ジルサイド~過去の懺悔②
「僕が、この世界を過去に戻す手伝いをしてあげようか」
背中に大きな翼の生えた少年は、まるで悪魔のように怪しく微笑んで俺に尋ねた。
青白いとさえ思うほどの色白さも何か良くないもののようで、返事を躊躇ってしまった。少年は服も白ければ、短めに切った髪も白い。
自分を『神』と称した少年は、俺が泣いて少年に懇願しないことが期待外れだったようで、少しつまらなさそうに口を尖らせる。
「君が僕を呼んだんだろう?あまりに強いその気持ちに応えて、滅多に人前に表さない姿を見せたというのに。ーーーー残念だな」
少年はそう言うと、翼を広げて飛び立とうとする。
「ま、待ってくれ」
慌てて俺がその少年を止めると、俺に背を向けていた少年は、首だけをぐるんと回して虹色の瞳を俺に向けた。
「何だい?」
口元が笑っているその顔は、やはり薄気味悪い。
「ーーー本当に過去に戻せると?」
「僕はそう言っている」
目を三日月の形にして少年は笑顔を作る。
なぜこの少年は、こうも、作り物っぽいのだろう。
どうしても素直に喉から肯定の言葉が出てこようとしない。
本当に神か。
怪しすぎる。
そもそもなぜ俺のところに。
ーーーーーーーでも。
この少年が何者であろうと、彼女のいないこの世界に興味はない。
俺がどうなろうと、彼女さえ幸せに生きれる世界があれば、それでーーーー。
俺は、眉を寄せて目を閉じる。
「ーーーわかった。過去に戻してくれ。代償は何かわからないが、俺のものであれば何でも勝手に持っていけばいい」
俺の命でさえ、彼女のためなら惜しくはない。
「は。ーーーははは」
少年は楽しそうに笑い始める。
「僕は神だよ?魔族や呪いじゃあるまいし、何かを奪うなんてするはずがない」
「ーーー奪わないのか?」
「当たり前だ。神は与えるもの。それは命であり、幸福であり、ーーー試練である」
少年は、右の腕を伸ばし、手のひらを頭の上に掲げ、天に向けて力を込めた。
「僕がなぜ君のところに来たかって?」
少年は俺を見て、今度は左手を俺の方に伸ばす。
「たまたま君の強い想いがこの近くを散歩していた僕に届き、たまたま君に、類い稀なる能力があった。それだけのこと」
少年が伸ばした手から、俺に何かが入ってくる。
「だが」
と少年は更に手のひらに力を込めた。
「この世にたまたまなど存在しない。それは全て必然であり、運命である」
翼の生えた少年が、拳を作るように手を握りしめると、俺の身体が熱くなり始め、細胞が実際に燃えるように痛み出した。
息が苦しくなり、俺の身体の血が、細胞が、呼吸を求めるのにあまりの激痛に空気を吸うこともできない。
本当にこれは、命を奪われるやつではないのか。
「……ふ……はぁ……ぐ……」
俺は身体を丸めてその激痛に耐える。
こんな、細胞一つ一つが爆発するような痛みは、どんなに過酷な訓練でも味わったことはなかった。
そんな苦しむ俺を、少年は満足そうに眺めていた。
「ーーーまぁ、かなり苦しいだろうね。細胞が変化しているのだから」
……細胞が変化、だと?
