第207話 大量
「組合長を呼んでくれるか? バルバラからの伝言があると伝えてくれれば話が通るはずだ」
シュゾンとニーナを引き連れて冒険者組合へとやってきたルルは、冒険者組合受付に用件を告げる。
夜中だからか、受付はぼんやりとした表情をしていたが、ルルの言った内容が頭に浸透していくにつれて目が覚めたらしい。
「……組合長にですか? しかし、今はお休みになっておられますが……」
その言い方にはルルに対する不信が感じられる。
それもそのはずで、その受付の顔に、ルルは覚えがない。
おそらくは夜間を専門に働いているか、臨時の職員か何かなのだろう。
あまり仕事にも慣れていないような雰囲気がある。
しかし、普段ならともかく、今は緊急なのだ。
意味のないやり取りに時間をかけるのも馬鹿らしくなってきたルルは、先にクロードのところに行こうかと踵を返しかけると、
「ちょ、ちょっとお待ちください! ルル様!」
と、別の方向からルルに声がかかった。
振り返って見れば、それは見た顔、というかバルバラが来たときの会議において、バルバラの来訪を告げた職員である。
受付とは違って、その職員はルルに慌てた様子でかけより、即座に尋ねてきた。
「何かあったのですね!?」
「あぁ、かなりまずい事態になった。このあとクロード様のところにも行く予定だが……」
「承知しました。すぐに組合長を呼んでまいりますので、会議室でお待ちください。クロード様の方には我々の方から連絡を入れましょう」
ツーカーとはまさにこのこと、という感じで話が進んでいく。
そのことに、やる気の無さそうに対応していた受付は目を白黒させているが、今は突っ込んでいる時間も惜しいところだ。
そして最後に、職員が周りには聞こえないような小さな声で、ルルに尋ねてきた。
「それで、何が起こったのですか……?」
オロトスを起こすにもクロードを呼ぶにもそこは知っておく必要があるというこだろう。
ただ、内容によっては大々的に広めるわけにもいかないため、そのような聞き方になったといわけだ。
ルルは職員にだけ聞こえるよう、耳に口を寄せて言った。
「……例の魔物の集団が群れをなしてフィナルに攻めてくるそうだ。オロトスだけでなく、騎士や冒険者も集めてくれるとありがたいな」
「……!! 承知しました。みんな、こっちに来て! 緊急事態よ!」
職員はそうして、他の職員にも指示を出し始めた。
冒険者組合でも高い地位にいるということだろう。
そして数分も経たずに指示を受けた職員たちがその場から駆け出していく。
各方面に連絡をしに行った、ということだろう。
ルルはそれを確認して会議室に向かった。
◆◇◆◇◆
「すまない、待たせた」
そう言って会議室に入ってきたのは組合長オロトスである。
髪が乱れて目が少し赤いのはまさに起き抜けの状態でここに来たからだろう。
服装も一応外出着のようだが、よく見るとボタンを掛け違えていることが分かる。
よほど急いできたことが分かり、ルルは首を振って答えた。
「いえ、眠っていたのでしょう? 夜分遅くに申し訳なく存じます。しかし、事態は切迫しておりまして」
「そのことよ。魔物の群れがやってくると聞いたが、どういうことだ? 詳しいことを聞かせてくれるか。一応、既に冒険者組合内にいた冒険者達には緊急依頼として北門に陣を張るように指示は出してあるが……」
ルルの言葉一つでよくそれだけ大がかりな指示を即座に出せたものだと感心するが、ここ最近のフィナルの状況やルルの果たしてきた役割を考えると当たり前かもしれない。
古代竜との連絡役であり、個人としても闘技大会を優勝できるほどの武勇を持ち、国王とも懇意にしていて、父は王立騎士団の剣術指南役である。
心の底から信用できるかどうかはともかく、全くの無意味な行動をするような者ではないと言う事はそれだけで分かるだろう。
ルルはオロトスの質問に答える。
