ジルサイド ~過去の懺悔④
「まるで薔薇のようですね」
学園の女子寮の花壇の前で、俺はスミレに話しかけた。本当はスミレに関わるつもりもなかったのに。
ついスミレがーーー寂しそうに見えたから。
※※※※※※※※※※※※※※
ことの始まりは、剣技会だった。
毎年、リンドウ帝国周辺の友好国の交流として、各国の学生が集まっての剣の大会が開かれている。だが、最近のリンドウ帝国はそれどころではなく、今年はリンドウ帝国で開催予定の剣技会は中止になったはずだった。
だが皇帝が急遽、開催を決定したために学園も王宮も、短期間で各国の要人を招待し、大会の準備をしなければならなくなった。
剣技会の開催には人手も金も、想像をはるかに越えるほど必要になる。だがそれは国を動かす人間ならばわかることだった。今のリンドウ帝国に、それらを捻出する余裕はどこにもない。指示した皇帝の真意は何なのか、誰もわからなかった。
皇帝は人が変わってしまったようだった。
それには少し心当たりがあったが、なぜ皇帝なのか、というのが不思議でもあった。
『君の近い人間が、違う人になるだろう』
神の言葉が思い出される。
皇帝は王族のわりには平凡で、大人しい人だった。そのため、好き勝手にしたい臣下に、大切な決断を委ねてしまうところがあり、それを諌めることもできなかった。
だが、優しく穏やかな人だった。
才能はあるが奇人とも言われる父よりもずっと人間らしく、同じ王族の血が流れるため、皇帝は俺をとても可愛がってくれた。そういう意味では父より『父』らしい人なのかもしれない。
その皇帝が、派手を好み、リンドウ帝国に敵対する国を容赦なく攻めこんでいくような人間になった。
その皇帝が剣技会を開く。
それだけで、嫌な胸騒ぎがした。何か企んでいるのだろうとは思っていたが、まさか、剣技会の行われるスタジアムに、巨大なモンスターが現れるとは思いもしなかった。そのモンスターが、伝説級の最強モンスターであるマイリントアであることも。
スタジアムの会場は阿鼻叫喚という言葉が当てはまる、凄惨な状態になった。パニックが起こり、俺も生徒会長としてその場を収めることに尽力するしかなかった。
できれば自分もすぐにリーネ達と一緒にモンスターと戦いたかったが、各国の要人達もいる中で、皆が戦いに行くと守りが弱くなってしまう。
魔法ならば攻撃魔法もケリー先生の方が上であり、騎士団団長として、知識人として、モンスターにも詳しいケリー先生にリーネ達を任せるしかなかった。
モンスターは強かった。特にマイリントアの攻撃は一瞬にしてスタジアムを半壊にしてしまい、そこにいた殆どの人が死を覚悟しただろう。
それを救ったのが、我が妹、リーネだった。
闇魔法。
それがとんでもない威力なのはわかっていたが、リーネの発した黒魔法によって、山のように大きかったマイリントアが、小さな黒い玉に吸収されてしまった。
それを、そこにいた全ての人が見ていた。
女神のように美しいリーネが、地獄の使者とも呼ばれるモンスターを倒し、多くの命を救ったのだ。
リーネは、救世主として讃えられた。
リーネのための祭りやパーティーまで開かれ、多くの人がリーネに感謝し心奪われた。
そしてスミレは、聖女として同じスタジアムで戦いながらも、何もできなかった。モンスターを倒すことも。
マイリントアを倒したリーネが魔力を使い果たして気を失い、それをアラン皇子がリーネを愛しそうに両手で抱えて会場から出た時も。
ーーー悔しそうに見ているだけだった。
スミレは、修行をしなさすぎた。
本来のスミレの身体の持ち主である彼女は、入学してからずっと、死に物狂いで修行に励んでいた。時間があればダンジョンに挑んだり、騎士団で訓練したり。
