第4章 消された記録
記録には、必ず痕跡が残る。
たとえ誰かが消したとしても。
削除された日時。書き換えられた管理番号。途切れた通信履歴。
そこに何もないという事実さえ、時には一つの証拠になる。
シン・クロフォードは、そう考えていた。
だからこそ、目の前の画面に表示された文字が、どうしても気に入らなかった。
『該当する施設は存在しません』
「……存在しない、か」
ゼロ班の作戦司令室。
深夜を過ぎた室内には、端末の冷たい光だけが灯っていた。
壁一面に並ぶ情報表示装置はほとんど停止している。昼間なら隊員たちの声が飛び交うこの部屋も、今は静まり返っていた。
シンは眼鏡の位置を直し、もう一度検索条件を入力した。
第七研究区画。
先日の任務で発見された、軍の旧施設に関連する名称。
その存在を示す断片は、確かに残っていた。
しかし、軍の正式な施設台帳には記載がない。
建設記録にも、補給記録にも、廃棄施設の一覧にも、何も⋯ない。
「建物が存在しないなら、あの地下構造は何なんだ……」
シンは小さく呟いた。
調査の発端は、レムナントとの交戦後に回収された一つの記録媒体だった。
損傷が激しく、大部分の情報は読み取れない。
だが、復元できた領域には、旧式の軍用識別番号が含まれていた。
その番号が示していたのが、第七研究区画だった。
問題は、それだけではない。
番号の形式が、現在の軍の管理規則と一致していなかった。
十七年前。
月が砕けた頃に使用されていた、旧規格だった。
「……偶然にしては、出来すぎている」
シンは解析装置の補助画面を開いた。
膨大な記録の断片が、青白い文字列となって流れ始める。
彼が調べているのは、施設そのものではない。
施設の記録が、どこから消えたのか。
その経路だった。
数分後。
一つの異常が見つかった。
「……あった」
シンは身を乗り出した。
施設台帳の更新履歴。
そこに、通常の処理とは異なる管理操作が残っていた。
削除命令ではない。
閲覧権限の変更でもない。
特定の管理番号に紐づく情報を、検索対象から除外する処理。
つまり。
「消したんじゃない……見えなくしたのか」
データが残っている可能性はある。
ただし、通常の権限では存在を確認することすらできない。
シンは操作を続けた。
だが、次の瞬間。
画面が暗転した。
『アクセス権限を確認してください』
「……?」
見慣れない警告だった。
軍の情報解析担当であるシンには、作戦上必要な相当範囲の閲覧権限が与えられている。
もちろん、すべてではない。
しかし、今回の警告には通常表示されるはずの管理部署名がなかった。
『照会対象は保護されています』
シンの指が止まる。
画面の端に、小さな数字が現れた。
十七。
「……また、その数字か」
砕月から十七年。
記録媒体の規格も十七年前。
そして今、保護された情報の識別番号にも同じ数字が含まれている。
単なる一致かもしれない。
けれど、調べる価値はある。
シンが新しい照会経路を開こうとした、そのときだった。
「まだ起きてたんですか?」
背後から声がした。
「……リリス」
振り返ると、入口にリリス・エヴァレットが立っていた。
片手には紙コップが二つ。
もう片方の手には、通信端末を抱えている。
「灯りがついていたので。どうせシンさんだろうなって」
「君も人のことは言えないだろう」
「私は仕事の途中です」
「僕もだ」
「はいはい」
リリスは笑いながら、紙コップを机に置いた。
温かい飲み物の香りが広がる。
「それで、何かわかりました?」
シンは少し迷った。
だが、画面を隠すことはしなかった。
「第七研究区画の記録を調べていた」
「……あの施設ですね」
「ああ。どうやら単なる登録漏れじゃない。意図的に検索できない状態にされている」
リリスの表情が変わった。
「誰かが隠したってことですか?」
「可能性は高い。ただ、まだ断定はできない」
「……実は、私も気になっていたことがあるんです」
リリスは抱えていた端末を机に置いた。
画面には、先日の作戦で使用された通信回線の履歴が表示されていた。
