エピソード1 頁7
【シャーピー・アロウ】はアストリドでも有数の酒場と宿場を兼ねた施設だ。
一階~二階が酒場として吹き抜けのホールになっている。二階には冒険者組合の出張窓口もあり、特に血気盛んな冒険者たちで賑わっていた。
「ちと待ってな」
そう言い立ち上がったオリバーは、赤ら顔で酒に溺れるビョルンを残して、円卓から離れていく。
すこし待つと、やがて一枚の紙きれを持って戻ってきた。
「こいつを持っていけ。ああ、中は見るなよ」
オリバーは紙きれをフードルへ押し付けると、そのまま再度椅子へ腰を下ろし、脚を組む。
「紹介状ってやつだ。たとえそいつがやり手の傭兵だろうがこのオリバー・ディアスの署名を見りゃ、おまえみたいな見るからぺーぺーの駆け出しって感じのやつの話もとりあえずは聞いてくれんだろうよ。そっから先は……ま、おまえ次第だな」
オリバーとビョルンに礼をして、フードルとチワは酒場の二階へとやってきていた。
フードルもチワも、酒場の二階に立ち入ることは滅多になかった。
そもそも【シャーピー・アロウ】自体、冒険者になって日が浅いふたりは数えるほどしか利用したことがなかったうえに、そのなかでも二階は特に独特な空気感があり、一階から見上げるだけでも『一見お断り』という雰囲気を強く感じていたためだ。
依頼を探す時は同じ通りにある冒険者組合で、シバもいる時にしかしていなかったのもある。シバは酒を呑まないため、酒場に一緒にくることはまずないためだ。
外観以上にしっかりした造りの木造の螺旋階段を昇りきると、熱度と緊張感もまた一段と上がった気がした。
「……このなかに、本当にその、”伝説の傭兵”って人がいるのかな」
フードルはすぐ後ろに控えるチワの方を一度見遣り、周囲を見渡した。
ジョッキを片手にテーブルを囲み、腕相撲に熱狂する屈強な集団。壁際の大卓を占め、ひそひそと内談している様子の集団。冒険者組合出張所窓口横に掲示された依頼書を見上げてああでもないこうでもないと指を差す三人組などなど。吹き抜けで連続した空間とは思えないような別世界だと、フードルはそう感じていた。
「オリバーさんの話じゃ、見ただけでわかる只者ではない様子と気配ってことだったけど……アレ、かなぁ……?」
おずおずと指さしたチワの差す先を、フードルも真っ先に気づいてそうかもと思っていたところだった。
二階の隅の卓にひとり座る大柄な輪郭。
【シャーピー・アロウ】において、一階よりも限られたスペースの二階は冒険者でごった返しており、奥までたどり着こうとすると人の海をかき分けていかねばならない。だというのに、その輪郭が座すその円卓の周囲は、断絶された世界を錯覚させるように、その人物以外に卓を囲む者はなく、その卓に近づこうとする者もない。
「た、たしかに普通じゃなさそうだ。チワ、あそこまでいくぞ、はぐれるな」
差し出したフードルのごつごつとした手を、チワのちいさな手がすぐさま握り返す。
人混みに呑まれないようにふたりは手を繋ぎ、かき分けるようにして前へと進んだ。
途中、「なんだこのガキ!」と怒鳴られたり「あらかわいい」と茶化すような声が聞こえてきたが、その度にすみませんと断りを入れ、どんどんと前へ進んでいく。
遠目に見ても大柄に見えたその輪郭は、近づくにつれさらに大きく見え、先輩冒険者オリバーや酒場店主トマスに近いその体格が露わになっていく。
「あの……!」
ようやくたどり着いたその卓は、たしかに周囲の喧噪から隔絶された空間だった。
卓の上にはひとつのジョッキしかない。そのジョッキを持つ手は微動だにせず、その人物は黙してただただジョッキのなかへと目線を落とすのみ。
「すみません!」
その人物の横から、卓を挟んで対面と移動する。握っていたチワの手を放し、卓へと両手を置いて自身の存在をアピールする。
「――なんだ」
そこまでしてようやく、その人物は口を開いた。
低く、地の底から響くような声。広大な大地のうえに両の足で立っているような錯覚に陥る、底知れない安心感で包み込むような深い声音だ。そこに感情は見て取れないが、フードルはその声に思わず息を呑んでしまった。
なにも言葉を返せないでいると、その人物は続けて視線を上げ、フードルの目を射すくめるように見つめた。
「なんの用だ、と聞いている」
「あっ……す、すみません。あっ、あなたが、あなたが伝説の傭兵……なのでしょうか?」
繰り返し訊ねられて言葉が喉に詰まりながらも、フードルは単刀直入に切り出す。
その問いを聞き、その人物は厳めしいその表情を動かすこともなく、ただただ目を伏した。
「人捜しか? なら人違いだ。ほかを当たってくれ」
話は終わりだ、とでも言わんばかりに腕を組む。その拒絶する態度にフードルは一瞬肩を落としかけたが、すぐに気を取り直した。
こんな只ならぬ雰囲気の人物が、ほかにいるとは思えなかった。