「君は移動魔法が使えるんだろう?移動魔法は空間魔法。空間魔法は時空間魔法の親戚のようなものだ。僕は、その親戚の血を濃くしてあげただけだ。君は幸運の持ち主だよ。時空間魔法は、この世の中でも最大級に激レアなんだ。そして時空間魔法は、時間を操作できる」
君はそれどころじゃないだろうけど、と付け加えて、少年は俺にもう一度、手を伸ばした。
「君にだけ特別扱いもよくない。君には更に『試練』を贈ろう。時間が戻った時、君の近くの人間が別の人になるだろう。その時間はランダムにしておくから、いつ、誰が変わるかは自分で確かめるといい。その人が戻れるかどうかは、その人と君次第だ。ーーーただし1人だけ、確実に戻ることがない人を作ろう。それは、君が愛する人だ」
俺は本当に、あまりの激痛で悶え苦しみ、それどころではなかった。少年の言葉は、ただ記憶に植え付けられる。
「君がタイムトラベルをすることで、どれだけ『物語』を変えることができるだろうね?それが僕も楽しみだ」
少年は生き生きとした表情で、苦しみ続ける俺を眺めながら背中に生えた翼を大きく広げた。
「では、君の検討を祈る。ーーー良い旅を」
少年は消えた。
死んだ方がマシなのではないかというほどの痛みが続く俺を残して。
痛い。熱い。
身体がーーーー燃え上がるようだ。
そして実際、身体が炎に包まれた。
炎は燃え上がり、俺がいたアラン皇子の部屋の絨毯に燃え移った。
火は勢いよく広がり始める。王宮が燃え上がる。
炎は全てを包み込んでいく。
倒れたアラン皇子の身体も、その部下も。
ーーーー愛しい、彼女の亡骸までも。
全ては灰になって消えていく。
ーーーー俺は、どこに向かっているのだろうか。
※※※※※※※※※※※※※※
俺が目を覚ますと、そこは騎士団の寮に引っ越したはずの、自分の私物が溢れた公爵邸の俺の部屋だった。
まだ身体が燃えた感覚がはっきりと残っているのに、俺の身体に火傷の痕は全く残っていなかった。
身体が沈むほど軟らかいベッドから上半身を起こし、ぼんやりとした頭で辺りを見渡す。
「ジル様。お目覚めでございますか」
柔らかい笑顔を俺に向けてきた侍女は、昔、その接遇や態度の良さから、リーネの侍女になってもらった女だった。リーネの侍女になって数日で、肩から骨が見えるほど肉をえぐられて、叫びながら公爵邸を辞めていった可哀想な人だった。
まだ俺の侍女としてこの公爵邸にいるのならば、リーネが魔法学園に入る前の時期なのだろう。
「君はーーーそう、カトリーヌだったか。……何か夢見が悪くてね。今日は何年の何月何日だったか、教えてくれるかい」
カトリーヌは不思議そうな顔をする。
「ジル様がそこまで頭がぼんやりとされるなんて珍しいですね。今日はリンドウ帝国歴188年の5月5日でございます。ーーー体調が悪うございますか?」
リンドウ帝国歴188年。
それは、俺が魔法学園2年目の頃だ。
約2年前に時間が遡っている。
「ーーーあぁ。ありがとう。おかけで思い出したよ。調子は大丈夫。心配かけたね」
俺が微笑むと、カトリーヌは頬をほんのり染めて、俺に頭を下げた。
「滅相もございません」
俺は、カトリーヌに、今からリーネの様子を見に行きたいことを伝えた。カトリーヌは一瞬だけ顔色を青くしたが、すぐに戻って「承知しました」と頷いた。
リーネの部屋は、屋敷の俺の部屋の反対側の奧にある。俺の部屋と違うのは、誘拐されないように、リーネの部屋側の各場所に高度な防御魔法と、物理的にも誘拐できないような仕組みが備えられているところだ。
1度、使用人からも誘拐犯がでたことで、監視体制も尋常でないことになっている。部屋の外にいる警備員だけで、常に10人はリーネを見張っていた。
リーネに自由はない。