努力を決して惜しまなかった。
だが、スミレはなぜか、座学は頑張っても実技は全く練習しなかった。魔法は実践が一番大切だ。知識も必要ではあるが、知識だけでは魔法は使えない。
スタジアムで活躍できなかったスミレは、聖女だというのに、明らかにかやの外だった。
俺は、そんなスミレの状況の報告を受けて、このままではいけないと思った。そして教会に連れていくことを思い付いた。
1つは、スミレの身を守るためでもある。過去に戻る前、教会は特に何の問題も起こすことなく、良くも悪くもない立場だった。教会なら、王族の内部争いに巻き込まれることもないだろう。
そしてもう1つは、修行が嫌いなのだと思われるスミレをどうにか訓練するために、必要なことだった。
大魔王は、スミレが2年生の冬にやってくる。スミレに力をつけてもらわなければ、この国どころか世界が終わってしまう。
俺はすぐに行動に移した。
リンドウ帝国最大の大聖堂。そこのロールド教皇と話をするためにそこまで足を運んだ。俺が誰かばれないように仮面をつけ、王族の血である金髪が見えないようにシルクハットを深く被った。それに合わせたスーツを着てロールド教皇に交渉に行く。
教会が、聖女を欲しがっていたことは知っていた。聖女は祈りの効果も大きい上、聖女が教会にいるというだけで教会の権威が増す。
聖女はそれほどに偉大であり、強大な力を有していた。
ロールド教皇には、一年半の間、スミレを隠してくれないかという相談を持ちかけた。莫大な寄付金を提示して。
1年半の間、聖女が教会側にいるということを世間に示すことはできなくなるが、祈りは他の誰より届く上、もしスミレが教会を気に入れば、1年半後もスミレの意志で教会に残るかもしれない。学園にいて聖女と関わる機会のない教会へのチャンス。そう、ロールドに話すと、ロールドは快諾してくれた。
ただし、大聖堂の中には、俺が入らないようにという約束をさせられた。
理由を話さないことを怪しく思ったが、今のスミレを守り、育てるには教会が一番だ。
俺は自分の何かの危険信号を封鎖して、スミレを教会に隠すことを決めた。
この先にある未来を知っているがために、しっかりと真実が見れていなかったのかもしれない。
スミレに会わないようにしていた俺は、どうやってスミレを教会に連れていくか考えていた時。
女子寮に戻っていくスミレを見かけた。
一人で祭りに行っていたらしいスミレは、とても寂しそうな顔をしていた。
あの表情は、見たことがあった。
一人で部屋に閉じ込められていたリーネのそれ。あるいは、アラン皇子に執着しているのに相手をしてもらえない時の、リーネのその顔に似ていた。
あれは孤独。
俺の愛した彼女と同じ姿をしたスミレが、そんな顔をしてトボトボと歩く姿は、見ていられなかった。
たまたま、俺は変装をしている。それが決定打になって、ついーーー気付くと俺は、そんなスミレに話しかけていた。
薔薇の花壇の横にいるピンクの髪のスミレが、あの頃の彼女のように見えたのもーーー理由の1つだったのだろうか。
「まるで薔薇のようですね」
俺が言った言葉に、スミレは飛び上がって驚いてみせた。そこまで驚かすつもりはなかったから、少し笑って俺はスミレに謝る。
「あなた、誰?」
俺が誰か尋ねたスミレに、俺は正体は隠したまま、スミレの説得に使えるかもしれないと事前に購入していたピンクの薔薇の花束を収納魔法から出して、スミレに渡した。
スミレが教会にいくことがバレたら、すぐに聖女を取り返そうとする人間も現れるだろう。公爵家がそうであるように、間者はどこにいるかわかったものではない。
俺は、教会の名は出さず、スミレに会いたいという人がいると誘った。スミレに必要なものを提供してくれる人なのだと説明して。
