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 グラスに入れた水の中に試薬を一滴垂らし、わたしはテーブルの上に置いた。

 試薬のせいでかすかに青味を帯びた水が窓から差し込む朝日に反射してきらきら輝く。

「こんなに朝早くごめんなさいね」

 上等な大判のショールで肩から下をすっぽりと被った女は、欠伸を噛み殺しながら頭を下げた。

 凄く美人だけど、よれた化粧にカールの取れかかった巻き毛を首の辺りで軽く束ねたその姿はひと目で身支度もそこそこに家を出てきたのだとわかる。

「ううん。平気。

 家は夜も昼もないから」

 それに対してわたしは軽く頷く。

「ホント、助かるわ。

 早朝じゃないと、時間が取れなくて」

 言いながら肩に羽織ったショールを羽織りなおす。

 大きく開いたデコルテに派手な色のフリルを縫い付けた悪趣味なドレスの胸元がちらりと見えた。

 同時に耳朶に下がる透き通った蒼い宝石が揺れ光を放つ。

 

「じゃ、これで。

 指先かどこかから血を一滴とって、その中に入れてくれる? 」

 わたしは目の前のお客さんに一本のハットピンを差し出した。

 途端にお客さんの顔が嫌そうに歪む。

「ごめんなさい、気味が悪いわよね。

 なんなら他の方法にする? そっちのほうは正直正確性に欠けるんだけど」

 わたしは女の意思をもう一度確認する。

「それじゃ、困るのよ。

 確実な判定でないと」

 言いながら女はわたしの差し出したハットピンをつまみあげると意を決したように親指の腹に突き刺した。

「つ…… 」

 軽く顔を顰めると指の腹にこんもりと湧き上がった血液を、グラスの水の中に垂らす。

 真紅の血が一塊になったまま糸を曳いてグラスの底に落ちてゆく。

「……大丈夫みたいよ」

 その様子を目にわたしは呟く。

「本当? よかったぁ…… 」

 女はあからさまに安堵の息を吐いた。

「もうね、妊娠してたらどうしようかって、ここ数日寝られなかったのよ。

 だけどさ、他のばあさん魔女のところに行ったら絶対、いい加減に商売止めろとか、すぐ説教でしょ? 

 なかなか行く気になれなくてさ。

 ありがと、助かった」

 笑顔を浮かべる目元が色っぽい。

 日が上がると早々のこんな時間に人目をしのぶようにわたしのところに受胎の有無を確認にくるんだから、そっちの方面の人かな? とは思ったけど、やっぱりだった。

「でも、わたし堕胎はしてないの」

 今回は良かったけど、もし受胎してたりなんかしたら、この商売の人は流れでその先も依頼してくることが少なくない。

 おばあちゃんの仕事を見ていたから、知識としてはあるんだけど、全くの未経験だし、何よりわたし自身が割り切れない。

「ああ、大丈夫って。

 こんな若い結婚もしてない魔女さんにそこまでお願いしやしないわよ」

 女はもういちど笑いかけた。

「これって、相手の男が誰かなんてわかったりする? 」

 グラスの底で固まった自分の血液を覗き込んで女は訊いてきた。

「うん…… 

 少し時間が要るけど。おおよそは…… 」

「ね? それって相手の名前がわかるわけ、それとも髪色とか? 」

 女は興味深そうに身を乗り出す。

「気になる? 」

「そりゃ、こんな商売してればね、誰の子かなんて本人にさえわからないもの。

 お腹の子が誰かによっては堕したくないじゃない」

 そういう女の視線が何処となく宙を泳いだ。

 

 こういう時、お客さんは大概他の事情を抱えている。

 だけど、とりあえず見ぬ振り。

 おばあちゃんみたいに自分の孫くらいのお客さん相手にしているわけじゃない。

 若いわたしが何か言うなんてあまりにもおこがましい。

 

