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【この世界は死にました】  作者: もちきなこ
第2章 はじめての街
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第25話 一度死んだ世界(3) ★


 オートラル・アクトカッター。距離はそこまで離れていないのにも関わらず、薄暗さのお陰で装備はあまり見えなかったが、右の義腕と義足の特徴的な赤いラインのお陰で彼が“オートラル”だと、脳が滞りなく認識してくれた。


「元の、世界……?」

「……」


 自分が異世界人であるという事は、必要でなければ言わない方が良いかもしれない。殊に彼には「異世界人?!」などと口走ってしまった件があるので尚更だ。……そう思った筈なのだが、今のアキにはその考慮すらする余裕が残されていなかった。


「そうだ、元の世界に帰りたいんだっ……! 実は俺さ、異世界転移してきたんだよ。別の世界の、日本っていう国からやってきた……いわゆる異世界人なんだ。だから……」

「異世界転移を……して、きた? お前が?」

「……ああ」

「ふっ、ふははっ………」


 一歩、また一歩と、粘り気のある水の中を歩きながら、ありのままの事実を、今の感情そのままオートラルにぶつける。が、そんなアキの台詞と足は、オートラルの深く乾いた嗤い声に停止させられた。


「……はっ……あっは、あはハハハハハハっ!!」


 それは、彼と出会った時と酷似した笑い声であったが、何故だかアキには、悲愴と怒りと嫉妬と様々な想いを濃縮し、洞窟に反響させて増幅させたかのような声に感じられた。

 そしてその声……あの洞窟と似た場所で聞くその声は、不思議とあの化物の声を彷彿とさせ、怯んで動けなくなるのには十分であった。


「いやいや、異世界人って……はは……。マジかよお前、そう来るとは思わなかったぜ、ははは。……冗談、キツイぜ……?」


 これもあの時とほとんど同じ言葉だが、その声一つ一つが鉛よりも重く、どろどろとしたモノのように感じられた。理由は分からない。まるで大磐石に全身を押し潰されたような圧迫感……“変人だけど親しみ易い彼”を初めて怖いと思ったのだ。

 ……だが、だからこそ、原因不明のソレには負けられない。それを押し切るように、彼はオートラルに近づきながら続きの言葉を紡ぐ。


「違うっ、本当に……」

「……本当? どこが――」

「……っ、全部だよ! 俺は異世界転移してきた“日本人”で、元の世界に帰りたいと思ってるんだ!! それで俺は……っ、俺は……!!」


 自分でも理解出来ない程必死に、真実を伝えようと彼に詰め寄るが、オートラルはどこか呆れたように右手をヒラヒラ振りながら闇の中へ溶けてゆき、それを引き留めるようにアキは右手を伸ばした――


「でも、証拠なんてどこにもないだろ?」


 瞬間。オートラルへ投げかけた言葉への返信とばかりに、耳元にそんな言葉が掛けられた。

 知らない……いや、知ってる声だ。最初の化物? それともオートラルに似てるのか……? ……いいや、違う、もっと親しみ深くて、確実にどこかで聞いた事があるのだが……分からない声だ。


 振り向くアキ。その視界に映った姿は、黒づくめのフードに身を包んだ同じ位の身長の男だった。

 フードをかなり深く被っている為、顔は愚か髪の色や目の色すら判別できないが、彼がニヤリと口を三日月形に変形させると、真っ赤な口内がフードから覗いた。


「むしろ、オカシイ事ばかりじゃねーか。別の世界から来たクセに、何の違和感も無くこの世界の言葉を操り、魔力だって持っている。……それでもお前は、自分が異世界から来たって言うのか?」

「……っ!?」


 ……彼の語ったそれは、レディアが理由を知っているとはいえ、現在自分が最も気にしている事であり――その言葉に対して、オートラルに感じたのと同種の説明の出来ない恐怖を感じた。


 しかし、自分が異世界転移してきた異世界人だというのは、確固たる事実である。何故どうやって転移したのか分からなかったり、あの夕焼け以来の記憶が無かったり、その他諸々オカシな点は山積みだが、元の世界で過ごした記憶の数々は本物でそれこそが証拠。確かに証明などは出来ないが、これだけは疑いようのない事実。

 目の前の見知らぬコイツに、自分の何が分かるというのか。


「お前に……何が――」

「分かるのかって? ははっ、分かってないのはお前の方だ。……お前さ、この世界に来た時の記憶が無いんだろ? “あの夕焼け”で止まってるんだろ? そんなお前に何が分かるってんだよ」