「……先ほど、バルバラが私の宿泊していた宿にやってきまして、その際にどういった方法かは分かりませんが、ログスエラ山脈が攻められているので自分は一旦、山に帰ると伝えられました。さらに、フィナルにも魔物が向かって来ているようなので、関係各所に連絡を頼むと。また、信頼の証と言いますか、今度の魔物の集団がバルバラの支配する群れとは別の集団であることを証するため、腹心の部下であるシュゾンを置いていく、とも言っておりました」
そこまで仰々しい言い方をしていたかどうかはともかく、バルバラが言いたかったのはつまるところそういう事だろう。
シュゾンがバルバラにとって部下なのか友達なのかただの隣人なのか細かいところは分からないが、ルルの説明に後ろにいるシュゾンが特に不服を唱えていない以上、この説明でいいはずである。
オロトスはルルの言葉に驚きと、そして僅かの感動を滲ませて言った。
「魔物の集団については分かったが……しかしバルバラ殿からの情報か。あの古代竜殿は本当にフィナルと共同戦線を張ってくれるつもりなのだな……」
そんな風に。
どうやらオロトスは盟約を結んだにも関わらず、未だにどこかに信じ切れていない部分があったらしい。
それも当然で、つい先日まで交流どころか存在すら確認の難しかった伝説に近い存在に、しかもどちらかと言えば敵対していた存在に、即座に信頼を持てるかと言われればそれはありえないだろう。
しかし、今回のことで、バルバラが比較的誠実に盟約上の義務の履行をしているところを知り、信用が高まったようである。
それからオロトスはシュゾンに、
「わざわざフィナルに残っていただいて……ありがとうございます。出来るだけ、安全なところにいて頂いて構いませんので……」
と言いかけた。
それはバルバラの誠意に対する返礼としてのつもりだったのだろう。
しかしシュゾンはその言葉に首を振り、
「……いえ。私はバルバラにこの街の戦力として十分に戦うよう、命じられておりますので、お気遣いは無用です。ただ、この姿よりは、もとの姿の方が力を発揮しやすいので、冒険者や騎士の方に、地獄犬に攻撃を加えないよう伝えて頂けるとありがたいのですが……」
と言った。
その言葉にオロトスは、
「……そう言えば、シュゾン殿は地獄犬でいらしたのでしたな。美しい女性の姿に、その事実がすっかり抜け落ちてしまっていました。お話は承知いたしました。しっかりと伝えておきましょう」
そう言って頷いたのだった。
それからしばらくして、クロードがやってきた。
オロトスと同じくかなり急いできたことが分かるような恰好だったが、それでも見れないほどではない。
貴族である。
あまりみっともない恰好は出来ないと言う事だろう。
クロードにもオロトスにした説明と同じ内容の説明をしたが、彼もまた驚いてはいても対処は速かった。
騎士に対する指示を出し、北門の外でログスエラ山脈方面を警戒するよう命じた。
程無くして、夜中に叩き起こされた冒険者が冒険者組合に集まり出したので、クロードとオロトスと共に一階へと向かう。
そこには事情をあまり把握できていない様子の冒険者たちが困惑気味に集まっていたが、オロトスは前置きをいれずにすぐに本題に入った。
「皆にここに集まってもらったのは、今、フィナルに魔物の群れが向かっているからだ。細かい事情については後に説明する。今は全員、急いで北門に向かい、フィナルの防護を固めてくれ! 既にある程度の数の冒険者は北門に陣を張っているが、心もとないのだ。頼んだぞ!」
オロトスにしては簡潔な台詞だったが、それだけに冒険者達にもどれだけ事態が切迫しているか分かったのだろう。
全員が重い装備を纏いながらも出来る限り早く北門に向かおうと冒険者組合を我先にと出ていく。
それを見送りながら、オロトスとクロードも身支度を整え始めた。
彼らも北門に行くつもりらしい。
オロトスはともかくクロードは領主なのだからこういう場合は屋敷の中とか会議室などで指示を出してふんぞり返っていればいいのだが、そう言えばクロードは、
「馬鹿言ってんじゃねぇ。こういう時こそ俺みたいなのが前に出ないと誰もついてきてくれなくなるじゃねぇか。何、心配するな。俺は強かぁないが兄貴に多少は鍛えられたからな。少しは戦えるぞ」
