第206話 伝達
真夜中のことである。
宿のベッドに眠っていると、ふと誰かの気配を感じ、ルルは目を覚ました。
イリスとゾエも程無くしてむくりと起き上がり、今は人化して少女姿のニーナが目をこしこしとしながらイリスの膝の上に陣取った。
そしてその瞬間、部屋の扉が開いて二人の女性が入ってきた。
「……バルバラに、シュゾンか。どうした? こんな夜更けに」
ルルがそう尋ねると、バルバラが口を開いた。
「私もこのような時間帯に他人の部屋を訪ねるのはマナー違反であると理解はしているのですが、状況が状況でしたので、仕方なく」
その言い方に、どうやら何かあったらしいと理解し、ルルたちは続きを待った。
「大したことではないのですが……先ほど山の方から使いが参りまして。どうも攻められているようなのです」
「攻められていると言いますと……ログスエラ山脈と敵対する魔物の群れから、ということですか?」
イリスの質問に、バルバラが答えた。
「ええ、そのようです。より正確に言うのであれば、半分以上は人の形をしているようですね。ただ、どれも既存の人類種族とは異なった特徴を有しているとのことですので、捕虜にした巨人の男や少女たちと似たような存在なのでしょう。それ自体は構わないのですが……どうも、結構手強いらしく。心配ですので、私は山にいったん戻らせて頂こうと思いましてご挨拶にあがりました」
どのあたりが大したことない報告なのか問い詰めたい気分になる中々に大変な事態だが、バルバラの感覚からすれば大したことないこと、なのかもしれない。
ニーナも少し心配そうな顔をしているが、今日明日に知り合いがどうにかなってしまう、とまで考えているような感じではない。
仲間を信頼しているというのもあるだろうが、そこまで切羽詰まってはいない、という感覚なのだろう。
しかし、そうは言っても、ログスエラ山脈の主がそんな状況の中で山を留守にしていると言う訳にもいかないようだ。
本来ならニーナが行くべきところだろうが、今のニーナに一地域の主として戦えるような力はない。
そのことを分かっているから、バルバラが帰る、と言っているのだろう。
そこまで考えて、ルルは頷く。
「話は分かった……ただ、街の連中との話し合いとか連絡はどうする? まだ中途半端だろう。これからどうしていくのかも……」
しばらく滞在してそう言った点につき、詰めていく予定だったのだから、ここで山に戻るというのならその辺りについても何か手を打っておくべきだろう、と言う意味での言葉だった。
具体的にはオロトスやクロードに話を伝えたのか、ということだったが、バルバラは言う。
「いえ、彼らにはまだ何も。出来るだけ早く戻りたいと考えておりましたので、その辺りについてはルルに任せようかと思いまして。こういう緊急事態において、人の動きと言うのは余り早くは無いのでしょう? あまり時間がない今、そう言ったことにかかずらわっているのは時間の無駄です」
人と交流を持ったことがあまりないくせに、妙なところに詳しい。
確かにバルバラがこのことを冒険者組合なり領主なりに伝えようと末端の者に話を通し始めたら、まず事実確認から始まって長い時間がとられることになる、ということはありえないとは言えないだろう。
いっそオロトスやクロードに直接話をすればそう言った面倒なところはすっ飛ばしてくれそうな気もするのだが、時間が時間である。
彼らは非常に優秀であるが人外ではなく、このような時間帯は当然眠っているのだ。
バルバラなら忍び込んで叩き起こすことも朝飯前だろうが、わざわざそんな騒ぎを起こすのもよろしくないだろう。
バルバラは続ける。
「それに……」
「それに?」
「山が攻められている、と言いましたが、どうやらこの街フィナルに向かって来ている一団もあるようで……」
困ったようにバルバラはそう言った。
「私たちの仲間は山の魔物との戦いで手いっぱいのようで、そちらを引き留めるほどの力はありません。追いかけて攻撃を加えてはいるのですが、数が多いようで……こちらについてはフィナルの方々に対応してもらわなければならないでしょう。申し訳ないですが……」
本来、バルバラや山の魔物達に、フィナルに向かっているその一団を自分たちの領土の守りを薄くしてまで止める義務はないだろう。
一応、フィナルとログスエラ山脈で盟約が結ばれ、協力して事に当たることが大まかに決められたが、具体的に義務が決められた段階にはないからだ。
しかし、バルバラとしてはその大まかな協力関係をかなり誠実に履行しようとしているらしい。