「じゃ、さ。

 全く同じ男が二人いたとしてよ。

 どっちの子供かはさすがにわからないわよね」

 その問いにわたしは思わず手元にあった試薬の瓶をひっくり返しそうになった。

 もう少しでテーブルに倒れこぼれそうになった瓶を握ったまま、目を見開く。

「それって、もしかして王子様? 」

 先日のオデットのお茶会での会話が思い出されて、わたしは思わず呟いた。

 目の前の女はその手の商売をしていると言ったけど、貴族の間で流行っている異国渡りのショールや、耳朶に下がる宝石が本物のことから上流階級御用達なのはなんとなくわかっていた。

「凄い! わかっちゃうんだ。

 さすが魔女ね」

 女は感嘆の声をあげる。

「ごめんなさい、詮索するつもりはなかったのよ。

 だけど、王子様って同じ顔の代名詞みたいでしょ? 」

「あ、確かに。言えてる」

 わたしの言葉に女が笑う。

「そうなのよね。

 でさ、ほら。

 一応あたしを呼んでくれるのってコンラッド様ってことになっているけど、正直どっちかなんてわからないのよね」

 続けて女は言うとため息をこぼした。

「何しろ、あのお城では皆して王子様もコンラッド様も同じ扱いなんだもの」

「一つ聞いていい? 

 どうして呼んでくれるのがコンラッド様だってわかるの? 」

 女の言葉に違和感と同時に興味を覚えうっかりわたしは口を挟んだ。

 

 何度か王城に行ったけど、さっきこの人が言ったとおり、二人は何でも同じ扱いで区別なんて全くつけていない。

 あまり付き合いがなければ区別をつけるのは一苦労だろう。

 

「ここだけの話よ。

 呼び出しの招待状にね、署名の後に小さくアルファベットが入っているのよ。

アルマンド殿下の時には"a"コンラッド様の時には"c"ってね。

 同じお茶のお誘いでも"a"の時にはホントにお茶だけ。"c"の字が入っていたらその後までフルコースがほとんどなの」

 女は少し得意そうな笑みを浮かべると声を潜めた。

「だけど、あれだけ似てたら入れ替わっても誰にもわからないでしょ。

 だから、困るのよ。

 先代国王の二の舞にはなりたくないし…… 」

「なぁに? それ? 」

 女の言葉にわたしは首を傾げた。

「嘘、知らないの? 

 当事者の癖に? 」

 何に驚いたのか、女の声が大きくなる。

「当事者? 」

 と、言われても何のことなのか全く覚えがない。

「あ、正確にはあんたのお祖母さんよ。

 森の魔女様」

 きょとんと呆けた顔でもしていたのだろうわたしに、女は慌てて付け足す。

「おばあちゃん? 」

「そう。

 あたしも聞いた話なんだけどね。

 あんたが生まれる何年か前。

 アルマンド殿下が生まれた同じ年に、先代国王が手を出した町娘が赤ん坊を生んでね。

 始末するとかさせないとかって、その時の宮廷魔術師と大喧嘩になったって話よ」

「まさか、おばあちゃんが宮廷魔術師クビになったのって、それが理由? 」

 気が付くとわたしは呆然と呟いていた。

「らしいわね。

 ま、そんな訳だから…… 」

 女は立ち上がるとポケットの中から銀貨をつまみ出した。

「これで足りる? 」

「あ、うん。

 今お釣を持って来るね」

「いいよ」

 背を向けたわたしを女は引き止めた。

「これからもお世話になるかもしれないから、取っておいて」

 またしても色っぽい笑みを浮かべると、女は玄関のドアを開ける。

「これ、持っていって! 」

 わたしは手元に残されたままになっていた試薬と血液の混じったグラスを取り上げると慌てて女を追いかけた。

「な、に? 」

 一瞬女の顔が気味悪そうに歪む。

「えっとね。

 一応皆に持って帰って始末してもらっているの。

 ほら、自分の血液魔女の手元に置いて帰ったら呪いの材料やなんかにされるんじゃないかって、嫌がる人もいるから」

 その顔が更に歪まないうちに、かいつまんで説明する。

「そういうものなの? 

