第2話俺を抜け
いつもより、少し不穏な空気が屋敷に漂っていた。
早朝に庭の掃除をしていると、いつもは大人しい鳥たちが、妙に落ち着きなく鳴き交わしていた。
「気にしすぎかな..」
自分に言い聞かせるように呟いて、俺は作業を続けた。
次の違和感は、昼頃にやってきた。町から戻ってきた買い出し人が、屋敷の使用人たちにこんな話をしていたのを、俺は偶然耳にした。
「いや、妙な話を聞きましてね。町の牧場で、家畜が何頭も、一晩でいなくなったらしいんですよ」
「野盗の仕業じゃないですか?」
「それが、血痕はあったのに死骸が一つも残ってないとかで…ちまたじゃ、魔物の仕業だとか..いや、ほんとに最近物騒ですねえ..」
俺はその場を通り過ぎながら、聞こえないふりをして、けれど耳だけはその会話に引っ張られていた。
普通魔物は、ダンジョンや深い森の中などにいるはず。町の中で現れたは、滅多に聞かなかった。
まぁ自分には関係ないと、聞き流した。
仕事が終わったので、まぁ実際は終わってないけど、休憩がてら木の木陰で、本を読もうとすると、俺は決定的な違和感に出くわすことになる。
屋敷の前を、ぐるぐる徘徊しているやつらを見た。黒いマントを着ていて、あまり顔が見えない。
「面倒なことにならなきゃいいけど...」
そう自分を安心させながらも、胸の奥にざらついた不安が居座っていた。黒いマントのやつらから、何か不吉な魔力の波長が飛んでくる気がした。
少し不安になってきた俺は、マーサに違和感を感じたことを話す。
「なぁ..マーサ...今日なんか嫌な予感がする..」
すると、マーサは少し冗談半分に返した。
「ばかなこと言ってないで、庭の掃除をしたらどうですか?」
「....ちぇ」
これが、日ごろの行いと言うのだろう。マーサは全く気にかけてない。俺はすねたように、マーサに背を向け、庭に向かっていった。
俺は剣を磨きながら、いつもより長く、考え事をしていた。
「……気にしすぎなだけだと思うけど..」
布を握る手に、微かに力がこもる。
さっきいた黒いマントのやつらの正体は?町に不可解に消えた家畜の行方は?そんな質問を答えれるものは誰もいない。
屋敷の方角から、鳥たちが一斉に飛び立つ羽音が聞こえた。庭木のざわめきが、風もないのに強くなる。
地響きが、体の全体に響く。
「――っ!?」
振り返った先、庭の奥、闇が濃く溜まった木立の陰から、何か大きなものが這い出てくる気配がした。
膨れ上がった影が、日の光の下でその輪郭を露わにする。
獣より、一回り大きい怪物、魔物だった。さっき見た人影も、家畜の噂も、すべてこれに繋がっていたのだと、俺は解釈した。
「……やっぱり、気のせいなんかじゃ、なかったのかよ」
喉が乾く。足が竦む。だが同時に、身体は勝手に動いていた。
護身用に携帯していた短剣を抜き、両手で構える。震える切っ先を、正面の影に向けて。
「来るなら、来いよ……!」
声に出した強がりは、自分でも驚くほど掠れていた。
魔物が咆哮とともに突進してくる。俺はとっさに短剣を横に薙ぎ、初撃をどうにか受け流した。
しかし、力の差は、あまりにも歴然としていた。
「――くっ!」
短剣の刃が、鈍い音を立てて欠ける。腕に痺れが走る。防戦一方のまま、じりじりと追い詰められていく。
魔物の攻撃が、頬に一瞬かする。
「——っ!」
一瞬かすっただけで、頬の皮膚を深く裂かれた。
魔物は俺の動きを見切っているかのように、右へ左へとフェイントを織り交ぜながら間合いを詰めてくる。並の実力ではとても捌ききれない、獣の狡猾さがあった。
(……軽口の一つも、出ねえな……)
自嘲する余裕すら、もう残っていなかった。逃げながら、攻撃を必死に受け流す。反撃の余裕などとうになかった。
屋敷の方に助けを求める声を上げる暇もない。誰も、こんな庭の片隅にいる俺に気づかない。いつものように。
魔物が、木を間違えて裂き、少し魔物に隙があらわれた。俺はそのチャンスを逃さず、魔物の腕に渾身の一撃を繰り出した。すると、短剣から甲高い音を立てて、根本から折れた。
「ぐおおおおおおおおおお!」
丸腰になった俺の目の前に、魔物の咆哮で、近くの木まで吹っ飛ばされた。
絶体絶命の状況で、視界が、やけにゆっくりと流れていく。
これまでの記憶が鮮明に、頭の中に流れ出す。
(おいおい..これ走馬灯ってやつじゃないのか..)
頭の中で流れてきた記憶は、マーサのことでも、あの冒険者のことでもない。今までずっと磨いてきたあの剣だった。
(こんなとこで..死にたくない..)