「任務中の通信記録を整理していたんですけど、少し変なんですよ」
「どこが?」
「この時間帯です」
リリスが指で示したのは、交戦が始まる直前だった。
通常、ゼロ班の通信は軍の中継設備を経由して記録される。
音声、位置情報、回線状態。
いずれも作戦終了後に照合できる仕組みだ。
ところが。
「この二十七秒間だけ、通信の経路情報が消えているんです」
「通信障害では?」
「最初はそう思いました。でも、音声は残っています」
シンは画面を覗き込んだ。
確かに、隊員同士の会話は正常に記録されている。
雑音もない。
途切れた形跡もない。
それなのに、中継経路だけが空白になっていた。
「……おかしいな」
「ですよね?」
「回線が切れていたなら、音声も残らないはずだ」
「それに、もう一つ」
リリスは画面を切り替えた。
空白の直前に、短い信号が記録されている。
通常の軍用通信とは異なる、細い波形。
「これ、どこかから割り込んできた信号なんです」
「発信源は?」
「不明です。軍の通信網にも、レムナントの既知の信号にも一致しません」
シンは黙り込んだ。
その波形には、奇妙な規則性があった。
一定の間隔で繰り返される、短い信号。
まるで。
何かを呼びかけているような。
「……これ、僕の端末に送ってもらえるか」
「もちろんです」
リリスは頷いた。
そして、少しだけ声を落とした。
「シンさん」
「何だ?」
「この件、レオン隊長には?」
「まだ話していない。確証がないからな」
「……そうですか」
リリスは一瞬、何かを言いかけた。
けれど、結局口を閉じた。
「どうした?」
「いえ。隊長なら、きっとちゃんと聞いてくれると思って」
シンは小さく笑った。
「それは僕も同感だ」
リリスも笑った。
ただ、その笑顔はどこか落ち着かなかった。
*
翌朝。
ゼロ班の訓練場には、金属がぶつかる乾いた音が響いていた。
カイは《月影》を構え、正面の訓練標的を見据えていた。
刃を振る。
鋭い風切り音。
標的の表面に、細い傷が走った。
もう一度。
今度は角度を変えて踏み込む。
剣先が標的の中心を正確に捉えた。
「……少し速くなったな」
背後から声がした。
レオンだった。
カイは剣を下ろした。
「そうか?」
「ああ。ただ、二撃目の踏み込みが深すぎる」
「届かせるためだ」
「届いた後、どうする?」
カイは答えなかった。
レオンは標的の横に立ち、足元を指さした。
「相手が一歩引いたら、お前の重心は前に残る。そこを狙われる」
「……なるほど」
「お前の剣は速い。だからこそ、止まる技術も覚えろ」
「隊長らしい説教だな」
「隊長だからな」
二人は短く笑った。
そのときだった。
カイの右腕に、微かな熱が走った。
「……っ」
思わず手首を押さえる。
袖の下。
あの青い紋章がある場所だった。
「カイ?」
「……何でもない」
だが、レオンは見逃さなかった。
「またか」
「……ああ」
先日の任務以来、時折起きるようになった現象。
痛みというほどではない。
ただ、腕の奥に何かが触れるような、不思議な感覚。
カイは袖を少しめくった。
青い線が、皮膚の上に淡く浮かんでいた。
いつもより、わずかに明るい。
「医療班に診せた方がいい」
「もう診てもらった。異常なしだそうだ」
「原因がわからないことと、異常がないことは違う」
レオンの声は静かだった。
カイは苦笑した。
「……わかってる」
そのとき。
紋章が一度だけ、強く光った。
カイの視界が揺れる。
訓練場の景色が、ほんの一瞬だけ遠ざかった。
白い廊下。
赤い非常灯。
床を走る青い光。
そして。
『……そのまま、走って』
「……!」
カイは息を呑んだ。
「カイ!」
レオンが肩を掴む。
気づけば、訓練場に戻っていた。
カイは荒く息をついた。
「……今、何か……」
「どうした?」
「声が……聞こえた」
「声?」
「……いや」
カイは首を振った。
思い出そうとすると、記憶は霧のように散ってしまう。
ただ。
