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9/12

暗殺者、鹿を狩る

 翌日――


「リルトさん、お肉はいつ買ってくるの?」


「昼になったら狩ってくる。待っててくれ」


 急かすアイリーンに俺はそう言った。


「わかった。じゃあ、任せたからね。ダグラスのお父さんにお礼だけ言っておくよ」


 昼になると、アイリーンは恒例の村巡りに行ってしまった。


「……さてと」


 俺は愛用の短剣1本を腰に差して家を出た。

 向かう先は村の近くにある大森林だ。

 あれだけ深い森ならば鹿なり豚なりいくらでもいるだろう。そいつを狩って村に持ち帰ればいい。

 ちょうどいいと俺は思っていた。

 もともと大森林には興味があった。どんな生き物がいるのか――奥には何があるのか知りたかった。いつか散策してみようと思っていたのだが、思いのほか早く用事ができた。

 森がどれほど深くても関係ない。

 俺は横にある木の幹を指で触った。


 スキル『マーキング』。


 文字通り、対象に見えないマークを打ち込むスキルだ。俺の意識下で登録したマークを浮かび上がらせたり、打ち込んだマーキングの順に線を引いてルート確認ができたりする。

 暗殺者の仕事はほとんど初見の場所になる。迷子になっていてはおぼつかない。


 さらに――

 スキル『北極星』。


 その名の通り、常に北を把握するスキルだ。

 この2つを展開しておけば道に迷うことなどない。

 俺はマーキングを打ち込みながら森の奥へ奥へと入っていく。どこまでも続く深い緑のおかげか実に空気がすんでいる。

 村に近い場所ならアイリーンと散歩するのもいいかもな。

 しばらく歩いてみたものの、なかなか獲物らしい影が見つからない。鹿や豚のような手頃なものではなく熊でも構わないのだが。


 俺はためらいなく森の奥へと進んでいく。


 どれくらい歩いたのだろう――空を覆う緑の密度がかなり濃くなってきた頃、俺は小さな変化に気づいた。

 なにか異音がする。

 固いものと固いものがぶつかるような音が――

 たぶん、それは俺の鋭利な聴覚だから聞こえたのだろう。


 スキル『聞き耳』。


 忍び足と同じく、俺は常に『聞き耳』状態でいる。些細な音であろうと俺の耳は逃さない。

 音の場所はかなり遠い。

 だが、間違いない。

 その音は、やがて大きな音に変わった。みしみし……べきべき……どーん。文字にすればそんな感じか。

 そして、また固いものと固いものがぶつかる音に変わる。

 さて、これはなんだろう。


「……行ってみるか」


 俺は音の出元へと足早に移動する。

 異音の出元へと向かった。俺は加速する。森の悪路など鍛え抜かれた俺の平衡感覚の前では平地と変わらない。

 奥へ、奥へ。

 緑の濃度が増していく。


 やがて――

 そこにたどり着いた。


 俺は木陰に身を潜めながらじっと視線を送る。

 そこには『鹿』がいた。もちろん、普通の鹿ではない。やたらとでかい。高さも幅も2倍以上はあるのではないか。

 そんなデカい鹿がバカでかい音を立てて、その巨大な角をごりごりと木に押しつけている。

 木の幹がすごい勢いで削れていく。


 ばきっ、ばきばきばき!


 やがて削られすぎて己の重量に耐えきれなくなった木が大きな音を立ててへし折れた。

 周りを見渡すと折れた倒木があちこちにあった。

 聞こえた異音はこれが原因か。

 角もまたその巨体に似合う大きさで複雑に枝分かれしている。まるで巨木の枝が頭にくっつているようだ。

 とはいえ――


「まあ、鹿は鹿か……」


 身体が大きいだけの鹿。鹿である以上、恐れるほどでもない。

 むしろ、その肉の量がありがたい。

 あれだけあれば村人みんなで食べてもいいだろう。新参者である俺とアイリーンへの心証もよくなるはず。


「試させてもらおうか」


 俺は短剣を引き抜いた。

 今日の狩りは俺にとって重要な位置づけだ。

 誰かを殺せなくなった俺は――

 動物を殺せるのだろうか?

 その答えは――短剣を心の臓に突き立ててみなければわからない。


「おい、そこの鹿」


 わざわざ(・・・・)大声で呼びかけながら俺は姿を現した。

 鹿が振り向く。

 双眸が――否、左目だけが俺を見た。右目は剣のようなものでざっくりやられたのだろうか、傷跡でつぶれている。

 残った左目に激情が爆ぜた。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 鹿は空に向かって吠えた。

 声を彩る感情は間違いなく敵意。

 大鹿は俺めがけて突進してきた。

 ……いきなりか。まあ、殺す気で来てくれたほうが、こちらとしても気楽でいいのだが。

 俺はひらりと突進をかわした。

 背後で轟音がした。

 鹿の突進を真正面から受けた木に、鹿の巨大な角が刺さっている。

 攻撃チャンスだな。

 俺が間合いを詰めようとした瞬間――

 想像していない速度で鹿が俺のほうに振り返った。同時、風を切り裂くような勢いで鹿の角が俺の身体に襲いかかった。

 速い!

