第十五話 冷笑に秘す2
ラゼンテ・レフ・ヒルディ
嘗て、世界に名を馳せた舞台女優である。
靡く金糸の髪に、宝石の瑠璃の如く、奥深く何処か淡い瞳、瑞々しい果実のような唇、しなやかなで扇情的な体躯、彼女の目立つ容姿は舞台によく映えた。だが、その容姿よりも彼女の評価された要素となったのは、その演技力である。劇場にいる者の全ての視線を奪う。観客は彼女から絶対に目を離せない。
そんな彼女は圧倒的な人気を誇る舞台女優になるまでさほど時間は掛からなかった。まさに人気絶頂のその時。
本当に突然だった。
彼女はある日、姿を消した。
人当たりもよく恨まれる理由も無い。人気故の誘拐も疑われたが、彼女の周りの警備は万全だった。
というのであれば、考えられるのは彼女本人の意思である失踪。だが、彼女の傍にいる人間は総じてその答に首を傾げるのである。
「彼女が消えねばならぬ理由とは」
「舞台の主演を張り続けることに戦いたのでは?」
「彼女はこよなく舞台を愛していた!」
「では、何故」
謎だけが残り、彼女の失踪がやがてそんな事もあったなと懐かしまれる頃。およそ十年後。
彼女の死体が発見される。
ただ、彼女と判るには少し時間が掛かった。十年という月日によって彼女の美しさが掠れたわけではない。逆に彼女は十年という月日を無視していたかのように変わっていなかった。
彼女には大量の刺し傷があったのである。
顔に3回。上半身に26回。下半身に17回。手足には拘束のためか包丁やはさみが刺さったままだった。
彼女の机の日記にはこう記されている。
『何年待っているのかしら。私は──』
【悲劇の女優 ラゼンテ・ヒルディ】より
「んぅ~~……」
謎だよね、ラゼンテさん。急に殺されちゃうのも意味分かんないし。やっぱり監禁されてて、殺されたのかな。でも、彼女のいた家には自由に彼女が暮らしていた形跡があって、靴もあったんだよね。それと、その家には彼女以外にも人がいた形跡があって、男の子用の服が見つかったんだよね。ラゼンテさんの息子? でも、父親は──。
「ねぇ狂偽ちゃん、こっちの薄紫色のドレスコートが良い? やっぱ、俺と合わせて紺色に……」
「どっちも却下。目立つんで、クローゼットの中のある灰色のコートにします」
「えぇぇぇ~~~~」
かれこれ二時間、イセラさんはこんな感じだ。
この人は本当に自分が犯罪者だと言うことが分かっているのだろうか。そんなに派手なドレスコートを着たら、目立ってしまうだろうに。なんのために劇場で後ろの座席をとったんだか。
「というか、今日観劇なんですよ。そんな悠長に服なんて選んでる暇無いです!」
「もぉ~、そんなに怒んないでよ。久しぶりに狂偽ちゃんと出掛けられて嬉しいんだって」
とっくに成人してるくせに、えへへと照れながら笑っている。おまけに180センチ越えだ。
「可愛くない……」
「脈略も無く貶されたっ!」
「それに、こんな私みたいな美少女が家いたら、イセラさんが美少女大好きなロリコン野郎ってバレちゃいますよ?」
「俺は!! ロリコンじゃ!! 無いから!!」
「うるっさ……」
半泣きでツッコんでいたのは、どこへやらいつの間にかまたムフフと微笑んでいるイセラさんに私は首をかしげた。
「なんで笑ってるんです?」
「えー? 今、俺が幸せで狂偽ちゃんと家族でいられてるから、かな?」
「家族って言ったって、私とイセラさんの血は繋がってませんよ?」
「んー、血縁とかそういうのじゃなくてさ、一緒にいて幸せだし、幸せにしたいって思える人が俺は家族だと思ってる」
「……そう、ですか」
イセラさんは、最近よく自分が幸せだと言う。
私を見てニヤニヤしているのは、正直に言うとロリコンですと警察に突き出したいくらいだが、本人が詐欺師な手前、冗談でもなんでも無く逮捕されてしまうので黙ってあげている。それに案外、私はその綻んだ顔を気に入っているのだ。
「ほんと、顔だけはいいですよね」
「やだ、狂偽ちゃん。こっちにいすぎて日本語下手になっちゃった? 『顔だけは』じゃなくて『顔も』でしょー」
「いや、だってイセラさん、イケメンなのにそれを掻き消す位のロリコン、犯罪者、女好き、散財っていう低スペックが並んでるじゃないですか」
「狂偽ちゃん来てからは家に女の子呼んでないじゃん。あ、もしかして嫉妬!? そっかそっか、年上のお兄さんに憧れちゃう時期だもんねぇ? こんなイケメンいたら好きになっちゃ、ぶへっ!!」
「いい加減にしてください。もうそろそろほんとに外に出ないと、開場時間に遅れます」
「は、はい……」
私が投げた金属製のアタッシュケース顔面にクリティカルヒットしたイセラさんはようやく大人しく準備をし始めた。そう、本当に遅刻する。何せ、私達の移動手段に車は除外されてしまったのだ。それは半年前、イセラさんがイヴァンさんから借りた愛車を派手にぶつけたからである。その後、戦争のような大喧嘩を繰り広げ、結果イセラさんに2度と車を貸さないことで和解したのだが、まさかその選択が今の私にまで支障を来すとは思ってもいなかった。
「もし、時間ヤバそうだったら、俺が狂偽ちゃんお姫様抱っこして走るよ」
「……」
「うわっ、本気で嫌そうな顔」
「だから、早く支度を……」
「あぁあぁ!! わかった、分かったから取りあえず手に持ってるゴルフクラブ下ろしてぇぇ!!!」
#######
それから、何とかイセラさんの支度を終わらせ、タクシーを使いなんとか時間通り劇場に着いた。
ぶつけられたアタッシュケースの痕か、寒さのせいかいつもより鼻が赤いイセラさんは眉を下げてこう言った。
「いやぁ、あれ以上俺の端正な顔を傷付けてたら地獄に堕ちちゃうよ? イケメンの顔を傷付けた罪は重いぜ?」
「遅れて観れなくなるのはいやなんですよ。あれよりもっと遅れていれば、イセラさんの首元掴んでも観に行きます」
「ははっ、それでも俺のことを置いてかずに一緒に行ってくれるんだ。嬉し───」
「イセラさん……?」
「……あ、ヤバい、俺チケット持ってきたっけ」
「それなら、私がイセラさんの分まで持ってます」
「さっすがー!」
ここまで物忘れが激しくて大丈夫だろうか。ボケ始めるには、まだ早いと思うんだけど。
「並ぼっか」
心配そうに見つめていると笑って、そう言われた。差し出された手を取ると、相変わらず冷たい体温が伝わる。この大きな手は、何年経っても寂しそうに冷たい。少しでも暖められればと、いつも大切な物を包むように握ってくれるこの手を私は強く握り返した。




