第9章 11 火中の狐
中国都市・地下市場 下層酒場――。
人混みの隙間から、一つの影が現れた。
その姿を見つけ、美咲と明鏡止水が足を止める。
「……出待ちとは、大した歓迎だな」
影の正体――祖之は、頭を掻きながら溜め息混じりに口を開いた。
「お前ら、暇人だったんだな」
祖之の皮肉交じりの軽口に、美咲は眉をひそめる。
「会って早々失礼な奴ね……」
「こっちだって暇じゃないっての!」
美咲は言い返しながら、手元に表示された情報を流し見る。
そこには、火竜兵衆のメンバーや活動履歴がまとめられていた。
明鏡止水は変わらず沈黙を貫いている。
祖之はそんな二人を見て、肩を竦めた。
「まあ、俺も人のこと言えた義理じゃねぇ」
「気を悪くするな。――同族嫌悪ってやつだ」
口元に薄く笑みが浮かぶ。
「……エンジニアとしては尊敬するけど、性格は最悪ね、あんた」
美咲は呆れたように息を吐いた。
「ああ、自覚してるさ」
祖之は悪びれもなく答える。
酒場の奥からは、笑い声と金属のぶつかる音が響いてくる。
酒と熱気と喧騒が入り混じった地下市場独特の空気が漂っていた。
祖之は振り返らず、顎だけで奥を示す。
「来いよ」
「火竜兵衆の連中は、もう集まってる」
三人は、そのまま酒場へと足を進めた。
美咲と明鏡止水が酒場へ足を踏み入れた瞬間だった。
重厚な鎧を纏った大柄のプレイヤーが、二人の前へ立ちはだかる。
「おい、余所者……」
「ここは貸し切りだ。出ていきな」
低く響く声。
その後ろで様子を見ていた数人のプレイヤーが、くつくつと嘲笑う。
だが次の瞬間――。
祖之が無言のまま、その大柄なプレイヤーの肩を軽く叩いた。
ただそれだけだった。
祖之は何も言わない。
ただ、相手を真っ直ぐ見つめる。
それだけで、大柄なプレイヤーの表情が変わった。
短く頭を下げ、その場を退く。
周囲で笑っていたプレイヤー達も、視線を逸らし、口を閉ざした。
一瞬で空気が変わる。
美咲はその様子に思わず首を傾げた。
「……あんた、何者?」
祖之は振り返りもしない。
そのまま奥へ歩いていく。
美咲と明鏡止水は置いていかれないよう後を追った。
階段を上がる。
下の喧騒が少し遠ざかり、二階には別の静けさが漂っていた。
祖之が足を止める。
美咲と明鏡止水も、その背後で立ち止まった。
視界の先。
革張りのソファへ腰掛けた数人のプレイヤーが目に入る。
誰もが只者ではない空気を纏っていた。
そして中央。
一人の男が、静かな眼差しで手に持った水晶のようなアイテムを見つめている。
長い沈黙のあと、その男が口を開いた。
「……来たか」
祖之は鼻を鳴らす。
「最高傑作ができたぜ、劉翔」
「まずは物を渡す」
祖之はストレージを開き、操作する。
同時に、劉翔の手元にもストレージ画面が展開された。
表示された内容を見た瞬間、劉翔の視線が止まる。
「これは……」
わずかに言葉を失う。
そのまま、美咲と明鏡止水へ視線を移した。
鋭く、相手の奥まで見通すような目だった。
「お前が客を連れてくるとは珍しいと思ったが……」
「そういうことか」
祖之は短く頷いた。
「確かに受け取った」
劉翔はストレージを閉じる。
そして、静かな視線を美咲と明鏡止水へ向けた。
「――で、後ろの二人は何が目的だ?」
値踏みするような眼差しだった。
美咲は一歩前へ出る。
迷わず画面を展開した。
空中へ映し出されたのは、フードを深く被った男の姿だった。
「このプレイヤーに、心当たりはある?」
――沈黙。
その場にいた全員の動きが止まった。
劉翔の隣に座っていたプレイヤー達も、互いに顔を見合わせる。
その仕草だけで、答えは十分だった。
壁へ寄りかかっていたプレイヤーが、小さく舌打ちする。
「……馬鹿どもが」
張り詰めた空気。
「……知ってるってことでいい?」
美咲が問いかける。
誰も答えない。
だが、その沈黙こそが答えだった。
空気が重い。
苛立ちと警戒がじわりと伝わってくる。
まるで龍の逆鱗へ触れてしまったような感覚だった。
――踏み込んではいけない場所。
美咲は本能的にそう理解する。
それでも、止まれなかった。
頭の中で、今まで集めてきた情報が一気に駆け巡る。
火竜兵衆の目的と行動原理。
この沈黙に対する最適解。
――今、何を言うべきか。
美咲は答えを掴んでいた。
「……このアバターは」
美咲は隣に立つ明鏡止水を指差す。
「あなた達が今まで戦ってきた、どのモンスターよりも強いわ」
一斉に視線が集まる。
明鏡止水は静かに立ったまま、微動だにしない。
「私達が勝ったら――」
美咲は真正面から劉翔を見る。
「フードの男の情報を話して」
再び沈黙が落ちた。
美咲は分析した火竜兵衆の情報を思い出す。
火竜兵衆はどのギルドよりも戦いを好む。
美咲にとって明鏡止水の強さは火竜兵衆にとって十分な興味の対象として判断できた。
この提案がベストー。
美咲は仮想世界でかくはずのない冷や汗を覚える。
劉翔はその言葉を静かに受け止める。
目を細める。
そして、ゆっくりと口を開いた――。
「……いいだろう」
劉翔は静かに答えた。
その一言で、場の空気がさらに張り詰める。
美咲は小さく息を吐く。
「おい、劉翔!」
壁へ背を預けていたプレイヤーが声を荒げた。
「こんな余所者との取引に、何で応じる!」
怒気を隠さない声だった。
劉翔は視線を向ける。
「蛇霊――」
その名を呼ぶだけで、場が静まる。
「俺達、火竜兵衆は戦闘の情報を何より優先してきた」
「もし、この話が本当なら」
「ここで断るのは、自ら貴重な情報を捨てることになる」
「……違うか?」
低く、揺るぎのない声音だった。
蛇霊は奥歯を噛み締める。
「しかし……っ」
言葉が続かない。
苛立ちを滲ませたまま、美咲を睨みつけた。
その視線を、美咲は静かに受け止める。
視線を逸らさない。
劉翔はそんな二人を一瞥し、ゆっくり立ち上がった。
重厚な装備がわずかに鳴る。
そのまま隣に座っていたプレイヤーへ目を向ける。
「戦う場所はこちらで用意する」
「首楽、準備しろ」
呼ばれたプレイヤーは口元をニヤつかせながら立ち上がる。
まるで待っていたと言わんばかりに。
酒場の空気が一気に熱を帯びた。




