第1話 神の血とは
ガルヴァリナ帝国が帝都ガルヴァリーシャナは、真夜中になっても眠らない。
たなびく雲が月を隠す中、帝国城から忍び出る。
壮大な城をずらりと取り巻くように並ぶ、無数の華麗な館と雅やかな庭園を擁する貴族街の裏道を、音も無く駆けていく。
門柱の傍らで寝ている大型の番犬でさえ気付かない。
貴族街から更に幾つかの帝都の区画を夜陰に紛れて越えていくと、やがて異臭が漂ってくる。
帝都で最も治安の劣悪な場所、貧民街に近付いているのだと、土地と空間に染みついた臭いが真っ先に告げるのだ。
ほとんど上下水が整備されていない上に、わざと貴族や平民が廃棄物を棄てていくこともある。
独特の異臭の中。
あばら屋に近しい民家が不揃いに並んでいる貧民街を、闇に紛れてひた走る。
情報が正しければ、この先を曲がってすぐの廃屋で、今頃『取引』か『摘発』が行われているはずだ。
異臭の中に突然の生臭さ。
錆びた鉄のような。ぬるりとした。
反射的にオレ達は二丁拳銃『シルバー&ゴースト』に手をやった。
(【虚魂獣】が八体も。 人間は二人。 一人は包囲されている! もう一人は【虚魂獣】共に命令を下しているようだ!)
(遅かったか!)
オレ達は崩れかけて穴の空いた屋根に飛び乗った。
貧民街の狭い道の様子を覗った時、雲間から月影が出て辺りが明るくなる。
……立っている人の前後に数体ずつ、人だった頃の名残を残す大きな異形達。
大きく窓を開けた廃屋の中から濃厚な血の臭い。
犠牲になっただろう人数は一人や二人……じゃない。
異形達の全身が夥しい血や人体の組織にまみれていた。
(『親玉』を逮捕させる代わりに、減刑と命の保証を申し出てきた内通者諸共……か)
(帝都の中でこれだけの【虚魂獣】を出してくるとは。 想定できなかったのが命取りだったか……!)
今夜の『取引』と『摘発』には、帝都の治安を維持する機関【帝国治安省】が、潜入調査員の精鋭部隊を派遣したはずだった。
彼らの中で一人だけ生き残ったのだろう。
「――!」
若い女の潜入調査員は負傷こそしていたものの、短刀を手に握りしめ、鋭い目で異形を率いている老爺を睨み付けていた。
泣いたり命乞いはしていない。若かろうが女だろうが、彼女も精鋭なのだろう。
孤独と絶望の中でも勇気を失わないその強さが痛ましくもあり、頼もしくもあった。
オレ達は気配を殺して、いつでも動ける状態で事態を見守る。
「助けは間に合わない。 味方もいない。 ……さあネエちゃん、どうする?」
ゲフ、ゲフと咳き込むように嗤いながら、老爺は彼女に尋ねた。
禿げかけた白髪頭に特徴的な大きな傷痕。
間違いない。
コイツが違法物【神の血】を帝都に蔓延らせている密売組織の『親玉』。
ハウロット・コーだ。
◆
人間に代表されるこの世界の知的生命体の大半には、魔力と【魂】がある。
その二つを備えた知的生命体が、成人もしくは成体に達した時、一個だけ【固有魔法】を得るのだ。
魔力を使用して特定の現象を引き起こす、たった一つの己の技能。
【神の血】は【固有魔法】を一つ追加する代わりに、使用した者をヒトならざる異形【虚魂獣】へと成らしめる、悪魔の『釘』である。
いつからだ?
誰が考案したのか?
目的は何だ?
どうやって広めた?
それらの背景は、今はこのハウロット・コーしか知らない。
犯した罪状を考えれば末路は死刑しか無いが、しばらくはコイツを生きたまま捕まえ、ありったけ情報を吐かせなければならないのだ。
オレ達の元々の目的は、【帝国治安省】がハウロットを捕縛する現場に駆けつけて潜伏。
不測の事態が発生したら密かに潜入調査員達をサポートする――つもりだった。
予定変更だ。
今のこの場でオレ達がすべきことは定まった。
こんな絶望の中でも彼女が諦めていないのなら。
それでも!と最後まで足掻こうとするのなら。
見殺しになんて出来ないからな。
オレ達は屋根の上で立ち上がった。