「何、言って――」


 そこまで言いかけたアキは、ふいに口を噤み……僅かに沈黙。そして目を見開くと、今度はゆっくりと、震える唇から言葉が漏れ出した。


「…………なぜ、それを……?」


 当然の疑問を呈しながらアキは思った。……ソレを聞いてはイケナイ気がした。聞かないといけないのだが、その答えを知りたいのだが、言葉の続きを聞くのが、酷く怖かった。

 しかしそんなアキの様子を見て、眼前の謎の男は不気味な笑顔を湛えながらこう言ったのだ。


「なぜって……ふははっ、お前こそ何言ってんだよ。だって俺だぜ? 分からない訳ないだろ」


 どキリ、と心臓が跳ねる。自身の不安の正体すら分からぬままだが……少なくとも、アキは確信した。

 ――コイツは、自分と異世界に関するナニカを、自分に関するとても大切な中核となるナニカを……知って、いる。


「……お前は、一体……」

「誰かって? ツマラナイ冗談はよしてくれ。俺まで恥ずかしくなるだろ」

「……ッ、黙れ!!」


 不安と恐怖が焦る気持ちを促進させ、フードを捲るため、眼前の見知らぬ彼の肩をガッと掴んだアキ。すると突然、バシャリと音を立てて彼の体が真っ紅な液体と化し、地面の液体の中に溶けた。


「……え」


【キッ……ヒひひっ…………】

【……はははっ、ヒ、は……っ】


 呆気に取られるアキ。そんな彼の耳を、どこからともなく、彼を嘲笑うかの如く不気味な嗤い声が打った。


「っ、な……に…………」


 足が竦み、動けなくなる。……その声は、どれも少し違っているようなのだが、どこか、最初に出会った化物と似ている気がした。

 不安が大波の如く押し寄せる。……ダメな気がする。これ以上、ここに居てはダメな気がする。これ以上、見ては、気が付いては、ダメな気がする。深い所に潜ってはダメな気がする。

 そんな感情とは裏腹に、視線は笑い声の主を探そうと、暗い暗い深淵の闇の中を彷徨う。


【イっ、ふヒヒッ…………なァ、分かってルんだろ? ふひっ】


 徐々に大きく数を増し、思考力を奪う笑い声の中で言葉が紡がれるのを、まるで最初から分かっていたかのように、彼の頭ははっきり認識した。


 震える瞳を動かし、自分の浸かっている血のように深い色をした魔紅力……もとい、そこに映り込んでいる自分自身を見る。

 ゆらゆらと揺れる、怯えきった顔をした自分。……見た事のあるこの顔、いつかと似ているこの状況。魔紅力の中の自分と、目が合った――瞬間。瞳を大きく見開き、先程の彼を彷彿とさせるような三日月形に口を変形させた彼はそのまま外へ、アキの右腕を掴み取り、


【こっチに、こいヨォ!!】


 抵抗する気力すら残されていないアキを、魔紅力の中に引き摺り込んだ。


「…………ぁ」


 どブり、ドぶりと沈んでゆく。

 深い紅色に思考が呑まれ、深く深くに沈んでゆく。


【ヒはっ……ホンとは全部……知ってる、クセに……】

【思い出セ……オレたちの……おモ……ヲ――】


 ――声が、聞こえる。

 真っ紅な視界に、ふとあの時の人型の化物が映り込む。……奴だけじゃない、二番目に出会った手が三本のアイツも、スライムみたいなアイツも、その他の知らない紅核生物が、思考と視界に映り込む。

 塞ごうにも塞げない。塞ぎ方が分からない。手がどこにあるのか、足がどこにあるのか分からない。

 様々な声が、視界が、自分を思考をグるグる酔わせる。


【お前がコロしたクセに……みんな、殺したクゼに……――……お前ガ、生きテ……から……、おマエさえ、イなければ……――】

【……死ねば、イイ……――。マダ間にアウ、キズつけㇽまえに……――じねば、イイ】


 一面の化物の声が、徐々に人間のモノに、そして、自分とそっくりな声に変貌してゆく。

 自分の声が、自分自身が、概念的な質量を持って口から目から体内に入り込み、血と肉と思考をぐチャぐチャに掻き乱す。体内から外に突き破り、ぐチャぐチャに掻き乱す。


【ㇷひひ、異セかい転移……イ世界ジン? フひひひっ、ふヒっ……ワラえなイ】

【おマエは、帰れない……カエレ、ない……。――……かエㇽ事など、ゼカいが赦されない……】

【アキらメろ。オモイ出ゼないなら、ここで死ぬべきだ……――。でも、ソレすらオマえは、赦ざレない…………あㇵ、あはハㇵㇵははは!!】


 もはや自分と同じ声に、手足がもがれ肌が剥がれ、声を織り込んでバラバラにされてゆく。


 不思議と痛みは感じない。

 声の内容と意味が認識出来ない。

 声と自分の境界が分からなくなってゆく。


 得体の知れない不快感。

 底の見えない恐ろしさ。


 この気持ちの正体は分からないが、もうすぐ、多分、分かる。このままだと、分かってしまう。

 ……でも、ソレはダメだ。これ以上は見てはいけない。この恐怖の意味を……“ソレ”を理解してしまえば、きっと自分が自分で無くなる。


 ソレを知るくらいなら、きっと、死んでしまった方が、遥かに“楽”だ。


【ひひっ……イひひっ……――】


 呑まれに呑まれてゆく身体。抵抗するだけの思考力すら無く、ただただなけなしのソレで、最後の鍵となるその声が、自分に差し掛かろうとしたのを認識した――


 ――瞬間。


「――――っ!?」


 声を穿ち、赤色を滅し、全てを一掃し、まるでこの世の理を超えたかのような眩しい程の純白に包まれる。

 雪崩込む思考力。再び象られる身体。今までが嘘だったかのように、やけにはっきりとした意識。

 それとは裏腹に広がるのは、どこが地面で、どこが空なのかも分からない、どこまでもどこまでも純白の曖昧な世界。……これは、いわば世界のバグ。世界の目を盗んで存在を許された、存在しない筈の場所だと、そんな風な印象が付けられた。


