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第12話

お待たせして申し訳ない

え?待ってない……そうですか……(・ω・`)ショボーン


文章序盤をちょっと進むと、とんでもない方々に奇襲!?されますw

あぁ~もちろん、あ奴はとことん悪役になってもらいますよw



 天正4年【1576年】10月~11月


 秋の食材も美味しい物が出てきた頃、ある知らせが舞い込んできた。


『明智光秀謀反!』……じゃない、『松永久秀謀反!』という知らせだ。


 いやぁ~最初知らせが届いた時は、『○○○○謀反』と……、『謀反』としか聞こえなかったんだよ……。

 そのせいもあってか「まさか義父上が!?」とか疑っちゃったからな。


 あの爆弾男まつながひさひでめ、紛らわしいことを!どちらにせよ、暫くは放置だ。


 義父上と義母上の御病気は、起こることなく平穏に過ごせているようだ。

 これで歴史が一つ変わったぞ~。この月に義母上が病いで逝かれるはずだったから、大病もなく無事な姿を見届けることが出来たから、安土に戻ることができる。

 でも、もうしばらくは坂本城で、大人しくお二人に飲んでいて貰う事としようっと。


 そろそろ新しい商品や、反物や正絹の新色を考えないとな……



 天正5年【1577年】2月


 年末年始は争い事もなく平穏であったが、2月紀州雑賀攻めが開始された。

 俺は行軍には混ざっては居ないが、土地を見るために、数名の護衛を連れて大和側より、紀州に入った。

 理由は簡単、産業になりそうな梅や、柑橘等を育てるための、場所探しだ。

 まあ、翌月には向こうから停戦の申し込みが合ったんだけどな。


 根来衆と繋ぎを取り、「本来の寺領を回復したくはないか?」と囁き、次の争いになった際には、積極的に攻撃はしないと約を取り付けた。


 播磨の村次義兄上とその家族を、淡津屋に招待した。もちろん、手料理や季節の果実で持て成してだ。

 林檎の『ふじ』や柑橘の『せとか』、この時代では異国の味となる、『バナナ』に『マンゴー』なども出して味わって貰い、珍しい物が食せたと喜んでくれた。

 もちろん村重伯父上用の、お土産はちゃんと持たせたぞ!ほんとだぞ!『木苺のジャム』と『猿梨のジャム』の瓶詰めだ!ちゃんと書状にも、近況と一緒に……『淡津屋の新作商品になります。お気に召されたら良いのですが、気に入られたら、御安くご用意させていただきます』って具合にだよ。


 翌月、村重伯父上より書状が届いた、短文で一言……「気に入ったので、もっと欲しい」と……、消渇しょうかつ【糖尿病の事】になりそうだよなぁ~。


天の声【ここでの『本来の寺領』とは、保延6年(1140年)に、

    覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が、

    高野山内の反対勢力により焼き討ちされるという事件の事で、

    協力すれば高野山に戻れるようにしますよ、と言う意味で書いてます】



 天正5年【1577年】4月


 お得意様達に対しある文を書き、方々(ほうぼう)に送ることにした。書かれていた内容は、この様な一行だった。


『新しい彩色いろ入荷しました。  近江淡津屋店主、淡津那谷右衛門より』


 と書かれた文だ。送った相手の宛名は女性ばかりなのだが、ここまで来るのは使いの者とかじゃないと、触りのある方達だったりするからね~。

 北は長尾家の『仙桃院せんとういん』、伊達家の『阿南姫おなみひめ』、東は『瑞渓院ずいけいいん』、『蔵春院ぞうしゅんいん』親子、西は長宗我部家の『水心すいしん』、南は『築山殿』、『井伊直虎』と送る相手は何げに錚錚そうそうたる顔ぶれだ!

