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歳の差夫婦が整えて、生きる食卓〜料理が未発達な異世界で、無理せず積み重ねるスローライフ〜  作者: 望月 小鳥


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静かな夜と、その先の食卓



 真由さんが眠ったあと、部屋の中は急に静かになった。


 俺はしばらく、その寝息を聞いていた。

規則正しく、穏やかで、あまりにも確かな音だった。


 窓の外には知らない夜が広がっている。

見慣れない空。見慣れない星の並び。

この体も、この部屋も、まだどこか他人のものみたいだ。


 それでも、真由さんの寝息だけは知っている。


 俺はゆっくりと体を起こし、起こさないように布団の端を押さえながら身をずらした。

真由さんは眉をわずかに動かしたが、目を覚ます様子はない。


 寝顔を、少しの間見ていた。


 今日の夕食のことを思う。

食べながら、一瞬だけ泣きそうな顔をした。

ほんの一瞬で、すぐに笑って誤魔化した。

気づかれていないと思っていたのかもしれない。


 気づかないわけがない。


 長く一緒にいた。何度も見てきた顔だ。あれは堪えた顔だった。


 俺は何も言わなかった。

言えば崩れると思った。

だから食べた。美味かったから、美味いと言った。

それだけでよかった。


 春に俺が死んで、真由さんが一人で座っていた食卓のことを思う。

あの人がどんな顔で、何を食べていたのか。

胸の奥が、静かに冷えた。


 俺は視線を落とし、真由さんの髪に手を伸ばした。

月明かりに透ける髪は前とは違う色をしている。

それでも、指に触れた感触は柔らかい。


 そっと一房すくう。

真由さんは起きない。


 その髪に、静かに口付けた。


 大げさな言葉はいらない。

誓うつもりもない。


 ただ、今度は同じ場所にいる。

それだけのことが、どれだけ危ういことか、自分でも分かっている。


 手放す気はなかった。

この先どんな世界が待っていても、どんな理由があっても——手放す気に、なれそうになかった。


 俺はランプの灯りを少し落とし、隣に戻った。

起こさないようにゆっくりと横になると、真由さんの寝息がすぐそこにある。


 手を伸ばせば触れられる。


 目を閉じる前に、もう一度だけ息を吐く。


  今度は、置いていかない。

置いていかせるつもりもない。


 それだけを、静かに思った。


挿絵(By みてみん)


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 主人たちが寝室へ引き上げてから、台所にはようやく使用人たちの時間が戻ってきた。