その声を聞いた瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
懐かしい。
そして、どうしようもなく悲しい。
そんな感覚だけが残っていた。
「……誰の声だった?」
レオンが尋ねた。
カイは答えられなかった。
「……わからない」
レオンはしばらく黙っていた。
やがて、カイの肩から手を離した。
「今日はここまでだ」
「まだ訓練は――」
「命令だ」
その声に、カイは苦笑した。
「……了解」
レオンは頷いた。
だが、その目には小さな不安が残っていた。
*
昼過ぎ。
シンは、イリスを呼び出していた。
場所はゼロ班の資料保管室。
普段はほとんど使われない、小さな部屋だった。
「……私に聞きたいこと?」
イリス・ヴェルナーは、壁に寄りかかりながら尋ねた。
「ああ。以前、旧市街の北部で任務に就いたことがあったな」
「……三年前」
「覚えているか?」
「忘れない」
短い返事だった。
シンは端末を操作した。
古い作戦地図が表示される。
現在は立入禁止となっている区域。
崩壊した道路。
地下に続く旧式の搬送路。
「この周辺で、何か妙なことはなかったか?」
イリスは画面を見つめた。
しばらくして、指を伸ばした。
「……ここ」
地図の端。
崩れた建物が密集する一角だった。
「任務中、狙撃位置を探していた。高所から周囲を確認したとき、軍の車両を見た」
「軍の?」
「輸送車が三台。護衛付き」
「作戦記録にはないな」
「……そう」
イリスは淡々と続けた。
「車両は、地下搬送路に入った。けれど、地図には入口がなかった」
シンの目が細くなる。
「それで?」
「報告した。でも、翌日には記録が消えていた」
「……消えた?」
「任務報告書から、その部分だけ」
部屋が静まり返った。
シンは画面を拡大した。
地下搬送路の位置。
そこから伸びる、現在は使用されていないはずの施設網。
その先にあるのは。
第七研究区画の推定位置だった。
「……やはり、つながっている」
シンが呟いた。
「何が?」
「まだわからない。ただ、あの施設は十七年前に閉鎖されたまま、誰にも使われていない……というわけではなさそうだ」
イリスは目を細めた。
「……軍が使っていた?」
「可能性はある」
シンは画面を閉じた。
そのとき、イリスが小さく言った。
「……気をつけて」
「何に?」
「記録を消せる人間は、記録を調べている人間も見つけられる」
シンは答えなかった。
イリスはそれ以上何も言わず、部屋を出ていった。
残されたシンは、しばらく閉じた扉を見つめていた。
「……まったく、その通りだな」
*
その夜。
ゼロ班の作戦司令室に、七人が集まっていた。
レオンの呼びかけだった。
机の中央には、シンがまとめた資料が表示されている。
第七研究区画。
不自然な通信記録。
消された作戦報告。
そして、現在も使用されている可能性のある地下搬送路。
説明を聞き終えたユウが、最初に口を開いた。
「……つまり、軍の中に隠し部屋があるってこと?」
「隠し部屋という規模じゃない」
シンが答えた。
「施設全体だ」
「……それ、結構まずくない?」
「かなりな」
グレンが腕を組んだ。
「俺たちが知らない施設なんて、いくらでもあるだろう」
「もちろんです」
シンは頷いた。
「問題は、存在が秘匿されていること自体ではありません。通常の作戦記録まで書き換えられている点です」
リリスが続けた。
「しかも、通信の経路情報まで消されています。偶然とは考えにくいです」
ユウは眉をひそめた。
「誰かが、俺たちの任務を見てたってこと?」
「それはまだわからない」
シンは慎重に答えた。
イリスが小さく口を開いた。
「……でも、見られていた可能性はある」
空気が重くなる。
カイは黙って資料を見つめていた。
第七研究区画。
その名称を見るたびに、胸の奥がざわつく。
知らないはずの場所。
行ったこともないはずの施設。
それなのに。
なぜか、懐かしい。
「……カイ」
レオンが呼んだ。
「何かあるか?」
カイは少し迷った。
そして、右腕に視線を落とした。