 ま、いいわ。

 あんたのこと気に入ったし、信用する。適当に始末しておいて。

 あたし、コンスタンスって言うの。

 じゃぁね。新米魔女さん」

 さらりと名のって女は帰っていった。

 魔女に自分から必要もないのに名前を教える人なんてはじめてみた。

 名前を縛り目的の相手を行使したりする術を持っている魔女もいるから、普通の人ならあんまり教えたがらない。

 足早に道の向こうに消えてゆく女の背中を見送りわたしはドアを閉める。

 

「王城からの招待状か…… 」

 誰に言うとでもなくそっと呟く。

 我が家では全く縁がないだけで、来る人の所には来る物である。

 普段ならそれほど気にするものじゃないけど、今回はなんとなくそれが羨ましかったりなんかする。

 頭の傍らに居座った、あのわけのわからないピースのせいだ。

 あれから何度考えても、どう透かしてみてもそれの使い道も追加のピースの入手法も全く思い浮かばない。

 同時に浮かび上がった男の面影にわたしはそれを否定するように目いっぱい首を振った。

「ぴっちぃ、オキャクサン。

 タダイマ、マジョサン! 」

 背後で小鳥がけたたましく囀る。

「うん、おさんぽだね、ピッチィ」

 鳥かごに歩み寄ると窓を開け、散歩をせがむ小鳥を空に放った。

 

 

 それから、いつものように朝食の準備をして、散歩に出た小鳥を待ちながら薬草を干す。

 朝は少し霧があったけど、今日は空気が乾いて作業がはかどりそう。

 なんとなく散歩に出した小鳥が帰って来そうな気がして、わたしは手を止め姿勢を空に向けた。

「オカエリ、オキャクサ、キタ、キタキタヨ」

 案の定賑やかに変な言葉を囀りながら小鳥がこちらめがけて飛んでくる。

「こら、ピッチィもう少しおとなしく…… 」

 たしなめながら戯れていると、家の前に見慣れない一台の馬車が止った。

 一見何処にでもあるような普通の黒塗りの馬車だけど、まるで新品のように磨かれている。

「失礼ですが、ロングハートの魔女殿のお住まいはこちらですかな? 」

 馬車と同じく真新しいものと見間違えるくらい手の入ったお仕着せを着た若い男が降りてくると仰々しい仕草で訊ねてくる。

「え? あ、はい! 」

 まだじゃれたりないのかわたしの髪をしきりに啄ばもうとする小鳥を追いやりとりあえず戸惑いながら答えた。

 

 多分というか、このお仕着せは間違いなく王宮で働いている人が着ているもので、そんな人がわたしに何の用なのか想像もつかない。

 

「王宮からの、お茶会のお誘いです。

 どうぞお受け取りください」

 そう言って一通の封筒を差し出す。

「はい? 」

 思わずわたしの声がひっくり返る。

 いや、だってそんなことは絶対にありえない。

 そもそも、一介の町のそれも新米の町の魔女じゃ、貴族の集まるお茶会のご招待すら怪しいってのに、王城からそんなものが来るはずがなくて。

 それ以上に先日「二度とここに近寄るな」と遠ざけられたばかりだ。

「何かの、間違いでは? 

 その、他の魔女さんとか…… 」

 思わずお使いの男に訊き返した。

 

 亡くなったおばあちゃんクラスの能力のある魔女なら、王城からのご招待があったっておかしくはない。

 だけどわたしはまだ駆け出しの新米で…… 

 

「いえ、間違いはないと思いますが。

 旧宮廷魔術師ロングハート殿のお孫様でいらっしゃいますよね? 」

 男は確認しながらも、受け取ってもらわなければ困るとばかりにわたしに押し付けてきた。

「では確かにお渡ししましたよ。

 当日はお迎えにあがりますので、馬車のご用意等の心配はなさいませんように」

 言い置いて馬車は帰ってゆく。

 

 何故にこんなものがわたしにくるんだろうか? 