 ヴァルドは棚から取り出した野菜を手早く刻み、ボウルの中で手際よく和えていく。

ガイルとハルグリムはすでに席についていて、リナはクッキングストーブの前で仕上げの一皿に取りかかっていた。


「お待たせしました」


 リナがフライパンごとテーブルへ運び、皿に盛り分ける。

ヴァルドもサラダをテーブルに置いて、静かに席についた。


「いただきます」


 リナの声を皮切りに、四人が手を合わせた。


 しばらく、誰も喋らなかった。


「……うめぇな、これ」


 ハルグリムが真っ先に食べ、フォークを置いて、もう一口。


「ニンニクがちゃんと効いてる。後味もしつこくねぇ」


「奥様のレシピですね。手順を教えていただいて、私が作りました」


 リナが答える。


「ニンニクと香草の組み合わせは、この地域では珍しい使い方かと思います」


「そりゃそうだろ。こんな使い方、見たことねぇ」


 ハルグリムがもう一口運ぶ。


「悪くねぇどころか、かなりいいぞ」


「このパンにベルクレアを塗って一緒に食べると、また違いますよ」


 リナが静かに添える。


 ハルグリムが試しに一口。


「……ほんとだ。香草の風味が乗っていいな」


「同意する」


 ガイルが静かに言った。


「肉の火の通し方も丁寧だ。皮がちゃんとパリッとしてる」


「奥様に教えていただいた通りに仕上げました」


「食材の名前も分からないのに、よく教えられたな」


 ガイルが感心したように呟く。


「鑑定しながら確認しておられました。ただ、クラウディスの名称が表示されないようで、何度も首を傾げておられましたね。それでも手は止まりませんでしたが」


「体に染み込んでいるものは、転生しても残るということでしょう」


 ヴァルドが静かに言った。


「旦那様もそうだろうぜ」


 ハルグリムが口を挟む。


「鍛冶のこと聞いてきたんだがな、目が本気だった。スキルも取ってたし、ああいう目をする奴は逃げねぇ」


「訓練でも同じだな」


 ガイルが続ける。


「旦那様も奥様も、体が追いついてない。知識はあるのに手足が言うことを聞かない。だがどちらもやり切った。言い訳しなかったぜ」


「当たり前だろ、言い訳なんて」


 ハルグリムが鼻を鳴らす。


「そうとも限らない。転生初日だ、普通音を上げるだろ」


「まあ、そりゃそうか」


「スキルはどうなんだ?」


「鑑定だけ習得した。奥様は感覚派だな。旦那様は丁寧だったが、時間がかかった」


「逆じゃねぇか普通、そこは」


「そういう二人なんだろ」


 ガイルが短く答えて、食事を口に運んだ。


 また少し、静かになった。

皿の上が少しずつ減っていく。


「ヴァルド様、夕食の席はいかがでしたか?」


 リナが問うと、ヴァルドは一拍置いてから口を開く。


「問題はございませんでした。お二人とも、よく召し上がっておられました」


 それだけ言って、カップを手に取る。


「それから——」


 ヴァルドがハルグリムを見る。


「一つお願いがございます。四日後にクロイティルへ出発される予定で、お二人の外出用の戦闘服が必要です。お引き受けいただけますか?」


「四日後か。今日は別の作業が残ってるから、明日の午後から取りかかる。三日ありゃ仕上がるだろ」


「よろしくお願いいたします」


 ヴァルドがガイルを見る。


「ガイル、護衛をお願いします」


「分かった。四日後だな」


 ガイルがカップを置いて、少し考えるように口を開く。


「話は変わるが……旦那様の方が、少々危うい気がするのは俺だけか」


「どういうことだ?」


 ハルグリムが眉を上げる。


「奥様のことを見てる目が、普通じゃない。静かだから分かりにくいが、ずっと見てる。動きも、表情も、全部観察してる」


「執着、ってやつか?」


「そういう言い方もできる。ただ、あれは重さじゃなくて——手放す気がない、って感じだ。静かなまま、絶対に離さない」


「……厄介なやつだな」


「悪い意味じゃない。ただ、あの二人の間には入れないだろうな」


 ハルグリムが鼻を鳴らす。


「まあ、それでいいだろ。主人なんてそれくらいの方がいい」


「奥様も同じかと存じます」


 ヴァルドが静かに言った。


「ただ、旦那様の方が——表に出ない分、深いかと」


 誰も返さなかった。

しばらく、カップを傾ける音だけが続いた。


「——四日後の街ですが」


 ヴァルドが静かに口を開く。


「奥様は色々気になることがあるそうです。ガイル、街での動き方は追って共有いたします」


「ああ」


 ガイルが頷く。一拍あって、ヴァルドがリナを見た。


「それと、奥様から朝食のご希望をいただいております。魚の塩焼きをとのことでした。明朝の準備をお願いできますか?」


「かしこまりました。早めに準備いたします」


 ハルグリムが残った食事を平らげて、カップをどんと置く。


「まあ——悪くねぇ主人たちじゃねぇか」


「そうだな」


 ガイルが言い、リナも静かに頷いた。


 ヴァルドは何も言わなかった。

ただ、カップをゆっくりと口に運んだ。


 台所の外では風が鳴っている。

ランタンの灯りが、ゆっくりと揺れた。

 

もし少しでも楽しんでいただけたら、

続きも読んでいただけると嬉しいです。


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