9 なないろのにじ
緑の芝生がきらきらひかる。
いっとき降ったあたたかい雨かた立ち上るのは、濡れた土の匂い。
かあんかあんと、教会の鐘が鳴った。ずいぶん乾いた音で。
墓地に深く開けられた穴に、棺がゆっくりおろされる。
「主よ、御霊をどうか天の国に導きたまえ」
これは哀れな娘のなれのはて。
ルビー・アボット。森のなかで盗賊に襲われて死んでしまった。
参列しているひとはごくわずか。王宮のまかない女が数人だけ。
棺に花が投げ入れられて人々が帰ると、式をつかさどった神父は教会の中へもどった。
ざっくざっく。墓守りたちが無造作に、棺に土をかける。
遠く墓地の隅で、それを見守る女の子がいる。黒いサテンのドレスに身を包んだその唇は、ばらのように可憐で赤い。
黒髪のその子の隣には、金髪碧眼の若者がぴたり。まるで騎士のようについている。
「君をかばって死ぬなんて。あの娘は馬鹿だな。まあ、本物だろうが偽物だろうが、家の役に立ってくれれば、文句なしだ。兄様も僕もぜんぜん困らない」
でも君は宮廷へはあがれないよと、金髪の若者は白い歯をきらりと見せる。
「レディー・アリスは急病で、王宮へ行くのはお休み。これから病死することにするからね。世間の同情を大いに買って死んでもらう。薄幸のシンデレラとして」
ぎりっと金髪王子をにらみあげて、黒髪の女の子が訴える。
「お父さまに会わせてください、エドワードさん」
「ああもちろん、かなえてあげるよ。表舞台には出れずとも、やるべき仕事は山のようにある。君には存分に働いてもらうさ。お父さまと、我が家のためにね」
かつりかつり。誰かが石の階段を昇ってくる音がする。
教会の木窓をそうっと閉めて、僕らは眼下にある墓地の景色を閉じた。
「具合はどうかな」
青いひとみの主が、部屋にはいってきた。
しろい神父服がまぶしいその人のひとみには、包帯をまいた女の子が入ってる。
「だいぶいいわ」
アリス・ソワレがにっこり笑う。手足も頭も包帯だらけ。
それでも、青いひとみのなかで幸せそうに微笑んでる。
「神父さまがたすけてくれるなんて、思わなかった」
アリス・ソワレを救ったのは、今、棺に土をかけてる屈強な墓守たち。神父さんの忠実なしもべだ。
「アリス。君が心配でその……公爵家にはりつかせてたんだ」
墓守たちは、御殿から飛び出したアリス・ソワレを追いかけた。僕らのただならぬ様子に何ごとかと、たくみに距離をたもって警戒しながら。
そうしてアリス・ソワレが飛び込んで刃を受けたとたん、盗賊たちを蹴散らして。女の子をふたり、教会に運び込んだんだ。
「これで君は自由の身だよ。ルビーはお父様に会えるし、公爵家の一員になれる」
「そうかしら。なんだか、エドワードに脅されてたようだった」
「まあその。あの家に入るには、踏み絵をふまないといけないからね。これからこきつかうから覚悟しろとでも言われたんだろう」
僕らは踏めなかった。迷ったけどだめだった。
ルビーは、絶対踏まないだろう。迷いさえしないだろう。
『おねがい死なないで!』
だってあの子は僕らを許してくれたもの。あの子を殺すようにと命じた張本人を。
まことのルビーはまことの天使。ほほえんで僕らを抱きしめてくれた。
『あなたは罪をつぐなったわ、アリス。わたしをかばってくれたもの』
あの子がエドワードに悩まされるのは。怖ろしいあの家に潰されるのは嫌だ。
「心配しなくていい。ルビーと父君のことも、私がなんとかする」
「神父さま……ほんとうですか?」
「君が望むなら……」
青いひとみが僕らをとらえる。冷たい色なのに、なんだか熱っぽい。
「私はなんでもできるよ、アリス」
「あたしも手伝います。なんでもします」
ルビーは許してくれたけど、まだまだ僕らのつぐないは足りない。
マチネとソワレ。にせものの兄と、ひとり生き残った妹。
僕らは一緒に罪を犯した。だから二人で、全力で贖う。
それが、僕らの望みだ。
だから僕は消えるわけにはいかない。たぶん一生、ソワレとともに生きるだろう。
――ルビーを助けるのに異議はないでしょ、アリス・マチネ。
『もちろんだよ、アリス・ソワレ』
――しばらくズボンを履かせてあげるわよ。女の子の格好じゃ目立つから。
『ああ、ついでに墓守さんたちに弟子入りだね』
――でも体を動かすのは当分あたしよ。
『それは……』
――忘れないで?
アリス・ソワレはくすくす笑う。
小さな手鏡に映るもうひとりの自分の唇に、そっと白い指を当てながら。
――この体はあたしのよ?
それからほどなく、まことのルビーはお父さまと大陸へ逃げた。
神父さんの手引きで鮮やかに。
資金や馬車や船の準備を手伝った僕らも、港で親子と落ち合って一緒に逃げた。
青い青い海を割って進む船には、なぜか青い瞳の神父さんも乗ってきて。
「ローマへ巡礼しようと思ってね。君もどうかな」
僕らはイタリア旅行に誘われた。
「何年間かかけて、のんびりしようと思っている。君が一緒に来てくれたら……嬉しい」
神父さんの頬はいつになく赤くて、青いひとみはとろけそうにもっと熱い。
後甲板にいるルビーが僕らを呼ぶ。ワイン色のドレスに同じ色のボンネット。すごくかわいい。お父さまがにっこり、僕らに微笑みかけてくる。
「アリス、よかったらでいいんだが」
この人も、僕らを許してくれた。嘘をついてだましたのに。僕らを抱きしめて許してくれた。
「ルビーの学友になってくれないかね? できれば私らと一緒に住んでほしい」
答えはどうしよう?
僕らの意見はまっぷたつ。
――神父さまについていきましょうよ、アリス・マチネ。
『いいや、僕はルビーと一緒がいい、アリス・ソワレ』
――なによあんた、あの子が好きなの?
『君こそ、あのおじさんが好きなのかよ』
海峡の向こうにつくまでに決められるかな。
潮風が心地よい。一瞬だけさあっと雨が降って、からっと晴れた夏空に虹がかかった。
なんてきれいなひかり。
僕らは空へ向かって手を振った。
天国へつながる橋に。
母さん。
お兄ちゃん。
僕らは、元気だよ。
だから、心配しないでね。
――了――
お読みくださいましてどうもありがとうございました><