77話_side_Rit_学院図書館
~"騎士の卵"マルグリット~
――拝啓 天使様
ちょっとめげそうです。
放課後の学院図書館。学生の自学スペースとして開放された一角にて、あたしは机に突っ伏していた。
あたしの眼前には広げられたノートと教本。
投げ出されたのは愛用の筆記具。
つまるところあたしは至近に迫った中間試験に向けて、図書館で勉学に励んでいたのであった。
「うあぁ~もう無理だぁ」
過負荷で微妙に熱を持ったような頭を机に押し付けて冷却していると、その頭上から呆れた声が降ってきた。
「ちょっとリタ。音を上げるのが早すぎるでしょう」
そう言って、丸めた参考書でぽこんと頭を叩いてくるのはミリティアだ。
学院図書館は基本的に私語厳禁だが、自学用のスペースでだけは、勉学のための意見交換は可とされている。全然関係ない雑談をしていても、まあ他の学生の迷惑にならない限りは摘まみ出されることはない。
と言うわけで、四人掛けのテーブルにはミリティアの他にノエルとミアベルの姿もあった。あたしの隣がミアベル、対面にノエルで、ミリティアはあたしに教えるために傍らに立っている。
要するに、馬鹿過ぎるあたしの試験勉強を手伝うために、友達が協力してくれてるって状況。
それ自体は有難いのだけど、あたしにはどうしても納得出来ないことがある。
「ミアベルぅ~」
「ふぇ?なに?」
隣のミアベルを見上げて恨みがましい声を挙げると、彼女は小首を傾げた。
その彼女の手元にもノートが広げてあって、わりと汚い字でびっしりと書き込まれている。
「なんでアンタ頭いいのよぅ。うらぎりものぉ~」
そうなのである。外面の印象的にはミアベルは絶対あたしと同じ側だと思ってたのに、いざ一緒に試験勉強してみたら完全に裏切られた気分である。
「そ、そんなこと言われても」
「違うでしょアンタは。どう考えても数字見たら頭痛くなっちゃうタイプでしょーが」
ちなみにあたしはそのタイプ。数学なにそれおいしいの?
いつメン四人の成績というか、頭の出来を比較すると、まず圧倒的にポンコツなのがあたし。別にこれはいい。自分のことだし、知ってた。
んで、なんか滅茶苦茶頭キレそうな外見のくせして意外と普通なのがミリティア。本人曰く『平均よりちょっとマシ』程度。あたしにしてみればそれでも充分すごいのは言うまでもない。
見た目の印象を裏切らず、普通に勉強が出来るのがノエル。ただ、彼女の場合は典型的な偏食家で、興味がある分野に関しては専門家張りの知識を持ってるくせに、興味のない分野に関しては露骨に覚える気がなくて、ミリティアと同レベルの知識量に収まっている。
問題のミアベル。
これがぶっちぎりで頭がいいのだ。
もう今回の試験範囲完全に暗記してるんじゃないかってくらい、なに訊いても完ぺきな答えが返ってくる。
そのミアベルは気まずそうに人差し指で頬を掻きながら、
「えっと、忘れてるかもしれないけど、わたし特待生ですよ?」
「成績落としたらそもそも学院に通えなくなるんじゃ、そりゃあリタとは気合が違うわよ」
わかったようなことをミリティアが言ってくるが、それが納得いかないのだ。
「そんなメンタルの問題じゃないでしょこの格差!明らかに頭の出来がちがーうっ!」
「静かに」
すんません。
ノエルに怒られて声量を落とす。
なんで一番頭がいいミアベルじゃなくて、言っちゃ悪いけどわりと平凡なミリティアに勉強教わってると思う?