だがスミレは怪しんでしまい、断られてしまった。
断られるのは困る。スミレには必要なことなのだから。
俺は、スミレが俺を信頼してくれるまで、毎日スミレに会いに来ることを伝えた。
俺はスミレとは会わないはずだった。だが、一度関わってしまうと、寂しそうな目をしたスミレが気になって、放置できなくなってしまった。
スミレは、きっと精神がまだ幼いだけなのだ。
俺がなぜ過去に戻ることを決めたかも思い出した。
彼女を守りたかったからだ。
死なせたくなかったからだ。
なぜそれを今まで、忘れてしまっていたのだろう。
目の前に、彼女の身体はあるというのに。
精神体は違っても、俺は、この人を守るのが自分の運命だというのに。
※※※※※※※※※※※※※※※※
俺は、毎日誰かに会いに行くことに対して、何の苦も感じなかった。
幼い頃から、部屋で閉じ籠るリーネに毎日会いに行き、学園では彼女とのデートで毎晩彼女のところを訪れていた。
彼女が好きだった花を毎日、自分の部屋に飾っている。その花は自分で手入れする。毎日行うとそれが習慣になる。
だからスミレに毎日会いに行くことも、俺にはむしろ日常のことのようで、辛いことではなかった。
初めは警戒していたスミレも、少しずつ、少しずつ俺に心を開いてくれた。仮面を被り、名前も明かさない俺を、スミレは『薔薇の人』と呼んだ。
俺が彼女にしていたように、スミレにも毎日1本のピンクの薔薇の花を渡しているからだろう。
そして毎日スミレと話をしていると、俺は、スミレを彼女のように恋い焦がれるような気持ちにはならなかったが、まるでもう一人、寂しがり屋の妹ができたようで、可愛く思えてきていた。
同じ寂しがり屋でも、以前のリーネのようにツンケンすることはなく、少し意地っ張りなだけで、自分に素直な少女だった。
俺がスミレの話を聞いて、少し足りないように思うことを別の形で言い回すと、自分で自分の悪いところに気付いてくれることも多く見られ出した。
懐くと可愛い生徒のようでもある。
俺がスミレを微笑ましく見ていると、時々、スミレは顔をほのかに赤く染めるようになっていた。
目の前にいるのは彼女の身体だ。その身体が俺に対して好意を示してくれているのが、とても嬉しくて。
こういう関係も、悪くはないかと思い始めていた頃のことだった。
スミレが教会に行くことを了解してくれた。それからも毎日会いに来ることをスミレに伝える。ロールドとの約束があるので、こっそりと短時間だけ夕方にスミレの部屋のベランダで会うだけになってしまったが。
それでも、スミレとの時間は悪くないものだった。
スミレが、本当は魔法の修行でもある『祈り』の効力に気付き、楽しさを覚えだしているのを見ると、こちらも嬉しくなった。本当に可愛い弟子だった。
そしてある日。
スミレが、ロールドから触られたらしい。
初めは何をと激怒しそうだったが、ただ肩を触られただけようだ。スミレはそれでも不快に感じたと俺に話した。そしてその流れで、スミレは自分に起こった、不可思議な出来事として、そのことを俺に話した。
「ーーーロールド猊下から触られた時、なぜか私の口から、私の言葉じゃない声がでてきたの。あれは一体、何だったのかしら……?」
スミレは、ただ疑問に思っただけのようだった。
だが、俺はすぐに気付いた。その声が誰のものか。
もちろん、その身体の本来の持ち主の声だ。
俺は全身が震えるように歓喜した。
まさかと思ったが、そうとしか考えられない。
いるのか、本当は。
彼女がスミレの中に?
『1人だけ、確実に人格が変わる人を作ろう。ーーーそれは君の愛する人だ』
そう言った神の言葉。
神の言った『愛する人』は、彼女のことではないのか?
