第205話 いまでも変わらずに
男との会話は多岐に渡った。
と言っても、主に話していたのはバルバラで、男は話の合間合間に質問を挟んだり、話の方向がずれないように上手く相槌を打っているのが主だった。
妙に人の懐に入るのがうまく、警戒心を抱かせない笑顔が印象的な男だった。
そんな男は、バルバラの話を聞きながらしきりに頷いていたが、特に興味を抱いていたのは、近年の国際情勢であった。
その中でも、魔導帝国クリサンセの名と、首都マージアルカの名称を聞いているときに、男の瞳に鋭い光が宿った。
「"魔導帝国"に"マージアルカ"ねぇ……なるほど、あいつ失敗しやがったな。まぁ、仕方ないっちゃ仕方ないんだろうが……」
などとぶつぶつ言っている。
何に失敗したのかはよく分からないが、バルバラがそれを尋ねる前に男の方から質問してきた。
「そうだった。姉ちゃん、今はいつだ?」
「いつ、とは?」
バルバラが首を傾げると、男は言った。
「あー……そうだな、戦争からどれくらいの月日が経ってるか教えてほしいんだが……」
「戦争……と言いますと、何の?」
男の言葉にそう言ったバルバラを見て、男ははっとしたように目を見開き、それから納得したように頷いて言った。
「……魔族と、人族との戦争からだよ。知ってるだろ?」
確かに知っている。
魔族と人族の間に戦争があった、ということは。
しかし、正確にそれから何年経ったのかということはバルバラでも知らないことだ。
少なくとも、バルバラが生まれた時点で何千年昔の話であると言われていたことだ。
分かるはずがない。
そのようなことを言うと、男は驚いたようで、
「何千……って、マジか。そりゃ魔導帝国なんてものが出来ててもおかしくはないわなぁ……。なんだ、そうなると……みんなどうなってんだ。魔族は……」
独り言のようにそう言っているが、どうも男が魔族について気になっている、ということは分かったバルバラ。
この男が自分のために"幻の果物"を探してくれていると言うことに対し、一応、恩を返そうかと男が知りたそうなことを教えてあげることにする。
「魔族、と言うのがかつて存在したと言う絶大な力と魔力を持つ、古代魔族と呼ばれる存在の事を指すのでしたら……滅びたそうですよ」
と。
その男はバルバラの言葉に呆気にとられたような顔をして、
「滅びた……? 馬鹿な。どうなってる……万全を期したはずだったんじゃないのかよ……。くそ……何がどうなってるんだ!」
と思いのほか強い口調で叫んだ。
先ほどから穏やかで飄々とした様子を崩さなかった男だけに、この剣幕は意外だった。
ただ、すぐに気を取り直したところに、この男の器の大きさを感じる。
男はそれから、バルバラに、古代魔族に関する伝承やら何やらを聞けるだけ聞き始めた。
バルバラとしても、暇つぶしに語るのは全く問題ないところであったので、快く話した。
男は一つ一つに頷いていて、バルバラの知っていることを全て聞き終わった辺りで何かに納得したような顔をした。
「なんだ……思ったより、世界は平和なんだな? なら、まぁいいか。にしても……これからどうすっかな……。寝てる奴は……」
言いながら、男が何かを念じると、男の手元にぶおん、と音が鳴ると同時に薄いガラス板のようなものが出現する。
それから、それをいじくり始めた。
ガラス板の上には、何か文字や図形が色々表示されているのが見えたが、どういう仕組みのどういう用途のものなのかはバルバラにはよく分からなかった。
ただ、男はそれを器用に使いこなしている。
「……まだみんな寝てるのか。あれ、あいつも寝てるのか……イリスは……イリスはまぁいいか。そのうち起こしに行けば。何も言わずに放り込んだから、いきなり起こすと襲い掛かってきそうで敵わねぇもんなぁ。それと……うーん」
などと言って男は頭を押さえ、先ほどまで座っていた台座の隣にあるカプセルの中を覗いた。
バルバラもそれを男の後ろから眺めてみると、カプセルの中には人が眠っている。
少年だ。
男は彼を、頭を掻きながら悩ましい顔で見つめて言う。
「……ヴァンか。ヴァンはどうすっかな……こいつも起こしたら、怒られそうだしなぁ……頭が固い奴ばっかりだぜ……ま、しばらく放っておくか。そうしよう」