 ……もちろん一般的な評価で、だが。普通の兵士ならばその一撃で両断できただろうが、俺をとらえるにははるかに遅い。

 またしても俺はひらりとかわした。

 すぐに鹿は体勢をととのえると次々に角を振り下ろす。

 俺がかわすたびに地面に斬撃のあとが刻まれていく。

 どうやら、この角、恐ろしく鋭利なようだ。鈍器というより刃物か。木に突き刺さった角を一瞬で引き抜いたのも、抜いたというより――その鋭さで強引に切り裂いた感じか。


「オオオオオオオオオオオオオオオ!」


 鹿が再び吠えた。

 角を振り下ろした瞬間――

 俺の蹴りが鹿の顔面をとらえた。

 鹿が悲鳴を上げてのけぞる。


「なかなか強いが、しょせん鹿は鹿だ。アイリーンが待っている。肉になってもらうぞ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「うーん、リルトさん、帰ってこないなあ……」


 アイリーンは家で待ちぼうけをしていた。もうすぐ夕方になろうとしているが、リルトはどこにもいない。

 肉を買ってくると言っていたが――


(どこまで買いにいってるんだろう?)


 アイリーンはふと気になったので、家を出て食料品店へと向かう。


「あの、リルトさん――黒髪で黒目の若い男の人、来ましたか?」


「え? うーん、そんな人は来てないかな……」


 来てない?

 アイリーンはびっくりした。肉を買うならここと思っていたのに。

 いったいどこまで買いにいったのだろう?

 その帰り道、よく挨拶をする村の老人にアイリーンは出会った。


「おやおや、アイリーンちゃん、こんばんは」


「こんばんはー!」


 元気よく挨拶した後、なんとなくアイリーンは老人に尋ねた。


「リルトさん、見かけませんでした?」


「ああ、さっき見たよ」


「え、本当ですか!?」


「あっちの方に歩いていったな」


 老人が指さした方角には村の近くにある大森林が広がっていた。


「……森?」


「腰に短剣しか差していないようだったんでな、『そんな装備で大丈夫か? 危ないからやめときな』と声をかけたんだ。そしたら『大丈夫だ、問題ない』って、さっさと行ってしまったよ」


 アイリーンは内心で頭を抱えた。


(リリリ、リルトさああああん……!)


 相変わらずの無愛想っぷり。

 おまけになぜ森に行ってしまったんだろう。森に肉は売ってない。


「手前を散歩しているだけならいいんだが――奥は危ない」


「そうなんですか?」


「うむ。『森の主』がおるからな」


「……なんですか、それ……?」


「巨大な鹿だよ。本当に鹿なのかよくわからんがな――なにせ、もう一〇〇年以上、生きておる。この儂より年上だ」


 そう言って、老人は薄く笑みを浮かべる。


「どう猛なやつでな、人間だろうと動物だろうと目につけば見境なく襲う。おまけに強い。先々代の領主が討伐隊を組織したが、片目を奪うのが精一杯、とんでもない被害が出てしまった」


 アイリーンは肝が冷えた。

 もしも、そんな化け物にリルトが出会っていたら――


「いつもは森の奥にいるが、春先のこの時期は村側に出てくるのだよ。なので村のものは近づかないようにしておるが……」


「大丈夫なんですかね、リルトさん……」


 心配そうにつぶやくアイリーンに老人や優しげな声でこう言う。


「怖い話をしてすまんかったな。手前に出てくると言っても、まだ奥のほうだ。バカみたいに奥にいかなきゃ出会いはせんよ」


「だったらいいんですけど……」


 それでもアイリーンの胸の不安は消えない。

 リルトはどことなくつかみどろこがない。行動に突拍子がない。2ヶ月くらい一緒にいるがいまだに考えが読めない。

 今日だって肉を買いにいくと言っていたのに森に行くとは。


(……もう! お肉を買ってくるだけなのに!)


 アイリーンは胸のもやもやを吐き出すようにため息をついた。


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― 新着の感想 ―
[一言] やはりもう1度戻ってきて「一番良いのを頼む」と(笑)
[良い点] リルトがチート過ぎますね... 狩りに使えすぎるスキルを持ちすぎですね!! [一言] 森の主... そして、巨大な鹿... 先々代の領主が片目を潰した... だけど、同時にとんでもない被害…
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