それならばーーー。
それならばもしかして。
いつの日か、彼女がこの身体の表面に戻ってくる日が来るかもしれないのか。
過去に戻って1年以上が経つが、こんなに嬉しいことは初めてだった。泣きそうなくらい幸せな夢が、そこにあるのだと。
俺は、その夢を見てもいいのだろうか。
ーーースミレではない、あの愛しい人との未来を。
考えても、いいのだろうか。
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時間が、容赦なく過ぎていった。
もう、周りから周知されるほど、あのアラン皇子と、俺の可愛い妹であるリーネは、仲良くなっていた。
彼女の時には、彼女の気持ちなど考えていないのではないかというほど強引に彼女を独占していたアラン皇子が、今のリーネには強くでることができず、もどかしそうにしているところも意外だった。
今のリーネは、どうも恋愛が苦手のようだった。
どうにかリーネの気を引こうとするアラン皇子を、リーネは友人の冗談であるようにかわす。
たまにアラン皇子の顔を見て眩暈を起こしているので、アラン皇子の顔は好みなのだろうが、リーネは意図してアラン皇子と恋愛するのを避けているようにも見えた。
あれほどアラン皇子に執着していたリーネが。
あれほどリーネを嫌悪していたアラン皇子が。
こんな関係になるとは思いもしなかった。
しかし、ふと思うことがある。
もしスミレが彼女の身体を手放し、彼女に身体が戻ってきた時。ーーーアラン皇子は、リーネと彼女、どちらを選ぶのだろうかとーーーー。
※※※※※※※※※※※※※※※※
そして、俺が過去に戻っての1年目の春。
俺は、自分が準備した義賊『ピュアカルマ』の基地の中にいた。
俺は、昔から物事をコツコツと積み上げることが好きだった。小さい頃に譲渡された寂れた土地を時間をかけて発展させた。そのお金で新しい土地を買い、栄えさせ、領地とは別に自分の土地を増やしていった。
俺は公爵家とは別に、莫大な財産を手に入れていた。父の商才を受け継いだのだろう。
そして、過去に戻った俺は、色々な準備を始めた。
その1つがこの山奥だった。
誰にも知られない基地にするため、とにかく広大な土地が必要だった。中を改造し、何千人でも入れるだけのスペースを確保する。
予想通り『ピュアカルマ』は大きくなり、今では俺の手を離れても活動は続くだろうという形にまでたどり着いた。
そして、世間はもう、王家を必要としなくなっていた。
皇帝が国を壊す勢いで戦争を行い、王家の悪事が全てアラン皇子のせいにされていた。これは俺の仕業ではない。多分、アラン皇子を皇帝にしたくない連中によるものだと予想する。
あの日、王宮でアラン皇子と彼女を殺した連中だ。
その悪評に加え、先日、王宮の北の土地に、大魔王が姿を現したという噂が広がった。その傍には、むかし極悪非道な令嬢として有名だったリーネがいたという噂も。
リーネの婚約者はアラン皇子だ。
アラン皇子の名前が地に堕ちた。勝手に暴動が起きそうなほど、王家は、アラン皇子は国民から恨まれていた。
「もうこの国は終わりだ」
誰かが言ったのを俺は聞いた。
ーーーーここが潮時か。
できるならば。
俺は、彼女の愛したこの国を残してやりたかった。
いつか王家が心を変えて。あるいは、アラン皇子を陥れようとする奴らが成敗されるのを俺は待っていた。だが、そうはならず、むしろ悪い方に働いた。
これが天意なら、それも仕方ないだろう。義賊は作ったが、俺は王家には何もしていない。だが、このままでは間違いなくリンドウ帝国は滅ぶ。
そして、大魔王が半年も早く地上に現れた。半年早く現れたことで、スミレの修行は間に合わなかった。
大魔王を倒すだけの実力が、スミレにはまだない。
大魔王は聖魔法でないと倒せない。
スミレでないとーーー。