なんと、ミアベルに教えてもらっても全然理解できなかったのだ。というのも、典型的な天才肌だと思われるミアベルは、出来ないヤツの思考が理解出来ないのだ。あたしが間違えても、何故そんな簡単な問題で間違えるのかわからない、みたいな顔をするものだから、あたしの心が折れてミリティアに選手交代と相成った。
ちなみにミリティアの教えは本人もそれなりに苦労して試験勉強してるだけあって非常にわかりやすい。
「どうやったらそんなに覚えられるのよ。なんかコツあんの?」
「ええ?ないよそんなの。別に特別なことなんてしてないし、わたし」
「くっそぅ。これが格差か……!」
腐るあたしに対して、ミアベルは苦笑気味に言う。
「最初から頭の出来のせいにするのはどうかと思うなぁ」
「アンタは出来るからそう言えるのよ」
「わたしのやってることって、ほんと普通だよ?ちゃんと講義の前に予習して、講義はちゃんと真面目に聞いて、その日のうちにちゃんと復習して身に着ける。それだけやってれば試験前なんておさらいするだけで充分だよ」
「うぐ……」
「リタはきっと、そういうのやってないでしょ?当たり前にやるべきことをやらずに、頭のせいにしてるから出来ないんだよ」
ぐ、ぐうの音も出ねえ……!
完全論破されたあたしの横で、ミリティアも耳が痛そうな顔をしている。一夜漬け上等で試験だけ乗り切れればいいでしょなんて考えていたあたしとは意識の高さが違ったのだ。
あたしがミアベルに劣っているのは頭脳でもまして気合でもなく、意識だったのだ!
「み、ミリティアはあたしの味方でしょ?」
「予習まではしてないけど、私も毎日の復習くらいはするわよ」
「の、ノエルは?」
「んー…私は予習も復習もしないかなぁ」
仲間を見付けた!と私が喜んだのも束の間。
「ノエルの場合は講義中の集中度が尋常じゃないもんね」
「それこそ、講義中に予習も復習も済ませるくらいの密度よね」
「うん。だって暇な時間は好きな本とか読んでたいから」
なん、だと……?
え、なにそれ魔法?バケモノかなにかなの?
結局ミアベルとはスタイルが違うだけで、あたしとは比べるべくもない意識の高さを思い知らされただけであった。
「ぐぬぬ……そうやって、馬鹿なあたしを皆で見下すんだ」
「あのねぇ」
被害妄想と言うか、完全に八つ当たりなんだけど、勉強のストレスであたしは気が立っていた。
気分転換にぱぁーっと身体を動かしたいところだけど、生憎と鍛錬の相手も居ない。いつも相手をしてくれる姉もレックスも当然試験勉強をしているのだから、邪魔するわけにはいかないし。
「無理強いしてまで勉強させようとは思わないわよ?中間で赤点とったところで休みに補講になるだけだし」
「でも、どうせならリタにも良い点とって欲しいと思うんだ」
「お休みは、皆で一緒に遊べたらいいなって思うし」
口々に掛けられる優しい言葉に、あたしは項垂れる。
彼女らが純粋な善意で、自分の勉強時間を削ってまであたしのために教えてくれているのはわかっている。腐っていては申し訳ないし、彼女達にも失礼なだけだと、あたしは気合を入れ直すことにする。
「ん……がんばる」
投げ出していたペンを握ったあたしの姿に、ミアベル達はホッと息を吐いた。
悪戯っぽい笑みを浮かべたミリティアが言う。
「ねえリタ。貴女、自分がすっごく恵まれた環境に居ることを自覚するべきだわ」
「わかってるっての……」
「わかってないわ。ほら、アレを見なさい」
ミリティアが指差した方向に目を向けると、少し離れた机で試験勉強をしているらしい女子二人が目に入った。構図的にあたしとミリティアのように、一人が机に向かい、もう一人が傍らに立って教えているようだった。
座っているほうは、ブラウンのショートヘアーとすらりとした筋肉質のスタイルが特徴的な少女。立っているほうは、深い群青色の長髪をポニーテールにした切れ長の瞳が印象的な怜悧な少女。
イストリ子爵家のソシエと、ラヴィエ子爵家のレキ。ともにフレンネル伯爵令嬢の従者として仕える人物だ。
あたし達のテーブルがわりと和気藹々としていたのと比べると、彼女らの空気は冷え切っていた。あの周囲だけ極寒だ。
耳を澄ませて注目してみると、
「また同じところで間違えています」
「う、ご、ごめん……」
「これで三度目ですよ?覚える気が無いのですか?」
「あの、でも、同じ問題ってわけじゃあ……」
「当たり前です。まったく同じ問題で間違えるようなら死んだほうが良いです」
「ひぇ」
「私は解答ではなく、解法の話をしているのですが。何故一度使った解法を違う問題に応用出来ないのですか?応用力が皆無なのですか?その頭の中には蛆でも詰まっているのですか?貴女の知性は蛆虫レベルなのですか?」
「ひ、ひぐっ……」
「己が立場を理解しているのですか?イオ様の顔に泥を塗る気なのですか?イオ様の懐刀ともあろうものが赤点など許されると思っているのですか?もしやる気がないのなら言って下さい。恥を晒す前に私が引導を渡してあげます」
「うぇぇ……ぐすっ……」
も、もうやめたげてよぉ!!
