第23話 一度死んだ世界(1) ★
「…………な、なんなんだよ……ここ……」
半分自意識を確認するように呟く。
街の人工物に纏わり付く肉々しい紅色の物体は、ソレ自体が生きているかの如く蠢いていており、そこら中には多様な形の紅核生物が跋扈している。大きさは数センチのモノから数十メートルを超える遥かに高いモノまであり、その風景はまるで、紅核生物による高層ビル群を見ているようだ。
そして、ソレらの猛獣というより生々しい、どこか人間の悲鳴を連想させる鳴き声は生理的な嫌悪感を抱かせ、謂れもなく甚だしい恐怖がアキの胸を支配した。
――本当に、なんだ……これ。
あの洞窟が可愛く思えてしまう程の非現実的な光景に腰が抜けてしまいそうになるが、抑える。これでは最初の洞窟と同じだ――恐怖で動けなくなる前に辺りを警戒し、まずは周りの紅核生物……殊に数十メートルを超える、見た目からして物騒なソレらから身を隠す為の物陰を探しに歩き出した。
【ゥキュアァァァァ…………】
【ギェェっ、ぶきュィィゥウう゛う゛ゥゥ】
巨大な紅核生物に潰される人型の紅核生物や、小さなソレの鳴き声が、轟々と唸る風と吹き荒れる砂嵐の中に隠れるよう響く。――人型の紅核生物は殆ど発見されていない『超希少種』だった筈だが、何故かその人型がそこら中に見られるのだ。
そして、この場所も元々は街だったと思われるが面影は殆ど無く、人間の姿は一向に見当たらない。……が、正直探すまでもないだろう。もしかすれば何処かに生き残りがいるかもしれないが、この魔紅力と紅核生物の中では、生きていてもマトモな状態ではない事が想像出来る。
「…………っ、はぁ…………」
その内アキは隠れるのに丁度良い瓦礫を見つけ、その陰に背中を預け、目を背けたくなるような辺りの光景を俯仰した。
――憶幻蝶の幻覚は、“過去に関する幻覚”を見せるものである。しかし、自分はこんな場所知る訳も無いし、ましてや想像した事すらも無い。……つまり、これは幻覚ではない……?
いや、そんな事があるだろうか。あってたまるだろうか。森に落ちたらこんな場所……これが“幻覚ではない”だなんて、信じられる訳が無い。
状況が矛盾している。この光景は……いや、ここは一体ドコなのだろうか。
【キュァーー…………ぅあーーぅ】
そんな時だった。
ベぢャり、という気味の悪い感覚が脛あたりを刺激し、上へ上へと這い上がるよう、脚を撫でられるような感覚が走る。
「――――っヒィ!?」
自らの脚に向いた視線の先。そこに居たのは、人型にすら見えない、溶けかけた物質のような醜態の紅核生物だった。
生きている人間に興味を抱いたのか、理由は分からないが敵意は一切なく、それは赤ちゃんのような、狂人のような、生々しい声を発しながら、子供のようにアキの体をよじ登ろうとしている。
「うわ、うわぁッ! ……ㇶ、嫌だッ気持ち悪い! こっちくんな……っ!!」
【キュピ……ッ】
この状況への恐怖が、この時だけその紅核生物に全てが向いた。
息を飲み込み一心不乱で足を振り払う。そして、その紅核生物も振り払われた彼の脚にしがみ付けるだけの力がなかったようで、容易く遠くへ放られ地面に落ちる。――ちょうどそこには、その紅核生物と同じ眼の色の“人間の死体”と、同じくどこかその人間と似た特徴を持つ、様々な形の紅核生物の群れがいて、
【キピっ! ピピキぅ…………ぅぴ!!】
【ぅあーーぅ……ぅきゅっ、きぃ!】
【ギぁッ?! キ……きぅっ…………ぅ……】
アキに放られた紅核生物は、まるでエサに集るハイエナの如く、集まった群れによってバラバラに千切られ、核が取り込まれた。
――そう、奴らは互いに互いを殺し合っているのだ。千切られたアイツだけでなく、他の紅核生物同士もなけなしの力で相手を襲い、強い個体に潰され……それを繰り返している。