と反論してくる。
確かにそうなのかもしれないが、今回に限っては相手の正体すら得体が知れないのだ。
ルルとしてはやはり、こういうときは総大将は後ろに下がっておくべきではないか……と思うが、ふと自分はそんなことを言えた柄ではなかったなと遥か過去のことを思いだした。
何とも言えず、
「……好きにするといい」
とだけ言ったルルの言葉をどう解釈したかは分からないが、クロードは笑って頷いた。
◆◇◆◇◆
北門につくと、そこには既に大勢の冒険者と騎士たちが陣を張ってログスエラ山脈の方向を見つめていた。
非常に静かで、風すらも吹いていない。
音と言えば、鎧や剣のこすれ合って立てる金属音くらいなもので、そのことがむしろ不気味さに拍車をかけていた。
「……本当に来るのか?」
クロードがそう尋ねた。
ルルは答える。
「途中でログスエラ山脈の魔物が全部倒してくれたって言うなら来ないんだろうが……それなりに数がいるって話だったし、自分たちも攻められててあまり手が回らないからそっちで対応しろって言ってたしな。十中八九来るだろ」
ルルの答えに、クロードは嫌そうな顔で、
「うへぇ……嫌すぎるぜ……それも、魔物だけじゃなくて、あの捕虜みたいな奴らが来るんだろ? 勘弁してほしいぜ……そこの姉さんとは逆だな」
そう言って、ルルの横に立つ黒色の毛皮を持つ魔物――地獄犬をクロードは見つめる。
呼吸と共に口から青い炎を僅かに漏らすその生き物を間近で見て、クロードは改めて怯えを感じるが、フィナルを代表する者として怯える姿など見せるわけにはいかない。
だからクロードの態度は堂々としたものだった。
それに、地獄犬の頭の上を見てみれば、そんな恐怖もかなり抑えられる、というか気が抜けるのだ。
そこには水晶づくりの角と琥珀色の瞳を持った小竜が乗っかってじゃれているのだ。
「きゅきゅ?」
そんな風に鳴きながら、ぺしぺしと地獄犬の頭を叩いたり、耳を引っ張ったり、首にぶら下がったりしている小竜。
小竜など地獄犬と比べればそれこそ蟻と象のような存在に近いはずなのだが、何をされても、
「わふ……」
と鳴きながら許容している辺り、余程気を許しているらしいことが分かる。
それにクロードは、この地獄犬の人化した姿を知り、会話をいくつか重ねている。
そのときの印象からすれば、この地獄犬は比較的穏やかで理知的な性格をしていると感じた。
口調は穏やかで、話す内容も非常に常識的であり、他人を気遣うようなところもあって……。
この地獄犬と比べると、むしろあの古代竜の人類社会に対する無知ぶりが不思議になってくるくらいである。
だから、そんな地獄犬が、頭の上の小竜に妙に甘いのは、人類の大人が、小さな子供にほっぺたを引っ張られようが何をされようが、怒ったりはしないのと同じようなものか、と納得することにした。
それから、クロードは話を変える。
「……で、ルル。敵が来た場合の対応は、さっきの打ち合わせの通りでいいんだな?」
ルルはクロードとオロトスと一緒にここまで馬車でやってきたのだが、その際にある程度の打ち合わせをしたのだ。
クロードとオロトスは基本的に敵がやってきた場合には、前面の者が対応に当たり、背後から治癒術師が回復魔術をかけて、限界に達したら後退する、というのを繰り返す形で戦う事を提案していた。
その点について、ルルとしても特に文句は無い。
ただ、一点だけ、付け加えること、というか戦いを楽にする方策があり、それを伝えたのだ。
クロードがいっているのは、そのことである。
ルルはクロードの言葉に頷いて言う。
「あぁ。任せておくといい……問題もないわけじゃないが、シュゾンがいるし、オロトスにも伝えておいたんだ。問題ないだろう」
「よし……じゃあ、頼んだぞ。……おっと、そろそろ来たみたいだな。うへぇ……本当に大量だぞ」
クロードが額に手を当てながら見つめた先では、膨大な数の魔物、それに空に浮かぶ人型達がこちらに向かって来ているところだった。