第120話 依頼と人形
「頼み?」
ルルが首を傾げると、ウヴェズドは頷く。
「うむ。お主らはログスエラ山脈を知っておるか?」
その単語にはルルもイリスも聞き覚えがあった。
ログスエラ山脈、それは城塞都市フィナルの北方にそびえ立つ峻険な山々の名称である。
その山頂には古代竜が住み着いていることで知られ、それが故に、山に住む魔物たちは人の支配する領域にあまり降りてこないと言われている。
それに、フィナルはカディス村を旅立った後、王都に来る途中に通っただけあり、知らない町でもない。
そう言うと、ウヴェズドは、
「カディス村からここに来るならば、そのルートが一番安全で早いからのう……少し頼みやすくなったわい」
何を頼む気なのか、気になってしょうがないが、だいたい話の進み方から言いたいことを理解したのはルルとイリスではなく、グランだった。
「ログスエラ山脈か……最近魔物の活動が活発になっているそうだが、その関係か?」
グランの言葉にウヴェズドは頷き、続ける。
「主の方でもすでに情報は得ていたか? ふむ……そうじゃ。儂はルルとイリスの二人に、ログスエラ山脈の調査を依頼したいと考えておるのじゃ」
話の内容は理解できたが、しかしなぜルルとイリスなのか。
ウヴェズド本人でも良いし、彼の氏族のメンバーでもそれは可能な仕事であるはずだと思うのだが。
そう思ってルルは尋ねる。
「なんで俺たちに頼むんだ?」
「それはのう……儂がログスエラ山脈の異変の理由が、古代竜に何かがあったからだ、と思っているからじゃな。あれも長く生きている竜じゃ。寿命が訪れてもおかしくはない……その場合は、城塞都市に魔物が大挙して押し寄せてくる可能性も考えなければならぬ」
古代竜は通常の竜と異なり、深い知性を持っていることが少なくない。
人と敵対的なものもいるが、反対に、味方とはいえずとも積極的に敵対することを望まないものもいる。
ログスエラ山脈の古代竜は、その縄張りの魔物を統率し、人から遠ざけている点でおそらくは、どちらかと言えば人と友好的なものとされているのだが、寿命が訪れ、すでに死んでいたら、魔物たちは人の領域にやってくる可能性が高い。
そのことをウヴェズドは懸念しているのだろう。
さらにウヴェズドは続けた。
「ただ、それだけならまだ良いが……まだ古代竜が生きておる場合じゃ。あの山々はかの竜が支配しておる限り、穏やかなはずなのじゃが……それなのに魔物たちの活動が活発になったとなると、それは古代竜そのものが人に牙を剥く可能性も考えなければならぬ」
人と友好的だった竜が、敵対的に変わる例も過去、存在している。
そのため、ログスエラ山脈の竜もそのように心変わりしているのではないか、という懸念だ。
そうなった場合、古代竜は強く、人はそれなりの被害を覚悟しなければならないだろう。
そして出来れば、そのようなことになっていたらこちらから打って出た方がいい。
しかし、実際、ログスエラ山脈の竜がどういう立場にあるのか、はっきりしない以上、調査をする必要があるだろう。
そのための人材として、ルルとイリスに白羽の矢が立ったというわけだ。
ウヴェズドは難しそうな顔で続ける。
その説明は、なぜルルとイリスなのか、という点についてに移っていく。
「調査とは言え、そんなものと相対する可能性があるとなると、おいそれと適当な人材を派遣するわけにもいかぬ。それに、通常の竜ならともかく、古代竜となると、対抗できる人材など特級クラスしかおらんが、闘技大会の影響で皆それなりに仕事がたまっておるはずだからの。暇そうな特級クラス、というとルルとイリス、お主らくらいしか思い浮かばんという訳じゃ」
聞けば、闘技大会中は冒険者があまり積極的に依頼を受けないために、冒険者組合の依頼がたまっていくという事情は特級についても同じらしい。
依頼料の設定は闘技大会直後はまだしばらく高くされているため、どんな冒険者も貯まった依頼を出来るだけ多く消化しようと闘技大会直後から忙しくなるらしく、かなり混み合うらしい。
特級については、その絶対数が少ないため、他のクラスの冒険者たちよりも忙しく働かなければならないことが半ば暗黙のルールとして課せられており、冒険者組合から言われるがまま次から次へと依頼を消化する日々が二週間くらいは続くのだという。
断っても問題はないが、闘技大会にかまけてだらだらし過ぎている部分を冒険者たちは自覚しているため、その辺は持ちつ持たれつだとそういうことは少ないらしい。