今思えば、本当にやりすぎていたとは思う。こういう一つ一つの積み重ねが、もしかしたらリーネの心を醜くしていったのかもしれない。
俺はリーネの部屋の扉をノックした。
返事はない。
「ーーーリーネ。俺だ、ジルだ。入ってもいいかい?」
俺が声をかけると、しばらくの沈黙のあと、
「……どうぞ。お入りになって」
と返事が聞こえた。俺は、ゆっくりと扉を開けて、リーネの部屋に足を踏み入れる。
入った瞬間、重苦しい雰囲気が俺の身体を包んだ。
部屋の装飾は華やかだ。世界中から呼び寄せた画家が最高の技術で描いた絵画が並び、置いてある家具も超一流の質と技法を用いた最高級のもの。
本来ならば、部屋に入った瞬間、その部屋の素晴らしさに感動を覚えて立ち尽くしてしまうくらいのものであるはずなのに、部屋から漂う不可思議な重苦しさのせいで、全てが台無しになっていた。
俺でさえ、この空気には抵抗を感じる。
リーネと親しくない人間なら更にだろう。
カトリーヌが顔色を変えるのも、理解はできる。
俺は、ベッドに座っている長い白銀の髪の美少女を視界にいれた。
リーネの顔は、この世のものとは思えないほどよく出来た『造り』だ。世界中のどこを探しても、これほどの美女はいないと確信している。
ーーーなのに、リーネの鬱々とした雰囲気と決して笑わない顔を見るだけで、その美貌がどうでも良くなるほどに負の感情が芽生えてしまう。
リーネは、俺と父にだけは残虐性を示さない。
カトリーヌを部屋の入り口で待機させて、俺はリーネに近付いた。
「リーネ。調子はどうだい」
「最低ですわ」
鈴の音のように可愛い声が、俺の言葉をばさりと切った。そしてリーネは下を向いて黙る。
沈黙が苦しい。
俺はそれでもめげずにまた話しかけた。
「良い季節になったね。春の花はまだ沢山咲いているよ。庭にでも一緒に行ってみないかい」
リーネは首を振った。
「……花に興味はありませんわ。太陽の下にいくのも嫌です。歩くのも億劫ですのに」
「でも、ちゃんと訓練はしているだろう?外にでるのも動くのも嫌なのに、ちゃんと訓練はするなんて、とても偉いね。リーネ」
俺がそう言うとリーネは黙ってしまうが、満更でもなさそうだった。
「勉強も進んでいるんだろう?」
リーネの教育を行う人間は続かない。大抵、酷い目に遭って、逃げるかリーネに追い出される。
それによって勉強する時間は短いはずなのに、魔法学園に入ってリーネは常にトップ付近の成績を維持していた。多分、リーネはすでに皇后になるための知識は完璧に身につけている。部屋に勉強らしき本もないのに。
短時間だけでも集中して勉強すれば頭に入る天才なのだろう。
「他に何か身につけたい知識はないかい?何でもいい、市街のことでも、書籍のことでも」
その問いには返事はない。
俺は優しく微笑み、先に持ってきていた本を渡した。
「いつでもいい、何か興味がある分野があれば言っておくれ。ーーー今日は、星の本を持ってきたよ。ほら、ここからも夜になれば見えるだろう?夜空に輝く星は、季節によって変わっていく。星の一つ一つに名前があって、その物語があるんだ。この本は、その中でも興味深い話をピックアップしていてね。俺は面白いと思ったんだ。気が向いたら読んでみてくれ」
その言葉にも、リーネは感情のない顔のまま俯き、返事をすることはなかった。
俺はしばらく、ほぼ独り言の状態で話すだけ話して、リーネの部屋を出た。
過去に戻る前の俺は、リーネの部屋に行っていたが、短い時間しか行かなかった。あの雰囲気が苦手だったからだ。
でもこれからはちゃんと居座って話をしようと思った。リーネのことは嫌いにはならないが、難しい子だとは思っている。来年にはまた魔法学園に入学して、リーネは、また彼女に度を越した虐めをしていくのだろう。
