スミレサイド~薔薇の人に従う
マジシャンのような格好をした人は、あれから毎日、私の暮らす寮の前の薔薇の花壇の前に現れるようになった。
学生寮に来れるということは、学生か講師あたりなのだろうけど、それを打ち明けようとはしてくれなかった。
ただただ同じ時間にきて、私と少し世間話をして、最後に『とある人』のところに行くように勧めてくる。
彼はタキシードにシルクハット、そして仮面をつけているから、全く素性が知れない。名前を聞いても絶対に教えてくれなかった。
ただ、彼は知識が豊富で話がとても面白く、いつの間にか私はその人と会うのが楽しみになっていた。
私は彼を『薔薇の人』と呼ぶことにした。
初めて会った日から数ヶ月。
1日として欠かすことなく来てくれる薔薇の人は、今日も夕暮れ時、薔薇の花壇の縁に座って私を待っていた。
「毎日、大変ね」
「貴女のためですから。どうってことないですよ」
少し薄めの形の良い口元が、優しく上がった。
実はもう、この人のために、その『とある人』のところに会いに行ってもいいかなとは思っていた。
あれからもう数ヶ月だ。毎日来るだけでも根気がいるはず。なのに彼は、少しも嫌そうな顔はせず、むしろ少し嬉しそうに私のところに会いに来てくれる。
ただ、私が『とある人』に会うことで、この薔薇の人が私に会いに来なくなるかもしれないことが怖かった。
花壇の薔薇はもうとっくに時期をこえて枯れてしまっている。それでも薔薇の人は、私のピンクの髪に合わせたピンクの薔薇を1本、必ず持ってきて私に渡してくれた。
「ーーありがとう」
私は薔薇を受け取り、自分の顔の前に近づける。
目を閉じて薔薇の香りを嗅ぐと、薔薇の華やかな香りがした。
「いい匂い」
その時、いつも穏やかな薔薇の人の仮面の奥の瞳が、わずかに動揺した気がした。
「、、、どうかしたの?」
「ーーいえ。大丈夫です。少し昔を思い出して、、、」
彼は少しうつむき、それ以上は何も言わない。
「それより、最近、あまり学業が進んでいないようですね」
彼が私を覗き込んで、くすりと笑った。
私は少し顔を赤らめて「なんでそんなことを知っているの」と口を歪める。
「やる気をなくしているのよ。どっかの令嬢様が活躍ばっかりするから。本当はダンジョン行ったり、騎士団で修行したりしないといけないんだろうけど、何かね、少し馬鹿らしくなってきちゃって」
ゲームの世界がこんなに難しいなんて、思いもしなかった。
ゲームだったから簡単だっただけで、ゲームの中に入ればゲームではなく、普通の生活を強いられる。
しばらくは勉強も魔法の練習も気合いいれて頑張ったけど、ゲームの攻略対象はリーネとばかり仲良くして、私の方には寄ってもこない。
公爵子息のジルは私には顔さえ見せないし、他の人は上辺だけの愛想笑いで私と関わる。
対象者以外は、聖女である私の表面ばかり誉めて、私という人間を見てくれようとはしなかった。
正直、ゲームとしては『詰んだ』と言っていい。今から恋愛ポイントをあげるにはもう遅く、今から頑張っても良くてベターエンド。バッドエンドは絶対避けたいけど、メリーエンドも嫌なのだ。
でもここからの再起を図っても良かったね、と思われるくらいのラストを迎えるだけなのはわかりきっている。ゲームの時期が終わって、私は元の世界に帰れるかどうかもわからない。
そんな鬱々としたことに努力するよりは、ゲームにさえ出てこない、この薔薇の人と話す方が楽しかった。
私を、私自身をちゃんと見てくれて、毎日必ず私に会いに来てくれる人。
薔薇の人は私の言葉に「そんなこと」と笑いながら言った。
「貴女が貴女らしくさえいてくれれば、それでいいんです」
たまに、どうしてこんなに私のことを大きな心で受け止めてくれようとするのか、全くわからない時がある。
まるで昔から、私のことを知っているかのように。
「ーーーでも、聖女として成長するには、努力が必要なんでしょう?」
そんなの必要ないと、心では思っているけど。
この人に、聞いてみたかった。
この人が、私を『聖女』としてではなく『私』に会いに来てくれていると、思いたかった。
薔薇の人は、そうですね、、、と少し口を閉じる。
「聖女としては必要ですね。貴女かまいずれ聖女として働くつもりがあるのなら、それもいいでしょう。ーーーでも、貴女が望まないのであれば、しなくてもいいのですよ。貴女が必要と思う時、貴女はその力を身に付けるために自ずと動くのでしょうから」
「必要とする時、自ずと動く、、、」
薔薇の人の言葉を繰り返して、自分の胸にすとんと落ちたものを感じた。
