悪役令嬢は買い食いがしたい
のんびり書きます。
よろしくお願いします。
リン…。
リン…リン…。
静かな夜の闇にかき消されそうな、小さな小さな鈴の音を聞いた気がした。
私はまだ夢から起きたばかりで、ぼんやりとしたままその音だけに意識を向けていた。
耳の中で響くような、とても澄んだ鈴の音。
耳から胸に伝わり、どこか泣きたくなるほどにクリアなその振動。
もう22年生きた自分の家で、こんな鈴の音を聞いたのは初めてだった。
この音はどこからーーー。
そう思いながら、眠たい目を擦って起き上がると、そこは長年住んでいるオンボロな家ではなく、どこかのお姫様のものであろう、煌びやかな部屋の中央にある巨大なベッドの上だった。
「お目覚めですか?リーネ様」
すぐ側から女性の声が聞こえる。
リーネ?誰のこと?と、声がした方を振り返ると、やや顔を引き攣らせた20歳くらいのメイドの格好をした女の人が、震える手で私に温かいタオルを差し出していた。
いつからタオルを用意して待っていたんだろうか。
いつ目覚めるかもわからないのに、目が覚めた途端に温かいタオルを差し出せるなんて、正気の沙汰ではない。
「……ありがとうございます……?」
私がお礼を言ってタオルを受け取ると、その女の人はそのタオルが投げつけられるのを覚悟した顔で、身体を強張らせる体勢のまま、
「え???」
と、驚愕の声をあげた。
「え?」
彼女の声を私が繰り返す。彼女ははっと自分が出した声で顔を青ざめ、慌てて土下座した。
「も、申し訳ありません、リーネ様。どうか……どうか命だけは……っ」
いやいやいや。
え?って言っただけで命奪われるとか、どれだけブラック企業よ。私は暗殺稼業のボスですか?
と、思った途端、急に激しい頭痛に襲われた。
「っう……」
「リーネ様???」
近くにいた他のメイドの格好した人達も、慌てて私に近寄ってきた。心配そうというよりは、緊急事態にすぐ駆けつけなければ即死するかのように、必死な形相をしていた。
「「「大丈夫でございますか???」」」
私が苦しんだのは、1、2分だったと思う。
激しい頭痛の後ーーー思い出した。
私は転生を、それも異世界転生したんだということを。
なぜそれを理解したかというと、その数分の間にリーネの記憶が一気に私の頭に流れ込んできたからだ。
だからわかる。
このメイドの人達が、私から無理難題言われたり、不当な解雇を言われる可能性が大いにあること。私を不快にさせただけで、解雇どころか、明日の未来さえ危ういかもしれないこと。
この私でありリーネという傲慢な悪役令嬢によって、それが当たり前のように日々、恐怖に苛まれているということを。
温められたタオル。
私が目を覚ました瞬間に、それを最適な温度で渡しなさいと目の前のメイドに命令したのは、数日前のことだ。
できるはずもないことだった。
少しぬるいからと、少し起きるタイミングより遅かったと、リーネはこのメイドに連日タオルを投げつけていた。このメイドの前の専属侍女は、このタオル渡しの失敗のせいで、顔をフルボッコにされた上で解雇された。
道理でタオルを渡した途端に身構えるわけだ。
「……はぁ」
私は頭を抱えて、大きなため息をもらした。
父親であるグランドロス公爵が、前任の侍女を追い出した時にリーネの非情な行動を注意してくれていなければ、この目の前のメイドの命はすでにこの世になかっただろう。
リーネの記憶を思い出してため息をついた私に、使用人達は、慌てて悲鳴にも似た声をあげる。
「「「いかがなさいましたか、リーネ様」」」
