第4章 2 遠征調査
森の音が、はっきりと耳に届く。
風がなびくたび、森全体がざわめくように声を上げる。
木々が擦れ合う音。
聞いたことのない動物の鳴き声。
湿った土と、青い匂い。
道は険しい。
倒木や大岩が進路を塞ぎ、人の手が入った形跡はどこにもない。
未開の地――
その言葉通り、三人は倒木を越え、大岩を回り込みながら、慎重に奥へと進んでいった。
「……ん?」
迅が足を止める。
何かが動いた気がした。
目を凝らすと、葉の上に見慣れない青虫がいる。
観察していると、虫の尻から細い糸が伸びた。
葉に引っかけ、糸を伸縮させながら、下の葉へとゆっくり移動していく。
「何か見つけたー?」
美咲が駆け寄ってくる。
迅が指さす先を見るなり、美咲はすぐにアイテムを取り出した。
虫にかざすと、淡い光が走り、データがトレースされていく。
「発見済みの種だね。ロープバグ、だって」
「残念!」
だが、すぐに笑顔に戻る。
「でもいいよー! じゃんじゃん探して!」
「迅も、面白いの見つけたらこれでデータ収集してね!」
そう言って、美咲はアイテムを手渡した。
アイテムウインドウを開く。
**《生体スキャナー》**
大阪奪還戦で、美咲がアバター数を感知していた装置に、どこか似た形状をしている。
「……なるほど」
「迅ー! 美咲ー!」
遠くから、紗良の声が響く。
「あっちに、何かあるよー!」
「今行く~!」
美咲は元気よく返事をし、走り出した。
木々をかき分け、進んでいくと――
視界が、ふっと開ける。
そこには、エメラルド色の湖が広がっていた。
「……はぁ、綺麗……」
紗良が思わず声を漏らす。
しゃがみ込み、水面にそっと触れる。
ちゃぷ、と小さな波紋が広がった。
それに呼応するように、カラフルな魚たちが集まってくる。
「あはは」
「餌が落ちてきたって、勘違いしてるのかな?」
――その瞬間。
水面の下に、巨大な影が走った。
紗良の体格を優に超えるそれが、近づいてきた魚たちを一息に呑み込む。
水しぶきが跳ね上がる。
「……っ!!」
湖面を裂くように、サファイア色の巨大な蛇が姿を現した。
そのまま、うねりながら湖の奥へと消えていく。
一瞬の静寂。
「……湖には、あまり近寄らない方が良さそうだな」
迅が低く言う。
「……さ、賛成ー」
「うん……」
二人も小さく頷いた。
森は、美しい。
だが同時に、確実に――危険だった。
---
湖を避け、大樹の森の奥を目指して進む。
目印は、かつて富士山だったであろう大樹の森の頂――。
森の木々に囲まれていても、そのさらに上に、確かに“頂”が見える。
空や遠くの山脈と同じスケールで、背景の一部のようにそびえていた。
エメラルド色の湖へと繋がる川を越えると、森の様子が少し変わる。
大木がうねるように絡み合い、幾重にも重なっている。
地表は太い根と倒木で覆われ、まともに歩けそうな道はない。
「……ここ、通れないね」
紗良が足元を見て呟く。
どうやら、入り組んだ木々の**上**を登っていくしかなさそうだ。
「……引き返すか?」
迅は美咲に確認する。
「ん~、調べたけど、この樹海は横に広がっててね」
「迂回すると、かなり回り道になっちゃうかな~」
「さて、困ったね……」
美咲は手持ちのアイテムを確認し、クライムピックを取り出した。
――その時。
木の上から、ひとりのプレイヤーが降りてきた。
ロープを巧みに操り、地上を走るよりも速い勢いで、軽やかに着地する。
「……ん! 到着!」
その一連の動きだけで、熟練の冒険者だと分かった。
獣人のアバター。
ふわふわとした毛並みに、ちっちゃく丸い耳。
大きな瞳と、くねくねと動く長い尻尾。
風に揺れる赤髪は、木漏れ日に反射して輝いている。
そして何より――無駄のない動きが、彼女の経験を物語っていた。
彼女は自分が通ってきた道を振り返り、じっと見つめる。
「ん~……もう少しかかるかな」
「ここで待つか……あれ?」
こちらに気づき、視線が向く。
声と華奢な体型から、三人はすぐに女性プレイヤーだと分かった。
「あなたたち、新人さん?」
迅と紗良が軽く会釈をする。
美咲は一歩前に出た。
「か、可愛い……!」
「もしかして、キンカジューですか!?」
興奮した様子で、美咲がアバターの周りをぐるぐると回る。
「えっ!? すごい……!」
「よく分かったね!」
獣人の女性は、同調するように嬉しそうに声を弾ませる。
「動物好きなのね、あなた!」
「はい!」
「この前、動物園で見てめっちゃ可愛くて……ファンです!」
「……すごい空気とテンションね」
冷ややかな視線を送る紗良。