今度こそ、ちゃんと止めてみようと心に誓う。
俺にはしないが、リーネは今日もきっと、どこかの誰かに罵声を浴びせ、傷つけるのだろう。
誰かが泣いて、俺に報告がくるのだ。それが昔からの日課だった。
リーネが毒を飲んで死んでしまってから、全く報告がこなくなったが、また今日からその日々が始まるのだろうと思った。
タートイズ高等学園。
その言葉に、俺は、はっとしてリーネの部屋から出てすぐにある窓に目を向ける。
以前は知らなかった。でも今の俺なら知っている。
学園に入学しないと再会できないはずの彼女ーーースミレの生家に行けば、アラン皇子と知り合う前に、俺はスミレと仲を深めることができる。
「ーーーースミレ……?」
言葉にして、違和感を覚えた。
彼女はそんな名前だっただろうか。
過去を知る俺がそういうのだから、名前は『スミレ』で間違いないはずなのに、俺の知る記憶の中の彼女は、スミレという名のイメージではない。
俺は、自分が7歳の頃に会ったあの少女の事を思い出してみた。
優しくて可愛い。そして知性溢れる魅力的な彼女。
ーーーー記憶を辿って思い出し、ぞわりと鳥肌が立った。
当時5歳の彼女。ーーースミレは、ピンク色の髪が可愛らしい少女だ。
だが、記憶の中のその女の子は、あまり知性というものを感じなかった。なぜ俺があんなに惚れてしまったのかもわからないほどに。
「ーーーどういうことだ?」
胸の中が黒く渦を巻き始め、不安になりだした。
俺は、すぐに移動魔法を使って、スミレの生家のある方へ飛んでいった。
ーーーー懐かしい場所だった。
騎士団に入団してから落ち着いた頃、1度だけ、スミレに希望されてここに来た。
思い出しても辛い場所だったから1人では自信がないけど、俺と一緒だったら行けるかもしれないという彼女の傍に、俺は付き添った。
そこは腰より高い草の生え揃う、田舎の村。
道路も全く整備されておらず、荷馬車が通るところだけが、踏みならされて道になっている。
強い風が吹けば簡単に崩壊しそうな家が、気持ち程度に建っている、殆ど自然だらけの場所だった。
スミレの家から、誰かが出てこようとしていた。
俺は、スミレの家の近くに生えた木の陰に隠れた。
「いってきます」
懐かしい声が聞こえる。
ずっと聞きたかった声だ。
2年後よりも少し高く、まだ幼さが残っているが、俺の愛する彼女の声に間違いなかった。
家から出てきた、ピンク色の髪の女の子の姿を視界に入れて、俺は身体が動かなくなった。
あぁ。
彼女だ。
愛しい、あの女の子。
俺は飛び出しそうになったが、家の中からの怒鳴り声に、心底嫌そうな顔をしてみせるスミレ。俺はそこで足を止めた。
「スミレ。ちゃんと仕事してきなさいよ。さぼったら承知しないからねっ」
「っもう、うるさいわね。わかってるって言ってるでしょ。しつこい!」
スミレは、親の怒鳴り声に言い返して、機嫌悪そうに玄関の扉を強く閉める。
バタンと大きな音がして、スミレは家の中に向けて舌を出して顔をしかめた。
ーーーーこれは誰だ。
愕然としてしまった。
俺の知る彼女は、とても優雅で、他人に対して怒鳴るようなことはしない人だった。知性が溢れ、自分を下げるような下品な行動は決してとることはない。
いつも笑顔を絶やさず、それだけで周りの空気が清浄化されているようだった。
こんなーーーこんな女の子ではない。
俺は、神と名乗った少年の言葉を思い出した。
『ーーーただしーーー』
と、少年は言った。
『確実に1人だけ、人格が戻ることがない人を作ろう。ーーーそれは君が愛する人だ』
あれは、このことだったのだと、すぐに理解した。
もう戻らない?
そんなバカな。
これでは、過去に戻った意味がないではないか。
これは別人だ。
別の人が彼女に憑依している。しかも戻らない?