「……今日、また紋章が反応した」
全員の視線が集まる。
「何か見えたのか?」
シンが尋ねた。
「……白い廊下と、赤い光。それから、声が聞こえた」
「声?」
「……女の人の声だった」
リリスが息を呑んだ。
カイは続けた。
「誰なのかはわからない。でも……」
言葉が途切れる。
何と説明すればいいのかわからなかった。
「……俺は、その声を知っている気がする」
沈黙。
誰も、すぐには答えなかった。
やがて、レオンが口を開いた。
「シン」
「はい」
「この件は、正式な報告として提出する前に、もう少し調べよう」
「……了解しました」
「ただし、無理はするな。権限を越える操作も禁止だ」
シンは少しだけ笑った。
「隊長は、僕が何をしようとしていたかわかっているようですね」
「長い付き合いだからな」
レオンは全員を見渡した。
「今の段階では、何が起きているのか判断できない。だが、仲間の身に関わることなら、見過ごすわけにはいかない」
グレンが頷いた。
「そうだな」
「俺も手伝うよ!」
ユウが勢いよく手を上げる。
「情報解析なら、ピピの記録も使えるかもしれないし!」
「無茶な接続はするなよ」
「わかってるって!」
リリスが小さく笑った。
イリスも、わずかに口元を緩めた。
その光景を見ながら、カイは思った。
何が隠されているのかは、まだわからない。
けれど。
一人で向き合う必要はない。
少なくとも、今は。
*
深夜。
軍中央情報管理局。
一般の隊員が立ち入ることのできない、地下の管理室。
無数の端末が、暗い室内に並んでいた。
その一つに、小さな通知が表示された。
『保護記録への照会を検知』
続いて、照会者の識別情報が現れる。
シン・クロフォード。
所属。
特殊作戦部隊・ゼロ班。
画面の前に座る人物が、静かに指を動かした。
『関連記録への監視を開始』
別の画面が点灯する。
そこには、七人の隊員の名前が並んでいた。
レオン。
カイ。
シン。
ユウ。
グレン。
リリス。
イリス。
その中で、一つの名前だけが選択される。
カイ。
画面の端に、短い文字列が現れた。
『対象の状態を確認中』
そして。
『青色反応――再検出』
管理室に、低い電子音が響いた。
画面の前の人物は、しばらくその表示を見つめていた。
「……動き始めたか」
誰に向けたものでもない、小さな声。
次の瞬間、画面は暗くなった。
記録は残らなかった。
ただ一つ。
誰にも知られないまま、監視だけが始まっていた。
月が砕けてから、十七年。
失われたはずの記録が、再び誰かの手によって開かれようとしていた。
そして、その中心には。
まだ自分の過去を知らない、一人の青年がいた。
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**第3章 城壁の外の異形 完**
【ZERO FILE 04|ゼロ班・情報解析担当】
■ シン・クロフォード
年齢:26歳
所属:軍特殊作戦部隊《ゼロ班》
担当:情報解析・作戦支援
冷静な判断力と高度な情報処理能力を持つ隊員。
戦闘中は敵の行動予測や戦況分析を担当し、部隊全体の作戦遂行を支援する。
専用装備:《オラクル》
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【EQUIPMENT FILE 04|オラクル】
分類:情報解析・戦術支援システム
軍の作戦データや敵機の情報を解析し、隊員の判断を補助する装備。
複数の情報を同時に処理し、戦況の変化を素早く把握できる。
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【MILITARY FILE 04|第七研究区画】
分類:旧軍事研究施設に関連する名称
先日の任務で回収された記録から存在が示唆された施設。
現在の軍施設台帳では確認できず、関連する記録にも不自然な欠落が認められる。
詳細:調査中
※本資料は第4章時点で確認された情報をまとめたものです。




