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「違う……抜かなかった、んだ……」
「何故!」
男はもう息も絶え絶えだった。
恐らく、半ば気力だけで意識を留めているのだろう。
凄まじい精神力だった。
「河上は…師を……宮部鼎蔵を……池田屋、で…失って…いる……」
──池田屋!
それは、他でもない自分が討ち入りした所で──。
「何で…何でッッ……!」
──どうしてどいつもこいつも、口を揃えて池田屋のことを口にするのか。
これではまるで──。
「新撰組、は…悪く…ない、さ。それも、また…正義だから、ねえ」
男はくしゃりと相好を崩す。
どうやら私の羽織る白い羽織に、私が新撰組に所属していることを察したのだろう。
「尊攘を掲げ…恩師の、仇を……公武合体、派の僕を討つ……河上もまた、君らと同じく、正義、なのさ……」
「自分が殺されても、ですか!」
声を荒らげると、男は確かに大きく、頷いた。
「それも、また……僕の、育てた…芽が……実を結んだ、証、だよ──」
「育てた芽……? あなた、名は! 名はなんと言うのです!」
男を気付けるように、その身体を支える腕に、少し力を込めて揺さぶる。
男は震えるように大きく息を吐くと──
「なぁに…お仲間が、来れば……すぐにでも、分かる、さ……」
そう、悪戯っぽく微笑み──。
「僕の…遺志……僕の、出来損ないの…息子……。アンタに任せられた、ら……僕ぁ……」
間違いない。これは彼の最期の言葉だろう。
「私で良いのなら、心配は不要です──」
もちろん彼の息子なんざ、顔も名前も知らない。
だが、少しでも彼が安らかに眠ることができるよう方便を使うのが、今、私にできる、唯一のことだった。
「あぁ。それは…良かっ──」
瞳から、光が消える。
次いで、男の手から力が抜け、地へとはたりと落ちた。
「……」
それが、名も知らぬ男の最期だった──。
言えることはとりあえず。
──一言良いだろうか。
「最期の最期にまで、人の尻撫で回しやがって……」
本当に馬と勘違いしていたかは知らんが、大変に気色悪かった。
仏頂面で、再び地へと横たえた男の瞼を閉じさせる。
ブルッ、と鼻を鳴らす馬が、男の頬を一度舐めた。
「よしよし。あなたは、立派なご主人様を、持ったのですね──」
──尻についてはともかく。そう、尻についてはともかくとして、だ!
彼が、最期まで常人とは違う雰囲気を纏っていたのは間違いなく。
「仲間が来れば、名は分かる、か……」
男の自意識過剰……だとは考え難い。
しばらくして駆け付けてきた斎藤さんは亡くなった男を見て、言葉を失っていた──。
見廻りを切り上げて、男の遺体と馬を屯所へと持ち帰る。
屯所へと戻る間、斎藤さんは険しい顔で、終始無言だった──。
「んー、結局誰だったんだろ」
男の遺体が安置されている部屋へと、組長達がぞろぞろと入っていく。
手持ち無沙汰な私は、事態に変化があるまで、屯所の庭で、サイトウくんへと与えるための餌である蛙を探そうと思い、低木の周りに膝をついて、木の下を覗き込む。
「いないや……」
ひょい、と顔を上げると、組長達の入っていった部屋へと、山崎さんが消えていくのが遠目に映る。
──まあ、新撰組公認? の唯一の医者だしね。
低木の下を二本、三本と覗いていると、遺体を安置している部屋から、険しい表情の永倉さん──に続き、此方もまた物々しい雰囲気を醸し出している沖田さん、鈴木さん、井上さん、そして……まあ、組長達が全員が出てくるのが見えた。
「えらく早いけど……話、終わったのかな……」
──何だろ、皆怖い顔してるし……空気もピリついてるや。
話し掛けるのすら躊躇われるような雰囲気の組長達は、揃って足早に屋敷の奥へと消えていく。
──あっちは局長室がある方、か。
どうやら話は局長室でするようだ。
「ま。のんびり待ってよっと……」
更に一本、先の低木の前へと移動すると──
「安芸さんー……、こんな状況なのに、相変わらず自由人ッスね……」
環境適応能力が高いっつーかー……、と続けながら、此方へと歩いて来るのは、自隊の平隊士の一人。蟻通勘吾だった。
「へあ?」
「へあ、ってなんですか、へあ、って!」
──放っとけ!
うっかり「へ? ああ」が固まって「へあ?」になってしまった私は少しだけ不機嫌を顔に貼り付ける。
「もしかして、あなた、あの殺された方を知っているのですか?」
私の声に、蟻通は目を丸くする私よりも、更に目を丸くした。
「もしかして誰かすら分かってなかったんスか!? あの方は佐久間象山殿ですよ!」
驚いたような蟻通の言葉にただ「はあ」と返す。
──佐久間象山。
「安芸さん……やっぱり驚かないんスね!?」
「それは、まあ……」
何やら蟻通が「冷静ッスねー」と感動しているようだが──私としては、正確には驚かない、ではなく驚けない。だった。
何故なら──
──名前しか知らないんだもん。
私は感動に腕組みしながら頷いている蟻通をその場に残し、踵を返して、足早に資料庫へと向かう。
その暗殺された人物のことを名前程度しか知らなかった私は、資料庫でその者について調べることにしたのだ──。
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