ソシエってばギャン泣きだよ。てかそりゃ泣くよ。無慈悲過ぎるでしょ鬼かよ。
なにあの目こわ。蛆虫を見るような目っていう比喩表現の本物を見た気分だ。
「ねえリタ?私ってとっても優しくないかしら?」
「はい!ありがとうございます!」
「ああでも、リタって体育会系だし、ああいうスパルタのほうが合うのかしら?」
「お願いミリティア!あたしを見捨てないでっ!」
冗談ではない。というか無理だよあんなの!
勉強云々以前に、心が折れるわ。
戦々恐々しているあたしの両肩に、いきなり後ろからポンと手が置かれた。
「ふわぁっ!?」
「試しに、ソシエとベリエさんを交換してみるというのはどうでしょう?」
薫るような、ものすっごい良い匂いとともに囁かれた言葉にあたしがビックリ仰天して振り仰ぐと、そこに居たのは案の定イオ・キサラギ・フレンネル伯爵令嬢その人であった。そりゃああの二人が居るならこの人も居るか。
黒いのに輝いて見えるような艶やかな長髪に、黒曜石のような同色の瞳。健康的に色付いた肌はあたし達のそれよりも少しだけ色味が強い。纏う香りは花の香のように思えるが、どこかで嗅いだことがあるようなないような……とにかく良い匂いだ。
ミリティア始めミアベルとノエルも全然驚いていないところを見ると、あたし以外は皆イオが忍び寄ってることに気付いていたのだろう。あたしも最近ようやくわかってきたのだけど、このイオって人、意外とお茶目なんだよね。
「皆さん、ごきげんよう。仲良く試験勉強ですか?」
「ごきげんよう。見ての通りよ。そういうイオのところも仲良さそうでなによりだわ」
皮肉じみたミリティアの言葉に、イオはおっとりと溜息を吐いた。
というか、あたしの肩から手どけてもらっていいですかね。なんか緊張しちゃうんで。
「あれは、まあ……レキが少々、気負ってしまっているようですね」
あれで少々?
「あら?私はてっきりイオがプレッシャー掛けてるんだと思ってたわ」
「不思議なことに、わたくしが『気負わなくてもよい』と言えば言うほど、逆の意味で伝わるようで」
「なんか向こう壮絶なこと言ってるけど……実際、ソシエさんって、そんなに?」
こうやってイオと気さくに喋ってるの見ると、ミリティアって本当に伯爵家の人間だったんだなぁ、って思う。普段友達付き合いしてると、結構ポンコツ感あるんだけど。それこそ、レックスに手玉に取られてる感あるし。
「暗記科目は悪くないようですよ?少しばかり、計算等が苦手みたいですね」
仲間だ!あたしの本当の仲間は向こうに居たんだ!
