後編
「――そ、それが本当の凌平さんなのですか?」
「そうです。駄目ですか? でもこれも本当の僕です。このありのままの僕も受け入れて、結婚をしてくれませんか?」
「ご、ごめんなさい……凌平さんのことは好きです。でも、あなたのその姿が本当なのであれば、わたしは一緒に支え合って生きて行くという自信が生まれて来ません。ですので、ごめんなさい」
「――あ」
沈んだ表情と陰りのある心を垣間見せた彼は、淡々と粛々と私に教えてくれた。それがあって以来、ずっと外面を保ちながら、自分の心を押し殺して世間に向き合って来たのだとも話してくれた。
「ま、そんなとこだな。嘘みたいな話だが、所詮、名家だ何だと言われても人間ってのは、どこかで嘘をつきながら生きてるもんだ。自分をさらけ出して、素の自分を受け入れてくれるってのは稀なんだよ。お前もそうだろ? だから素の俺じゃなくて、外面のいい上品な俺で居続けろなんてことを言ったんだよな?」
「そ、そんなことじゃなくて……」
「まぁいいや。俺は学校の先生として、外での俺を作り続けてやらあ。とにかく、お前は気にすんなよ。お前も受験生なんだしな。俺のことばかりに気を取られるとか、そんな余裕はないはずだ」
彼の過去を聞いた私にはもう何も、これ以上何も言えなくて、頭を軽く撫でながら背を向ける凌平に何も言えずにいた。まさか幼い頃の何気ない一言が、彼の生き方にまで影響させていたなんて思わなかった。
この話を聞いてから数日、リビングでくつろぐ凌平は大げさにすることが無くなり、至って平穏な日々を送るようになっていた。家に上がり込んだ時の図々しさは消えていて、どちらかというと他人の家にお邪魔していながら、自分というものをどこかに押し殺しながら過ごしているような、そんな感じだった。
そんな日が続いていた下校途中に、凌平と同じ学校で先生をしているという女性が私に声をかけて来た。
「こんにちは、あなたはみくるさん?」
「はぁ、まぁ……」
「わたしは凌平さんと同じ学校で教員をしている倉野って言います。単刀直入に言いますね。凌平さんから離れてくれませんか? っていうか、彼に近寄るな!」
「は? 離れるも何も別にそういう関係でも無いので」
「とにかく忠告したからな! あの人に似合うのはわたしだけなんだよ」
「あ、そうですか。じゃあ帰ります」
よく分からないけれど、心の無い凌平のことを好きだというならそれはそれでいいんじゃないかな。それも結局のところ、表面上のいい所しか見ていないってことなんだし。上品ぶっていても人間って大きなところでは変わらないってことなんだ。
「おかえりーどうした? 腹でも壊したか」
「学校でモテてるんだ? なんか、あなたのことで忠告受けたけど……」
「ん? 生徒の誰かか?」
「分かんないけど、先生みたいだった。言われなくても、凌平って私のことなんてただの受験生か何かだとしか見てないでしょ? きちんとした大学に入って、社会人になってくれれば別に何の関係もないと思っている。そうだよね?」
「お、おい、何を怒ってるんだ?」
彼の言う通り、私はどうして腹を立てているんだろう。見知らぬ女教員に彼のことを言われたから? それもあるかもしれないけれど、どうして私はまだ受験生で社会に出ていないんだろう。対等の立場なら、あの女に向かって、凌平に近付かないで! なんて格好いいことも言えたかもしれないのに。
どうして歳の差はこんなにも距離を開けられるのだろう。学生と先生。ただこれだけの差なのに。
「おはよう。よく眠れたか? 今日は天気いいし、みくるの学校途中まで一緒に歩くよ」
「勝手にどうぞ」
「つれないねぇ。もしや今って、反抗期だったか? いくら親父さんの代わりって言っても、俺はお前の反抗的な態度までは受け止められないぞ。悪ぃな」
「違うし!」
なんて中身が無さそうなやり取りで、凌平とくだらなくても話をするのが楽しいと思えてた。やはり彼と話をするのが好きなんだ。好きっていう感情は恋かどうかなんて分からない。でも、同じ家の中で彼と過ごしている内に、私の中で彼への安心感が芽生えていたのかもしれない。
「じゃあ、私はこっちだから。送ってくれてありがと」
「あー、みくる。頭に埃が付いてんぞ」
「え、どこ?」
「なんてな、嘘だよ。じゃあ、勉強頑張れよ」
「……え」
両手で頭を気にしていたら、彼は私の額に口を付けていた。何だったの、あれ。不意打ちにも程がある。両手の所在が無い時にあれは卑怯すぎる。だけど、その何となくの気持ちが彼から伝わって来た気がして、学校へ行く私の気持ちに余裕が生まれたのは事実だった。
その日の夕方、学校から家に帰ろうとすると、笑顔を見せた彼女が私に声をかけて軽食に誘って来た。断っても面倒だから付いて行くことにしたけれど、何が言いたい人なのか分からないから聞くだけ聞くことにした。
「私の方が似合う。そう言ったよな?」
「はぁ……まぁ。別に私は彼のことをそういう感情で見ているわけじゃ無いんですけど、何で私なんかが気になるんですか? 彼に直接言えばいいことでは?」
「言えるなら言ってる。同じ学校で教員してるからって、話しかけられるほど暇じゃねえんだよ! 受験生ごときにそんなの言われたく無い」
