暗殺者、鹿(森の主)を狩る
「さあ、こい、こっちだ、鹿!」
俺は両手を叩きながら鹿を挑発する。
俺の声や手拍子、散発的な攻撃に激怒した鹿が猛然と俺を追って走ってくる。
俺の狙いどおりに――
正直、この鹿は俺の敵ではない。
殺そうと思えばいつでも殺せる。隙だらけだ。そもそも戦闘するまでもないのだ。木に角をぶつけている鹿の背後に忍び足で近づき、短剣を突き刺す。それで終わりだ。
だが、俺はそうしなかった。
そうせずに己の存在を鹿へと教えた。
それはなぜか?
こうやって俺を追わせるためだ。追わせて追わせて――村の近くへと誘導している。
こうしておかないと鹿の肉を持ち帰るのが大変だからだ。
森の奥から村へ――何度も往復が必要だろう。なので、こいつ自身に村の手前まで来てもらおうと考えたのだ。
好戦的なのはむしろ助かった。囮になるだけで面白いように釣れるのだから。
マーキングした位置を頭に浮かべる。
ふむ……だいぶ近づいた気がするな。
まもなく大森林の入り口くらい。村はすぐそこ。いい加減、空も暗くなってきた。そろそろ決着をつけるべきか。
……まあ、俺にはスキル『暗視』があるから、真夜中になっていても問題はないのだが。
俺は足を止めた。
「よくここまで来てくれた。そろそろ肉になってもらおうか」
「オオオオオオオオオオオオオオ!」
間合いを詰めた鹿が俺めがけて角を振り下ろす。
スキル『斬鉄』。
ばきぃん!
鹿の巨大な角が折れた。正確には俺のナイフが斬ったのだ。
……鍛え抜いた俺の斬鉄ならば、鉄どころかミスリルだって両断できるのでスキル名に偽りありだが。
それに比べれば、たかだか鹿の角だ。
バランスを崩す鹿。その隙に俺のナイフはもう一方の角を切り落とした。
「さて、終わりにしよう」
俺の身体から殺気がほとばしった。殺すと覚悟を決めた――その感情が爆発する。
びくりと鹿の身体が震えた。
その左目の――今まで闘志に燃えさかっていた瞳に映っていた感情が切り替わる。
恐怖に。
ああ、気づいたか。そう、今まで叩きつぶそうと怒りのままに追いかけていた男はお前よりもはるかに強い。
だけど、もう遅い。
お前の命はここで終わる。
地面を蹴り、俺は鹿に向かって飛びかかった。
人体ならば内臓も血管の位置も知っているが――動物はよくわからないな。首を攻撃すれば外れることはないか。
すれ違いざま、俺は鹿の首筋に無数の斬撃を叩き込んだ。
肉が引き裂け、まるで大雨のように血が飛び散る。
……どうやら動物への刃物は通るらしい。少しばかり俺はほっとした。これが無理だと狩りで腹を満たすことができなくなるので、いろいろと不便だ。
仕事で人を殺すことと――
それ以外の理由で動物を殺すこと。
それはきっと同じ『殺す』でも意味が違うのだろう。少なくとも俺のなかでは。
「終わりだ」
鹿の幅広い腰に着地した俺は、振り向きざまに鹿の頭部へと飛びかかる。
短剣がずん、と鹿の後頭部へと突き刺さった。
間違いなく脳まで達する一撃――
勝負は決した。
鹿の巨体がぐらりと揺れる。俺は短剣を引き抜き地面へと降り立った。その数秒後、力を失った鹿の巨体が大きな音を立てて地面に崩れ落ちる。
……終わったか。
血を払った短剣を腰の鞘に戻す。
ぴくりとも動かなくなった鹿の死体から視線をはがすと、俺は村へと戻っていった。
「ただいま」
家に帰り着くなり、テーブルに座っていたアイリーンがすごい勢いで俺の顔を見た。
「リルトさん! どこ行ってたの?」
「……森で狩ってきたんだけど……?」
「なに言ってるの、リルトさん!? 森で肉を買ってくるだなんて……!? からかわないで!」
……え?
いまいちよくわからないが。
アイリーンは俺の言動に納得していないのか少しご機嫌ななめになってしまった。よくわからないが、肉をみせれば納得してくれるだろう。
「アイリーン。すまないが、肉を運びたいんだ。俺だけだと大変だから頼りになる村の人を呼んできてくれないか?」
「……本当に……森で肉を買ってきたの?」
「ああ。狩ってきたよ?」
「え?」
「え?」
俺たちは目をぱちくりとしながらお互いに見つめ合った。
アイリーンは少し腑に落ちないようだったが――
「リルトさんが冗談を言うとも思えないし……うん、わかった。呼んでくるから、ちょっと待ってて」
しばらくすると、ダグラス父子を連れたアイリーンが戻ってきた。
ダグラス父が俺に話しかけてくる。
「お返しに肉をごちそうしてくれるそうだな」
「ああ、森で鹿を狩ったんだ」
「ほう! やるな!」
ダグラス父が口笛を吹く。
その横でアイリーンが目を見開き、ぶつぶつとつぶやいた。
もちろん、俺のスキル『聞き耳』はそれを逃さない。
「狩った――買った――はっ!」
……何を言っているんだ?
俺はダグラス父に言う。
「大きな鹿でな、さすがに俺ひとりだと骨が折れる。少し手伝って欲しい」
「お返しするってのに手伝わせるとは、なかなか肝のすわった男だな……ま、鹿一頭の肉なら悪くない。案内してくれ」
暗くなった道をランプを持って俺たちは歩く。
森の入り口で横たわっている大鹿を見た瞬間、ダグラス父が叫ぶ。
「ていうか、これのどこが鹿だあああああああああああああ!」
「え? 鹿じゃないのか?」
本気で鹿だと思っていたが。
「鹿はこんなに大きくねーよ! いや、そういう話じゃなくて!」
ダグラス父は声のトーンを落とてこう続けた。
「おい、これさ、森の主じゃないのか?」
「いや、鹿だろ?」
「鹿じゃないつってるだろが!」
威勢よくダグラス父は俺の言葉を突っぱねると、鹿――森の主をじっと見つめる。それから地面に突き刺さっている巨大な角に視線をやった。
「俺も噂でしか聞いたことがないが――このデカさ……つぶれた右目……絶対に森の主だぞ」
「それはなんだ?」
「この森に昔からすむ巨大な鹿だよ」
「やっぱり鹿じゃないか」
「そこは噛みつくところじゃねーよ! 人でも動物でも目につけば襲う危ないやつだ。先々代の領主さまが討伐隊を指揮しても討ち取れなかった化け物だ」
……え? 討伐隊でも……? ただのちょっと強くてデカい鹿としか思っていなかったが。
それを――
「お前が倒したって?」
信じられないものを見るかのような目でダグラス父が俺を見る。
アイリーンも、ダグラスも俺を見ている。
……。
……俺、なんかやっちゃいました?




