悪役令嬢、脱出する
題して『買い食いに行こう』決行日。
まずは寝起きにチャイムを鳴らして、メイドを呼ぶ。
【リンリーン】
少しして、大きなドアがゆっくりと開いた。
「おはようございます。リーネ様」
あの日と同じメイドだ。もうあの頃のように、私に対してビクついた態度をすることはない。
穏やかな笑顔で、私の傍に近寄った。
「おはよう。カリナ。今日は何か騒がしいわね」
あぁ、とカリナはドアの外を眺める瞳をする。
「今日は旦那様が、皇帝に謁見する日です。数日前にお呼びがありまして」
「そうなの?道理で騒がしいと思ったわ」
知ってたけど知らないフリをする。
「じゃあお父様もお忙しいわね。でも私、昨日の夜、なかなか眠れなくて。眠くて仕方ないの。今日はゆっくり寝ててもいいかしら」
眠そうに目を擦りながら、私はちらりとカリナを見た。
謁見の日は、使用人達は猫の手も借りたいほど忙しい。その言葉にカリナも少しホッとしてみせた。ここで私が何か言ったら、人手を分けなければならないから使用人達も困るのだ。
寝てて貰えるならそれにこしたことはない。
「わかりました。そのように執事にお伝えしておきます」
「助かるわ、ありがとう」
私がニッコリ笑うと、カリナは少し目に涙を溜めて、いえそんな、と呟いた。
2ヶ月前は、いつ熱いタオルを投げつけられるか、叩かれるかとビクビクしなければならなかったのに、今は名前でも呼ばれ、ありがとうと感謝の言葉もある。
昔を思うと、私の変化に胸を打つものがあるようだ。
脱・悪役令嬢作戦は順調である。
外に出させてもらえない以上、世間の悪評はまだまだ健在だろうが、少しずつ理解してもらえばいい。そう難しい話ではないはずだ。
「じゃあ私は寝るから。私がチャイムを鳴らすまでは部屋に入らないでね。ゆっくり眠りたいの」
「承知しました」
カリナはスっと頭を下げて、そのまま退室した。
ファーストステージ突破!!!
私はガッツポーズを作る。
そしてクローゼットの奥から、できあがったニット帽とネックウォーマーを取り出す。その下に、こっそり夜中にメイドの更衣室の横にある予備のユニフォーム入れから借用した、古めの洋服を取り出した。エプロンをつけなければ、普通の服と何ら変わりない、、、はずだ。外にでたことないからわからないけど。
布団の中に大きめの枕を私の体の大きさ程度に積んだ。ちゃんと人が寝ているように見えて、満足の出来になった。
服を着替えて、姿見で自分の様子を確認する。
髪を三つ編みにしたあとお団子にして纏めると、白銀の長い髪はニット帽になんとか隠れる。
ネックウォーマーで、後ろから少しはみ出していた髪も完全に見えなくなった。
目は流石に隠せないが、ニット帽を深めにかぶったら目もそんなに目立たないだろう。
「よしよし」
私は呟く。
「では出発!!!」
リーネはなんだかんだいって、深窓の令嬢でありながらも公爵令嬢なのである。
いつなんどき、何があってもいいように、最高の教育が施され、それをしっかり身につけていた。
教育とは学問だけでなく、礼儀作法、外交、ダンス、そして剣術、馬術もそうである。
食の細い少女といえど、身体は鍛えなければこの貴族の世の中は渡っていけない。
窓を開けて、周囲を確認する。
勿論、お父様のことで皆てんやわんやなんだろうけど、運良く窓の下には誰もいる気配がなかった。
そっと窓から身を乗り出し、近くまで伸びている枝に手をかけた。
実は私、前の世界では小さい頃、木登り名人と呼ばれた時代がある。木登りに関しては誰にも負ける気がしない過去があった。さすがに成人してからは木登りなんてしないから、体力も落ちただろうけど、今は当時の私と同じくらい若い上に、剣術や乗馬で強制的に鍛えてる。
「このくらい、朝飯前の夕飯後だってのっ」
窓の枠を蹴って、私は飛び上がる。