 

 何気にそんなことを思いながら封を切り、差出人の名前に息を呑む。

 明らかに代筆だとわかる几帳面なお茶会への招待を記した文面の下に、流麗な筆跡で添えられた茶会のホストのサイン。

 その末尾に小さく"c"の文字が記されていた。

 

 署名の後につけられた小さなアルファベットは、二人のどちらからかを示すもの。

 今朝方のお客さんが言っていたのを思い出す。

「これって…… 」

 何故だろう。

 たった一筆の小さな記号に胸が躍る。

 自然と顔がにやけてきそうだ。

 と、同時に小さな怒りと不安がわたしの脳裏を掠めた。

 あの日、コンラッドは急に怒り出し、二度と来るなと言っていたばかりだ。

 それなのに、掌を返したようなお茶会への招待。

 謝りたいのなら手紙の一通で済むはずなのに、どうしてこんな手の込んだことをするんだろう? 

 

 そもそも、わたしコンラッド様に何かをした覚えはない。

 一方的に怒られて、今度は親密さを誇示するようにお茶会に招待して…… 

 一体何を考えているんだろう? 

 その意図がまるでわからない。

 腹は立つし、気味が悪いからこの招待状は無視しようかな? 

 几帳面な文字の下に書かれた優美なサインをわたしはぼんやりと見つめた。

 

 とはいえ、拒否権なんてものないんだろうなぁ。

 相手は表向きこの国を治める国王さまの息子で、でもってわたしは一応国民だ。

 わたしは大きなため息をついた。

 

 

 数日後の昼下がり、わたしは王宮の廊下にいた。

 贅の限りを尽くしているのに上品で居心地のいい装飾に囲まれたこの場所は、二度と来るなと追い出されてからそう日数は経っていないはずなのに、何だか懐かしい気がする。

「こちらでお待ちください」

 わざわざ迎えにきてくれてここまで案内してくれた侍従らしい初老の男は恭しく頭を下げて下がっていく。

 プライベートに使う場所なのか通された部屋はこじんまりとしていて居心地がいい。

 窓際に置かれたテーブルには既にお茶の準備が整っていた。


 異国渡りのティーセット。

 色とりどりのフルーツに焼き菓子。

 まるで芸術品のようなそれらに目を奪われる。

 と、同時にわたしは首を傾げる。

 届けられたお茶会の招待状は正式なもので、だから何人か他のお客さんも一緒だと思ったのに、テーブルの用意はきっちり二人分。

 まさか二人っきりのプライベートなものだなんて思わなくて…… 

 額を突き合わせてどんな会話をすればいいのか、考えただけで上気する。

「少し、待たせたかな? 」

 心ならずも火照った頬に手を当てて鎮めていると、背後から甘い声が掛かる。

「え、っと…… 」

 現れた男の顔にどう対応していいのか戸惑った。

 誰もが見間違えるほどに似通った容姿の上に、誰もが区別なく同じ扱いをする二人の片割れ。

 確かに招待状には"c"の文字があった。

 だけど、わたしの目の前に居るのはもう一人のほうだ。

「その、失礼だけど、そのドレスは…… 」

 男の方もわたしの装いに戸惑ったようだ。

 招待状をくれたのはコンラッド様のはずで、そしたら

「用事があったのは魔女としてのわたしだろう」

 と突っぱねるつもりで着てきた、襟元まで詰った黒い飾り気のないドレス。

 いくらなんでも正式なお茶会では普通はマナー違反。

 でもこれが魔女の正装だ。

 そうしておけばまたこの間のように突然怒りをぶつけられても気にしないでいられる。

「君にはもっと柔らかな優しい色が似合いそうなのに…… 」

 男は心底残念そうに言う。

「いいえ、魔女としてご招待いただいたのですもの。

 きちんとしていなくては失礼に当りますから。

 本日はお招きありがとうございました。

 それで、わたしにご依頼の件はどのようなことですか? 」

 正直、目の前の男のかもし出すこの甘い空気は苦手だ。

 先日はほとんど会話のないうちにコンラッド様が割ってはいってくれたから良かったけど、二人っきりで顔を突き合わせているとどうしていいのかわからない。

 ここは適当にあしらって早々に帰ろう。

 そう決めて型どおりの挨拶をする。

 どういうわけかどこかそわそわした妙な空気に落ち着かない思いを抱えながら、わたしは出されたお茶を口に運ぶ。

「魔女にというより君に用事があったんだよ。

 君、城内で何か探しているものがあるんだよね? 