そのスミレの修行が間に合わなかった今、もうリンドウ帝国壊滅も確定した。
それならば。せめて自分達の手で、国を壊してやろうと思った。大魔王が暴れたら、数日といわずに国の大半が死ぬだろう。
だが、王家が壊滅しただけなら違う。国が一時的に混乱するからと、暴動に巻き込まれないように国外に逃げる人がでてくるだろう。その人達は少なくとも生き延びることができる。
この王家襲撃は、被害を最小に収めるための犠牲だ。
そうして俺は、大魔王が現れる前に、王家を倒すことを決めた。
あとはーーーーーースミレだけだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※
大聖堂のスミレの部屋のベランダで。
「数日後、大魔王と公爵令嬢が勝負をするらしいのです」
俺がスミレに言うと、スミレは不思議そうな顔をしてみせた。
「大魔王ーーーですって?」
「ご存知ですか?」
俺の質問にスミレは首を振る。
その顔が人を憎む時の顔で歪んでいて、俺はつい苦笑してしまう。
相変わらずスミレはリーネが嫌いらしい。
本来のリーネと違って、今のリーネはスミレに対して悪質な嫌がらせは行っていない。それなのになぜ、スミレがリーネを嫌うのだろうか。
「ーーー随分と公爵令嬢を嫌っているんですね」
俺が言うと、スミレはわざとらしく弱い女性のふりをしてみせた。
「嫌いというわけでもないんですけど。リーネ様は、前々から評判が悪いでしょう?私からしたら、怖いっていうか。あまり近寄りたくないっていうか」
スミレは、リーネが俺の妹であることを知らない。それを知ってもまだ、その言葉が言えるだろうか。
「ーーー確かに彼女の評判は悪いですね。でも、今は昔の噂と違うようですよ。彼女は今は明るくて元気が良い。スミレも一度、しっかり話してみたらどうです?意外と気が合うかもしれませんよ」
俺の言葉を聞いて、スミレは今度は本気で辛そうな顔に変わった。わずかに唇が震えている。
悲しみか怒りか。
「ーーー薔薇の人まで、あの人は私から奪うの?なんであんな子が。……ただの悪役令嬢のくせに」
スミレは顔を覆う。
しまった、と思った。ついリーネのことでむきになって、スミレに対しての配慮にかけてしまったようだ。
「……申し訳ありません、スミレ。そういうつもりではなかったのです。私は今まで公爵令嬢をそういう目で見たことは一度もありませんし、この先も絶対にあり得ません」
あくまでリーネは可愛い妹。それ以上の感情は持ち合わせていない。一般的に、リーネをこの上なく魅力的な女の子だと思っているだけだ。
「貴女が嫌がるなら、もう貴女に公爵令嬢の話も致しません。それでよろしいでしょうか?」
俺がそういってようやく、スミレの表情が落ち着く。
「……薔薇の人が、そういうなら……」
「ありがとうございます」
ほっとして、俺は話を続けた。
「ーーーそれで、話を戻してもいいですか」
スミレの視線が俺に戻ってくる。
「大魔王がくるのは、もっと後の予定でした。この時期になるとは、私も計算しておらず……。それに、教会は安全と思って貴女をここに連れてきましたが、教皇はもういなくなり、シスターも怪しい。こうなると、貴女がここにいる理由もなくなりました」
スミレはきょとんとして、その真ん丸の瞳を更に大きくさせた。
「あの人、いつの間にいなくなったけど、どうかしたんですか?」
ロールドはーーー消滅してしまった。
リーネが言うには、大魔王を召喚するための『呪い』の生け贄になってしまったらしい。金の眼をもつシスターに企てられ、知らずに呪いの儀式を行わされた。
シスターは、大魔王にリンドウ帝国の破滅を願ったのだという。
過去に戻る前。
彼女のーーー彼女達が命がけで倒した大魔王も、もしかしたらそのようにして出現することになったのかもしれない。
大魔王が倒され、教会のトップであるロールドが死んだことにより、元々衰退していた教会の力が更に弱まった。だから教会は大人しくするしかなかった。