 とは言え、これでもその一部の人達だ……


 送った文は距離的に遠方の方から優先して、伊賀衆に持って行って貰った。

そして、その新しいいろは『焦香こがれこう』、『桜若葉さくらわかば』、『千歳緑ちとせみどり』、『ふじ』、『夢見桜ゆめみざくら』、『八重桜やえざくら』、『朱華はねず』、『鬼灯ほおずき』、『石榴石ざくろいし』、『紫苑しおん』、『葡萄えび』、『細雪ささめゆき』と、彩の正絹を多く用意した。

 彩見本として、その生地で作った『手拭てぬぐい』を持たせて……


 もちろん、季節の彩合いろあわせ三色組のせっととして、『藤』、『牡丹』、『苗代なえしろ』、『曼珠沙華まんじゅしゃげ』、『菖蒲あやめ』、『朝顔あさがお』、『龍胆りんどう』、『百日紅ひゃくじつこう』なども、用意し準備は整えては居たんだが……


天の声【三色組の方は表示は、三色一反では無く、三色三反になります】


 以前、出していたのは、『若草』『萌葱』『藍』『群青』『漆黒』『紅』『茜』になる。



 翌5月、俺は大急ぎで『とある御客様達』を、商店兼屋敷の敷地にある奥の間にお通しすることになった。

 義兄上や義父上には、伝える事すら相談すら出来ない……事象が発生したからだ!


 仙桃院せんとういんには息子の上杉景勝が、阿南姫おなみひめには子の蘆名盛隆あしな もりたか瑞渓院ずいけいいん蔵春院ぞうしゅんいん親子には、夫の北条氏康と今川氏真が、水心すいしんには長宗我部元親ちょうそかべもとちかが、築山殿に松平信康、井伊直虎には井伊万千代【直政はまだ……】が、夫婦また親子連れで随伴してやって来たからだ!

 ただ、直虎殿の場合は少し違い、養嫡子の万千代の今後の為のようだ。


天の声【水心の名は『野望・大志』から持ってきています】

   【反物、正絹の色は『日本の美しい色と言葉』を元にしています】


 何にせよ、この面子が一気に揃い踏みだよ?知らせたら大変なことになるでしょ、……何でこうも、胃の痛くなるような事象が発生するんだ。


 とりあえず……


『1・この店の敷地内では一客として居る事

 2・お互い店内で何があっても抜かない事

 3・この敷地内では争いを起こさない事

 4・敷地内に居る間は敷地主・淡津那谷右衛門の客として居る事

 5・此処では本名等では無く、偽名などを使う事』


 とうの約束事を奉書紙の誓紙に書かせたほどだ。こうでもしないと、俺の胃が持たん!!


 其々(それぞれ)が各々(それぞれ)、新色の正絹や店に並べてある商品だけでなく、竹製の自在腰掛リクライニングチェアも気に入ったらしく、「一つ一つ手作りなので、時間が掛かる」ことを伝えたら、「出来次第連絡を!」と言って、それぞれ国元に帰っていった。

 ようやく『嵐が去った』と思っても、暫くすると『新たな嵐』と言う物は来るもので……



 天正5年【1577年】8月


 越後の上杉謙信が動いた、と言う報が安土に届き、柴田勝家殿を筆頭に、滝川一益、丹羽長秀、稲葉一徹、前田利家、佐々成政、などの顔触れで手取川以南で進行を抑える事になった。