得られた情報をフィナルに伝え、また、フィナルの被害を出来るだけ減らすべく努力をしているようだからだ。
ただ、それにも限界がある。
それに、そこまで協力してもらっておいて、フィナルが何もしないというわけにはいかない。
そもそも、フィナルに向かって来ている一団というのはフィナルを狙ってやってきているのだ。
フィナルの者が対応するのが正道だろう。
「そこまでしてもらって、文句なんかは出ないだろうさ。連絡は承った。バルバラたちは山に向かうといい」
ルルはそう言って、彼女達に促す。
しかし、バルバラは言った。
「いえ……私は山に参りますが、シュゾンはここに残していこうと考えています」
不思議に思ったゾエが尋ねた。
「それはまた、どうして? シュゾンは……ログスエラ山脈でも上位の魔物なのでしょう? だったら……」
その質問にバルバラは答える。
「ええ。そうなのですが……戦力的には私がいれば、なんとかなります。それに、今のタイミングでこの街から私たちが二人とも去ると、あらぬ疑いをかけられないかと少し心配で」
ちょうどバルバラたちがいなくなったタイミングで魔物が攻めてきた、となれば疑う者も出るだろう、という話だ。
バルバラたちも攻められているのでその疑いは見当違いなわけだが、山の様子を誰かが確認している訳でもない。
そう言う風に追及されれば誰も否定は出来ないだろう。
だから、シュゾンを残しておく、ということか。
分からないでもない。
ただ……。
「オロトスやクロードはそういう風にバルバラたちを疑ったりはしないと思うが……」
「あの二人や、モイツという方に関してはそんな印象を受けましたが、他の方々はどうか分かりません。悪意から、と言うよりは不安からそういう疑いを持たざるを得ないという方も出てくるでしょう。そう言った要素は出来る限り排除した方がいいと考えます。ですから、シュゾンは残すのです。それに、理由はそれだけではなくて……これは御願いなのですが、ゾエかイリスのどちらかに、私と共に来ていただけないかと」
バルバラの提案にルルたちは首を傾げる。
そして、イリスが尋ねた。
「それはなぜでしょう……?」
バルバラは答える。
「今までの魔物達なら私たちはしばらく戦ってきた経験がありますのでさほど問題は無いのですが、人型の者たちについては――あまり戦い慣れておらず、苦戦気味のようで。お二人はこの街に連れてきたあの捕虜二人を無傷で捕獲されたと聞きました。何か彼らと戦うにあたってアドバイスなどを頂ければと。もちろん、彼らと実際に戦い、勝利を収めた人材が必要なのはフィナルの方も同じでしょうから、どちらか片方を、と考えているのですが……いかがですか?」
その提案は理解できるものだった。
バルバラや、シュゾンに準ずるような魔物達ならともかく、それほど強くない魔物達にとってはあの人型の者たちは対応に苦慮する相手だ。
その辺りについて経験をもとにした補助などを頼みたいと言うことだろう。
ルルとしては別に構わないところである。
本人がそれでいいのなら。
そう思って二人を見ると、ゾエとイリスは少し悩んだような顔で二、三言、言葉を交わし、言った。
「いえ……片方とは言わず、二人で参ります。どちらかと言えばフィナルより山の方が大変そうですし……一人でも戦力がいた方がよいのではありませんか?」
イリスの言葉に、バルバラは申し訳なさそうに言った。
「確かにその通りですが……しかし、フィナルはフィナルで実際にあの人型の者と戦ったという経験を持つ者にはいてほしいはずです。お二人に来てもらう訳には……」
その言葉に、イリスは、
「それについては、解決する手段があります。少々お待ちください。お義兄さま……」
そう言って、イリスは顔を近づけてきた。
突然のことに驚くが、ルルはイリスが何をやろうとしているのか理解していたので、逃げないでイリスが近づいてくるのを待つ。
そして、二人の距離がゼロになった。
額同士が合わさるという形で。
イリスは目をつぶっており、長いまつげが見えて、ルルの心が少しだけ騒ぐ。
大人になった、と思っているのか、それともそれ以外の何かなのかは分からなかった。
それを知ってか知らずか、イリスが呪文を唱える。
「……肌を通して記憶を繋げ――記憶伝達」
その瞬間、イリスの額にふわりとした魔力光が現れ、そして、ルルの額の中に入っていった。
魔力光がルルの額の中に入った瞬間、いくつもの記憶がルルの中に流れる。