ーーー俺はそれを『安全』と勘違いしてしまっていたのだ。
スミレの命を守るために起こした行動が、スミレを危険に晒すことになってしまった。
充分に下調べしたはずだったので、悔しい気持ちはまだ残っている。
あのロールドも、騙されたとはいえ、笑顔の下で画策していたわけだ。
ロールドの消えた理由は、言うにはあまりに人間の醜い陰謀が隠されている。
俺は、それをスミレに言う気にはならなかった。
「スミレ。それは、貴女の知らなくていいことです」
そうとだけ言って、俺は口を閉じる。
スミレはそれ以上は俺に聞いてこなかった。
「学園に戻るのは約一年後のつもりでしたが、むしろ、こうなると学園に戻った方が安全かもしれません。あそこは強力な結界が張られている。少なくとも大魔王の被害からは免れる可能性が高い」
「学園に帰る?」
またスミレの顔が強張る。
学園は、スミレにとって、俺の想像するより辛いものなのかもしれない。
「……あんまり帰りたくない……と言ったら?」
俺に聞いてはきているが、本気で帰りたくないのだろう。教会に連れてきたのは失敗だったが、スミレがここにいることで少しは心が落ち着けていたのならば、良かったのだと思える。
しかし、この先は危ない。大魔王の攻撃を回避できる防御魔法をかけるには、ケリー先生が必要になる。俺も魔法は得意な方だが、どちらかというと攻撃寄りで、学園を防御している魔法を使う力はない。
学園に帰りたくないスミレと、教会に残したくない俺。スミレの身体は彼女の身体であり、スミレの気持ちだけを優先するわけにはいかなかった。
スミレの身体を、命を守るためだけに、俺は過去に戻ってきたのだ。
俺がどうするべきか考えていると、ふと、第3の案が頭を過った。
全てを捨てることにはなるが、命を守るという意味では、これが一番安全な策なのかもしれなかった。
ーーーこの国は、遠くない未来、崩壊してしまうのだから。
安全な学園にいたとしても、ずっと学園にいるわけにはいかない。壊れてしまった国は、落ち着くまで危険になるだろう。
特にスミレは聖女だ。どんな人間に狙われることになるか、わかったものではなかった。
「ーーー私と、この国を出ますか?」
真面目な顔の俺に、スミレは顔をあげる。
「国……ですか?」
俺は頷いた。
「大魔王は、多分、この国を破壊し尽くすでしょう。そうなると国全体が混乱に陥るので逃げることが難しくなる。それより先に、逃げてしまいますか?他の国に行くということは苦労もあるでしょうが、この国にいるよりは安全でしょう」
スミレはおずおずと俺に尋ねる。
「薔薇の人も一緒にーーーですか?」
にこりと俺は微笑んだ。
「もちろんです。見知らぬ土地に、貴女を1人になどしない」
スミレの顔がみるみる紅潮し、嬉しそうに顔を緩ませた。言いにくそうにした唇に力を入れ、勇気を出したように、やや強い口調で俺に尋ねた。
「ーーーそれは、あなたが私のことを好きだとーーーそう言うことですか?」
身体がしばらく固まった。スミレの顔を見たまま動けない。
スミレが好きかと問われると……。
自分で自分に聞き返す。
俺はスミレが好きなのだろうか?
可愛いとは思う。妹のようで、弟子のようで。
でも、スミレのいう『好き』は、その意味ではない。
スミレは俺が返事をしないことに焦り始め、すがるように俺を見上げた。
「……わ、私は、あなたが好きです。だからーーー」
だから、俺もスミレを好きになれと?
俺が好きなのはたった1人。彼女だけなのに。
「ーーー申し訳ありません」
俺は目を伏せた。やはり、いくら彼女の身体とはいえ、スミレを受け入れたら、彼女への気持ちが嘘になりそうで、受け入れることはできなかった。
スミレの中に彼女がいるかもしれない。
その彼女の前で、憑依者のスミレと恋愛を?