思った以上にジャンプ力があって、飛びかかろうと思っていた枝を通り過ぎるところだった。慌てて枝を掴んで、大車輪のようにクルリと回って枝に着地する。
なんて身体能力。
有名ゲームの主役のライバルになるはずの人間は、やっぱり色々違うのね。
正直、びっくりして心臓が飛び上がって喉からはみ出てくるかと思った。
恐ろしい。
息を整えてから、慣れた手つきで木から滑り降りて、静かに地面に足をつけた。
もう一度、辺りの人の気配を確認する。
よし。大丈夫。
ドレスと違ってメイドの服は動きやすかった。私はこっちの方が自分にあってるなと思いながら、ささっと木の影から木の影に移る。
目標は、裏の畑にある馬小屋だ。
あそこには、農業用の馬が2頭つながれていて、その1頭は私に懐いてる。茶色くて目がクリクリした可愛い雌馬ナナだ。もうしばらく会えてないけど、私が半年前にこの世界に来た時、何もすることがなくて、暇つぶしにこの馬小屋に通った。
寒くなってきて畑への行き来は禁じられて会えなくなったけど、今もまだ、ナナはあの馬小屋にいるはずだ。
そしてもう1頭は、なぜか私を毛嫌いしてる目つきの悪い雄馬ハチだ。すぐに鼻水を飛ばしたり、私を蹴りあげようとしてくるのでハチの乗馬は無理でも、優しいナナなら私を快く乗せてくれるだろう。
敷地内の広大な畑が見えて、その奥の馬小屋も視界に入ってきた。
あと少し。
足音を極力消した駆け足で、馬小屋にたどり着く。
馬小屋は、農業用なのでたいした造りではなく、冷たい風が吹き抜けている。
私が馬小屋の中に入ると、ナナが私の存在に気づいて愛しそうに鼻を鳴らした。
『ブルル』
「ナナっ!元気して、、、た???」
目を見開く。
ナナの身体が一回り、二回り大きくなっている。
身体、というと語弊がある。身体ではなく「おなか」だ。
「な、、な、ナナ。あんた、、、」
これは間違いなく妊娠。しかも出産近いおなかの大きさだ。
私の心を読んだのか、横でハチがざまみろとばかりに鼻を鳴らした。
私はハチを睨みつける。
「ハチ、あんた、なんてことしてくれるのよ!」
『ブルル』
ナナとハチは夫婦だ。妊娠するようなことがあっても全く問題ないのだが。
「なんでこんな時にっ」
公爵とはいえ、皇帝から呼び出されるなんて頻回にあることではない。次の機会はいつになるというのか。
『ブルルル』
ハチはまた、楽しそうに鼻を鳴らす。
私は悔しくて、ハチの首輪をぐいと引っ張った。
「じゃああんたが代わりに私を乗せなさい」
『ブフ』
いやいや、とハチは首を大きく振り続ける。離しやがれと。
本当にハチは私のことが嫌いで、いままで1度も触ろうともさせてくれたことがないのだ。何がそんなに気に食わないのか全くわからない。
でも、騎士の公舎にある馬は、しっかりと管理されており、馬を連れ出すなんて無理だろう。しかし公爵邸は広大で、かつ街までも離れている。馬がないと、昼寝が終わる時間までに戻ってこれないのだ。
諦める?
ここまで来て?
ーーー嫌だ。
私はしつこく首を振り続けるハチの首輪をぐいと引っ張った。ちょっと驚いたハチと視線が合う。
「つべこべ言わず、私を乗せなさい。乗せないとあんたは明日、切り刻んで馬刺しにしてやるから。そしたら、ナナのおなかにいる可愛い子供とも会えなくなるわよ。それでもいいのね?」
脅して馬が理解できるかわからない。
だが、ハチは私の殺気混じりの脅しを敏感に察知したのか、少し後退った。
私が更に睨みつけると、ハチはしゅんと頭をさげる。
『ブ、ブヒヒ、、、』
観念したらしいハチは、しぶしぶと私の前にしゃがみ込んだ。
ふ、と私は笑う。
「そう。いい子ね」
そのやりとりを見ていたナナは、少し複雑そうな顔をしていた。
私の微笑みが、悪役令嬢らしいそれだったからかもしれない。
そうして私は無事に馬に乗って、公爵邸を抜け出せたのだった。