ルルとイリスは確かに特級クラスの実力を持っていることは明らかになったが、現実的にはそのランクは初級にすぎない。
特級の依頼は受けようがないため、冒険者組合から強制されることもない。
だから、そんな二人に頼みたいと、こういうわけらしい。
「依頼は儂から直接二人に指名依頼という形で出すでな。報酬も弾むぞ。それに……まぁ、こちらはついでなのじゃが、他にも頼みたいことがあっての」
「まだあるのか……?」
初級に多くを課しすぎだ、と思ってルルはげんなりした顔になるが、それだけウヴェズドは期待しているということなのだろう。
それに、話を聞くに悪い話ではなかった。
「そんな顔をせずに、爺の頼みを聞いてくれぬか? ……実はログスエラ山脈は素材の宝庫でのう。あの山に問題があると正直魔術師としては困るのじゃ。儂は魔法具作りも好きでの。フィナルから素材を取り寄せることもしばしばじゃ。それなのに、魔物が活発化されるとその供給も滞る……それは勘弁願いたいでな。ついでにいくつか素材をとってきてくれんか」
そう言ってウヴェズドが挙げた素材は、魔導機械に詳しいルルとイリスをして中々に貴重だと思われるものだらけであった。
過去と名前が変わっているものもあるが、その特徴を聞けばあれかとすぐに思い当たるものである。
これらがすべて、ログスエラ山脈で確保できるというのなら、ルルたちとしても今回の異変については調査する必要を感じる。
徐々に興味を引かれてきている二人の顔を見て、ウヴェズドはふと質問をした。
「……もしや、二人とも魔法具についても興味があるのかのう?」
その言葉に二人は反応する。
特にルルの食いつきが良かった。
「あぁ。趣味でいろいろ作ってるよ」
言われて思い当たることがあったのか、ウヴェズドは言った。
「そう言えば……あの予選の少女の短剣、あれは魔法具ということじゃったが……もしやお主が作ったのじゃったか?」
ルルはその言葉に頷いて笑った。
「ああ。そんなに性能がいいものじゃないけどな」
そこから始まった会話は、まさに同好の士たちのマニアックな会話である。
聞いているイリスとグランもだんだんと疲れてきて、とうとうルルとウヴェズドは二人だけで盛り上がり始めた。
イリスにはその内容が理解できないわけではなかったが、そこまでの情熱はない。
何がそんなに楽しいのだろう、と思う反面、お義兄さまが楽しいならいいかと黙って食事をしていた。
しかしグランは顔をひきつらせて、どんどんヒートアップしていく二人に引いている。
「……おい、イリス。こいつら、なんでこんな楽しそうなんだ……?」
「私にもわかりかねますが……きっと何かロマンを刺激するものがあるのでしょうね……」
諦めたようにそう呟くイリスにグランは首を振って酒を飲み始めた。
どうやらイリス同様に、二人について諦めたようで、放っておこうときめたらしい。
ただ、そう言えば、と一つだけイリスに尋ねた。
「結局、ウヴェズドの依頼は受けるのか?」
「私はお義兄さまのなさりたいようになさればいいと思っておりますが……あそこまで意気投合してしまっているのですから、きっとお受けになるのでしょうね……」
ルルは身内に極端に甘い。
一度友人関係になってしまえば自分の労力など省みずに力を貸してしまうところがある。
だから、ウヴェズドの依頼もきっと受けるだろうと予想が立った。
イリスとしては、別にこれからの方針についてそれほどこだわりのあるところはない。
あえて言うなら、古代魔族について調べたい、であるが、それも気長にやっていけばいいと思っている。
急いでも過去が逃げるわけではない以上、そういう姿勢でもいいだろうと思っているのだ。
そんなことを考えながら、仲間外れになってしまった者同士、グランと雑談をしていると、突然ユーミスがテーブルにやってきて、イリスの手を掴んだ。
すっかり戦いの傷、というか魔力枯渇は癒え、元気そうに見えるが、しかしよく見てみればまだ彼女の体内魔力は乱れている。
体調は悪くないのだろうが、万全にはまだ遠いのだろう。
とは言え、動けないとか戦えないとか言うほどではなさそうで、今の状態でも自分よりもランクの低い者相手なら十分に戦えるだろうと言う程度には元気そうだ。
そんなユーミスに手を掴まれたイリスはどうしたのかと驚いて目を見開く。
グランも相棒がどうかしたのかと首を傾げて尋ねた。
「ユーミス? イリスがどうかしたのか?」
その質問にユーミスは答える。
「ちょっとあしたのことで用があってねー。ちょっと借りてくわー」