ーーーーできるはずがない。
「貴女のことを想う気持ちは充分にあります。貴女の気持ちもとても嬉しい。ですが、理由があって、その気持ちを私は受け取ることができないのです」
スミレが弾くように声をあげた。
「じゃあなぜっ!!!」
その金切り声は辺りに響く。
真珠のような涙が、ボロボロとスミレの瞳からこぼれ落ちた。泣かせるつもりではなかった。だが受け入れることもできず、俺は慌ててスミレへの言葉を探る。
「気持ちに添えることはできませんが、でもーーー」
スミレの手を、両手で強く握った。
「私の人生は貴女のためのものです。貴女を守るためだけに、私は生きている」
スミレの中にいる彼女のために。
彼女の身体を動かす貴女を守ることが、俺の運命。
そのために俺はここにいる。
その心に嘘はない。
スミレは泣きながらも呆然として、俺の瞳をじっと見つめていた。
スミレの頬が小さく痙攣し顎が震える。
小さく。スミレが呟いた。
「どうしたら……」
スミレの顔から、何かが抜け落ちたような表情をしていた。
「どうしたら、薔薇の人はその人に会えるの?」
俺は突然のスミレの言葉に驚かされる。
「ーーー、スミレ、何を」
スミレの手を両手で握ったまま戸惑う。スミレは一体、何を察知したというのか。
俺が過去に戻ったことなど知らないスミレが。
「私の中に、聖女がいるんでしょう?どうやったら、薔薇の人は聖女に会うことができるの」
今度こそ俺は驚き、口を開閉させてしまう。
なぜ知っているのだ。
スミレはぐっと歯を噛み締めた。
「ーーー私が死ねばいいの?」
死ぬ?なぜそこに思考が飛ぶ。
死んだら意味がない。
スミレが死んだら、もう彼女は戻ってこれない。
「私が死んだら、その人は私の中から出てきて……」
「死ぬなんて言わないでくれ!!!」
俺は叫んだ。
それ以上言われたら、無理やりその口を塞いでしまいそうだった。
今でも。あれから1年経った今でも、俺の記憶の、目の前で死んだ彼女の姿が離れない。
目の前で血を流している彼女。
せめて傍にいれるだけで良いと思っていた彼女の息が、体温が、どうすることもできずに失われていく。
ーーーあんな地獄。
「もう、貴女の死ぬ姿は、二度と見たくないんだ。お願いだから死ぬなんて、絶対に言わないでくれ」
叫ぶ声が震えた。
膝の力が抜け、スミレのの前に跪く。それでもスミレの手を握り続け、フワフワのピンクの髪のスミレを下から見上げた。
愛しいあの人の姿が俺の手の中にあるのに。
守らなければならない身体が。
「ーーースミレ。この国は滅ぶだろう。だが貴女を死なせるわけにはいかない。それだけは貴女にもわかって欲しい。ーーーどうかーーー」
俺は懇願する。
スミレが死んでどうにかなるわけではない。彼女の精神がスミレより勝った時に、彼女は戻ってくるのだ。戻らないと思っていたが、一度でも声が出たのなら、可能性はゼロではない。
スミレの行動で、彼女が戻る身体がなくなったらどうする。
そんな俺にスミレは眉を寄せ、俺の手を強く振りほどいた。
「ーーーそれは『私』のためじゃないでしょう?」
言われて、俺はそのことに気づいた。
俺はずっと、スミレではなく彼女のことしか考えずにスミレに自分の希望を押し付けていたのだ。
スミレの気持ちも受け止めれないくせに。
スミレに失礼なことをした。
スミレのことも、妹のように可愛く思っている。傷つけるつもりはなかった。
俺は動揺して、スミレから手を振りほどかれた時に、シルクハットがずれて、俺の金色の髪がわずかに出てきてしまっていることに気付かなかった。
スミレは、そんな俺の髪を見て、違和感を覚えたようだ。
スミレは手を伸ばし、俺の目を隠している仮面に手をかけた。俺は、その手を否定することができなかった。
ここまで強くスミレに無茶なことを言い続けて、自分だけ都合よく正体を隠すなど、できるはずもない。
俺は黙って、そのスミレの仮面を外す動きを見ていた。仮面が外れ素顔が顕になった俺に、スミレは驚いて後退りしてみせる。
「……貴方は」
スミレは足がもつれて、床に尻餅をついた。
「ーーーーそんな……」
俺は、気が動転しているスミレの心につけこんで、数日だけ待ってもらうように約束をした。
死んではいけないことを念押しして。
やり残したことが1つだけある。それが終わったら、今度こそ、スミレのためにーーー彼女のためだけにこの俺の人生全てを捧げようと心に決めて。
ーーーそして俺は、王家を終わらせるために、『ピュアカルマ』の基地に1人で向かった。