「……?」


 ふっと、ある一点……自分の少し前方に意識が持っていかれる。そこには、当然何も存在しないし、何も見えない筈なのだが……何故だか、一人の少女が立っている気がした。

 不思議な感覚だった。見えもしないのに、無造作に伸ばされた白い髪の毛を持ち、胸元に銀色の紋章(リジーアスの紋章)が施された白衣を身に纏った女の子が、そこに居る気がするのだ。


挿絵(By みてみん)


『まだ、見るべきじゃない』


 声どころか音の一つすら聞こえないのだが、存在が曖昧で消えかけの少女が、何故だかそう必死に訴えかけてきている気がした。

 そう、どこかで、どこかで聞いた事のある声。頭の片隅で聞こえない声が瞬く。『忘れないで』『思い出して』何故か聞き覚えのある。今までに何度かそう、囁かれていた気がした。


『でもお願いだから、少しでいいから思い出して! 一度死んだこの世界を、君を、みんなを……。私が、いた事を――』


 そう言いかけた時。自分のこの状況以上に危うい彼女の存在が、とうとう消える。

 同時に、崩れ去る空間。襲いかかる眠気……いや、深い眠りから無理やり起こされている時の、あの感覚だ。


 ……今まで、夢を見ていたようだった。世界と隔離されてゆくような感覚と共に、気を抜くと少女の事を忘れてしまいそうで、一生懸命に引き止める。忘れてはならない存在だ、ただただ懸命に記憶の糸に縋り付く。

 何故だか彼は思った。これは一番忘れてはならない事だと。覚えていても困難だが、彼女を覚えていなければ、待ち受ける運命を変える事は不可能だと。


 だが、覚醒感には抗い切れない。まるで夢から離れてゆくように感覚が曖昧に、意識が遠く、視界が遠のいてゆき……ふいに曖昧だった感覚が、別の感覚を連れて蘇ってくる。

 緑を基調とした視界……清々しい空気。

 ハッキリと、明確だが、ぐにゃぐにゃに捻じ曲がった感覚。そして――


「――っうぉええ゛え゛ェェッ!!」


 耐え切れない程の、猛烈な吐き気だった。

 急加速度的に今度こそ覚醒する意識。ぐにゃぐにゃに捻じ曲がった視界では立つ事すらままならず、そのまま地面に伏して胃の内容物を全て吐き出した。


 まるで地獄のような吐き気。頭はガンガン割れるように痛み、風邪を引いた時の如く悪寒が体の奥底から這い上がり、全身の震えが止まらない。アキはまだ未成年なので知らないが、それはキツい二日酔いの感じと少し似ていた。


「……ぅっ、……うぇぇ…………っ、や、ば……」


 暫くまともな言葉も発せぬまま地面に伏したままだったが、やがて重たい頭を持ち上げ、倦怠感の酷い体を上手く動かせるようになり、草木を手繰り寄せながら近くの木を支えに座ろうとする。

 ……そう、ここは森だ。自分が落ちたはずの『幻迷の森』。……もっと憶幻蝶についてきちんと聞いておくべきであったが、もしかしたらあの鱗粉には毒効果とかあるのかもしれない。または単なる副作用的な、幻覚に酔ってしまっただけかもしれない。


 アキは幾度かフラつきながらもようやく木の根元に座り込み、腰ベルトから水筒を取って一口飲んだ。

 ゴクリ、とひんやりとした水が喉を通り、ぐにゃぐにゃだった思考も、少しだけ透明度が増した気がした。


「………………は、ぁ……」


 気分の悪さは晴れないが、気持ちの悪い浮遊感は時間が経つにつれて徐々に楽になってくる。同時に,

思考も少しずつだが晴れてきて、考えるべき事が分かってくる。


 先程まで見ていたのが、斡旋所で言われた幻覚なのだろう。憶幻蝶による『過去に関するトラウマを呼び起こす』幻覚。

 ……しかし、それだと色々と可笑しいのだ。何故ならあんな出来事は経験したことが無い、つまり幻覚に見る訳もないからだ。――そう、普通なら思っただろう。あんな経験をした記憶も当然なく、あの幻覚が実際に経験した出来事だと信じられる要素なんて何処にも無い。


 なのに、不思議と違和感がなかったのだ。むしろ、どこかで引っ掛かっていた今までの(もや)が晴れたように、とても、遥かに、果てしなく、しっくり来てしまう程に。


「…………」


 おかしい、こんなのは絶対におかしい。あれが経験した事だなんて、ありうる筈がない。

 ……だからこそ。あの見る筈のない光景には――きっと何か、大切なナニカがあるのだと、不思議と強く思ったのだ。


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