アレを含めてこの群れは、皆あの“一人の死体”から出来た同種の紅核生物だ。……全員があの人間と“同じ記憶”を持った紅核生物、つまりコピー同士が、虚しく、無意味に、互いを殺し合っているのだ。
「ぁ、れ…………?」
ふいに、アキは自らの知識に疑問を持つ。……同時に、あの紅核生物達を見て、自らの記憶に知らない知識が追加されている事に気が付いた。
……そう、自分は知っている。彼らの群れだけじゃない、この空間の人型の紅核生物は、みんな様々な人間のコピー品なのだと。具体的には死んだ人間の情報が魔紅力に取り込まれ、複製させられた偽物……中途半端な記憶情報や体を持ち、“魂”を持たない情報の団塊なのだと。
同じ記憶を持った、一人の人間の「複製品」は、『自分こそがオリジナル』だと、同じ自分から出来た複製品を殺し、自分より優れた情報や欠落した情報を掻き集め、よりオリジナルへと近づいてゆく。
……いや、大量生産された自分の中から優秀な個体を選別し、より強いオリジナルに近付けるよう、意識や行動が遺伝子に組み込まれているのだ。
「…………」
しかし、そもそも人型の紅核生物は非常に無力なのだ。前提として情報が複雑な人間が、自然的に紅核生物として象られる可能性自体が限りなく低く……先程の群れや、その他運良く紅核生物として産まれても、より単純で強大な“人型以外”の紅核生物には為す術もない。
いずれ、訳も分からぬままこの世界から絶滅する運命だ。
【むっキゅゅイィ゛ぅぁぁああアーーーゥっっ】
そんな事を考えていた最中。
突然、視界が暗くなった。
気味の悪い鳴き声、ハッとして向いた視線の先……それは、先程の紅核生物の群れが、襞の付いた肉塊のような触手に押し潰されて、小さな鳴き声と共に体液が飛び散る姿。
同時に、ナニカが肩に触れる感触が伝わる。……自身の上部に仰ぎ見えたのは、眼孔と口内に数多の眼球と触手を持ち、触手の隙間から紅い肉片や体液を撒き散らす姿……全身がまるで多様な生物の内臓を歪にくっつけたような造形の、高さ二十メートル程の巨大な紅核生物だった。
「ぁ………………」
その口からナニカの肉片が零れ落ち、自らの体に降り掛かって腰が抜けた。
……あれは、この世に存在してはいけないモノだと思った。
どこぞの豚とは異次元の、心臓の鼓動さえ止まってしまうような圧迫感。ビジュアルも相当だが、ソレが怖いというより、コイツの体の紅色が怖かった。よく分からないが、生存本能を奥底から揺さぶられるような恐怖が沸き立った。
――勝てない。勝てるはずがない。
思考が遮断され、全身が恐怖で雁字搦めにされる。訳が分からなくなって、ナニカを考える事すら出来なくなって、なんだか笑いが込み上げてくる。
【ぎぎぇッ】
こちらを振り向くその鳴き声に、息が止まる。仲良くしようぜ、だから殺さないでと顔は笑顔を貼り付けたまま、はらはらと涙が落ち、その場で崩れ落ちた。
……そう、自分は知っている。この死んでしまった世界には、こんな奴らが普遍的に沢山存在し、寧ろイレギュラーなのは、生きている人間達の方なのだと。
群れを潰し、紅い体液から糸を引く触手が真上に来る。あの触手で生物の情報を取り込んでいるのだろうか……ドろリとした体液が顔にかかり、なけなしの本能で後ろに引こうと手を動かそうとするが、瞬間、口から吐き出された肉弾によって後方の地面が爆ぜ、風圧に体が震わされる。
逃げ……られない。逃げる前から、そう確信させされた。逃げる勇気が、削がれてしまった。
声を出す事すら叶わない。せめてガクガク震える身体を抑えながら、ただ巨大な化物を見つめ、振り上げられた触手を目前に目を開き、
「オプスク=イグニ・エールプティオー」
その声にハッとさせられた。
化物の巨体が大きく傾く。穿つのは、その全てが直径五十センチ以上はありそうな漆黒の杭数十本。
