第119話 魔術師の頂き
「みんな、ジョッキは持ったか? ……よし、じゃあ始めるぞ……闘技大会で栄えある優勝を飾ったルル=カディスノーラに、そして惜しくも最後に負けたが、準優勝という十分な結果を残したイリス=カディスノーラに、そして……虎の威を借る狐のようだが……二人の所属する氏族"時代の探求者"に! 乾杯!!」
乾杯、とその声に続いて酒場中の者がジョッキを掲げ、ぶつけ合って、その宴は始まった。
氏族"時代の探求者"が主催する、ルルとイリスの優勝・準優勝祝賀会、とでも言うべき集まりだ。
あの後、二人がこの酒場にやってきたとき、すでに集まった者たちは飲んでいた。
それはルルとイリスという主役をないがしろにしようという意図ではなく、イリスのあんな様子では2人がおそらく来ないだろう、と考えての諦めのためだったようだ。
だからこそ、2人が酒場に登場したとき、酒場の中は大変な騒ぎになったが、グランとユーミスが全員に活を入れて静かにさせ、そして主役がきたのだから改めて乾杯を、ということになり今に至る。
その音頭をとったのはもちろん、氏族長であるグランであり、その声は酒場中によく響いた。
それだけに留まらず、酒場の外にもよく聞こえたようで、ルルとイリスがここにいることを察知した者が続々と入ってくるものだから酒場は結構な混乱の中にある。
今では入り口で入場制限もしているくらいだが、それでも店の前には結構な人が集まっていて、ルルは少し申し訳ない気持ちになる。
しかし、そんなルルに目の前で酒を飲んでいるグランは笑っていった。
「別に気にすることじゃねぇよ。闘技大会の優勝者ってのは毎年こんなもんだからなぁ……それに、客は来ないより来た方がいいに決まってる。うれしい悲鳴って奴だぜ。ほれ、シフォンの奴も生き生きしてるだろう?」
言われてカウンターの中でひたすら料理を作っているシフォンはかなり充実しているように見える。
いつもならどれだけ忙しくても涼しい顔をしているのだが、今日ばかりはそうもいかないようで、少し汗ばんでいるようだった。
ウェイターたちに飛ぶ指示の声もいつもの柔らかい声ではなく、若干鋭い響きの籠もったもので、意外な一面を見たような気分になる。
まぁ、シフォンだってふわふわとした印象をしてても結構な経験を積んでいるベテラン冒険者だ。
そう言う迫力、のようなものが感じられることに不思議なところはない。
さらにウェイターたちはそんなシフォンの顔を何度か見たことがあるのか、いつもよりもきびきびと真剣な表情で働いていた。
まるでその表情はミスったら殺される、とでも言わんばかりに何かに追い立てられるようなもので、そんな彼らの様子からシフォンの身内にしか見せないのだろう厳しさ、のようなものが理解できて少し恐怖を感じた。
料理、というか酒場経営に関しては一切妥協できないということなのだろう。
もうすでに回復したらしいキキョウがウェイトレスの中に混じって怯えた表情で配膳しているのも観察できる。
闘技大会であれだけの激戦を披露した者に思えない表情だ。
それだけの何かが、シフォンにはあるということなのだろう……。
さすがに、そんなシフォンが腕によりをかけただけあり、祝賀会に出されている料理は非常に美味なものだらけだった。
この間、シュイとヒメロスが払いを持ったときよりも美味しく、酒も高価なものが出されているような気がする。
あのときですら相当な金額になったのに、今日はそれを超えているのだから一体どれほどの金額が目の前の料理に使われているのかと一瞬怖くなるが、
「そうそう、今日の払いは俺とユーミスが持つからな。気兼ねせず飲んで食えよ、お前等!」
とジョッキを掲げながらグランが店内全体に響く声で言ったので、ルルは安心する。
懐具合を気にする、などということは魔王だったときにはあり得なかったことだが、こうやって普通の……とは言っても下級貴族だが……家に生まれて十数年にわたって金銭感覚が培われると、こうも小市民的になってしまうのだなと苦笑が漏れる。
イリスはなぜかすぐにそういうやりくりになれたが、理由を聞いても教えてくれなかった。
