第14話 浴室にいる彼女
「とにかく、まずシャワーだ。風邪を引く前に、身体を温めないと」
リビングの手前を通り過ぎ、洗面所と浴室へと案内する。
「バスルームはここだ。自由に使ってくれて構わない」
浴室のドアを開け、中を示す。ごく一般的なユニットバスだが、清掃は行き届いているはずだ。
「あ、あの……着替え……」
天峰が、小さな声で、当然の要求を口にする。
「ああ、そうだったな。少し待っていてくれ。何か、適当なものを持ってくる」
自分の部屋へ急ぎ、クローゼットを開ける。彼女に着せる服……。その事実に、またしても心臓が妙な音を立てるが、今は冷静に、実用性を優先しなければならない。
結局、一番無難だと思われる、洗ったばかりの無地の赤いフーディと、丈の短い紺色のスウェットパンツを選んだ。俺のサイズだから、彼女にはかなり大きいだろうが、選択肢はこれくらいしかない。
浴室へ戻り、畳んだ服を彼女に手渡す。
「これで、勘弁してくれ。サイズは、まあ、大きいと思うが……」
「……うん。ありがとう。助かる」
彼女は、少し恥ずかしそうに、しかししっかりとそれを受け取った。その指先が、微かに震えているように見えたのは、寒さのせいだけではないのかもしれない。
「それと、濡れた制服はこれに。……持って帰るときに使ってくれ」
クローゼットから持ってきた、大きめのビニール袋を手渡す。
「ドライヤーは、洗面台の下の棚に入っている。タオルは、そこの棚の上の、新しいのを使ってくれ。……ああ、化粧水とか、そういうのは……一応、男性用のものなら、ここにいくつかあるが……」
洗面台の棚を指差しながら、しどろもどろに説明する。女性が必要とするものが何なのか、俺にはよくわからない。だが、できる限りの配慮はしたい。
「……わかった。……本当に、ありがとう」
彼女は、まだ少し緊張した面持ちで、しかし、こくりと頷いた。
「じゃあ、ゆっくり温まってくれ。俺は、リビングで着替えているから。……何かあったら、声をかけてくれればいい」
そう言い残し、俺は浴室のドアを閉めた。ドアの向こうで、シャワーの音が微かに聞こえ始める。その音を聞きながら、俺は大きく息を吐き出した。
(……とんでもない状況になったな)
自分の服装を見れば、こちらも完全にずぶ濡れだ。急いで着替えなければ。
自室に戻り、乾いたTシャツとスウェットパンツに着替える。濡れた服を脱ぎ捨て、タオルで乱暴に身体を拭う。冷え切った身体が、少しずつ温かさを取り戻していく。
着替えを終え、濡れた髪をタオルでガシガシと拭きながら、リビングへ戻る。ソファに腰を下ろし、改めて、この状況を整理しようと試みる。
天峰が、今、この家のシャワーを浴びている。そして、俺の服を着る……。その事実が、現実味を帯びて迫ってくる。下心はない、と自分に言い聞かせてはいるものの、全く意識しない、というのは嘘になるだろう。
(……何か、温かい飲み物でも用意しておくか)
キッチンへ向かい、電気ケトルに水を入れる。インスタントコーヒーと、確か紅茶のティーバッグがあったはずだ。彼女は、どちらがいいだろうか。……いや、勝手に決めるのは良くないか。後で聞いてみよう。それから、何か食べるものは……。冷蔵庫を開けてみるが、大したものはない。……まあ、仕方ないか。
濡れた髪を、もう一度タオルで拭く。ドライヤーを使うべきか迷ったが、彼女が使い終わるのを待つべきだろう。
ソファに戻り、ただ、時間が過ぎるのを待つ。雨音は、窓の外で依然として激しく降り続いている。テレビをつける気にもなれず、ただ、静かな部屋の中で、シャワーの音だけが微かに響いていた。
どれくらい時間が経っただろうか。不意に、浴室のドアが開く音がした。
俺は、反射的に、そちらへ視線を向けた。そして――言葉を失った。
そこに立っていたのは、紛れもなく天峰だった。だが、その姿は、俺の知っている彼女とは、まるで別人であるかのように見えた。
俺が貸した、サイズの大きな赤いフーディ。それは、彼女の華奢な身体をすっぽりと包み込み、袖を捲った状態で、かろうじて白い指先が覗いているだけだ。同じく、ぶかぶかのスウェットパンツは、本来なら膝上丈のはずなのに、彼女が履くと膝下まで届きそうになっている。紐をきつく縛っているのが見て取れた。
濡れていた髪は、タオルドライされたのか、しっとりとした艶を帯び、普段よりも柔らかそうな印象を与えている。そして、湯気でほんのりと上気した白い頬。いつもは強い光を放つ琥珀色の瞳が、今は少しだけ潤んで、どこか頼りなげに見える。
その、あまりにも無防備で、普段の彼女からは想像もつかない姿に、俺は、完全に思考を停止させられていた。
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