その言葉にグランはさらに首を傾げたが、酒のにおいはしても酔いが回っているとき特有の呂律の回らなさ、支離滅裂さは彼女には感じられず、まだ頭は働いていると長年のつきあいで理解できたのでまぁいいかと頷いた。
「まぁ、好きに持って行けよ。あぁ、イリス。ルルにはお前がユーミスに連れて行かれたって言っておくから安心しておけ」
未だにウヴェズドと魔術や魔法具の専門的な会話に夢中のルルを見て、グランが笑っていった。
イリスは、自分が連れ去られそうになっているのだから少しくらい関心を持ってくれても……と思わないでもなかったが、そのあたりを期待しても無駄だとこれもまた七年のつき合いから理解していた。
そんなことを考えているとイリスはグランと目があって、我が道を行く相棒がいるとなんだかお互い大変だなと思っていることが理解できて苦笑する。
それからイリスはユーミスにそのまま連れ去られ、氏族建物の五階の一室に連れて行かれたのだった。
◇◆◇◆◇
「さて、イリス。明日は何があるでしょうか?」
氏族建物五階の一室において、ユーミスからそう尋ねられたイリスはなぜそんな当たり前の話を聞くのかと一瞬首を傾げるも、すぐに答えを述べる。
「明日は、闘技大会の表彰式・閉会式が行われますわ」
それは誰でも知っていることで、今更聞くようなことでもない。
だからイリスは自分が間違いを言ったとは少しも思わなかったのだが、意外にもユーミスは首を振ってその答えが正しくはないことを示した。
イリスは驚いて首を傾げ、
「……何か他にありましたか?」
と言った。
すると、ユーミスは、
「そんなこったろうと思ったけど……あるじゃないの! 大事なことが!」
と叫ぶ。
しかしイリスに心当たりはなく、何も思いつかないので降参するように手を上に上げて言った。
「申し訳なく存じますが……何も思いつきません。表彰式・閉会式の他に何かありましたか?」
ユーミスはイリスのその答えにあきれたような顔をして話を続ける。
「あるわよ……むしろ、その後が大事なんじゃない……って言っても、ルルやイリスにとっては大したことじゃないかもしれないから、仕方ないか。……明日は、閉会式のあとに、貴族たちの夜会があるのよ? 闘技大会の優勝者と準優勝者はそこへの出席が義務づけられているわ。私たち特級冒険者や、職能団体のお偉いさんとか、いろいろ出席するものよ。国王陛下もお出でになるもので、闘技大会の出場者はだいたい、賞品の他にここでコネを作りたいっていう奴らが多いわね」
イリスには、そういう権力にはさして興味が湧かないため、思いつかなかった、というわけだ。
言われてみるとそんなものもあったな、と思い出したイリスは、けれど首を傾げる。
「確かにそういう義務があると聞いていたことは思い出しましたけれど……それが、どうかしましたか?」
「どうかしましたか、じゃないわよ。夜会よ? ドレス着て行かなきゃならないのよ? 持ってるの?」
イリスはその言葉に少し眉をしかめて自分の服装を見てから言った。
「……これではダメでしょうか?」
全身黒づくめに近い、ひらひらとしたその服は、ドレスと言えばドレスなので絶対にダメだということはないだろうが、さすがに夜会に着て行くのには問題がありそうだった。
それをわかっていてイリスは面倒でそう言ったのだが、そんな彼女の心の内はユーミスには明らかなようで、
「だめに決まってるわ! みんな! 入ってきて!」
そう言って手を叩いた。
するとどこからともなく、"時代の探求者"の女性メンバーたちや、"修道女"のヒメロスやアグノス、それにオルテスの妹のクレールなど、イリスがこの王都で知り合った女性たちが入ってきたので驚いて目を見開く。
彼女たちはたくさんのドレスの掛けられた衣装掛けをそれぞれ持ってきていて、部屋の中はあっという間にどこぞの服屋のような様相を呈してしまった。
「……これは」
みんなの楽しそうに微笑んでいるその様子に、イリスが後ずさりながらそう言うとユーミスがとどめの一言を言った。
「いつも真っ黒な服だから、夜会くらい着飾ってほしい、とか一度くらい着せかえ人形にしてみたかった、ってみんなが言うのよね。というわけで、諦めて」
じりじりと迫ってくる知り合いたちにイリスは一瞬、窓を蹴破って逃げようかと思ったが、夜会にはルルも出るのだ。
一緒に出る以上、恥はかかせられないし、今更どこかにドレスを注文もないだろう。
ここで見立ててもらうのが一番いいのかもしれないと、着せかえ人形になる覚悟を決めて諦めたのだった。