ジルサイド~過去の懺悔 ③
「なぜ勝手に外出などしたんだ。それがどれだけ危険なことか、わかっているのか」
公爵邸の食堂に、俺の声が響き渡った。
俺はあまり人に怒るタイプではない。
だが、今回ばかりは怒らなければならないと思った。リーネに憑依している女が、リーネの魅力を理解していないからだ。いや、憑依した自分自身の魅力も気づいていないに違いない。
リーネは、この冬の寒い中、馬とはいえ農耕用の、しかも出来の悪い方の馬に乗って街にでかけていた。
更に耳を疑ったのは、あまりの危険さゆえ一般の女性でさえ一人では訪れないという換金所とギルドの統合した施設に、リーネ一人で行ったということだった。
リーネなりに変装していたようだが、醸し出す気品と美貌は隠せはしない。
その上、父がリーネのために贈った桁違いの高価な宝石を換金しようとしたらしい。あの宝石を換金しようとしたら、ギルドの全ての硬貨がなくなるだろう。
あまりに無謀すぎる。
リーネの中に入った人間も、リーネと同様に賢い人だと思っていたのに、どうやら色んなところが欠如しているようだ。本来のリーネは道徳心が欠けていたのに対し、今のリーネは危機管理能力が足りないようだ。あと、この世界の知識が著しく足りていない。
この世界の住人であるリーネの記憶を引き継いではいても、元のリーネが部屋から一歩も出れない子だったので、一般常識がないのは仕方ないといえば仕方ないのだが。
俺の口が酸っぱくなるまで説教して、ようやく今のリーネは落ち込んでみせた。やっと理解してくれたかと、ほっとしたのも束の間、リーネを不憫に思ったらしいカトリーヌから、ホットティーとデザートが運ばれてきた。
リーネは目を輝かせてそれを見つめる。
目の前でコポコポと熱い湯気を立ててカップに注がれるティーを、嬉しそうに眺めていた。
「いい香り……」
ちゃんと上品な仕草でティーカップを持ち上げ、リーネはお茶の香りを楽しむ。
一口飲んで、ほぅっと息をついた。
そして出されたケーキを一口フォークを使って食べる。食べた瞬間、リーネの頬が紅潮した。
「美味しいっ!このほどよい甘さのクリームが最高ですわね。素晴らしいわ」
満面の笑みでリーネが言うと、カトリーヌは微笑ましそうにリーネに目を細める。
俺は困ったようにカトリーヌに言った。
「カトリーヌ。あまりリーネを甘やかさないでくれないか。折角頑張って怒ったのに、これじゃあ台無しだ」
カトリーヌは優しく笑った。
「まぁ。そう言いながらジル様も、リーネ様が可愛くて仕方ないという顔をされていましてよ。お互い様ですわ」
「………」
否定できなくて黙るしかない。
1ヶ月前。リーネが真逆の人間に変わってからというもの、公爵邸全体の雰囲気も変わった気がしていた。
あれほどリーネを怖がり、大金を支払ってもリーネの従者にはなりたくないという人達ばかりだったのに、最近はむしろ、リーネの侍女になりたいという人間が殺到し、それを断るのに手がかかるくらいになってしまった。
今のリーネは、見た目の美貌もさることながら、とにかく性格が可愛い女の子だった。小さな事でも屈託なく笑い、感情豊かで表情がコロコロと変わる。美味しいものが大好きで、美味しいものを食べると至上の幸せという顔をしてみせた。
その顔見たさに、リーネに差し入れする人が増え、リーネが太ってはいけないと、父である公爵様が差し入れ禁止令を出したくらいだ。
カトリーヌは、それを俺の前で堂々と破っているが。
はぁ、と俺はため息をついた。
「しかし、まさか公爵領のギルドにアランが来るとはな……」
俺はちらりとリーネを見る。まだケーキを美味しそうに食べているリーネは、アラン皇子を見てどう思ったのだろうか。