ホラー映画のヴィランを前にした人々のような顔をしている。まぁ、考えてみればあながち間違った例えでもないのだろうが。
またため息がでそうになるのをぐっと我慢する。
今となってはリーネらしき精神体はここにはいないが、本当にリーネはこれで幸せだったのだろうか。
こんなにも周りの人にビクビクされながら生きるのって、辛くないだろうか。
私の元の体、朋子であった時の上司がそんな人だった。
仕事はできるが横暴で、人に嫌われまくっていたのにそれを治そうともしていなかった。不思議で仕方ないけど、世の中、そんな人は腐るほどいる。
「……大丈夫よ。もう下がっていいわ」
私が手をひらひらさせてメイドを下げようとすると、皆で視線を合わせて不思議そうな顔をしてみせた。
いつものように癇癪を起こさないのがそんなに珍しいのか。
混乱する頭を落ち着かせようとして、1つ、リーネの記憶以外に思い出したことがある。
リーネ・アネット・グランドロス。
私の名前。
聞いたことがあると思ったのだ。
気持ちが落ち着くと、すぐに気づいた。
私が元いた世界。
そこで爆発的ヒットした乙女ゲーム『世界の中心で魔法を叫ぶ』の登場人物の1人。
聖女である主人公の邪魔をして、婚約者の皇子から婚約破棄される悪役令嬢。
その名前がリーネ・アネット・グランドロスだ。
なぜピンときたかというと、その作品は世間では異常なほど大人気で、社会現象にまでなっていたからだ。
ありきたりな物語のはずなのに、アニメ化どころか実写化のドラマや映画にもなり、その年の収入は各分野で年間トップになっていた。
何か神憑りな人気ぶりで、多少、気持ち悪ささえ感じていたゲームだった。物語だけならもっと他にも沢山良い作品があったにも関わらず、だ。
まるで洗脳されているかのように、社会が、世界が、そのゲームを求めていた。
それぞれのキャラに熱狂的ファンがつき、悪役令嬢であるリーネにも、かなりのマニアックな人達に人気があった。
私の友達が、頭から血を流したリーネのマスコット人形をカバンにぶら下げていた時は、さすがに趣味が悪いと苦笑いを浮かべたものだ。
そして私は。
その、悪役公爵令嬢リーネになったのだ。
メイド達を部屋から追い出し、ベッドから降りて、巨大な鏡の前に立つ。
白銀の長い髪。澄んだ空を写したかのような淡いブルーの瞳。薔薇のような唇。整った顔立ち。
一見したら女神か天使のような美少女。
年齢は15歳。
ゲームは15歳の春の学園入学から始まるから、物語の始まりまであと少しというところか。
リーネは最後、破滅する。
愛する皇子に捨てられて。今までの悪行と、聖女に対する異常で卑劣な虐めとで、公爵家からも追放。
そしてリーネがメインのヴィランである場合、80%以上の確率で死ぬ。
うぅん、と私は唸った。
なるほど。最悪な状況だ。
でも、最悪ながら、絶望的というわけでもない。
占いで言うなら『凶』。
でも凶はあくまで現状であって、珍しいから運が良いという見方もあるし、この先運気が上がるしかないということだ。
まだ物語は始まっていない。
そして私は本来のリーネとは性格が違う。
社会人として数年、世間に揉まれて生きたことで多少の人間関係のノウハウも、パワハラに耐えた精神力も、そして何より、この世界の今後の成り行きも知っている。
物語のキャラに余計なことをしなければ、私はただの女神な公爵令嬢。むしろ勝ち組。
前の世界で毎日朝から夜中まで働き続けて疲れた心を、これからの豪華絢爛な生活で癒してもいいんじゃないかな。
そう、これは神様からの私へのご褒美では?
