第七視点:プッツンヒューズ
「ぐっはァ……!」
爆煙の向こう。膝を折ったヒューズは、血の滲む肩を押さえながら、床に手をついた。
イヴヤとユヴィア──"未記録存在”に、初めて敗北を喫した瞬間だった。
だが、ヒューズの眼に宿る光は、なおも陰りを見せない。
「……この俺が……貴様らなどに、負けるわけにはいかん……!」
その呟きとともに、彼の脳裏に甦る――暗黒の記憶、最も塗り替えたい"後悔”の記録。
* * *
──十数年前。
駆け出しの身でありながら、将来を嘱望された天才──それが、彼、ヒューズだった。
記録官として己の正義に熱意を持ち、世界を良い方向に変えようという気概のある若者。
そんな彼が、ある時派遣されたのは、帝国辺境の港町。
貧困と犯罪の入り混じる、荒れた区域だった。
「今回の観測対象は……アイツか」
観測スフィアを無詠唱で起動させ、対象の存在を固定化する。
フレーム越しに映ったのは、路地裏にうずくまる一人の少女だった。
痩せ細った手足。泥に塗れた頬。唇からは、かすれた呼吸音が漏れている。
その手にあるのは、かじられたパンの欠片。
──ネイビー。記録対象としては軽微な違法行為。年齢、十一。補導歴、なし。
ヒューズは、記録者として彼女を"観測”する。
本来ならば、それだけで済むはずだった。
だが、上層部の判断は明快だった──この年端もいかぬ少女を「削除」せよ、と。
正義に燃えていたヒューズは、ここで初めて「観測とは何か」に迷いを覚える。
「……こんな、やつれた者まで、裁かねばならんのか……」
その少女は、ただ飢え、ただ必死に生きようとしていた。
それすらも、記録に従い「削除」せねばならないのか──?
ほんの刹那、ヒューズの中に芽生えた「情」が、彼の指先を止めさせた。
「……記録価値、低。再犯なし。観測終了──と、記すか」
それが、彼の選択だった。
──そして、その選択を深く後悔することとなる。
数年後。
世紀の大悪党と恐れられる人物が、突如として歴史の表舞台に現れる。
その名は"海賊王”ネイビー。
軍港を襲撃し、艦隊を沈め、市街を焼き、何千何万という命を奪ったその首魁こそ──
──あの時、ヒューズが「観測しなかった」少女。
大規模な襲撃のさなか、港町に住んでいたヒューズの母親が、
ネイビー一味の暴走に巻き込まれて、命を落とした。
「母さん……母さん……!」
"ただ、生きてほしかっただけだったのに”
"記録しなかっただけだったのに”
そのわずかな情が、彼の選んだ未来の果てにあったのは──最愛の人の死。
それ以降、ヒューズは決して記録に情を挟まなくなった。
──可能性を信じない者となった。
* * *
「……だから、俺は……!」
ヒューズは拳を強く握りしめ、よろめきながらも立ち上がる。
全身の魔力が、一気に逆流する。
「記録に……情など不要ッ!!」
その叫びとともに、彼の背後に現れるのは、漆黒の記録陣。
記録官としての執行限界を突破した、観測遮断用の殺傷魔法──
《観測遮断・即時射線》
閃光が走る。魔法陣が直線状に重なり、貫くように射出される。
狙いは──イヴヤ。
「──イヴヤ!」
ユヴィアが即座に割り込む。
全力で展開された記録フレームが、イヴヤを庇うように重なり合う。
その身を盾に、ユヴィアは"記録の矢”を受け止めた。
「──あ、う……ッ!!」
銀の翼が砕け、記録結晶が吹き飛ぶ。
魔力波形が一気に乱れ、記録フレームがごっそりと抜け落ちていく。
彼女の存在そのものが、いままさに"記録から消えつつある”。
「ユヴィアァッ!!」
イヴヤの絶叫が響く。
ユヴィアは、イヴヤの足元に崩れ落ちるように倒れていた。
その指は、まだ彼に向かって伸びている。
まるでイヴヤの背中を押すように──
──ユヴィアの、美しい銀髪。あの、柔らかな笑顔。」
だが──
その瞳には、もはや光がなかった。