オリバーの言葉が思い出される。
『只者じゃねえ様子と気配のやつがいたら、そいつがその伝説の傭兵だ。そう思ったら、こいつを見せてやれ』
フードルはその手に握りこんでいた、小さく折り畳みまれた紙きれを取り出し、その相手へと差し出した。
男は紙きれとフードルを一度だけ交互に見て、そこでようやく目許がぴくりと動いた。
その紙きれを静かに受け取り広げると、そこに書かれていたであろう文字を読み込むために目を左から右へと幾度も動かしていく。
対面に立ちテーブルに手を置き前傾していたフードルにもその紙の内側の一部分が見えていたが、残念なことにフードルは文字の読み書きが達者ではない(できない、といって差し支えない)ため、何が書かれているのか皆目見当もつかなかった。オリバー曰く、”紹介状”とのことだったが……。
(チワなら読めるんだろうけどな……)
フードルのすぐ後ろに控える少女の位置からでは覗き込みでもしない限り紙面を走る文字を読み取ることはできないだろう。
少しして、その男は読み終えたのか紙を再度折り畳み、手元のジョッキの横へと置いて顔を上げた。
紙の大きさに対して内容を読み込んでいた時間がいささか長くフードルに感じられたのは、その書かれた内容が男には信じられなかったのか、それとも書かれた内容のその真意を図りかねて幾度も読み返していたのだろうか。
「座るといい」
その男は顎で対面の席を差した。フードルとチワは互いに見合わせて頷き、腰を下ろした。
「さて。まずは先ほどの質問に答えるか。俺は確かに傭兵だ。だが、伝説の傭兵などと呼ばれたことは一度もない。おまえたちがもし”伝説の傭兵”とやらを捜しているのならばやはり人違いということになる。どうだ? おまえたちの尋ね人は”伝説の傭兵”か? もしそうであるのなら、この話はここでおしまいだ」
男は腕を組んだ姿勢から右手を仰向けに広げ、そう言った。
フードルは思案する。
事ここに至って、目の前の人物が嘘をつく理由はないと思えた。ゆえに伝説の傭兵というのは単なる噂である可能性が高い。
しかし一方で、オリバーの言っていた人物はこの男で間違いないと、そうも思えた。その出で立ちや立ち居振る舞いから洗練された冒険者としての貫禄に似たものを感じ取っていた。
「……いえ。オレたちが捜していたのはきっとあなたで間違いありません」
「そうか。ではいくつか訊かせてもらおう。おまえたちの現状を」
「は、はい。えっと、まず――」
フードルは出会ったばかりの男に、自分たちの置かれた状況をおおまかに説明した。
四人でチームを組んでいること、冒険者として身を立てて日が浅いこと、ワケあって大きな依頼に臨んでいること、そして先だっての猟獣との戦いによって装備を失いながらも命からがら逃げ帰ってきたこと――。
「ふむ……。とりあえず、ひとついいか」
「はい」
「間違いなく力不足だ。この依頼は下りた方がいいだろう。当然のことだが、『報酬が高い依頼』というのはそれだけ危険が伴う、あるいは達成が困難だと推測されるからこそ、『報酬が高い』。今回おまえたちが目指す先に待ち受ける相手は、いまのおまえたちには荷が重いだろう」
それは、フードルがこれまで幾度も言われてきたことだった。
冒険者組合本部でも言われた。「勇敢と無謀は別物だ」と。その際に近くにいた冒険者にも言われた。「死ににいくようなもんだ」と。友人の祖父にも言われた。「身の丈にあった依頼を受けろ」と。大先輩の冒険者にも言われた。「仲間も死なせることになる」と。
フードル自身でもわかっている。いまの自分は間違いなく無謀だ。自分が周囲の人間と同じ立場から自分を見ていたらきっと同じように諭していただろう。
だが、いまの自分には譲れない理由があった。自分の無茶に付き合ってくれる仲間には申し訳なく思う気持ちもある、でもそれ以上に止めずに信じて付き合ってくれることをありがたいと思っていた。
「わかっています。無茶なのも無謀なのも。それがどれだけ困難なことなのかも。だけど……それは困難であっても、不可能じゃないとそう思っています」
若き冒険者の真っ直ぐな光を宿したその瞳を見つめ返し、男はなにを思うのか。
「――困難は、不可能ではない、か。なるほど、それがおまえの答えだな」
男は顎に手を添え、思案顔でひとつ呟くと、満足したように頷いた。
「明日の朝、冒険者組合本部に来い。この場にいないふたりも連れてな」
オリバーの紹介状を胸元にしまい込むと、男は立ち上がり二階のカウンターに何枚かのドラム銅貨を置くと三階の宿場に繋がる階段へと姿を消していった。
残されたフードルとチワはその大きな背中を見送っている間、何も言えずにただ座っていた。
階下では「まだまだ呑み足りん!」と騒ぐビョルンと、暴走する老爺を羽交い絞めにして「明日も仕事だ、いい加減にしろ!」と諫めるオリバーの声が酒場を盛り上げていた。