そんなことを考えながら食事や飲み物に手をつけていると、ルルの元に次から次へと人がやってくる。
ウヴェズドが酒場の奥からやってきたのを見たとき、ルルとイリスはかつての魔王側近ミュトスを連想した。
そして彼が二人のテーブルに近づいてきたとき、その思いを強くした。
浮かべている人を食ったような微笑み、それから、どうやら周りの者に自分がこの酒場にいることをいっさい気取られないように気配と魔力を消していたその手腕に、かつての魔術の天才に似たやりにくさを感じる。
「……あれは出来れば敵に回したくないぞ」
ルルがそう言えば、イリスも、
「私もそれは遠慮願いたいですわ……ミュトスお爺さまのような方が二人とこの世に存在するとは思っても見ませんでしたが……遙かときを超えればいるものですね」
とひきつったような笑みを浮かべながら呟いた。
近づいてきたウヴェズドは、その好好爺然とした微笑みを崩さないまま、グランの隣に座って、話し始める。
「ふむ。お互い戦った仲じゃ。始めましてもないが……こうやって落ち着いて話すのは初めてかのう?」
肩に一切の力の入っていない、警戒も感じられないその話始めにルルはやはりこの爺さんは煮ても焼いても食えなさそうだ、という思いを強くする。
ウヴェズドは、様々な魔術を駆使しながらルルに敗北した。
おそらく、他にもまだ彼には隠し玉があっただろうが、それにしても結構な力を出して戦い、そして負けたのである。
普通、そう言う風に敗北を経た者というのは、その相手に面と向かったとき、これほどにリラックスしてはいられないものだ。
はじめから知り合いだった、とか、よく知っていた、とか言うなら話はまた別だが、ウヴェズドは戦いの中である程度会話したとは言え、お互いに詳しいことはほとんど知らないのだ。
それなのに、ウヴェズドにはそういうところからくる緊張が感じられない。
これは、かなり奇妙なことだった。
もしかしたら、もはやルルには勝てないと諦めて開き直っているからこそ、こういう態度なのだと解釈することも可能なのかも知れない。
けれど、そういう者に特有の投げやりなところもない。
それどころか、この人物にあまり下手を打つと、むしろこちらから何かかすめ取って行かれてしまうような、そんな侮れない空気を感じるのだ。
かつて、魔王時代も含めても、ただ相対しているだけでそんな気分にさせられた相手は少ない。
その一人がミュトス、という魔王にとって教師、師匠とも言うべき人物だった。
それと似た雰囲気をもつこの老人を、侮れないのは当然の話である。
ルルはそんな風に思いながら、返答する。
「……あぁ。そうだな。あんたについてはいろいろ聞いているが……すごい氏族の氏族長なんだろう? それがこんなところにいてもいいのか?」
おそらくだが彼の氏族は彼の氏族でどこかの店を貸し切りにして闘技大会の打ち上げを行っているはずだ。
それなのにここで飲んでていいのか、という意味で聞いたのであり、別に嫌みでも何でもなかったのだが、意外な返答が返ってくる。
ウヴェズドは髭を撫でながら言う。
「全く問題ないぞ。ほれ、我が氏族"綺汚の真理"の者たちはここに集まっているでな。まぁ、人数が人数じゃから、全員というわけには行かなかったが、代わる代わる顔を見せにくるじゃろうて。他の有名どころも似たようなもんじゃぞ」
ウヴェズドの言葉にあたりを見回してみれば、先ほどまで見なかったシュイやヒメロスもいつの間にかやってきており、知り合いとおぼしき者と仲良さげに酒を酌み交わしている。
一体いつの間に、と思うが、よくよく思い返してみれば大きな魔力を持つ存在が酒場の中に入ったことが何度か確認出来ていたのを思い出す。
おそらくそれが彼らだったのだろう。
敵意が無かったのであまり気にしていなかったが、結構な地位にいる二人のような人物がこんな風にフットワークが軽いのは冒険者だからかも知れない。
「自分の氏族で飲めと言いたくなってくるが……」
そう言うと、聞いていたグランが首を振ってルルの言葉に答えた。
