのだ。
つもり、なのだが、
「めちゃめちゃ暑いです」
なんせ今日訪れている場所が悪い。トード種の棲み処である沼地の周辺は空気が淀んでいて、つまり風通しが悪くてしかもとにかく湿度が高い。時期的にも気温は高く、とんでもなく蒸れる。
ローブの下に着ている服はもう汗でびちゃびちゃであろう。
襟元を開いてパタパタと仰いでいると、クレアさんがハンカチーフを取り出してわたしの汗を拭ってくれた。
「わわっ、そんな、悪いですよ」
「いいし。私が好きでやってる。ほら、じっとするし」
顏どころか首元や鎖骨の辺りまで丁寧に拭いてくれて、なんか申し訳ないやら恥ずかしいやら。
毎回こんな風に世話を焼いてもらっては色々な意味でわたしの精神衛生上よくないので、暑さ対策を真面目に考えるべきな気がしてくる。すると、すぐ目の前に居るクレアさんの装備が目に入ってくる。機動力が命の斥候役らしく、クレアさんの装備は非常に軽装だ。腕も脚も剥き出し、綺麗にくびれたお腹も丸出し、本当に最低限といった布面積である。
とっても涼しそうだ。
「セラちー、服買ったげる」
「え?」
「パーティー参入記念。お祝い。もっと涼しくて可愛い服着るし」
「あ、あのえっと、ありがたいんですけど……いいんですか?」
貰えるものは貰う主義だし願ってもない話だ。ただ、まだパーティーに入れてもらったばかりで大した貢献もしていないし、むしろ教えてもらってばかりなのに、と気が引ける自分も居る。
遠慮がちに伺ったわたしに、クレアさんは平然と「いいし」と頷いてくれた。
「セラちーは折角可愛いんだから、相応しい格好をしないと勿体ないし」
「それは、その……どぅも」
お世辞ですね。流石にわかります。
だってどう考えてもわたしなんかよりもクレアさんのほうが可愛いもん。
「だからセラちーも、こういう服着るし」
「こういうって、クレアさんみたいなってこと!?無理無理無理ッ!!」
「なんで?無理じゃないし」
無理じゃなくない。どう考えても。
そんなお肌見えまくりの装いは、クレアさんみたいな美人でスタイルも良い人がやるからサマになるのだ。わたしも自分が不細工だとは思わないってか自惚れながらわりとイケてると自分では思うけど、スタイルのほうは壊滅的だ。だって貧乏で栄養状態が良くなかったせいか身体はやせっぽちで発育も悪い。
こんなわたしがクレアさんみたいな挑発的な格好なんてしてみろ。色気どころか憐憫を誘う有様になるのは目に見えている。
わたしがごにょごにょと言い訳を並べていると、クレアさんは何故かムッとした表情になる。
「そんなことない。セラちーはちゃんと可愛いし。自分で気付いてないだけだし」
「またまたぁ」
「それに女討伐者は肌見せてなんぼだし。逆に、パーティーメンバーにそんな野暮っちぃ格好させてたらクロードの沽券に関わる」
ぬぐぅ、それを言われると弱い。わたしが貧乏くさくてダサいのは自覚しているから、そのせいで他のパーティーメンバーのセンスまで疑われるとなると、申し訳ないなんてもんじゃない。
てか、自分自身がダサいと自覚してるんだから、変な抵抗せずにクレアさんの見立てに任せておいたほうが利口なのかも。
尤も、十中八九クレアさんがわたしを丸め込むためにクロードさんの名前をダシにしているだけだと察してはいるのだが。
ダメ押しとばかりにクレアさんがとどめを刺してくる。
「ほら、ハイゼンだってすげー格好してたし。ああいうのがナウい」
「むっ」
わたしの嫌いな相手であるハイゼン姉の姿が脳裏に過る。
彼女の装いを最初に見たときは、そんな風に肌を晒して男に媚びて馬鹿みたいだと侮蔑したものであるが、ていうか今もそう思ってるけど、なんてこった、やっぱりわたしのセンスがダサいからそう思うだけで悔しいことに彼女のアレのほうがトレンディだったのだ。
いや、この際それはどうでもいい。
今わたしがとっても気に入らないのは、ハイゼンさんが出来ていることがわたしに出来ないと思われることだ。たかが衣服と言えど、彼女に負けた気がするのは我慢ならない。他でもないわたし自身がそれを認められないのだ。
「わかりました!クレアさん、わたしもナウい格好がしたいです!」
「任せろし」
クレアさんは満足げな顔でサムズアップをして見せた。
彼女の口車にまんまと乗せられたわたしであるが、これは必要なことなのだ。仕方ないのだ。
……なお、実のところ戦う前から惨敗がわかりきっているのは自覚してるのでそっとしておいてほしい。だってわたしがハイゼンさんの戦闘力に勝てるわけがない。主に、おっぱい的な意味で。
「…………ん?」
ふと、視線を感じて振り向く。
少し離れたところで話していた男性陣のほうからだ。わたしが振り向いたのと同時に視線を逸らしたのは、
「ランディー?」
どうしたんだろう。
偶然だろうか。
彼がまるで、わたしから逃げるみたいに目を逸らしたように見えたのだ。