そう考えると少しずつ気持ちが楽になってきた。
リーネは公爵令嬢。
公爵令嬢って言えば、公爵の後ろ楯で守られている存在なのだ。
公爵は皇族の次に偉いから、つまりは皇族と父親以外に私より高い立場の人はいないってこと。
何しても許されるってこと。
1日ゴロゴロしてても怒られないってこと。
ーーー考えるだけですごく楽しくなってきた。
大人しくしていれば、それだけで美味しいものが毎日食べられて、誰からも頭ごなしに怒られることなく、非現実的なノルマに頭を痛めることも、胃を壊すこともない生活が待っているわけで。
「ふふ」
思わず1人笑ってしまった私を、傍で控えていたメイドが心配そうな顔でみていたが、なんでもヒステリーを起こすリーネのことだ。刺激しないように声もかけずに黙って放置してくれていた。
ごめんね。ありがとう。
今はただ、ストレスで押し潰されそうになっていた仕事から解放された喜びが何より勝っていた。
もう、時間を確保するために、睡眠時間を減らすこともない。
強力なカフェイン漬けにならなくてもいい。
それだけでも転生したことへ喜びがある。
何故私がリーネに転生したかは全くわからないけれど、私を不憫に思った神様のささやかな私へのプレゼントなのかもしれない。
うっかり宝くじを拾ってしまったような。
当たる可能性は低いけれど、もしかしたらという期待は捨てられない。
ーーーそんな気持ちだった。
※※※※※※※※※※
ということで、豪華絢爛の日々を楽しんでいた1ヶ月後。
「……暇にも程があるんだけど」
ぐったりとした顔をした私は、心の奥底からの言葉を吐き出した。
私はもう、公爵令嬢としての立場に飽きていた。
毎日朝から晩までフランス料理フルコースばりの夢の贅沢料理も、食べ続けるとゲッソリする。
そもそもリーネの胃袋は元の私よりだいぶ小さいようで、満足する量が入らない。多分、リーネは好き嫌いが激しかったのだと思う。好きな物しか食べないから、こんなに胃が小さいんだろう。
リーネと向かい合えるなら、「もったいない精神」を叩き込んでやりたかった。
それに、大きすぎる風呂に入ったり上がってからのマッサージも気持ちはいいけど、毎日のそれは、正直、美容に興味のなかった私には時間の無駄のように感じていた。
この前まで残業に身体を酷使する中で、『時は金なり』と何度も呟いたあのノイローゼ寸前の日々を思うと、こんなマッサージに1日の大半を使っていいのかという気になる。
そもそも15歳というまだピチピチの女の子。そんな存在にこれほどの手入れは必要だろうか?
確かに私が20歳だった頃でさえ、化粧水どころか石鹸で顔を洗いっぱなしだったから、友達に手入れしなさすぎと怒られたりしていたけど。
前世と今が極端すぎるんだ。
ちょうど中頃のよい塩梅にならないものか。
「……退屈……」
と呟くと、まだ相変わらず、メイドの人がゾロっと集まって、あれこれ提案してくる。
「ティータイムになさっては?良い茶葉が入りましたよ」
「バラ園を散策などはどうでしょう。珍しい種類のバラがちょうど見頃でございますよ」
「道化師をお呼びいたしましょうか」
「ーーーーはぁ」
毎日毎日毎日。同じこと。
繰り返し繰り返し繰り返し。
こうつまらない毎日だと、確かにメイドをおちょくってやろうって気になってきて、それがイジメに繋がったリーネの気持ちもわからなくはない。流石に彼らの命まで奪う気にはなれないけど。
「……外に行きたい」
ずっと溜め込んでいた気持ちを口に出す。
リーネとして目覚めてから、ちょっと外に興味が出て、外に行きたいって軽い気持ちで言ったら、激しく皆に止められた。
公爵令嬢はそう簡単に外に出れるものではないし、女神か天使のような姿の私は、外に出たら一瞬で誘拐されてしまうんだと。
リーネは小さい頃に3回外出して、3回連続で誘拐されそうになったらしく、それからというもの、私は絶対に外出禁止になってるらしい。
ーーーーこれって軟禁じゃないの?
そもそも、公爵家なのに3回も連続で誘拐されそうになる警備の甘さが問題であって、私のせいじゃないのではないのかしら。
リーネの小さい頃の記憶はあまり頭に入ってこなかったけれど、これでは誰でもストレスが溜まりすぎるのではなかろうか。
今日も 私が外に出たいというと、案の定、メイド達が必死な顔をして私を止めにきた。
「い、いけません。リーネ様」
「けっして、けっしてそれだけはっ」
ザワザワザワザワ。
ーーーあぁもうウンザリ。
広い公爵邸といえど、私がいる場所は自分の部屋か、屋敷内の図書館、食堂、庭園のみ。
外から呼ぶ道化師といっても、元いた世界のものすごいテクニックをもった人達のようでなく、ちょっとジャグリングができる人だけ。
ここの世界では私の望むような芸は見せて貰えないのだ。
前の世界が、ネットで世界中の神技を簡単に見れていただけに、それとつい比べてしまい見劣ってしまう。いや、すごいはすごいんだけど、さっき勧められた道化師、呼ばれるの何回目よ?他にいないの?