 おいで、何処にでもご希望の場所に案内するよ」

 まるで待ちきれないとでも言うように男は突然わたしの手を取ると、部屋の外に引き出した。

「君は、何処をご所望かな? 

 図書室は先日殿下に案内してもらっていましたよね。

 もしかして、君の祖母君が残した何かとか? 」

 重厚な雰囲気の肖像画が何枚も並んだロングギャラリーを歩きながら話す男の口調はいつもと全く同じなのに、妙にはしゃいでいるように思える。

 優雅で落ち着いた王子様というよりは、おもちゃを手にした子供みたいだ。

「……それならば、ここ。

 歴代の宮廷魔術師の居室。

 もちろん君のおばあ様も使っていた部屋だよ」

 そう思った直後、男は肖像画の並んだ合間にある一枚のドアを開けた。

 かすかな薬草の匂いと共に、視界に本の並んだ書架が飛び込んでくる。

 男の言葉どおり、魔術師の居室に使われたと思えるそこには、家具と一緒に見覚えのある魔術道具が置かれていた。

「どう? 何か思い当たる物ある? 」

 興味があるのは嘘じゃないけど、このときわたしはそれどころじゃない状態に陥っていた。

 親切そうに囁く男の顔が妙に近い。

 寄せられた顔からわたしの耳朶に吐息が掛かる。

「っ…… 」

 冗談じゃない! 

 何時の間にか背後から腰に廻っていた男の両手を振りほどこうとわたしは身をよじった。

 だけど、却ってそれは逆効果だったみたいで腰を押さえられたまま振り向き様に頭を抱えられ寄せられた唇が重なる。

 抵抗しなければそのまま深くなってしまいそうなキスを受けながらわたしは奥歯を噛み締めた。

 それが功を奏したのか程なく男は顔を放す。

「く…… 

 やっぱり君、面白いね」

 小さく鼻で笑うと、それに安堵したわたしを突然抱き上げた。

 慣れた様子で後ろ手にドアを閉めると部屋の中央に置かれたベッドに乱暴に放り投げられる。

「ちょ…… ! 」

 動揺しすぎたせいか喉に張り付いて声にならないただの音を発しながらわたしはもがく。

 とは言ってもベッドに投げられるのとほぼ同時に男にドレスのスカートの大半に乗られては動くことすらできない。

 そんな緊迫した状況でわかっていること。

 多分声をあげても誰も来ない。

 そこここに人はいるはずだけど、男の身分が身分なだけに皆見て見ぬ振りは必至だろう。

「あの女もこの女も皆毎回同じでさ、少し退屈してたんだよね。

 君なら私を楽しませてくれるんじゃないかって、期待していいよね? 」

 こっちが全く預かり知らないことを口にしながら男の両手がわたしの頭の左右に落ちる。

 次いでいとおしむかのようにその優美な指がわたしの頬を這った。

 その刺激に背筋に悪寒が走り肌が粟立つ。

 男の衣服から漂ってくる甘い香りに思わず吐き気を覚えた。

「コンラッドより、私の方がいいはずだよ? 」

 再び唇を寄せながら呟かれた名前にわたしははっとする。

 やっぱりあの時、わたしがこの男に目をつけられたことを察して、コンラッド様は遠ざけようとしてくれたんだ。

 

 しかし、物好きにも程がある。

 よりによって魔女を抱きたいだなんて、この男何を考えているんだろう? 

 魔女の恨みを買って呪いとか祟りとか蒙るって考えないのだろうか? 