元々のリーネは、殆どアラン皇子と関わっていないくせにアラン皇子に執着していた。
確かにアラン皇子の美貌は男でも見惚れるくらいだし、高身長で身体の造りもバランスよく筋肉がついている。時々自信家ではあるが、性格も悪くはない。
だが。
俺は、許すことはできない。
彼女がアラン皇子を選んだことは仕方がない。それでも、異常な虐めを繰り返したとして、婚約者であるリーネを見捨て、卒業パーティーに出席する皆の前でリーネを断罪した。そしてリーネが仕組んだ毒とはいえ、その毒をリーネが飲むように促したことも。
あの王宮が襲撃された日、アラン皇子の傍にいなければ、彼女も死ななかった。
彼女をアラン皇子に近づけるわけにはいかない。
リーネも、アラン皇子の婚約者のままではいつ殺されるかわからない。
アラン皇子との婚約は、いずれ公爵家側から破棄させてもらわなければ。もうリーネを傷つけることは、絶対に許さない。
俺は、自分の拳を強く握りしめる。
急に耳に言葉が浮かんで聞こえた。
『この世の全ては必然であり、運命である』
少年の姿をした神の言葉を思い出す。
その言葉に頭に、俺はもう一度リーネを視界にいれた。
元のリーネは、学園に入るまで一度もアラン皇子と会うことはなかった。学園に入ってからも殆どアラン皇子と話したことはないだろう。それなのに、学園に入学する前の今のリーネが、滅多にない外出をした時に、たまたまアラン皇子に会う。
ーーーそんなことが、起こり得るものなのだろうか。
『この世にたまたまなどない』
また神の声が聞こえた気がした。
……苦しい。
俺は自分の金色の髪を、ぐしゃりと掴んだ。
まだこんなにも、アラン皇子の事を考えるだけで息ができないほど苦しい。
いつか許したい気持ちと、絶対に許せない気持ちと。
ーーーーこの問題が、解決する日はくるのだろうか。
※※※※※※※※※※※※※※
しばらくして、アラン皇子からリーネに対して、デートの誘いの連絡が来た。その挨拶のために、アラン皇子が屋敷まで足を運ぶらしい。
その話を聞いて、俺はまず自分の耳を疑った。
アラン皇子が、この公爵邸に来るだと?
過去に戻る前に、アラン皇子がリーネに会いにきたことは一度もなかった。公爵である父への挨拶などする気配もなかった。
デートの誘いに至っては遠い夢のまた夢。
決して、決してあり得るはずがないとーーー。
それほどリーネは、アラン皇子に嫌われていた。俺はリーネが学園に入るまでは何度もアラン皇子に、一度はリーネに会いに来ないかと誘ってみたけれど、リーネが学園に入ってからの、アラン皇子のリーネへの態度を見ると、その意欲も失せた。むしろ誘うことの方が、かえってリーネに申し訳ないのではないかと思うほどに、アラン皇子はリーネを忌み嫌っていた。
学園に入ってからの、リーネのアラン皇子への異常なまでの執着と、聖女である彼女への悪質な嫌がらせが原因ではある。だが、それより前から、アラン皇子はリーネを毛嫌いしていた。公爵家が隠しても、被害に遭った人達の実体験からくる噂は、隠すことはできなかったのだろう。
本来のリーネは死ぬまで、アラン皇子から優しい言葉をかけてもらったことがないはずだ。
そのリーネを、アラン皇子がデートに誘う?
あり得なかった。
ただでさえプライドの高いアラン皇子だ。
ここまで徹底的にリーネに挨拶をしにきていないのだから、公爵家に足を踏み入れること自体に抵抗があるはず。公爵家の人間とはいえ、最高位である王族の婚約者に一度も顔を出さない令嬢。そんな人間に、わざわざ自分から折れて挨拶にいくわけはないだろうとーーー。
アラン皇子は考えていたはずだ。
そんなものを全て曲げてまで、アラン皇子がリーネに会いに来る?しかも買い物デートだと?
