09
「初めまして、マリアベル嬢」
にこやかに差し出された手に自らの手を重ねて握り―――穏やかな雰囲気でお茶会は始まった。
招待は受けたものの、どういった形式で会うのかは不明なまま迎えたけれど、お茶会ということは予想よりも長く時間がかかるのかもしれない、と密かに意気込む。
豪奢な金色の髪。澄みきった空色の瞳。穏やかな雰囲気がよく似合う、柔和に整った顔立ち。
かつて向けられていたものとは全く異なる視線に、どこか落ち着かない感覚がするけれど、表面上の笑みは崩さないように保ち続ける。
ライアン第一王子。
そう呼ばれていた彼は、王城という醜い欲望ばかりが積み重なる泥沼のような空間で、泥沼に飲み込まれずに一筋の光を放ち続ける人だった。
自らを貶めようとする者たちを振り払い、真っ直ぐに前を見る力強い瞳は、今も変わらないようである。
かつての私たちは、第一王子と第一王女という関係だった。とはいえ、彼と私は本物の兄妹というわけではなく、正確には従兄妹の関係である。私の叔父、言い換えると父の兄の子供が彼なのだ。
私の祖父である前々代の国王が在位中に、王太子であった彼の父が亡くなり、その数年後に前々代の国王が亡くなった。
当時、彼は十も満たない子供だった。そのため、私の父が国王となったのだが、彼の王族という身分は、当然ながら揺らがない。その結果、彼は第一王子、私は第一王女という、一見して兄妹のように聞こえる関係になったのである。
もっとも、歴史や他国を見ても、そういった関係はそこまで珍しいものでもなく、というよりそもそも、正真正銘血の繋がりのある従兄妹でもあるのだから、普通の兄妹のような関係になっても何らおかしくないのだが、……その辺りは、前王家が前王家たる由縁というべきであろう。
彼から名前を呼ばれたことは前々代国王が存命中の数回だったと思うし、私が彼を兄と呼んだことに至っては一度もない。
さらに思い返してみると、こうして腰を据えて向かい合うこと自体、前世を含めても初めてな気がする。それに気づいたからか、一気に居心地が悪くなる。
穏やかで誠実なはずの瞳と声に、どうしてだろうか。どうしようもなく、逃げたいと思った。
膝の上で固く握りしめた右手を、左手でそっと包んだところで、
「遅れたわね!」
後ろから聞こえた声に振り返るも、声の主は既に横を通り過ぎ、目の前に立っていた。
おそらく走ってきたのだろう。何度か肩を上下させた後、ふう、と一度大きく息を吐いてから顔を上げた。
「あなたがマリアベル嬢?」
真っ先に問いかけられて、僅かに反応が遅れる。
「―――はい。お初にお目にかかります、王妃殿下。オーリンズ伯爵家より参りました、マリアベルと申します」
そう言って頭を下げる。ほとんど同時に、お茶会に招待されたことへの感謝を入れ忘れたことに気づくが、今さら付け加えるのもおかしな話だ。
後で何気なさを装って言えば良いかしら、と考えながら下げ続ける。……が、なかなか頭を上げる許可が出ない。
疑問を抱きながらも体勢を維持していると、「マリアベル嬢、楽にしてよい」と陛下から許可が出た。
それに従って頭を上げると、驚いた顔の王妃殿下と目が合う。
「……マリアベル嬢」
「はい」
「…………あなた、所作がとても綺麗ね」
「ありがとうございます」
なぜそんなに驚いているのかは不明だけれど、褒められたことに違いはないので、とりあえずお礼を言う。
貴族の娘として恥ずかしくないように、礼儀作法は叩き込まれている。だから、それなりに『見れる』所作であった自信はあるし、賞賛を受けた事実からも私の言動に不備があったわけでもなさそうだ。
加えて何か言うべきか、と逡巡していると、
「クレア殿下。どうかされましたか」
……正直、意外だった。
いや、確かに、王城に向かう馬車の中で、困った時は自分に会話を回すようにと言われていたし、彼を口下手だと思っていたわけでもない。
むしろ責任感のある人だと思っていて、それなら何らおかしいことではないのに、―――助けてくれると思っていなかったのは、なぜなのだろう。
新たに生じた疑問を胸に抱えつつ、表面上は変わらない笑みを浮かべておく。
レイラスの言葉に、「いえ、」と一呼吸置いてから、王妃殿下は「それはそうと、」と少し無理に口角を上げて、私とレイラスを交互に見る。
「急に呼び出してごめんなさいね。レイラスに婚約者ができたって聞いて、どうしても会ってみたかったの。わたしは公爵夫人の苦労も知っていたし、もしかして結婚しない信条でもあるのかと思っていたところで、あなたたちの話を聞いてね。しかも、聞けば10歳下の女の子って話でしょう?気になるのも仕方ないと思わない?」
同意を求める王妃殿下に返答しようとするが、彼女が再び口を開く方が早い。
「でも、実際に見て納得したわ。……ところで、レイラス。あなた、マリアベル嬢には何を質問したの?」
「ああ、それは私も気になるな」
好奇心を込めた視線がレイラスに向けられて、私はちらりと彼を見る。
「……それは秘密です」
「え、どうして。いいでしょう」
「教えません」
「ここだけの話!」
「駄目だ」
「誰にも言わないから」
「無理」
最終的にバッサリと切り捨てる姿に、あら、と思う。信用していたとおり、きちんと黙っていてくれるらしい。
もっとも、私としてもレイラスにだけ伝えるつもりで話したのだから、断ってもらわないと困るのだが。
それにしても、と。彼らの様子を見て思う。
革命を起こす前からの友人関係は、今なお続いているらしい。相変わらず仲が良い。遠慮がなくなると敬語が外れるところに、先ほどまでの敬語は外行き用だったのかと察して小さく笑う。
そんな私の表情の変化に気づいたのか、レイラスから聞き出すのを諦めたのか、「マリアベル嬢は教えてくれる?」と話の矛先が向けられた。
「申し訳ありません、王妃殿下。これは、私とレイラス様の秘密ですので」
教えない、などと直接的なことは言わない。
言わずとも私の言葉の意味は伝わるだろうし、事実、きちんと伝わったようである。
加えて、そのくらいにしておくよう陛下から諌められたこともあり、王妃殿下は渋々といった表情で矛を収めた。
話がひと段落したのを感じたのか、4人全員がカップを手に取り喉を潤す。
「……さて、マリアベル嬢」
空色の瞳が私を捉える。
「あなたに話があるのだが、聞いてくれるだろうか」
穏やかな声色で確認される。だが、その雰囲気に反して、内容は確認の意味をなさない。
なぜなら、国王陛下の話を拒否する立場に私はないからだ。
もちろん、私が拒否したところで、実際に何らかの処罰を与えられるわけではないだろう。
しかし、だからといって、一介の貴族の娘でしかない私が拒否をすることは許されない。それが貴族社会というものであり、それが王家という存在なのだ。
「はい。もちろんでございます」
だから、強張る身体など気にするに値しない。
「イルストン宮の舞踏会の日を覚えているだろうか」
「はい」
「その日、あなたは騎士に声をかけた」
「はい」
「―――ありがとう」
え?