「氏族建物内に酒場を併設しているところはそんなに多くないからな。今の時期、王都の他の酒場は外から入ってきた奴らで賑わっているだろうし、一番気兼ねなく飲めるのがここなんだろうよ。それになによりシフォンの料理は最高だからなぁ……」
グランの最後の言葉にウヴェズドは深く頷いて、
「全くじゃ。儂もこれでも長く生きた方じゃが、これほどまでに美味で繊細な料理を作る奴には中々出会わんぞ。レシピも豊富で、いつ来ても新しい味に出会えるしのう……」
これでも長く生きた、と言うには少々見た目通りすぎないかとつっこみを入れたくなったルルとイリス、それにグランだったが、何かそういうつっこみをしてはいけないという圧力をウヴェズドの雰囲気と眼光に感じて黙り、他の話を振ることにする。
ルルは言った。
「……まぁ、料理の話はいいさ。ウヴェズド、あんた、何か話したいことがあってここに来たんだろう?」
もしかしたらただ優勝を祝いに来ただけかもしれないと思わなかったではないが、ルルは勘でもっておそらくそうではないと感じていた。
何か言いたげな雰囲気をウヴェズドに感じたのだ。
その予想は当たったらしく、ウヴェズドはふっと笑い、
「ほほう……中々、儂に勝っただけあって鋭いのう。何、話は簡単じゃよ……ルル。お主、うちの氏族に移籍せんか?」
何の気なしに、現在所属する氏族の氏族長の前で行われた引き抜きにルルは一瞬あっけにとられたが、グランがまず始めに反応したので何かを言う機会を逸する。
「おい、ウヴェズドの爺様よ」
少し怖い顔になったグランに飄々とした読めない爺さんは酒を飲みながら言う。
「なんじゃ、グラン……そんな顔をしているとモテんぞ? 儂の若い頃はなぁ……」
などと、あからさまに話をずらしていくものだから、グランはあきれた顔で話を引き戻した。
「俺やあんたの恋愛事情はどうでもいいんだよ! そうじゃなくて、いきなり俺の前でルルを引き抜くとかどういうつもりだ」
それは正当な抗議だったが、ウヴェズドはどこ吹く風で、不思議そうな顔で言った。
「ふむ……? むしろ裏でこそこそ引き抜き工作をするより、よっぽど健全じゃろ? 氏族長の前で、別の氏族長がその所属する者に移籍を懇願しておるんじゃから。あとはほれ、本人の意思次第という奴じゃ……」
確かに言われてみればそうかもしれない、という気がしてくる理屈だが、こうも面の皮厚く言われるとは思わない台詞である。
これにはグランも呆気にとられて、それから頭をがりがりと掻く。
「これだからこの爺さんは……確かに、裏でやられるよりはいいのは確かだが……俺じゃなかったらぶちきれる行為だぞ」
「何を言っておるか。すでにぶち切れておるくせに」
そんなやりとりを続ける二人を見ていたルルだが、どうも本気ではないような気配を感じたのでイリスに尋ねた。
「……まぁ、移籍はしないよな?」
ルルの言葉にイリスは頷いて、
「私は誘われておりませんので、お義兄さまがどうしても、とおっしゃるなら着いて参りますが……」
などと言うものだから、ウヴェズドは楽しそうに笑って、
「おぉ、イリスの嬢ちゃん。お主も儂は誘うぞ! 嬢ちゃんの魔術の腕はどう見ても、儂より氏族長に相応しいものじゃったからなぁ。もし二人で氏族を移ってくれるのなら、好待遇を約束する!」
そんなウヴェズドを見てグランは、
「まだ言ってやがるぜ、この爺さん……」
と呟く。
それからため息をついて、
「ま、冗談はそこまでにしておけよ。他になんかあるんだろ? 昔からこの爺さんはそうなんだ……のらりくらりと本当の頼みなんていつまで経っても言いやしねぇ。なのに気づいたら余計な依頼とか背負っちまってたりするんだな……爺さん、ルルとイリスはまだこれで新人なんだ。その辺はお手柔らかに頼むよ」
と、グランが言ったところで、ウヴェズドは笑いをしまって話し始める。
「なんじゃ、つまらん……しかし闘技大会の優勝者をして、新人とは馬鹿げた話じゃがの。まぁいい。そうじゃ、儂には二人に頼みたいことがあっての」
そうして、ウヴェズドは本当の頼み、というべきものを話し始めた。