 えっ、秀吉の名前が無いって?どうせ、勝手に帰陣と言う命令違反をするんだから、居れても不和が起きるだけだし、その事をボソリと義兄上に呟いておいただけだ。

 それに実際、勝手に帰陣してきたからね。


 柴田殿達も手取川以南に柵を築いて、被害を抑えようとしたらしいが、そこは軍神と言われた上杉謙信が相手だった。雨天の中の夜襲を喰らい敗走することになったという。

 その翌日には、上杉軍は七尾へ取って返し、能登を完全制圧したとの報を、受ける事になった。

 勝手に帰陣した秀吉だが、安土に報告いいわけに来ていたので、「播磨西半国」を与え上で「長門、周防の攻略を行え」との命も出されたみたいだ。



天正5年【1577年】10月


 大和信貴山城に籠った松永久秀、久通親子征伐が行われる事になった。

 信長義兄上だが史実通り『平蜘蛛を渡せば、降伏を認めよう』と、勧告したのだが『渡すぐらいなら、己が手で壊してくれるわ』と松永久秀は突っぱねた。

 あぁ、これ爆破フラグ立ったか?駄菓子菓子w

 じゃなかった……だがしかし、そんなことは、させるはずが無いでしょ。伊賀衆を動員して、信貴山城の各城門を使用不能状態に追い込み、裸状態に追い込んだ。

 爆発魔殿まつながひさひでには悪い……とは一切思わないが、各城門を破壊しておいた上に、義父上の家紋『水色桔梗』の旗を立てておいた。

 この後起きるかもしれない、『上月城の戦い』に『三木城の戦い』が有るからね。早く終わらせたい。

 荒木の伯父上が謀叛したとしても、出来る限り女子供は助け出したいしね。

 500名近くの女子供を、保護出来る場所も用意しておかないとな……


 同月10日、松永久秀自刃……平蜘蛛釜は城内城外探したが、何故か見付かることは無かった。

 ちなみに、天守で自刃+爆破死とも言われているが、火災はあったが、爆破はこの世界ではなかった。



 天正5年【1577年】11月


 十一月中頃、上月城の女子供達を逃がすための、救出策を練っていた。

 男共を抜かしても200名近くいるからな……、居住空間を無視すれば、一台で行けそうな物はあるんだけど、わだちの大きさと動力エンジン音、大きさで見つかるのは確実なんだよな……『KOMATUの工事用トラック』だと。

 逃走順路も美作~備前経由で瀬戸内海に出て、淡路島沖に用意する船で一時的に、船上生活して貰う事になるかな。

 えっ、どんな船を出すのかって?

 まず前回使った、『練習軽巡洋艦・香取』で瀬戸内海を移動し、今後の増えるだろう避難させる、女子供の人数を鑑みて、『ファンタジー・オブ・ザ・オーシャン』を出すつもりだw


天の声【前回船の爆破はしてないですよ】

   【集団移住させるつもりなんですかね?】

   【サイズとしては、『シンフォニーオブザシーズ』クラスです】

   【客+乗員合わせて約9000名は乗れるので、ガラガラ状態ですねw】


 手下を使い城内の水瓶に、睡眠薬を混ぜ込み眠らせていった。とりあえず女子供だけでも避難だ。

 城主の赤松政範あかまつまさのり殿は家臣共々置いて行くとして、一応説得はしたよ?嫡男の赤松政宗あかまつまさむね君【とりあえず5歳ということで】を、お母さんと一緒に避難させないとね~w


 もちろん、翌日の説得後にも一悶着あったよ、でもね?


「この後起きるであろう、三木城の別所氏達がどうなるのかを、遠目にでも見てみますか?自分達だけでも避難できて、良かったと思うようになりますよ」


 とね……


 十一月も終わりに近付いて来た頃、義兄上は朝廷より右大臣に任命された。


 師走の始めには、説得?虚しく上月城に残った男達は、降伏は認められたのだが、城外に出て暫く進んだ所で、降伏者全員が安堵した処を秀吉軍は、降伏者全てを打ち据えた後、用意してあったと思われる磔台に括り付け……根切りにされたそうだ。

 秀吉は「何故、女子供や若手衆が居ないのか」という問いを、上月城城主だった赤松政範あかまつまさのりに対し拷問を行い、白状させようとしたのだが、終ぞ喋らなかった為、腹や胸などの胴の部分に、十数本もの槍を突き刺したそうだ。

 十数本もの槍に刺されそうになった時、『してやったり!』と不敵な笑みを赤松政範あかまつまさのりは浮かべたそうだ。



 天正6年【1578年】1月


 1月……新年を迎え、織田領内・近隣の諸大名が上様に挨拶に来ていた。

 所狭しと置かれた茶器や長谷川派、狩野派の絵も並べ褒美としてその一部が、与えられた。

 義父上は、『八角釜』と言う茶釜を頂戴し、織田家内で三番目に茶湯を許された形になったようだ。

 滝川殿は信濃攻略と、『珠光小茄子(じゅこうなすび)』が与えられ、滅茶苦茶喜んでいたな。こっそり義兄上に「『珠光小茄子(じゅこうなすび)』と言う茶器をお与えになると良いですよ。