ぽん、と手を叩いて、男はカプセルの中に一言、言った。
「あと何十年か眠っててくれ。よろしく! あとは……調べなきゃなんないことはねぇかな……うし、データは消去、っと……」
それからバルバラに振り返った男は、
「姉ちゃん、じゃあ、俺はそろそろ行くわ」
笑顔でそう言う。
驚いたバルバラが、
「ちょ、ちょっと待ってください! 私の果物は!」
その言葉にそうだった、という顔をした男は、
「あーっと……お、今戻って来たみたいだぜ」
そう言って部屋の入口を見る。
そこからあの赤い光が飛んできて、バルバラの周りをくるくると飛び始めた。
そして、赤い光からぼろぼろと男が食べていた果実と同じものが十個ほど落とされた。
「こ、こんなにっ!?」
「色々話に付き合せて悪いと思ったからな。多目に探させてたんだ。それでいいか?」
歓喜に震えるバルバラに、男は笑ってそう言った。
バルバラは物凄い勢いで頷き、言う。
「大・満・足です! ありがとうございます!」
「おぉ。それは良かった。じゃあそろそろ俺は行くぜ……面白い姉ちゃんも達者でな」
そう言って、男は部屋の入口に向かう。
そして大扉をふと眺めて、一瞬首を傾げてから、バルバラに振り返って尋ねてきた。
「そういや、姉ちゃんはなんでここに入れたんだ?」
その言葉にバルバラは首を傾げたが、冷静になって思い返してみれば、ここにたどり着くまでに罠があったし、扉自体も力づくでは開かなかった。
ただ、罠については大したことなかったし、扉は何だかよく分からないけれど開けてくれたのだ。
そのことを正直に言う。
「扉を開けますか? と聞かれましたので、出来ればお願いしますと答えたら開けてくれましたよ」
その答えに男は眉を顰めて、
「なんじゃそりゃ……故障かよ。だが、まぁ何千年も経てばそういうこともあるか? 分からん……。まぁ考えても分からないことはいいか。今度こそじゃあな、姉ちゃん」
それから男はそのままかつかつと部屋を出て、外に向かって歩いていった。
赤い光もその男の後についていき、消えていく。
その場に残されたバルバラは、一体今の男は何者だったのだろうと首を傾げた。
しかし、手に抱えられた沢山の果物を見て、全て忘れる。
「そうでした。これを心待ちにしてる人がいるんでした……早く帰らないと!」
そう言って、バルバラもその部屋を出ていく。
その場に残されたのは一つのカプセル。
その中で静かに目を閉じている少年は無表情であったが、どことなく、腹を立てているような顔に見えるような気がした。
◆◇◆◇◆
「……おい。あいつ何やってんだ。というか、あいつがすべての元凶か?」
バルバラの話を聞き終えたルルはそう言って頭を抱えた。
隣ではイリスが手をぎりぎりと握りしめ、黒いオーラを放ちながら、
「お父様……今度会った時が最後ですわ……」
と低い声で言っている。
「話を聞く限り、バッカス様には何か目的があるみたいだけど、イリスはともかく私をあの装置に放り込む意味って何かしらね? 適当に選んだのかしら……」
と、ゾエだけがまともな考察をしていた。
バルバラは話しながらだんだんと思い出してきたのか、石像を見上げて、
「そうそう、あの人そっくりでしたよ。と言うか、まるで本人ですね。お知り合いですか? ふむ、あの人は信仰の対象になるほど素晴らしい人物だったのですか……」
などと頷き始めたが、
「……気のせいだろ」
「そんなことはありえません。どうしようもない人です」
とルルとイリスがそれぞれ断言した。
ただ、その言葉自体の冷たさの割に、口調は何だか楽しそうであり、二人とも機嫌は悪くなさそうである。
そこには、バッカスの生存が一応、確認された、という事実が影響しているのは勿論だった。
「……ちなみにだが、それはいつ頃の話だ?」
魔族の寿命は長い。
しかし、そうは言っても限界はある。
あまりに昔の話だとすると、今生きているかどうかは怪しいからこその質問だった。
バルバラは答える。
「四十年ほど前の話ですね。私がログスエラ山脈をニーナに譲って、湖底都市周辺に居を移した後の話になりますから」
それを聞いて、魔族三人は安心する。
それならば、何か事故が起きない限りは元気に生きていると言って間違いないからだ。