あの日、リーネは変装していたと聞いた。布切れ程度でリーネの美しさは隠しきれないかもしれないが、それでも……。
考えれば考えるほど理解できず、それに比例して、アラン皇子への黒い感情がじわじわ、じわじわと沸き上がってきた。
身体の中にいる人間が変わっただけで、こうも変わるものなのか。それならば、本来のリーネの気持ちはどうする。
ただリーネは、アラン皇子が好きだっただけではないか。アラン皇子が少しでもリーネに優しくしていたら、あんなに嫉妬に狂って他人に危害を与えることもなかったかもしれない。
アラン皇子さえ……。
アラン皇子さえちゃんと、リーネを婚約者として認めていれば、全ては丸く収まったかもしれないのに。
「ーーーー今さら、どの面下げてーーー」
アラン皇子への憎悪が身体に広がっていく。
リーネとアラン皇子のデート当日も、俺は納得できないまま、その日を迎えた。
「アラン殿下。ようこそおいで下さいました」
公爵家の家臣揃って、アラン皇子を出迎える。
俺は素直に歓迎することができず、みんなの奥の方でアラン皇子を見ていた。
会いたくもなかったが、アラン皇子が、どんな意図をもってリーネを誘ったのかも知りたかった。
アラン皇子は、リーネに出迎えられた。
初めてリーネの素顔をしっかりと見たのであろうアラン皇子は、はじめ、顔のパーツがバラついたのかと思うほど顔を崩して驚いていた。
リーネがこれほどまで美しいとは思ってもいなかったのだろう。
当たり前だ。リーネは世界で一番美しい宝石だ。
その宝石が、笑顔という装飾で飾っているのだ。感動しないはずがない。
それでもアラン皇子は、どうにか持ちこたえ、リーネから目を反らすことで自分を保っていた。
つい、苦笑してしまう。
あんなアラン皇子の姿。過去に戻る前まででも、見たことがなかった。彼女のことを含めても。
そんな顔を、リーネに対してすることがあったとは。
出ていくつもりはなかったが、俺は足を踏み出し、アラン皇子に近づいた。
「アラン殿下。今来たのか」
俺は精一杯の笑顔を作ったつもりだったが、アラン皇子への暗い感情が漏れていたのかもしれない。
アラン皇子は無意識に警戒して、身構えた。
「……ジル。わざわざお前が出迎えてくれるとは」
アラン皇子も、最近の俺の変化に気がついているようだ。前は会う度に談笑するような仲だったが、最近は顔も合わせていない。会ったら胸ぐらを掴みそうになるからだ。
そんな男を、快く出迎えるはずがない。
「出迎えなど。俺は、今までどんなに誘っても全く来なかった可愛い妹の婚約者が、今さらどんな顔をしてこの屋敷に入ってくるのか、見にきただけだ」
俺がそう言うと、アラン皇子はリーネと少し視線を交わした後、俺に対抗するように笑った。
「礼儀を尽くす未来の義弟に対してその態度は、問題があると思うが。ジルお兄様」
言われた瞬間、俺に雷が落ちたかと思うほどーーーーーーショックだった。
まさかアラン皇子からお義兄様と呼ばれる日がくるとは。
あのアランだ。
リーネを死に追い込み、聖女である彼女を奪われ、そして彼女が死ななければならなくなった元凶。
そんな男が、俺のことを『お義兄様』だと。
怒りで我を忘れそうになった。
それをリーネは察したのだろう。アラン皇子を引っ張り、執事も巻き込んでその場から離れていった。
……助かったと思った。
取り返しのつかないことにならなくて良かった。
先日、父とは冗談まじりでアラン皇子のことを貶していたが、実際会うと、ーーーリーネの結婚相手になるということが真実味を帯びると、ここまで腹が立つものなのか。
今のは違う。
今のはただ、俺の言葉に対抗しただけだ。
リーネに会いに来たのも、ただの気まぐれ。ただの好奇心でリーネを見にきただけのこと。
アラン皇子はスミレを好きになる。
それによってリーネはアラン皇子に婚約破棄される。
ーーー俺の義弟になることなどーーーない。
俺は自分に言い続け、心を落ち着かせた。
今の俺には、冗談でも、アラン皇子がリーネと結婚することなど、考えたくもなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※
アラン皇子は、あの後、リーネをつれて王都まで買い物に行ったが、結局、リーネの美貌を隠すことに奮闘しただけでデートを終えてしまったようだ。
完璧皇子と呼ばれるアラン皇子がリーネに振り回されていることを考えると、少し溜飲が下がる。
それにしても、リーネが『ピュアカルマ』の人間と接触したことにも驚かされた。
『ピュアカルマ』は、過去から戻った俺が、一番始めに動いたことだった。
あの日、王宮で起こったことを思い出す。
アラン皇子の部屋を襲ったやつらは、レジスタンスの連中かと思っていた。だが、その頃のレジスタンスはまだ活発ではなかった上、強くもなかった。それもそのはず、皇帝は平凡な方ではあるが、優しく穏やかな人だ。
危険を冒してまで皇帝を倒そうとする必要がない。
もしいたとして、ただの少数の反乱軍が、王宮の奥までたどり着けるものか。