あまりのはしゃぎぶりに、美咲がおサルに見えてきていた。
「私、アナマ!」
「冒険ギルドに所属してます、よろしくね!」
三人は順に握手を交わし、自己紹介をする。
その時、迅の視線がアナマの腕に留まった。
冒険者ランクを示す腕章――
**Bランク。**
「……っ」
三人とも、思わず言葉を失う。
「あはは」
「改めて驚かれると、ちょっと恥ずかしいね」
「実は、先日なったばっかりで」
「まだあんまり実感ないんだけど……」
「えー、すごい!」
「ランク昇級の為にどんなデータ収集したんですか!?」
美咲の探究心が、抑えきれずに炸裂する。
勢いに押され、アナマは照れたように尻尾をくるりと首元に巻き、顔を隠した。
「いや~……」
「スカイシーペントっていう、でっかい龍の巣を見つけてね」
「偶然、卵が羽化する瞬間を映像で撮れちゃって」
「査定に出したら、市場価格が……1800.000」
「……1800.000!?」
「奪還戦の報酬より、もらってない……?」
一行は、そろって恐れおののく。
「いやいや!」
「こんなの、滅多にないから!」
「モンスター討伐や遺跡探索と違って、遠征調査は確実性ないしね」
それでも、アナマは笑う。
「でも、あたし遠征調査が好きなの」
「頑張って進んだ先でさ」
「自分の知らない世界とか、景色が広がってるのって――」
「ワクワクするじゃん!」
迅は、深く頷いた。
この人は強い意志を持っている。
そして何より――
**この世界を、心から楽しんでいる。**
そう、はっきりと理解した。
---
アナマは、美咲が取り出したクライムピックに視線を落とした。
「……この先に進みたいのね?」
「はい! 今、登ろうとしてたところです!」
美咲はそう言って、さっそく木にクライムピックを当てがう。
「……あれ?」
何度か角度を変えて試すが、ピックはうまく刺さらない。
美咲は首を傾げる。
アナマも近づき、木の幹にそっと手を当てた。
「この木ね、周りの木と密集して生えてるでしょ」
「お互いに押し付け合ってて、内部の密度がすごく高いの」
「だから、普通のピックじゃ刺さらないんだ」
「なるほど……」
「本当は、あんまり攻略法を教えすぎるのもどうかと思うんだけど」
アナマは三人の装備を一瞥する。
「あなたたちの装備だと、持って半日」
「遠回りするより、早く目的地に進んだ方がいいと思う」
にこりと笑って、続けた。
「だから、先輩として――一個だけレクチャーね」
そう言って、インベントリから道具を取り出す。
ロープと、装置の付いたベルトだった。
アナマはベルトを腰に巻き、ロープを頭上の木へ投げる。
先端に付いた重石が、枝に絡むように固定された。
ロープをベルトの装置にくくりつけ、スイッチを押す。
――ウィィン。
装置が回転し、ロープが巻き取られていく。
次の瞬間、アナマの身体は軽やかに引き上げられ、
あっという間に木の上へ。
「……すごーい!」
美咲は手を振り、目を輝かせる。
「降りるときはね」
「ロープを巻き付けてから、ベルトに固定して」
「巻き取り切ったあとでスイッチを押すと、ゆっくり降りられるよ」
そう説明しながら、アナマはするすると戻ってくる。
固定されたロープに手を添え、
そのままインベントリに仕舞う。
「ロープは触りながら仕舞えば、固定されてても収納できるからね」
再び取り出し、三人に差し出す。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!」
3人の感謝に、アナマは少し照れくさそうに笑った。
――その時。
「――あああああ!! 助けてアナマさ~~~ん!!」
上の方から、悲鳴が降ってきた。
「……はぁ。またなのね」
アナマは、どこか諦めたように笑う。
次の瞬間。
影が横切った。
一人のアバターが、ロープに絡まり、
縛られたような状態のまま木の上から飛び出してくる。
そのまま坂を転がり、森の奥へと消えていった。
「うわあああああぁぁぁぁ!!」
悲痛な叫び声が、遠ざかっていく。
「……大地ー! どこまで行くのよー!!」
アナマが叫ぶ。
「ごめんねー! 連れを追いかけなきゃ!」
そう言って、三人に向かってぺこりと頭を下げる。
「ピース!」
アナマが口笛を吹くと、
空からトカゲの頭をした怪鳥が、羽ばたきながら降り立った。
「よしよし、いい子」
「大地を先に追いかけてくれる?」
「ギャッ、ギャッ!」
ピースと呼ばれた怪鳥は、アナマに
懐いており、撫でられて機嫌がよさそうだ。
そして翼を広げ、
転がっていったアバターの方向へと飛び立つ。
アナマも、その後を追うように走り去っていった。