化物の斜め上方に形成された、直線と文字で構成された構造式の様な巨大な魔法陣。そこから発射された杭の衝撃により、血のような液体を滝の如く吹き散らしながら倒れゆく巨体。……そして、ふいに化物を刺す巨大な杭が、目を突き刺すような眩しい白光を湛えてゆき――次の瞬間、ソレが化物内部から大爆発を起こした。
「うわ゛ッ!!」
つい発したその声も、爆発音と暴風に掻き消され、自身の耳にすら届かない。
……大地が大きく揺れ、地面が変形し、熱風が吹き荒れる程の膨大な爆発。辺り一面の瓦礫や紅核生物は爆風によって吹き飛ばされ、熱気の篭った風圧に身を屈めていたアキも、耐え切れず後ろに吹き飛ばされる。
四散した化物の一部が、自身の身体にびチゃびチゃと打ち付けられる。気持ち悪くて手で払うよりも前に、荒れ狂う暴風が吹き剥がした。
「…………っ」
大気を蹂躙する暴風が収まり切るよりも前に、何とか姿勢を立て直すアキ。薄目を開いて、立ち込める砂埃の奥を覗き込む――と、その視界に映りこんだのは、体が全て吹き飛ばされて剥き出しになった核から、まるで紅い液体が沸騰してゆくよう、ビクビク体を震わせながら、体が再生し象られてゆく化物の姿だった。
「は…………」
それは、あれ程の攻撃を受けても尚、頑丈な核を壊す事は出来なかったという事だ。
先程の魔法は、恐らく火と闇の複合属性アーク言語魔法……レグルス言語の上位魔法よりも上の魔法だ。……どうして自分がその魔法について知っているのか分からないが、ともかくそんな魔法を喰らっても尚死なない、あれはまるで不死身だ。……あんなのが、ここには沢山存在している。
――もう、ダメだ。あんなの勝てっこない。
先程、熱風と暴風で乾き切ってしまった涙が再び溢れる。あれは人間が相手するべき敵じゃない――
「おい、何をやっているんだ、しっかりしろ! 何故仕留めない」
呆然と不死身のソレを見詰めていると、ふいに彼の背中に衝撃が走る。
後ろから軽ーく蹴りを入れられたのだ。それに驚く暇もなく、次に肩あたりを掴まれて少々強引に引っ張られた。
「ユリ……セア?」
そこに居たのは、一緒に崖から落ちたハズのユリセアだった。魔法を使った為か、その瞳はあの時にも見た銀色に輝いていた。
「まさか、腰でも抜けてしまったのかい? 君らしくもないじゃないか」
そんな言葉をアキに投げ掛ける彼女。その笑顔には、可憐さもあどけなさも無かったが、アキの知っているような皮肉や打算を孕んだ“彼女の笑顔”とも全く異なる……まるで親しい友人に語りかけるような、そんな表情だった。
「えっ……まっ、て……」
ぐい、と腕を捕まれ、立たされるアキ。彼も彼女の笑顔と様子に違和感を持ったが、彼から発せられた言葉は、ソレついて言及したものではない。
「何、その……左目…………」
「……は?」
そう、左目が無かったのだ。
具体的には、左目の上に薄汚れた包帯を巻いているのを上手く髪の毛で隠しており、思ってみれば、服だって先程着ていた物と違う物で、血や泥で汚れている。
「……そうか、とうとう性格だけではなく、海馬までイカれてしまったのか」
ずっと前からこうじゃないか、と彼女は続ける。
愕然とするアキ。「仕留めないなら早く逃げるぞ」と後ろを振り向くユリセアに対し、彼女が居る事への安心感を得ると共に、彼の混乱は猶々大きいものとなった。
想像どころか、妄想の範疇すら超えたレベルの状況だ。先程まではやはり幻覚じゃないかといった思いはあったのだが、過去に関する幻覚を見せる蝶で、こんな想像の限界すら超えた、こんな幻覚を見るハズが……いや、見れるハズが無い。
つまり、これは現実……なのか? ……でも、そうだとしたら、彼女はなんなんだ、何を言っているんだ。何故、この状況を受け入れられるんだ……?