「ま、それなら安心だな。しかし、今の話で分かることはバッカスが生きてたってことと……」
「ヴァン様が生きておられるということでしょうか? お父さまが起こさずに放置して行ったようですし……」
ヴァン、と言うのはかつての魔王側近の一人。
最年少の魔王側近だ。
当時は天才の名をほしいままにした、まさに魔族の頂点の一人だったわけだが、少しばかり生真面目なところがあり、バッカスは苦手にしていたのを覚えている。
そんな彼を起こしたら怒られそう、という理由で放置したのだ。
ヴァンの方は事情を知らずに放り込まれた口なのかもしれない。
バッカスが一体何を考えてそういうことをしていたのかまるで分からない。
現在がいつなのかを聞いて、思った以上に時間が経っていた様子だったことも気になる。
もう少し早めに起きるつもりだった、ということだろうか。
それに国際情勢も気になっていたようだが、それは何を意味するのか……。
気になる点は多い。
ただ、ここで考えて込んでも分かる事でもなさそうだった。
それに、もっと色々と知りたいと言うのであれば、最も単純な方法が一つある。
「四十年前となると今はどうなってるのか分からないけど、ヴァン様が今も眠っておられる可能性があるなら、その建物――と言うか、遺跡に行っておいた方が良いんじゃない?」
ゾエがそう言った。
それが今、最も確実で簡単な情報入手の方法であることは間違いない。
欲を言えば、バッカスが眠っていた遺跡で色々と過去のことなど調べたいところだったのだが、抜かりはないと言うべきか、バッカスは自分が去る時にあらかたの情報を消した節がある。
そのため、そこはあまり期待できないだろう。
「そうだな……ここでのことが落ち着いたら、とりあえずヴァンに会いに行くか」
ルルがそう言うと、イリスもゾエも頷く。
「ちなみに、場所は覚えてるか?」
そうバルバラに尋ねると、
「……だい、たい、でしたら……」
と心もとない返事が返ってきた。
「おい……」
とルルが責めるように言うと、バルバラは慌てた様子で、
「い、いえ……その……もう行かないから、いいかなぁと思ってしまいまして、忘却の彼方に……あっ!」
忘れたらしいことを堂々と言い始めたバルバラであったが、何かに気づいたようにハッとした顔をした。
どうかしたのかと首を傾げる魔族三人に、バルバラは言う。
「あの、湖底都市まで戻ってきた後、友人に果物を見つけた場所を聞かれまして、説明した記憶が……そのときに地図に色々描き込みをしてたので、それを見れば分かる……かもしれません!」
大体とか、かもしれないとかいちいち曖昧な表現が目立つが、しかし何もないよりいいだろう。
肩を竦めたルルは、
「まぁ……それなら、それでいいか……。その魔物は紹介してくれるのか?」
とバルバラに尋ねる。
すると、
「……紹介するのは構わないのですが……」
と顔を曇らせた。
「何か問題があるのですか?」
イリスがそう言う。
魔物と人を会わせることなど、それだけで問題なのだが、この面々ではそう言った当たり前のことが吹っ飛んでいるらしい。
そしてそれはバルバラもそうだった。
当たり前の理由を置いておき、バルバラが告げたのは、
「いえ、湖の底ですから。行くのにそれなりの手間がかかりますけど、いいのですか?」
という至極分かりやすい理由だった。
確かに、普通の者であれば、湖の底の街に行く、などと言われてもどうやって、とか、安全なのか、とか言いたくなるところだが、ルルたちにとってはそんなものはそもそも問題ではない。
そもそも、バルバラの話の中で、湖底都市に行く方法は既に語られているではないか。
小舟に乗って揺られて行けばいいのだ。
何の問題があるのかと三人は言った。
その様子にバルバラはため息を吐いて、
「……やっぱりあなたたちはおかしな人たちですね。今思い返せばあの建物の中にいた方も不思議な人でしたが……」
「まぁ、それはな」
と言いつつ、バルバラには自分たちが魔族であると明確には言っていないことを思い出す。
ただ、少なくともルルは人ではない、と薄々理解しているようだし、改めて説明しなくてもいいかと流すことにした。
いずれ、機会があれば言えばいいだろうと。
そうして、教会での話を最後に、バルバラたちに対するフィナル案内は終わったのだった。