よく分からないけど被害妄想の強い女性なのだろうか。
「彼は頭が良くて、ずっと成績優秀で憧れの男子だった。彼とは同じ高校、大学だったけれど遠くで見ているだけで、とてもじゃないけれど近づけなくて、だけど彼のお父様がたまたま大学の教授だったの。お父様にお任せされたのがわたしだったの。彼をよろしく頼むってね。だから、あんたみたいな小娘にしゃしゃり出られても困るってわけ。今すぐ彼を家から追い出して彼に告げなさい。ふさわしい人が近くで待ってるからって!」
「私の家にまで見に来ているとか、あなたはそういう人なんですね。それならなおのこと、彼をあなたに近付けたくはないです。彼がいたいと思える場所だからこそ、私の家にいるんです。他人のあなたにとやかく言われたくないです。私、帰ります」
なんて自分勝手な言い分なのだろう。勝手に好きになって、勝手に任されて。凌平の姿なんて上辺でしか見ていないじゃない。あんな女に渡したくない。
「お帰り! 遅かったけど、寄り道か?」
「凌平。わたし、大学受験やめる! わたし、あなたと肩を並べられるように早く社会に出たい」
「へ? 何で急にそうなるんだ? 何か先生に言われたか?」
「違う。私があなたと同じ立場になれば、もう寂しい思いとかさせなくて済むはずだから、だから……受験やめる」
「あー……そうか、お前ずっと俺のこと、気にしてたんだな。バカだな……だけど、ありがとな」
寂しそうにして笑う彼だったけれど、何となく嬉しそうにも見えた。だけど私のこの発言は、出張していた父の耳にも入ってしまった。ほどなくして帰ってきた父。私と凌平と3人で話すことになった。
「……で、お前は大学受験やめて仕事したいのか? 何でだ?」
「私、いち早く社会に出たい。大学に入れば多様な知識を得られるのは聞いてる。だけど、それは社会人になっても同じでしょ。行って後悔するかもしれないなら、行かなくてもいい。そう思ってる」
「お前、俺の背中を見て来ているだろ? 確かに仕事するにしても色んなことを得られる。だけど、それは――」
「ちょっといいですか? 親子の会話に入っていい事じゃないですが、俺はおじさんの言う通りきちんと大学出て、社会出て……教員になりました。でも、学ぶってことの意味ではそうした決められた道ばかりが、いいこととは思えないんですよ。俺はずっと名門と呼ばれる学校しか進んできていません。だけど、それは自分自身の心を押し殺してきた証でもあるんです。自分で決めて来なかった、来られなかった道を進んできただけの自分。今思えば、それが心残りで後悔の連続でもあるんです。だから、みくるがそういう気持ちになったってことは、褒めてやってもいいんんじゃないですか?」
「む、うぅん……凌平くんがそう言うなら俺は何も言わん。みくるのやりたいようにやっていい。だけど、後になって後悔するなよ?」
「うん、分かった」
そうして、その日から受験勉強はやめたものの、仕事に向けた多種多様な資格の勉強に取り組む日々が始まった。学卒じゃなくても、高卒でも即戦となれるような資格を取るために。そして、彼に似合う女性となるために。
凌平に好意を寄せていた彼女のことは、後々彼に聞かされた。自分のことを気に掛けていたのは気付いていたらしく、それでもそれは、素顔ではない表だけの自分に好意を抱いていたに過ぎない。名家であることと、嫌いな父親に勝手に自分のことを任されたということに、業を煮やしていたということみたいだった。
「最初から倉野さんのこと、気付いてましたよ。だけど、俺は好きな奴がいるのでそいつにも迷惑かけないでやってくれないですか? 家でのことも全て気付いてました。これ以上俺の口から言わせないで下さい」
「え? 私の名前、知っていたんですか?」
「当然です。俺が高校の時に告白して来ましたよね? 手紙か何かで。俺のことを好きと言ってくれた人のことは覚えてますよ。たとえ、直接声をかけなくてもね」
「え、じゃ、じゃあ……」
「いや、それでも父に言われたからじゃなくて、倉野さん自身の心を見てみたかったです。だから、もう」
「はい……ごめんなさい」
5年が経って、とある街角。
「いやー悪ぃな! すげー遅れちまった! 待ったか?」
「ううん、全然。急いで来た割には汗なんか掻いてないけど、本当に走って来たの?」
「嘘ですが?」
「はぁ!? バカなの? マジでムカつく!」
「すまん! でも好きだから許してくれ」
「私も好きなんで、許す」
「んじゃ、適当に見て回るか!」
「無計画かよ! まぁ、いいけど」
結局、受験をやめて就職の道を選んだ。大変だったけれど、社会人としての先輩がすぐ傍にいたし、精神的に支えてくれたから、だからその辺はすんなりと決まることが出来た。
彼に不意打ちの様に、額にキスをされて以降はそういったことが一切無かったけれど、それもこれからってことかなと思う。
「っていうか、変わらないね。ホント、適当過ぎ」
「そうか? 俺は最初からこんなもんだろ! そういうお前も俺の前ではそうだったろ?」
自分たちの前で、お互いの素顔を見せたままにお互いを想い合う。これを繰り返しながら道を歩んで行こう。彼と一緒に、これから、これから。
お読みいただきありがとうございました。