 いや、育ちのせいで自分はどんなことをしても許されると思っている? 

 

 冗談じゃ、ないっての! 

 

 とは思ってみるけれど四肢を使って押さえつけられていてはどうすることもできない。

 悔しいことにわたしの専門は占いと薬術で、あとは花に火を灯すような初歩的魔法。

 こんなことなら大きな花火でもあげられる呪文覚えておけばよかった…… 

 

「その辺にしてくださいよ」

 危機的状況にも関わらず、頭の片隅でそんな物騒なことを思い巡らせていると、ドアの辺りから突然呆れたような声が響いた。

「手足の二・三本、吹っ飛ばされても知りませんから」

 咽の奥で軽い笑をたてながら言う声は間近に迫った男の声と同じ物。

 でも何故か心地いい。

「ったく、魔女相手によくやりますね」

 大またでベッドまで歩み寄るとわたしを押さえつけている男の腕を取り引き剥がす。

「私たちは二人で一人なんだから、君のモノは私のモノだろう? 」

 男は悪びれる様子もなく当然のように言う。

「それ、自分の婚約者に対してもいえますか? 

 大騒ぎになっても知りませんよ、何しろ相手は大国の…… 」

「わかった! 」

 何かわたしに聞かせたくないことなのだろう。

 男は突然大声を上げ、コンラッド様の声を遮る。

「言ったと思いますけど? 

 こいつは殿下の玩具じゃないって。

 下手したら怪我だけじゃすみませんよ」

 一瞬わたしの頭によぎったことを、まるで読んだかのように言いながらコンラッド様はわたしを抱き起こす。

「行くぞ! 」

 気が動転して乱れた呼吸を直す暇さえ与えずに、コンラッド様はわたしの手を引きその部屋を出た。

 

 

「……ったく、莫迦か? おまえ」

 城の庭まで出るとコンラッド様はあからさまに息を吐いた。

「だから近寄るなって言ったのに」

「ごめんなさい。

 せっかくの心遣い無駄にしてしまって…… 」

 わたしはうなだれた。

 まさか、天下の王子様。

 しかも誰にでも優しくていかにも品行方正に見えるあの人物にそんな性癖があるなんて思ってもみなかった。

 いや、確かにあちこちからそんな噂は耳に入っていたんだけど、何故かそれらはわたしの頭の片隅に追いやられていた。

「とにかく、助かったわ。

 ありがとう。

 でも、正式な招待状いただいたらお断りする訳に行かないでしょ? 」

「おまえ、そんな初歩的な手に引っかかったのかよ? 」

 わたしの小さな反論にコンラッド様は呆れたように言う。

「だって、招待状あなたからだったのよ? 

 サインの隅に"c"ってあったもの」

「それ、誰に聞いた? 」

 首を傾げたわたしの顔を目にコンラッド様が眉根をあげた。

「お客さんだけど、違った? 」

「やられたな。

 おまえ、だまされる前に詐欺の基礎情報相手から刷り込まれたんだ」

 まさかそこまでやるなんて…… 

 どんなに強欲なんだよ」

 忌々しそうに言う。

「何? 」

 お客さんに対しての秘守義務があるから言えないけど。

 確かにこの話をわたしの耳に入れたのは殿下御用達の商売女だ。

 前にここで名前を聞いたことがあるから間違いない。

「それ、あいつが俺に成りすます時によく使う手だよ。

 どっちがどっちだかわからない状態にしているのをいいことにやりたい放題だ」

 呟いた顔はかなり悔しそうに歪んでいる。

「でも、さすが魔女ってか? 

 その恰好じゃ、あいつかなり興を削がれたんじゃないか? 