ーーーあり得ない。
俺は彼女の容姿に惚れたのではない。
内面に惚れたのだ。優しく、なのに芯の通った強さ。どこまでも透明で美しい精神に強く惹かれたのだ。
俺は木の陰にしゃがみこみ、しばらく呆然として時を過ごした。
『試練を与える』
少年は、そう言った。
ーーーなんということだ。
彼女とは人が違うのに、俺にどうしろと。
だが、嫌々ながらも、親に言われる通りに家の外で働くスミレの姿を見ていると、目が離せなかった。
フワフワのピンク色の髪。透けるような肌。
ーーーあれは彼女だ。
そこに、あれだけ会いたかった彼女はいるのに。
頭が冷静さを取り戻すまでしばらく俺は、そこにいて、ようやく立ち上がった時に思った。
スミレは彼女ではない。
それでも俺は、彼女の身体であるスミレを守り抜こう。どんなことをしても。
ーーーそれが、俺が過去に戻ってきた理由なのだから。
彼女はそこにいないかもしれない。
でも、彼女の身体は、そこにあるのだから。
俺は公爵邸に戻り、すぐにスミレの護衛を雇った。スミレに見つからないように、しかし絶対にスミレに危害が及ばないように。
その手続きが終わって、俺は自分の部屋に戻った。
椅子に座ると、ずっと我慢していた涙がこぼれ落ちてきた。
また時間を動かそうとしても、俺には動かすことができなかった。きっとあれは、神の力があってこその、時空間魔法なのだろう。
彼女がもしここにいたら、俺に言うだろう。
【泣かないで】と、優しく慰めてくれる。
ーーー無理だ。
また君のいない世界に来てしまった。
ーーーだけど、ちゃんと俺は守る。
もう2度と、君が誰かに殺されることはないように。
それが俺の『運命』なのだろうから。
俺は、小さい頃からずっとつけていた指輪を見つめる。小さい頃、彼女とペアで作った歪な指輪。
下手くそだけど、想いを込めて作ったそれは、大きくなると薬指には入らなくなり、少しだけ大きく作り替えて小指に嵌めている。
『また再会できたら、幸せな恋人になろう』
もう、あの頃には戻れない。
俺はそっと机の上に、指から外した歪んだ指輪を置いた。
二度と、この指輪をつけることはないだろう。
※※※※※※※※※※※※※※※※
冷たい冬がやってきた。
俺は毎日リーネの部屋に行き、リーネと会話をしながら、スミレの様子を事務的に受けとる日々を過ごしていた。
リーネは相変わらず、予想もつかないような凄惨たる事件を繰り返していた。もうリーネの侍女をつけるには、莫大な賃金を支払わないと誰もリーネの世話をする人がみつからない状態だった。1ヶ月に、普通の人の1年分の給料を提示しても首を振られることさえあった。
リーネのこの先の人生はまだ長い。
こんな調子で、どうやってこの先を生きていく気だろうか、あの子は。
そんなある日のこと。
リーネを起こしにいったカリナという侍女から、リーネがおかしいという報告があった。なぜか人が変わったように優しくなったと言うのだ。
俺はすぐにリーネの部屋に向かった。
「リーネ。入っていいだろうか」
扉をノックして、リーネの返事を待つ。
「……どうぞ、お入りくださいませ」
いつもの鈴の鳴るような声だが、なぜか、胸が締め付けられた。俺は首を傾げる。
不思議に思いながら、リーネの部屋の扉を開いた。
入った瞬間、あれだけ重苦しかった部屋の空気が、一気に華やいだ色になっていて、俺は吃驚した。
なんだこれは。
空気がやけに澄んでいる。
外は寒い冬だというのに、ここだけ温かい太陽を浴びた布団のような、そんな良い香りがした。
「ジルお兄様」
リーネは、なぜか俺を眩しいものでも見るように、顔を腕で隠す形にして目を細めていた。
