第二視点:視えない少女
報告書は簡潔にまとめられていた。
簡潔すぎるといってもよかった。だが、それが彼にできる精一杯だった。
観測のできない彼──正確には観測魔術の訓練を受けただけのイヴヤに書ける内容は、エラーログを排除し、余計な言葉は避け、自分の目で見た事実を記すことだけだった。
──記録官コードなし、出自不明、行動原理不明。接触時は友好的。
紙に綴られるその一文が、全てを狂わせると知りながら、彼は筆を止めなかった。
その結果が今、彼の置かれた状況だ。
「なるほど、面白い話だわ」
軍政局第六記録官室──。背後の大窓から差し込む午後の光を背に、記録官第六小隊隊長サヴェラは椅子にもたれかかるように座っていた。
目の前にあるイヴヤの報告書を手に取りながら、彼女は指先でページを弾き、最後の一枚に視線を落とす。
「アインス撃破後、君は"少女"と接触した……そう書いてあるわね」
その声は冷たいが、淡々と事実を積み上げる調子だった。
責め立てるのではない。ただ"疑っている"のだ。
「はい。明確に視認し、会話も交わしました」
イヴヤはいつもの調子で自分の見た事実を返す。
「だけどその少女は、現地住民の記録にも、小隊員の証言にも存在しない」
「……」
「映像記録にも、熱源探知にも、痕跡はなかったわ」
サヴェラも自分の小隊員の話を信じたい。しかし"観測"の結果は、人情よりも優先される。
「その個体、登録記録がどこにもないの。民間からの侵入報告も、監視網の記録も。少なくとも、私たちの世界に存在している証拠はない」
「……」
「この"少女"について、もう少し詳しく説明してもらえる?」
「はい」
イヴヤは改めて姿勢を正し、まっすぐにサヴェラの目を見て答えた。
「彼女……少女はユヴィアという名前のようです。より正確に言えば、人型の個体。年齢・性別・種族も未確認です」
「未確認? けれどあなたは"少女"という表現を使っている。それが人間なのかエルフなのかも特定できていない。つまり主観が入っているってことよね?」
「……はい。外見的特徴と、声の印象から、少女と仮定しました」
サヴェラはため息をついた。書類を指で軽く叩く。
「あなたの主観が多分に含まれているのね。……それに」
サヴェラの視線が鋭くなる。
「"誰にも観測されていない存在"を記録に残したこと、それが問題なの。軍の記録官が"観測したはずの痕跡"で報告を構成するのは、非常に……デリケートな事案よ」
イヴヤは口をつぐんだ。彼女の言葉が正しいのはわかっている。
だが、あの時のことは、今でもはっきりと脳裏に焼き付いていた。
「イヴヤ、あなたは"観測"を専門とする記録官。個人の直感や印象ではなく、証拠と根拠を持って行動する立場にある。……それを忘れないで」
「……承知いたしました」
「……悪いけど、彼女の観測については戦闘の精神的ショックによる幻視、そう処理させてもらうわ。特に最近では……君が無理をしていないか、心配しているわ」
彼女の声はどこまでも理知的で、優しくも冷たい。イヴヤは椅子の上で拳を握りしめた。
「……ご心配をおかけしてしまい、申し訳ございません。ですが、俺は正気です。幻覚でも妄想でもない。あの少女は――確かにいた」
イヴヤの力強い言葉にサヴェラの視線が一瞬だけ揺れた。それでも彼女は首を横に振る。
「あなたがそこまで言うなんて珍しいわね」
「誰にも伝わらなくても、自分の記録には残しておきたいと思いました」
その言葉に、サヴェラはしばらく沈黙した。立場を持つ者の言葉としては、甘すぎる。だが、その真剣さは伝わった。
「……報告書は一旦保留。私の方で上層部に通す前に、再検討させてもらうわ」
「了解しました」
部屋を出る際、イヴヤはもう一度振り返る。
「指揮官、もしも……またあの倉庫周辺で異常な気配が観測された場合、再調査の許可をいただけますか?」
「あなたは、まだ"彼女"が存在していると?」
「……はい。あれは錯覚ではありません。存在は曖昧でも、痕跡は残るはずです」
サヴェラは少し考え込んでから、頷いた。
「その時は私に直接報告を。──あなたの"観測"が、記録官として逸脱したものでないか、確かめさせてもらうわ」
一礼し、イヴヤは部屋を出る。「記録官として逸脱したものでないか、確かめさせてもらう」──その言葉は非常に重い。
イヴヤの記録が偽証と判断された場合、懲罰を受け、最悪の場合、記録官としての職務を追われる可能性があるからだ。
それでも──。
部屋を出たイヴヤは、静かに記録端末を開いた。
そこには、わずかな言葉が残されていた。
【記録再構築コード:Y-VIA.001】
【観測不能個体:少女。記録識別番号"ユヴィア"──仮称】
彼の指が画面の上で止まる。
「次は……君の痕跡を見つける。今度こそ、確かな記録として」
そう、確かにいた。証拠などなくとも、あの目は忘れようがなかった。
記録官としてではない。彼自身として、彼女を"見つけたい"という思いが、確かに胸の奥で燃えていた。