「へぇー。てことはレキさんはそっち強いんだ」
「レキは賢い人ですよ。むしろ、わたくしが彼女からプレッシャーを感じているくらいでしょうか」
「なんで?」
「わたくしより優れた成績を取るわけにはいかないと自戒している節がありますので。わたくしが不甲斐ない結果を見せるわけにはいかないのですよ」
「そのわりには余裕の表情ね」
ミリティアのその言葉に、イオは静かに微笑んだ。
「まあ、発表を楽しみにしとくわ」
「発表?」
聞き慣れない言葉にあたしが首を傾げると、何故かあたしの肩をむにむにと揉み揉みし始めたイオが答えてくれた。
「この学院では、定期試験の成績が掲示されるのですよ」
「うえっ!?まじで!?」
「学年上位三十人だけだから安心なさい。貴女や私には縁のない話よ」
ああなんだ。ならいいや。
一学年の人数がだいたい三百名程度だから、上位一割に入れば掲示されるということか。個人ごとの選択科目は計上出来ないので、あくまでも全員が受講する必修科目だけの合計点数で決まる順位らしい。
「てことは、ミアベルは掲示されるかもね?」
「かも、じゃなくてミアベルの場合は掲示されないと困るのよ」
「特待生資格の条件が、定期試験で三十位以内の成績を維持すること、ってなってるから」
あたしの呟きに、呆れたようなミリティアと困ったようなノエルが説明してくれた。無知ですいませんね。ちなみに掲示圏外に転落したから即座に特待生資格をはく奪されるわけではなくて、二回連続で圏外でなければセーフらしい。ただし座学に限る。
「そういえばミアベル、貴女最初の試験の順位どうだったの?」
最初の試験と言うのはこの学院に入学した直後に実施された基礎学力調査試験のことだろう。実技講義のクラス分けのために魔法資質と身体能力の測定を行ったように、座学の必修科目のクラス分けのため、カリキュラムが始まる前に全員の学力を調査する意図で試験が行われたのだ。この試験でもちゃんと成績の順位が出るが、これは公開はされず、学生本人だけに通知されるものだ。
要は、入学時点での自分のレベルはこの程度なんだな、って理解出来るというか、理解させられるというか。
問われたミアベルがなんかもぢもぢしてるので、なんとなく察した顔で、ミリティアはイオへと水を向けた。
「イオ何位だった?」
「わたくしは七位でしたね」
めちゃめちゃ優秀な件。
「ノエルは?」
「二十二位……だったかな?」
「私は八十位だったわ。リタは……訊かないでおくわね」
お気遣いどーも。なお、この流れで口にするのも憚られる順位だったとだけ言っておこう。
で?と全員から視線を向けられたミアベルがぽそぽそと答える。
「よんい……」
あ、一位とかではないんだ。
いや充分バケモノなんだけど。イオよりすごいじゃん。これは飽くまでも入学時点での学力でしかないのだけど、貴族と平民で教養に差があるのは当然なので、基本的にはそういう部分で差のつかない機転とか計算能力とか、知能指数っていうの?そういうのを測る設問が多かった覚えがある。
下手な知識量とかで競うよりも、閃きとか発想力ってミアベルが最も得意そうな分野な気がする。
「ていうか、ミアベルより上が三人も居るのか」
「わたくしの調べですと、一位はレオンヒルト殿下ですね」
「え。どうやって調べたのソレ」
「ご本人とアルヴィン殿に伺いました」
恐るべきイオ調べ。ソースが最強過ぎる。
「二位はアシュタルテさんですね。三位はわかりませんが、アトリーさんが四位となると、おそらくガルム王太子殿下あたりでしょう」
おおう、ビッグネームが出るわ出るわ。
先程ミアベルに『頭の出来のせいにするな』って論破されたあたしだけど、やっぱり、それが全てではないってだけで基礎能力の格差ってあるよね。たぶん、ミアベルやイオ含め、上位にいる人達ってそもそも頭が良くて、その上でミアベルが言った『当たり前にすべきこと』をしっかり真剣に取り組んでる人達なんだろうなぁ。
まあ、下世話な話をすれば、大抵は地位が高い分だけ実家にお金があるわけで、だから優秀な英才教育を施されているっていうのも当然あるんだろうけど。
そう思うと、やっぱ一番狂ってるのミアベルじゃね?
先にも触れたように、その基礎学力調査試験の結果をもとに必修科目のクラス分けが行われている。配分の詳細は教員しかわからないけど、まあクラスの面子を見る限りは、たぶんクラスごとの学力の平均が同等になるように調整されているのだろう。一位がAクラス、二位がBクラス、三位がCクラス…ってな具合に。だから今イオが名前を挙げた四人は全員が違うクラスってわけ。
「さて、そろそろ再開しましょうか!」
雑談もそこそこに、ミリティアの号令で勉強を再開することにする。
結局ずっとあたしの肩をもみもみしてたイオはどうするのかと思うと、
「イオ、良ければ私に教えてくれないかしら?ノエルもミアベルも教えるの下手で」
「わたくしで良ければ、構いませんよ」
ミリティアのお願いに快諾してくれるのは、まあ噂通りの良い人だなって感じなんだけど、
「その前にあっち助けてあげてよ……」
もはや感情を失くして問題を解き続けるゴーレムと化したソシエを、切に助けてあげて欲しい。
いやいやイオさん「あらあら」じゃないから。
・2021/11 細部の描写を修正。