よく考えれば、前の世界って、私は一般人だったけど、食べ物は種類も多くて普通に何でも美味しかったし、娯楽は沢山あったし、どこにでも歩いて行くことができた。
ここで贅沢三昧の公爵令嬢より、あの頃の方がずっと幸せだったのかもしれないとまで思う。
悪いことって記憶から忘れられて、良い思い出だけが頭に残りやすいんだよね……。
ストレス抱えながらも、たまには仕事の充実感を感じれていたあの日々がすでに懐かしく思える。
ーーーーだけど。
だけどね。
私はこの前、とうとう気付いてしまったのだ。
私は内心、ほくそ笑む。
実は少し前、公爵邸に品物屋が来た時のこと。その荷物の中にちょっとしたものを見つけた。
私はちらり、と自分の枕の下に隠した袋を見る。
中には、2本の棒と、地味な色の毛糸が数個入っていた。それは品物屋から買ったものだった。
この雪が降ろうかと寒くなった季節。
毛糸は必需品。
私は品物屋と2人きりにしてもらい、黙秘も含めて大金を渡してそれを手に入れた。
私が小さい頃誘拐された理由は、多分、明らかに目立つこの白銀の髪とスカイブルーの瞳が原因なのだ。
公爵家の人間とばれてしまう。
それならば、隠してしまえばいい。
毛糸で深めの帽子と、余ればネックウォーマーのようなものを作って、メイドが捨てた服を屋敷の洗濯場からちょろまかしてしまえば、私はただの一般人になれる。
まさか深窓の令嬢が、毛糸でニット帽やネックウォーマーなんて編めるとは誰も思わないだろう。
昼寝をするから誰も部屋に入らないでって言って、布団に長枕でもいれれば1、2時間くらいの外出なんて問題ないはずだ。
私は外出を諦めたふりして、やれやれと首を傾げた。
「わかってるわ、言ってみただけ。こんな寒い中、誰がわざわざ外にでていくものですか」
「そ、そうですよね。外はとても寒いんですよ。朝は地面が凍っていましたし」
「水なんかとても冷たくて」
「滑って転んだら、リーネ様の大切なお身体に傷が」
次々に私を止める言葉をつなぐ。
「話を聞くだけで寒くなってきたわ。何か温かいものをちょうだい」
「「「はい。承知しました」」」
バタバタと皆が温かいものを手配しにとりかかる。
そうやって、うっかり騙されているといいわ。
私は近々、外に出る。
そしてーーー。
この前、品物屋と談笑していたら、調子にのった品物屋が世間の話を沢山聞かせてくれた。
この寒い季節。温かい屋台の食べ物は飛ぶように売れるらしい。
寒いので雪が降ると、物資の調達が困難になるから店が閉まることもあるが、それ以外は店をだしているのだと。
屋台は色んなものがあり、その細やかな内容も聞かせてくれた。その中で、私の心をぐっと掴んで離さないものがあった。
『焼鳥』だ。
寒い中ホクホクしながら食べる、あの焼鳥。
家の中で食べるのとはまた違う、あの特別感。
外の景色が、焼鳥を何倍もの美味しさに変えてくれる、奇跡の調味料。
頭に浮かべただけでヨダレがでそう。
ずっとジャンクなものが食べたくて仕方なかったのだ。無い物ねだりかもしれないけど、もう、ソースの味を変えただけの高級な肉料理には飽きたのだ。
焼鳥食べたい。イカ焼き食べたい。たこ焼き食べたい。焼きとうもろこし食べたい!
しかし公爵令嬢という立場が私の邪魔をしていた。家もでれないし、ジャンクなものは公爵令嬢に相応しくないと。
毒味をしないものは口にも入れられないなんて。こんな不自由。耐えられない。
でも私は諦めない。だって、私は頑固で諦めが悪くて有名な、悪役令嬢。
食べてやるのだ。ーーー焼き鳥を、これでもかというほどに。
決行は、少し先に予定されている、父である公爵が皇帝から呼び出されている日。
朝から準備にバタつくはず。そこを狙うのだ。
それまでは夜なべして、毛糸を編み続ける作業。こんな地味な作業が、こんなに心踊って楽しいなんて。
絶対に。
食べて食べて食べて。
食べまくってやるんだからね!