予想外の言葉に、身体を包む強張りが一転して戸惑いに変わる。
答えを求めるように目の前の顔を見るが、小さく首を振られた。
「詳細は、申し訳ないが語れない。そんな状態で礼を言ったところで困らせるだけだとは分かっているが、それでもどうか言わせてほしい。ありがとう、マリアベル嬢」
「わたしからもお礼を言わせて。本当にありがとう」
目の前で2人揃って
お礼を言われた?私が、彼らに?
感謝した?私に、彼らが?
彼らの表情は、言葉どおりのものだ。それは分かる。
彼らの気持ちに偽りなどない。それは理解できる。
けれど、心が事実を受け入れようとしない。
「さっきはああ言ったけれど、あなたを招いた一番大きな理由は、わたしたちがお礼を言いたかっただけなの。レイラスには、急過ぎると反対されたけれど、ね」
申し訳なさそうに笑う王妃殿下に、私は隣へと視線を移す。
「あなた、知って、」
そこまで言って、身分が上の人に対する口調ではなかったと口を閉ざす。こういう時に、かつての自分が表に出てくるようで嫌になる。
幸いにも、彼は気に留めなかったらしく、
「知っていた。だが、2人に直接会ってお礼を言いたいと頼まれて、……理由を話せば、多少は緊張も解れただろうに、すまなかった」
下げられた頭に、唇を噛んだ。
状況にそぐわない表情だとは承知の上だ。それでも、呆けた間抜け顔を晒すよりましだろう。
心情を誤魔化すように頭を違う方面に回転させる。
王族である彼らがわざわざ礼を言いたくなるような存在。ミレーヌが見たという幼い少女。
可能性としてまず挙がるのは5歳の王女だが、さすがに会場の外へ出させることはないはずだ。
それ以外で王族が重要視するような、身分の高い少女といえば自然と絞られるが、……いや、やめておこう。これ以上追求すべきではない。
ああ、でも、……思考を止めると、途端に心が戻ってきてしまう。
「マリアベル?」
怪訝そうにレイラスが名前を呼ぶ。
その声に、このままではいけない、と無理に口角を上げる。
「国王陛下と王妃殿下からのお言葉は光栄です。けれど、元々はオルファット子爵家のミレーヌ様が、事に気づいて相談を受けたことがきっかけです。お礼であれば、わたくしより、彼女が相応しいと存じます」
感謝の宛先から自分を外したくて、ミレーヌの名前を出す。
「ああ。だが、さすがに彼女を招く理由は見つけ難くてな。それに、まず騎士に話を持っていき、事態解決への正しい対処をしたのは、マリアベル嬢、あなただろう?もちろん、ミレーヌ嬢にも感謝しているが、……あなたこそ、私たちは相応しいと思っているんだ」
真っ直ぐにこちらを見る陛下の瞳は、紛れもなく感謝の意を含んでいる。
ここまで言葉を重ねられて、なおも否定することはできない。
そもそも国王陛下と王妃殿下という、この国で最上位の存在から礼を言われるなど、普通の貴族であれば喜んで受け入れる僥倖である。両親や弟、家の者たちも、飛び上がって喜ぶに違いない。
けれど、私にとっては、どうしようもないほどの違和感が拭えない。
だって、―――どうして。
どうして、お礼なんて言うのだ。
これだけのことで、どうしてお礼を言われるのだ。
いや、違う。礼を言われる理由はある。
彼らは私のかつての姿など知らない。だから、私の心の内も分からない。
彼らはただ言いたいから言っているだけだし、その瞳には、マリアベル・オーリンズという人間が映っているのだ。だから、何もおかしなことなんてない。
そうだ。私はマリアベルだ。オーリンズ伯爵家のマリアベルだ。王女と呼ばれ、愚かだと断じられた女とは、私は―――『わたくし』は。
「大変光栄です、陛下。王妃殿下」
違うと言えれば楽なのかと、浮かんだ問いはすぐに消した。