 もしかしたら信濃一国ぐらいは、単独独断で落としちゃうかもしれませんね」と進言しておいて良かったwきっと、信濃方面の調略等を、これでもかと、頑張ってくれるだろう。

 茶器は与えられたけど、茶の湯は許されてはいない。

 柴田様には、黄金三十貫と槍が与えられた。槍は何でも、朝廷より『三位』の位が与えられた物だと言う。


 荒木の伯父上は国替えするよう言われ、多少不満を漏らしたが、播磨の東半国を領地とされ承諾した。

 それを知らされた時の俺は、内心で「あれ?もうそろそろ三木城の別所長治が、謀反するんじゃなかったか?」と、不安に駆られるのだった。



 天正6年【1578年】2月


 2月も終わりに近付いた頃、播磨三木城の別所長治が謀反との報せが来た。『秀吉の上月城の諸行』を見聞きしたらしく、それが山城や近江にも伝わり……


「あれは人の行う諸行ではない!秀吉の行いは、妖や魔物の行いだ!あれは人では無い、あれを人と呼ぶ存在ならば、それ以外の者は、天上に住む仙人や天女と言った、存在と言えるだろう。このような事を赦す織田家に、大義は無い!」


 と言った言葉が、播磨の近隣諸国に伝わった。勿論この話は嘘偽うそいつわりの混じった流言で、別所氏の謀反に合わせて、此方が伊賀者を使い広めた物だwww


 そんな流言を流された秀吉は、大慌てて払拭しようと、動く羽目になった。そうなった秀吉に追い討ちをと……


「かの秀吉が、この話を払拭しようとして動いているのは、其れが本当に行われたことで、秀吉が攻め入る所は、その様な虐殺行為が、平然と行われているからだ!」


 とか……


「秀吉は、毛利と繋がっている。毛利の外交官と、常から文の遣り取りをしている」


 と、『ギレン・ザビの演説口調風』を出来るように仕込ませた、数名の伊賀者に、ついの流言を更に流して、暗黒寺……ではない、安国寺恵瓊あんこくじえけいにも巻き添えになってもらった。

 堺発~博多経由~吉田郡山城行きの『奉書紙ほうしょし』を用意して、備中高松城が水責めされる事と、城主である清水宗治しみずむねはるが安国寺恵瓊と羽柴秀吉の策略で『水上の舟において切腹』させられる事、この事は水責め直前近くまでは、秘匿するようにとも書いても書いておいた。


 これで秀吉あいつは、より攻略しにくくなったぞ~w



 3月の初頭に、秀吉は安土への呼び出しを、義兄上から出され、播磨三木城の件で酷い御叱りを受けたようだ。

 え、ここは東半国与えられた村重伯父上の方だろうって?貰ったのは良いけど、播磨国内での拠点準備中の出来事だったらしく、


「対応仕様にも、拠点が変わりごたついている状態で対応出来ません!」


 と訴え、酌量の余地有りとし、お叱りはなかったそうだ。



 天正6年【1578年】3月


 春めいて来た中程、春日山城の城内で軍神と呼ばれた、上杉謙信が急死したと報せが来た。その報せとは別に、景勝殿からは別の書状が俺に届いていた。


「織田右府殿に、淡津殿を通じて御伝えいただければと思い、書状として認めた。加賀国の手取川以北を、上杉の領土と認めて戴ければ、其処から西には行かぬと。」


 昨年、訪れた際に顔合わせ等もしたからな……。

 義兄上も流石に認め辛いだろうけど、それで上杉を抑え込めるのだから、良しと思って貰わないとな。

 その分の兵力を、西国や信濃に回せるわけだし……認められても、きっと越中までだろうな~。

 でもこれって、停戦協定か?それとも臣従か?どっちだ?


 義父上は、丹波国攻めを再開したのだが、動きは消極的だ。播磨の秀吉の諸行は、丹波国にも広がり、全体の行軍が遅延してしまった事だろう。

 すみません義父上、ですが此れも秀吉の悪行を、後世に広め残すためなんです。

 仕方なく丹波攻めを遅らせ、細川藤孝の丹後攻めに力を入れることにしたようだ。





多分、次話は『三木の干殺し』関連のお話になると思います。

歴史改変?

着実に進んでいってますよ~w


あ、誤字等あったら報告お願いしますね?

ただ、物によってはわざと誤字らせている物もあるので、

その手の物は、報告が来てもそのままになると思います

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素直に面白い [気になる点]  上月城城主だった赤松政範 あかまつまさのり は、秀吉に「何故、女子供や若手衆が居ない」のかを問い、拷問を行い白状させようとしたのだが、終ぞ喋らなかった為、腹…
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