魔法の的と、従魔との連携
掌へ集めた魔力が、冷たい水へと形を変えていく。
箱庭で練習した時と同じように、揺らぎを抑えながら丸く整えた。
「ウォーターボール」
右手を前へ押し出すと、水球が真っすぐに飛んでいく。
狙いどおり木の的の中央へ当たり、弾けた水が乾いた土の上にまで飛び散った。
けれど、的は少し揺れただけで、傷一つ付いていない。
当てることばかりに意識を向けて、威力を抑えすぎてしまったらしい。
濡れた的から水滴が落ちる様子を見ていると、後ろの方から小さな笑い声が聞こえた。
「水浴びにはちょうどよさそうだな」
黒曜の声だった。
振り返ると、巨大な斧を肩に担いだまま、口元を緩めている。
ガイルは何も言わなかったけれど、眉間の皺が少し深くなった。
「今の魔法は、どの程度の威力を想定していましたか?」
セレナさんは的の前まで歩き、濡れた表面を確かめた。
笑う様子も、失敗だと決めつける様子もない。
「施設を壊してはいけないと思って、できるだけ弱くしました」
「威力を抑えた状態でも、形と軌道は安定しています。ただ、これは実力を確認するための試験です。次は的を壊すつもりで放ってください」
「分かりました」
深く息を吸い、もう一度的へ向き直る。
次に使うのはファイアボールだ。
的の向こうには土壁があり、その周辺には誰も立っていない。
セレナさんが確認してくれた範囲なら、遠慮しすぎる必要はない。
掌の中央へ魔力を集めると、熱が生まれた。
小さな炎を焦らず育て、両手で抱えられるほどの大きさに整えていく。
表面が揺れないように意識を集中させるほど、周囲の音が遠くなった。
「ファイアボール」
腕を伸ばした瞬間、炎の球が掌を離れた。
先ほどと同じ軌道を通り、木の的の中央へぶつかる。
乾いた音とともに炎が広がり、焦げた木の匂いが鼻へ届いた。
的の中央は黒く焼け、一部が浅く抉れていた。
壊すほどではないけれど、今度は攻撃魔法らしい跡が残っている。
「よし」
思わず小さく息を吐いた、その時だった。
左側から何かが飛んできたことに気づき、顔を向ける。
避けるより先に、柔らかな布の球が肩へ当たり、地面へ落ちた。
「え?」
痛くはない。
けれど、もしあれが石や武器だったなら、同じようには済まなかったはずだ。
「的へ魔法を放ったあと、周囲への警戒が完全に途切れていました」
布球を投げたらしいセレナさんが、私の左後方に立っていた。
いつ移動したのかも分からなかった。
「すみません。的しか見ていませんでした」
「謝る必要はありません。できることと、まだできないことを確認するための試験です」
床に落ちた布球を拾い、セレナさんへ渡す。
二度目の魔法はうまくできたと思ったのに、命中したことへ安心した途端、ほかのものが見えなくなっていた。
「撃って終わりじゃねえ。敵が一体とは限らねえだろ」
ガイルの指摘に、箱庭での訓練を思い出す。
魔法を当てたあとも足を止めるなと、何度も言われていた。
静止した的を前にしたことで、いつもの注意まで頭から抜けていたらしい。
「はい。次からは気をつけます」
「魔力を集めるまでに少し時間はかかっていますが、魔法の形、狙い、威力の調整は安定しています。現状では前に出て戦うより、周囲を確認できる位置から仲間を支援する方がよいでしょう」
セレナさんは手元の用紙へ何かを書き込んだ。
できなかったことは悔しいけれど、回復魔法の練習を始める前に、自分の弱い部分を知ることができた。
次から何に気をつければよいのか分からないまま進むより、ずっといい。
「ありがとうございます。発動を早くする練習と、撃ったあとの動きも意識します」
「その二点を改善できれば、対応できる状況は増えると思います」
セレナさんはそこで言葉を切ると、先ほど私が魔法を放った右手へ目を向けた。
「真由様は、杖をお持ちではないのですか?」
「はい。魔法は手から使えるので、まだ用意していません」