その大半が、あの少女と巨人との戦いの記憶であり、イリスとゾエがどのように対応したのかを即座に把握することが出来た。
それを確認したイリスがゆっくりと目を開き、ルルの視線を真っ直ぐに見つめた。
額は未だ離れてはいない。
甘い吐息が顔にかかって、
「……いかがですか?」
と尋ねられた。
ルルは、至って冷静そうな表情で、
「しっかりと伝わった。大丈夫だ」
しかし、イリスはその答えに少し不満なようで、
「いえ……そういうことではなく……あの、大丈夫でしたでしょうか?」
と尋ねた。
その言葉の意味を、ルルは少し考えて理解する。
そもそもこの記憶伝達という魔術は、人の記憶を他人に移すことが出来ると言う非常に使い勝手の良い効果を持つ魔術である。
しかし、それでもこの魔術が使われることは、過去においても特別な場合を除いてそれほど多くは無かった。
それはなぜか。
それは、この魔術の制御の難しさにある。
そもそも、人の記憶と言うのは思った以上に整理されておらず、自分の頭の中にある記憶のうち、どれからを選択的に相手に伝える、ということはたとえ会話を通しても難しいものだ。
そしてその事実は魔術と言う手段に変わっても変化することなく、記憶伝達の魔術を使えば、自分の意図しない記憶を相手に移してしまう可能性もあるのである。
イリスが尋ねたのは、つまり、自分はちゃんと意図した記憶のみを伝えられたのか、ということだ。
無駄な記憶が他に何か混じっていなかったか、という意味だ。
ルルはそのことを理解して、頷いて、
「あぁ、そのことか。大丈夫だ。問題ないぞ。はっきりとあの少女と巨人との戦いの記憶が伝わったからな……」
「そう、ですか……良かった」
とイリスはあからさまにほっとして、それからルルとまっすぐに合っていた視線に慌てるような表情をして、ゆっくりと額を離していった。
それから、今行われたことの意味を説明されたバルバラが、感心したように言う。
「記憶を伝える魔術などというものがあるのですね……。私も長く生きているつもりでしたが、人の世界にはまだまだ知らないことがたくさんあるようです。あとで、教えて頂けますか?」
とイリスに魔術の伝授を頼んでいた。
イリスはルルの方を見て、教えてもいいか、という視線を向けてきたので、ルルは頷く。
バルバラに教えても問題は無いだろう。
そもそも使い勝手の悪い魔術だし、かなり技術がないと使う事もできないものだ。
仮に人に伝わったとしても、おそらくほとんどの者が使わないのではないだろうか。
そう思ってしまう程度には、使いにくいものだ。
ルルはそんなことを考えながら、イリスから伝わった記憶を反芻する。
大きな魔力を持っている割に、まるで駄々をこねる子供のように戦う少女と巨人の姿。
それに、そんな二人の動きを監視するように浮かんでいる石の翼をもつ青年。
なるほど、どうも一人だけ毛色が違うようだ。
あの青年を捕虜に出来れば違ったかもしれないな……とふと思う。
それからイリスの記憶は別のことに移っていく。
ゾエと二人で歩きながら、彼女から質問を受けるイリス。
「……ルルのことどう思ってるの?」
楽しげに尋ねたゾエに、イリスは答える。
「……どうと言われましても……尊敬しておりますわ」
その答えに、ゾエはあまり納得がいっていないようで、手をぽんと叩き、言った。
「尊敬ねぇ……よし、言い方を変えましょう。ルルの事、好き?」
こう尋ねられた時、イリスの心の動きが、彼女の記憶と共に伝わってきた。
かなりの動揺と、どう答えたらいいものか、という葛藤がそこにはあった。
そして、しばらくの後、その動揺は奇妙な程の落ち着きを見せる。
それから、イリスが口を開いた。
「……私は、」
――そこで、記憶が途切れた。
こういうことが伝わってしまう欠陥魔術こそが、記憶伝達である。
そのため、かつては軍で使われていた、というよりむしろ恋人同士がお互いの想いに嘘がないことを伝えるために使われることが多かったのだが、ルルはそう言った事実についてはかなり疎く、そもそも記憶伝達を使うために額を合わせる、という行為が一種の愛情表現として理解されていることを、知らなかった。
それから、バルバラが部屋をイリスとゾエと出たのを見送って、その場に残された二人と一匹は行動を開始する。
いや、一人と二匹だろうか。
ルル、ニーナ、シュゾンであるのだから。
「まずは、冒険者組合だな」
そう言って、ルルが歩き出したのに、二匹はとことことついてきたのだった。