どこからか、声が聞こえた。
〈――遅いぞ、いい加減。俺を抜け!〉
俺は困惑し、辺りを見回す。
〈こっちだ!ひっよこ!〉
まさかと思い、あの剣の方に視線を向ける。すると、いつもより赤みがかったあの剣の姿が、そこにあった。
〈やっと、気づいたか!さぁ、俺を引き抜け!〉
俺は状況をまったく把握できなかったが、言われるがままにその剣を抜いていた。
瞬間、刃全体が夕焼けのような紅い輝きを帯びて燃え上がった。
後ろから魔物が爪を、俺に向かって振り降ろされる。俺は、反射的に剣で受け止めた。すると、魔物の爪にひびが入り、叫び声をあげた。
俺は頭の理解ができていなかった。だが今度は、俺の腕が弾き飛ばされることはなかった。むしろ、魔物の巨体の方が大きく仰け反り、後方へよろめいている。
「は……?」
呆然と立ち尽くす俺の手の中で、剣はまだ紅く燃えていた。まるで生き物の鼓動のように、脈打っている。
〈驚くのは後にしろ。まだ終わっちゃいないぞ〉
声は、間違いなくこの剣から響いていた。
「……剣が、喋って――」
言葉の途中で、体勢を立て直した魔物が再び突進してきた。
俺は半ば無意識に剣を構え、その一撃を受け止める。
重い。重いはずなのに、腕は千切れない。むしろ、燃えるような熱が全身を駆け巡り、恐怖で強張っていた身体に力を送り込んでくる。
「.....ぐッ..!」
だが同時に、とてつもない疲労感が腕を襲う。剣先が意図しない方向にぶれ、体勢が崩れかける。
〈おいおい、暴れ馬かお前は。少しは俺に応えてみろよ〉
「ふざけんっ…な…! 」
魔物の爪が、横薙ぎに振るわれる。俺はとっさに剣を盾のように構えたが、衝撃で身体ごと後方に吹き飛ばされた。
「――ぐぅ……ッ!」
地面を転がり、痛みに顔を歪める。だが起き上がる俺の耳に、剣の声が飛び込んでくる。
〈まだ戦闘は終わってねえぞ。立て〉
「言うのは簡単だろうが……!」
悪態をつきながらも、俺は歯を食いしばって立ち上がった。膝が笑っている。それでも、剣を握る手だけは緩めなかった。
魔物が再び突っ込んでくる。今度は俺も、剣の熱をわずかに手繰り寄せるようにして、正面から迎え撃った。
剣を振る力はもう残っていない。受けきるだけで精一杯だ。
〈そんなもんじゃねえだろ。お前の想いは〉
「いや、お前が俺の何を知ってんだよ....!」
剣が喋ってるだけでも、相当な異常事態なのに、なぜこんなに普通に会話できるのか。おそらく、今までずっと剣を磨いてきたから、心が自然と通じ合ってるのかもしれない。
〈一撃だけだ、その一撃にすべてを込めろ〉
俺は何を言われているか、最初理解ができなかった。一撃....確かに今の俺の状態は、一振りするのが限界だ。そう感じると、俺の体は燃えるように熱くなった。
〈――そうだ、それでいい〉
剣の声が、どこか満足げに響く。
〈まっすぐ振れ。お前の覚悟のままにな〉
魔物が腕を引き上げ、爪を振り下ろそうとする。俺は、魔物に一瞬隙ができたように感じたと同時に
〈今だ!〉
剣の声に押されるように、魔物の爪が振り下ろされると同時に、俺はすべての想いを込め剣を振る。
大気を切った、そんなような気がした。魔物は、断末魔のような咆哮を残し、姿が黒い霧となって空に溶けていった。
静寂が戻った庭に、俺は膝から崩れ落ちた。
「……勝った、のか」
〈当然だろう。俺が力を貸してやったんだ、負ける道理がない。にしても、ギリギリな戦いしやがって。肝が冷えたぞ〉
「そっちこそ、無茶ばっかり言ってたろ..」
息を切らしながら、俺は手の中で燃え続ける刃を見つめた。
「……お前、一体——」
剣の声が、不意に静かなものに変わる。
〈俺はずっと見ていたんだよ。お前の、その誠実さを〉
その一言に、喉の奥が詰まった。
「……知ってた、って……ずっと? 俺が、独り言、言ってたの……全部?」
「もちろん。朝昼晩全てな」
「えー、はず……」
〈気持ち悪い奴だなと思ったぞ。……だけど、お前にはほかの奴にはないものを感じた。才能で選んだわけじゃない。お前を、気にいっちまったんだよ〉
膝の上に置いた手が、微かに震えていた。悔しさでも、恐怖でもない、もっと別の何かが込み上げてくる。
「……そう。じゃあ、少しだけ、信じてみようかな」
〈これから長い付き合いになる、覚悟しとけ〉
その軽さに、思わず力が抜けて、俺は乾いた笑いを漏らした。
騒ぎを聞きつけたのか、庭に駆けてきたのはマーサ、ただ一人だった。
「坊ちゃま! ご無事ですか――」
息を切らしながら駆け寄ってきた彼女は、俺の姿を確認すると、安堵の息を吐いた。だがその視線が、俺の手にある剣に留まった瞬間、表情が凍りついた。
「……その剣....」
マーサはしばらく言葉を失ったように、剣を見つめていた。俺が何か聞こうと口を開きかけたところで、彼女は我に返ったように首を振った。
「……いえ、なんでもありません。それより、お怪我は」
「大丈夫、多分」
マーサは俺の腕や身体を手早く確認しながら、深いため息をついた。それから、まっすぐに俺の目を見据える。
「坊ちゃま。よく聞いてください」
「……なに」
「その剣のことは、誰にも、旦那様にも、坊ちゃま方にも、絶対に話してはいけません。今すぐ、鞘に収めて、誰にも見えないようにしまってください」
いつもの雰囲気とは違う、有無を言わせない声だった。俺は思わず息を呑む。
「……なんで。マーサ、何か知ってるの?」
彼女はそれには答えず、ただ静かに、けれど強い口調で繰り返した。
「表には、出さないでください。いいですね」
剣を握る手の中で、夕竜の剣が小さく呟いたのを、俺だけが聞いていた。
〈……すこし、まずそうだな〉