 よりによって真っ黒け、しかもそんなガードの固いドレスじゃ」

 それでもわたしの服装にようやく少し笑みをこぼす。

 あ…… 

 それを目に申し訳ないと思いながらもわたしの胸が少しだけ弾んだ。

 やっぱりこの男のこういう笑顔は好きだ。

 みていると安心した気分になる。

 それに、服装が同じなら使っている香水の匂いも同じ筈なのに、さっきまで吐き気を覚えた甘い香りが、今はずっと浸っていたい香りに思える。

「どうかしたか? 」

 花のこぼれる庭園をゆっくりと並んで歩いていると不意にコンラッド様は足を止めわたしの顔を覗き込んだ。

 いつもより必要以上に近いその顔に思わずわたしの鼓動が跳ね上がる。

 さっきと同じ顔なのにどうしてか全く違う反応にわたし自身が戸惑った。

「あのね…… 」

 まさかそれを正直に言えるわけもなく、戸惑いながらも例の見つけたピースのことを思い出し、わたしは口を開く。

 

「……お楽しみのところ、申し訳なんだけどね。

 わたしの客人と何をしているんですか? 殿下」

 今目の前にいる男と同じ声が割って入りわたしの言葉をかき消した。

 

 あんな状況を目撃されたら、バツが悪くて普通なら出てこられないと思うんだけど、しっかり追いかけてきて割って入るところがやっぱりこの人らしいというか…… 

 わたしは少し呆れる。

 

 それでも、ぱっと見至極穏かな笑みを浮かべているのだが、こめかみの辺りが引きつって相当無理をしているのがひとわかりだ。

「みてのとおり、庭の散策ですが、何か? 」

 コンラッド様も負けずに穏かな笑みを浮かべ返す。

 評判の二人の王子に挟まれたわたしは端から見たら羨望ものだろう。

 だけども、この二人の間に流れる微妙な空気はどうしていいのかわからなくなりそうだ。

「……じゃ、わたし。

 そろそろ、帰ります」

 一歩後に下がって小さく言う。

 いや、もぅ。

 こういう時には逃げるに限る。

 

「まだいいだろう? 」

「ああ、そうしたほうがいい」

 同じ声で違う言葉が同時に重なる。

「お茶、ご馳走様でした。

 それから、お世話をかけてすみません! 」

 軽く頭を下げると更に一歩下がり二人から距離を取る。

「あ、待った。

 おまえ名前は? 」

 二人に背を向けようとしたところを、不意に思い出したようにコンラッド様に呼び止められた。

「もしかして知らなかったのかい? 」

 呆れたように王子様が訊く。

「ああ、魔女は魔女だからそれで沢山だろう。

 街へ使いを出してもそれでわかる筈だし」

 したり顔でコンラッド様は言う。

 その考え方はあまりにも大雑把で少し呆れる。

「でも魔女って王都だけでも何人もいるだろう? 

 どうして探し出すつもりだったんだ? 」

 同じことを思ったのか、王子様が呆れた声をあげた。

「そうなのか? 」

 コンラッド様からは少し意外ともいえる問いが返ってきた。

「だから魔女は普通通称で呼ばれるの。

 西の入り江に住んでる『入り江の魔女』に昔の砦跡に住んでる『砦の魔女』。

 おばあちゃんはラークの森の入り口に家があったから『森の魔女』なんて呼ばれていたんだけど。

 他にも…… 」

 有名どころはそれくらいだけど、まだ何人かいる。

 その呼び名を思い出そうとわたしは首を捻った。

「……もういい。

 で? おまえは? 」

「わたし? 」

 その問いにわたしは思わず顔を赤らめた。

 この商売はじめたばかりの若造だから『新米魔女』だなんて正直この男には言いたくない。

 無条件で爆笑されそうだ。

「わたしはほら、駆け出しだから…… 

 今の呼び名ってみんな自称じゃなくて、側にいる皆が便宜上つける通り名だから…… 」

「そうじゃなくて、名前だよ。

 おまえ自身の」

 少しいじれたようにコンラッド様は言う。

「リシェ…… 

 クリスタ・リシェナ・ロングハートよ。

 親しい人はリシェって呼ぶわ。

 じゃ、またね。

 殿下」

 並んだ二人を人前でとりあえずなんて呼んだらいいのかわからないから、そう呼んでわたしは城を後にした。

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