「杖がなければ魔法を使えないわけではありません。ただ、魔力を集める位置と狙いを定めやすくなるため、発動を安定させる助けにはなります。真由様の場合は、威力を高める物より、扱いやすさを優先した方がよいでしょう」
杖は魔法使いらしく見せるための物ではなく、魔力を扱うための道具でもあるらしい。
今の私に必要なのは、発動までの時間を縮め、周囲へ意識を残すことだ。
「武器を扱う店で相談できますか?」
「はい。実際に握り、長さや重さを確かめてから選んでください」
あとで瑛太さんにも相談してみようと考えながら、皆のいる場所へ戻った。
肩に当たった布球の跡を払っていると、瑛太さんがそこへ目を向けた。
「痛くないか」
「大丈夫。ちょっと驚いただけ」
瑛太さんは頷いたものの、私の肩を一度確かめてから、訓練場の中央へ進んだ。
その隣にはルクスが付き、すぐに同じ方向を向く。
セレナさんは職員に用紙を預けると、制服の上着を脱いで丁寧に畳んだ。
腰には、鞘へ収められた二本の短剣が残っている。
「瑛太様の試験は、私がお相手いたします」
「セレナさんが?」
思わず聞き返すと、セレナさんはいつもと変わらない表情で頷いた。
「受付へ移る前は、Aランクの冒険者として活動していました。お二人の攻撃を受けずに動きを確認する程度であれば、問題ありません」
二本の短剣を抜いた途端、立ち姿から受付にいた時とは違う鋭さが伝わってきた。
「瑛太様は風魔法とスペルジェムのスタンを、ルクス様は身体強化と氷魔法を使用してください。私の動きを止めるか、どちらかの攻撃を届かせた時点で終了とします」
「分かった」
「すべて寸止めです。広範囲へ魔法を放つことと、ルクス様が牙や爪を当てることは禁止します。私も短剣を当てません」
セレナさんは訓練場の中央へ進み、瑛太さんたちとの間に十分な距離を取った。
瑛太さんは腰のスペルジェムへ触れて位置を確かめると、ルクスの首元を軽く撫でる。
「ルクス、行くぞ」
「ウォン」
短い声を交わした二人が並んで構える。
その向かいで、セレナさんは右手の短剣を前へ、左手の短剣を胸元へ引いた。
「始めてください」
声が響いた直後、セレナさんの姿が横へ流れた。
真っすぐ瑛太さんへ向かうと思ったのに、右へ大きく回り込み、ルクスの横を抜けようとする。
「ルクス、右だ」
ルクスが土を蹴り、身体を滑り込ませるように進路を塞いだ。
セレナさんはぶつかる直前で足を止め、すぐに逆方向へ踏み出す。
ルクスがその動きを追いかけようとした時、瑛太さんの声が飛んだ。
「待て」
ルクスは無理に追わず、瑛太さんの少し前へ戻った。
追わせて離したところを狙っていたのだと、私にも遅れて分かる。
セレナさんは二人の周囲を回りながら、こちらの判断を見て次の動きを変えていた。
「ウィンドショット」
瑛太さんの右手から放たれた風の塊が、セレナさんの進む先の地面を打った。
土埃が舞い上がり、踏み出しかけた足が一瞬止まる。
「ルクス、左から回れ」
ルクスが大きく弧を描き、セレナさんの後ろへ回った。
前には瑛太さん、後ろにはルクスがいる。
挟み込んだように見えたけれど、セレナさんは迷わず瑛太さんとの距離を詰めた。
銀色の刃が低い位置から伸び、瑛太さんの服のすぐ近くを通り過ぎた。
「ルクス、戻れ」
瑛太さんが後ろへ下がりながら呼ぶと、ルクスはすぐに二人の間へ滑り込んだ。
セレナさんはルクスの脇を抜けようと、左へ重心を傾けた。
けれど、実際には右へ踏み込み、瑛太さんの横へ回る。
「スタン」
瑛太さんが向けたスペルジェムから、淡い光が走った。
セレナさんは身体をひねったけれど、光は避けきれず、右腕へ触れて弾ける。
握られた短剣がわずかに下がった。
「ルクス、足元だ」
「ウォン!」
白い冷気がルクスの口元へ集まり、細い氷の筋となって地面を走った。
セレナさんはスタンを受けながらも後ろへ跳び、凍り始めた場所から逃れる。