「イカれた……? ……そうだよ、頭がイカれちまったんだよ! 何なんだこの場所は、何なんだあの化物はッ!! あれを仕留めろだって? 無理だろっ、俺がっ、あんなの、仕留められる訳ないだろッ!?」
考えようとして、考える事を放棄し、「助けてくれてありがとう」そんな言葉すら出す事が出来ず、感情の赴くままユリセアの肩に掴み掛かり、歩くのを引き留めてしまう。
「崖から落ちて、気が付いたらここに居たんだよ……。何なんだよここ、わけ分かんねぇよ……もう嫌だぁ、こんな世界……」
振り向くユリセア。またもや彼の知らないような、少し驚いたような顔でアキを見詰め……そして、口を開く。
「――まるで出会ったばかりの頃みたいだな、アキ。……いつもの調子はどうした、死ぬぞ?」
「…………は?」
どこか懐かしそうに、そして、どこか悲しそうに、感慨深く放たれた彼女の言葉。……当然ながら彼は思った。『何を、言っているんだ……?』と。
突然、初めて彼女から名前を呼ばれた衝撃。それもかなり大きいのだが、やけに親しげな口調の彼女……出会ったばかり、とは? いつもの、調子、とは……?
「……出会った、ばかりだろ……? いつもとか言える程、関わりも長くないだろ? どうしたんだよ、そんな親しげに……。さっきお前が言ってたのに、なに、言ってんだよ……」
アキは、馬車での会話を思い出していた。
……まるで状況が逆転している。あの時、ユリセアがアキに返したような言葉を、ニュアンスだけ変えて返してみると、
「心外だなぁ、そんな事実と乖離した非情な事を、私が言う訳ないだろう?」
そう、限りなく非情な奴から言われてしまったのであった。
「非情って……いやっ、お前……」
「なんだ、私の方が非情だって顔をしているな? ……まあ、百歩譲って私が情の無い冷酷な人間だったとしてだ。今までの事を投棄して、親しく無いだとか、人の心配を無碍にするような君の発言の方が非情だと私は思うがな」
彼女は、肩に乗せられたアキの手を払い除けつつ、両手の平をヒラヒラさせながらそんな嫌味を彼にぶつけるが、ソレには不快感や敵意といった物は一切無く……幾分かの感情は読み取れないが、アキの事を心から心配した上で言っているという事だけは、彼にも手に取るように分かった。
まるで「君に心配される筋合いは無い」とか言っていた奴と同一人物とは思えない。個人的にユリセアに対して思っていた『利害と打算だけで動く、非情で多分ヤバい奴』という印象が全て覆る程に違和感だらけ……なのに、何故かソレに妙な安心感と、寧ろしっくり来ている自分も居た。
「……なぁ、お前さ……」
彼が、ユリセアに対して口を開きかけた時だった。
【ビぎぬゅい゛ぃイイ゛ヂィィィーーー!!】
後方から劈くような悲鳴。それは、復活を遂げた化物の鳴き声だった。
「ほうら、丁度良いじゃないか。君も奴に吸収されてしまった方が、その異常な頭も治るんじゃないか?」
「吸収……? 何を言って……」
「嫌なら早く動け」
呆然と立ち尽くす彼の腕を掴んで、引っ張る。
前のめりにたたらを踏む。不意に手を離すユリセア、会話しながら計算を終えたのか、銀色の一閃をはためかせて再び後方に魔法を放つが、化物の触手に弾かれた。
化物に対して、今度は見慣れた嫌味ったらしい舌打ちをするユリセア。アキに対して、こっちに来いとばかりに走り出し、それを追い掛けるように彼も足を一歩前へ踏み出す――と、
「、なん……っ」
そこにある筈の地面が、存在していなかった。
例えるならば、当たり判定の設定されていない床と言うべきか。ユリセアはそこに立っているのに、アキの体は地面をすり抜け、下へと落ちてゆく。
混乱を突き破り、抵抗しようと意識した頃には既に遅い。胃が浮くような気持ちの悪い浮遊感、遠く離れてゆくユリセア。彷徨う手は全ての物質を通り抜け、上も下も分からぬまま地面のさらに奥、見えないナニカに吸い込まれるよう、底なしの虚へと落下していった――