しかも、近衛騎士として守っていた俺がいて、外部からの侵入に気がつかないはずがなかった。
ーーーあれは『内部』の人間の仕業だった。
彼女は。
ただの後継者争いに巻き込まれただけだったのだ。
アラン皇子が死んで、王族の血を引く俺もいない。
残った連中は、己のことしか考えない愚か者ばかりだ。アラン皇子が倒れた段階で、もうリンドウ帝国は終わったようなものだった。あの世界がまだ残っていたとしても、ろくな世界にはならないだろう。
だから、俺は『ピュアカルマ』を作った。
『清純なる宿命』という名の運命をレジスタンスに与えた。
ーーー彼女への、弔いを込めて。
アラン皇子が、それまでにあいつらをどうにかできればそれでいい。できなければ、国が建て直せない状態になる前に王家を倒そう。彼女がやつらの手にかかる前に、争いの種を潰してしまうのだ。
ーーーそう思って作った『ピュアカルマ』に、リーネが接触していた。俺が悪事を働く貴族を見つけ、彼らに倒してもらう。そうやって活躍していけば、次第に大きくなっていく。
人身売買などを闇で行って金儲けをしていた『ヤナンデデル』の屋敷を襲うように指示したのも俺だった。
なぜかそれがリーネに伝わるというミスが起こった。
何故そんなことになるのか全く意味がわからないが。
それをリーネが、レジスタンスだと見破りアラン皇子に報告した。ヤナンデデルのやつらは、罪を暴かれ処刑されたため、結果オーライではあるが。
わずかなヒントから、彼らがレジスタンスだと見破ったリーネの推理力は素晴らしい。たまにトンチンカンなことをしでかすが、やはりリーネは賢い子なのだろう。
リーネと話をしていて、レジスタンスのトップが誰かという話題になり、『ジルお兄様』という言葉が出た時には、冷汗が止まらなかった。
リーネといえば、もう一つ驚くことがあった。
リーネにおねだりされて、ギルドの登録と、公爵領のダンジョンに一緒に行くことになった。
リーネは小さい頃、魔力を測定して『魔力0』の判定をくだされた。それゆえ、皇后陛下になるための教育の中の項目の『魔法の練習』が、外されることになった。リーネは魔法の能力がなく、練習もしていない。
魔法学園のダンジョンの課題では、魔法が使えることが必須だ。リーネは剣技は磨き、プロ級の腕前にはなっているが、魔法は使えないからと、ダンジョンに行くことさえ禁止されてしまった。
それによって、聖女である彼女とアラン皇子は、邪魔するものがいないことで、戦っているうちに打ち解けてしまっていた。
あの時、リーネに魔法が使えていたら、またその後の未来は変わっていたのだろうか。
そんな魔力0のリーネが、ギルドで再測定すると、魔力が0ではなくなっていた。しかも、わずかな魔力だというのに、その魔法の力でどんなに膨大な魔力を使用しても割れることのなかった測定器が割れてしまった。ーー粉々に。
その上、公爵領のダンジョンに連れていった時は、リーネが魔法の練習をしていると、決して傷つけることはできないと長年言われていたダンジョンの壁に、地下8階までも続く穴が空いてしまったのだ。
闇魔法のようだが、闇魔法は滅多に能力を顕す人はおらず、更には禁忌の魔法として、書物さえ殆ど残されていない。未知の魔法だった。
なぜリーネが……と思わずにいられない。
あの魔力であの破壊力。
リーネが一般の魔術師程度にでも魔法が使えたら、もしかしたら世界をその手にできたかもしれない。しかしリーネは、何度魔法を使おうとしてもそれ以降魔法を使えず、やはり能力自体は赤子以下だったようだ。
ーーー俺は、それで良かったのだと思う。
※※※※※※※※※※※※※※※※
そして、リーネ達の魔法学園入学の日がきた。
リーネが入学する日は、スミレが入学する日でもある。
結局、あの日以来、スミレに会いに行くことはできていなかった。彼女とは違う人物が彼女の身体を動かしている姿を、あまり見たくなかった。
だが、生徒会長である以上、新入生の入学式には参加しなければならない。俺はできるだけスミレを見ないように心掛けた。
見てしまったら、感情が溢れて何をしでかしてもおかしくなかった。
なのに、そこにピンクのフワフワの髪が見えると、つい目がそちらを注視してしまう。
スミレはーーー彼女の姿は、あの日と同じだった。
当たり前だが、5歳の頃より大人びて、綺麗というよりは可愛い大きな瞳が印象的な素敵な女性に成長していた。その姿で新入生のために準備された椅子に礼儀よく並んで座っている。
あそこにいるのが、彼女であったなら。
どれだけそう願っただろう。
あの時の、彼女の入学式の日を俺は今でも思い出せる。学園で彷徨っていた彼女が、夕陽に染まっていたあの光景。
初めて見るのに、なぜかすごく懐かしい想いが沸き上がって、胸がしめつけられたあの日。
今回も、やはりスミレは、あの場所で夕陽に照らされるのだろうか。
中にいるのは彼女ではないのに。
俺は。結局、あの想い出の場所には足を運ばなかった。
ーーーー運べなかった。