完全には止められなかったけれど、着地した先へ瑛太さんが二発目のウィンドショットを放つ。
風の塊を避けるため、セレナさんの身体が横へ半歩流れる。
そこへルクスが回り込み、退路へ新しい氷の筋を走らせた。
前を瑛太さん、左右と後ろをルクスの氷に塞がれ、セレナさんの足が止まる。
「そこまでです」
声が上がると同時に、瑛太さんは風を消し、ルクスも冷気を収めた。
セレナさんの足元には、靴を傷つけないぎりぎりの位置まで薄い氷が伸びている。
セレナさんは、息を乱した様子もなく二本の短剣を鞘へ戻した。
「最初にルクス様を深追いさせず、すぐに戻した判断は適切でした。互いの位置もよく見えています」
セレナさんは瑛太さんへ向き直り、続ける。
「ただ、スタンは私の動きを見てから放っていました。あの距離では、避けられる可能性が高くなります」
「次は、逃げる先へ使う」
「はい。後半は風魔法で進路を変え、ルクス様の氷魔法が届く場所へ誘導できていました。スタンだけで止めようとせず、三つの魔法を順につないだ点もよいと思います」
瑛太さんは短く頷き、隣で待っていたルクスの頭を撫でた。
「よくやった」
ルクスの尻尾が大きく左右へ揺れる。
セレナさんのように動きを変える相手を前にしても、ルクスは勝手に飛びかからず、瑛太さんの声を待っていた。
瑛太さんもルクスへ任せきりにせず、自分の魔法で逃げ道を狭めていた。
言葉は少なくても、普段から互いを見ていることが、そのまま二人の動きに表れていた。
「魔法を含めた連携は十分です。ただし、スタンの効果は長く続きません。弓を用意したあとは、遠距離では弓、中距離では魔法、接近された場合は短剣と、相手との距離に応じて攻撃手段を切り替えられるよう練習してください」
「ああ。そうする」
結果を聞いても、瑛太さんの表情は大きく変わらない。
けれど、私のところへ戻ってきた時の目元は、少しだけ柔らかくなっていた。
「二人とも、息が合ってたね」
「ルクスがよく見ている」
「ウォフッ」
褒められたと分かったのか、ルクスが胸を張る。
その姿に緊張がほどけ、私もようやく笑うことができた。
セレナさんは、私と瑛太さんの結果を用紙へ書き終えた。
登録時のランクについては、ガイルの試験を終えてからまとめて説明するらしい。
職員が地面の氷を取り除き、訓練場の中央が広く空けられた。
先ほどまで騒がしかった周囲も、いつの間にか静かになっていた。
訓練をしていた冒険者たちは手を止め、壁際からこちらを見ている。
「やっと俺の番か」
黒曜が嬉しそうに立ち上がり、巨大な斧を担いで中央へ進んだ。
刃の片側だけでも、私の上半身ほどの大きさがある。
床へ触れてはいないのに、歩くたびに重い金属の気配が近づいてくるようだった。
ガイルは面倒そうに息を吐き、背中へ手を伸ばした。
幅広の黒い大剣が鞘から抜かれると、金属の擦れる音が訓練場へ長く響く。
その音を聞いただけで、先ほどまでとは空気が変わった。
「申し上げておきますが、これは実力試験です。決闘ではありません」
セレナさんが二人の間から少し離れ、改めて注意する。
「分かってる。壊さなければいいんだろ」
「相手を壊してもいけません」
壁際から小さな笑いが起きた。
黒曜は喉を鳴らして笑ったけれど、斧を肩から下ろした瞬間、その表情から楽しげな緩みが消えた。
向かいに立つガイルも、大剣を両手で構える。
二人の間には十分な距離があるのに、すぐそばで刃を向け合っているような緊張が肌を刺した。
「さて。どこまで隠すつもりだ?」
「試験に必要な分だけだ」
セレナさんが右手を上げる。
私は知らず知らずのうちに、隣に立つ瑛太さんの袖をつかんでいた。
黒曜の斧がわずかに傾き、ガイルの足が土を踏みしめる。
セレナさんの手が振り下ろされようとした瞬間、私は息を止めた。
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