そうしているリーネこそが、あまりに眩しく光輝いていた。昨日までと同じ姿のはずなのに、別人であるように違う。
いや、リーネは世界でも類を見ない美しさをしている。それは変わらないのだが、溢れる魅力が一般のそれではない。俺が兄でなければ、今ここでリーネの前で跪き、天使か女神かと崇め奉るだろう。
あれだけ曇っていたリーネの青い瞳が、今では晴天の空を彷彿させるほど綺麗に輝いている。
ーーーこれはダメだ。
俺は1人で突っ込みを入れてしまった。
これはダメだ。いけない。
こんなのを世に送り出したら、世界がおかしくなる。
「リ、リーネ。一体どうしたんだ、こんな……」
別人のようになって。
そういいかけて、気づいた。
スミレがそうであったように、リーネにも別人が憑依してしまったのだろう。
少年の神も言っていたではないか。
『時間が戻った時、君の近くの人間が別の人になるだろう。その時間はランダムにしておくから、いつ、誰が変わるかは自分で確かめるといい』
まさかリーネが。信じられないけれど。
「ジルお兄様?」
また名を呼ばれて胸が疼く。
声が可愛い過ぎた。
今までのリーネは、いつも俯いていたり顔を歪ませているばかりで、素直に声をだしたことはなかったのだろう。リーネの声がこんなに耳に心地好いなんて、初めて知った。
俺は動揺を知られないようにして、リーネに微笑む。
「リーネ。今日も美しいね。花畑に佇む女神のようだ」
ーーーこんなこと、本物のリーネにも言ったことないけど。
リーネは一瞬顔を赤らめたが、すぐに冗談だと気づいたらしい。
リーネもにっこり笑みを作って、俺に返した。
「ジルお兄様も、今日とても素敵ですわよ。夜空に輝く月の神シンのように」
「シン?」
「あら、お忘れですの?お兄様からいただいた『星の本』に載っておりましたのよ。男の神なのですが、お兄様は、太陽というよりは、控えめながらも潮の満ち引きによってこの私達の星を大きく動かす、月の光のようですもの」
俺は目を見開く。
確かにリーネに渡したが、それを引用してくるとは。
俺は気になって、リーネを試した。
リーネは賢いとは思っていたが。
「へぇ、それは興味深いね。その『シン』という神は、詳しく言うとどんな神なんだい?」
興味あるという場所だけ覚えているのかもしれない。あの本は面白い話が沢山載っていたから。
リーネは、そうですわね、と呟いて目線を上げる。記憶を辿っている姿だった。
「月の神シンは、神々の中でも最高位の存在でして、豊穣を司りますわね。あぁ、あと面白いのが『暦を司る神』で、遠い日々の運命を決める力を持っているらしいのですが、その計画は誰にも知られないのですって」
運命を変えられるなんて夢がありますわね、とリーネは笑う。
ーーーー俺は笑えなかった。
遠い日の運命を決める力を持つ……?
リーネは俺の力を知らない。本を細かく覚えていることにも驚いたが、ただの勘だとしても、それを今の俺に当てはめたことが信じられなかった。
なんだ、この娘は。
俺の激しく動揺する心を知らず、女神のような姿でくつくつと笑うその娘は、元のリーネとまるで違って、表情豊かに会話をする。
言葉の一つ一つに感情が入り、そのそれぞれの表情に俺は目を奪われた。
溢れる魅力。
『生命』という存在を、身体全体で表現しているようだ。
俺は、輝くばかりの美しさと魅力を存分に発揮するリーネをみた1ヶ月後、更に驚くことが起こる。
リーネが。
あれほど家から監禁される形で守り続けていたリーネが、自分から家をでていったのだ。
騎馬としてはあり得ないほどの駄馬に乗って、買い物に。
まさかそこで、リーネとアラン皇子が出会うとも思いもせずに。