誰か(きっとリーネだろうが)に色々と妨害を受けながらも私は勉強の努力をしてきた。でも、何故か修行に対しては、しないといけないという気持ちがどうしても出てこなかった。言い訳して誤魔化していたけど。
そうか。私は今、聖女の力を必要としていないのか。
何故か妙に納得してしまった。この人の言うことは、スポンジが水を吸収するように私に染み込んでくる。
そして私の心を軽くしてくれるのだ。
私は横に並ぶ薔薇の人を見上げた。
「ーーー私に会わせたいという人のところに、私を連れていったら、もう私のところに来なくなる?」
聞くと、薔薇の人は一瞬、きょとんとして、その後破顔した。
「そんなわけがないでしょう。貴女が望むのであれば、私は毎日伺いますよ。今までのように」
彼は優しく、私を宥めるように首を傾げた。
キラキラお星さまのような笑顔。
「ーーーそっか、、、」
私はぼんやりとしながら、言葉を飲み込んだ。
その人に会っても、これからも会いに来てくれる。
その事が、すごく。
思っていたよりずっと。
ーーー嬉しかった。
「そっか」
私はもう一度、自分に確認するように呟く。心に温かいものが次々に染み込んできて。
つい、薔薇の人にこれ以上ないくらいの笑みを浮かべてしまった。
「わかった。あなたがそう言うなら、あなたの言う通りにする。会わせたいという人がいるなら会うわ。その代わり、さっきの約束は守ってね」
薔薇の人は「勿論です」と言って、ほっとした顔をしてみせる。
薔薇の人は、すくっと立ち上がった。花壇の縁に座った私を見下ろして、私に右腕を伸ばす。
「善は急げです。今からでも大丈夫。その方に会いにいきましょう」
「え?今から?もう日も暮れて、今からじゃとても、、、、遅くなってしまうわ。門限があるもの」
「大丈夫ですよ。貴女は何も心配しなくていい」
薔薇の人に手を引かれて立ち上がると、薔薇の人は私の手を握る反対の左手で、私の目元を隠すように手を当てた。
「次に目が覚めたら、その人は貴女の傍にいますからね」
薔薇の人の優しい瞳。微笑む口元。
魔法ーーーなんだろうか。
薔薇の人が私の目を覆ったら、急に眠気が襲ってきて。
ーーーいつの間にか、気を失ってしまったらしい。
※※※※※※※※※※※※
薔薇の人のいう通り、私が目を覚ますと、目の前に人が立っていた。
私は真っ白な布を巻いたような服の人達に支えられて、大きな椅子に座らせられていた。
暗いが大きなステンドグラスからは光が暖かく差し込んでいる。
そこは大きな講堂だった。
沢山の椅子が列になって並び、中央は通り道になっている。
昔見た、バージンロードを歩く結婚式の光景。
もう日も暮れたというのに、どこから光が差し込んでいるのか不思議だった。
辺りを見渡すけれど、薔薇の人の姿はどこにも見当たらない。
目の前には、背の高いがすらりとした体つきの、まだそんなに歳はとっていない男性が立っていた。
私の周りにいる白い布を巻いたような人に格好は似ているけど、明らかに質の違う服。
着ている服と肩からかかる白いマントには、びっしりと細かな刺繍がしてあり、威厳のようなものを醸し出している。
天然のカールがかかった茶色の髪をオールバックにして、彫りの深い面長の顔は、あちらの世界のギリシャ彫刻の人に雰囲気がよく似ていた。
端正な顔立ちは冷たい印象を受けるが、私に近づいたその人は、穏やかににこりと笑った。
「聖女、スミレですね。初めまして。私はロールド・キラ・モールスといいます。お見知りおきを」
私に手を伸ばして握手を求めるロールドという男は、私が応じて握手をすると、更に笑みを深めて目尻に皺を深めた。若く見えるが意外と歳はとっているのかもしれない。
「あの、ここは、、、、?」
私が講堂をぐるりと見渡すと、ロールドは、ご存知ありませんでしたか、と不思議そうにした。
「ここは教会。リンドウ帝国最大のハンム大聖堂です」
「教会?」
なぜそんなところに。
私は目を丸くする。そんな私に、ロールドは胸に手を当てて頭を下げ、簡単な敬礼をしてみせた。
「私達、教会の信者は、神に仕える身。神の使徒である聖女の貴女に、決して害となることがないということを誓いましょう」
神の使徒。聖女。
「何かあれば、必ず私達は何にかえても貴女を守ります。安心してください」
そういって微笑むロールド。
近くにいた信者も、同じように私に敬礼をしてみせた。
私は呆然とするばかり。
白い服の男が駆けてきて、ロールドに声をかける。
「猊下。スミレ様の部屋の準備ができました」
「そうか。わかった」
凛として、ロールドはその男に頷く。
ーーー猊下って何だっけ。
薔薇の人はどこ。
私をここに置いて、どこにいってしまったの。
このあと。
私はまだこの国を、何も理解していないことを知るのだった。




