第十四話 冷笑に秘す1
「ただいま~」
大好きな緊張感の無い、優しくて低い声がドアを開けた音と共に聞こえ、トタトタと玄関まで迎えに行く。
「おかえりなさい、イセラさん」
帰ってきたイセラさんの鼻と耳が仄かに紅潮していて、吐いた息は白くなっていた。相当寒かったのか、死んだ魚のような目をしていたが、私に気づくとパッと笑って。
「ただいま」
と、言った。
この日常ももうすぐ終わりを迎える。
半年後には、もう日本に戻らなければならない。学校が始まり、私はまたあの家の人間に戻る。だけど、時が経ったらあそこを出て、もう一度ここに来ても良いと言ってくれた。ならばそうしよう、ゲームが始まり不幸な悲しい悪役になるなんてとんでもない。私はこの人達と幸せに生きる。
「イヴァンもいなくてつまんなかった?」
コートを掛け、暖炉の前のロッキングチェアに腰を掛けたイセラさんはそう訊く。今日はイヴァンさんは出張で、イセラさんは夜中から出勤(犯罪)だったので、朝起きるともう誰もいなかった。
「いーえ、テレビとか見て、一人を満喫していました」
「あいつの存在意義って……。まぁ、いいや。テレビ今日なんかやってた?」
「えっと、この前ラゼンテ・レフ・ヒルディさんっていう人の話したじゃないですか」
「あぁうん、もう死んでるけど、狂偽ちゃんの好きな女優さんだもんね」
いつもそういうデリケートな話題には、亡くなっているなど丁寧な言葉を使うイセラさんなだけに今の言葉は多少の違和感があったが、突っかかるのもどうかと思い話を続ける。
「その人が主演だった作品がこの前リメイクが決定したんですよ。で、その作品のチケットが今日から取れるので……」
「そのチケットって、もしかしてこれ?」
その手に握られていたのは二枚の紙。その紙にはオシャレなフォントで【再演 冷笑に秘す】とロシア語で書いてある。そんなことを認識したのは、その二枚の紙を見てから10秒程経った後だった。イセラさんに目の前で手を振られ「おーい」と、声をかけられ、ようやく戻ってきた。
「ふぇ……ち、チケット? え、な、なんですか? イサラさん、カッコつけてサプライズなんかしちゃって~」
「滅茶苦茶動揺してんね、イサラって誰だわ」
「……っ」
「嬉しい?」
イセラさんはにんまりと私に笑いかけて、そう問いかける。きっと、答えは知っているが言葉で聞きたいのだろう。その至極ご満悦そうな顔に少しムカついたものの、嬉しさが勝ってしまい視界がぼやけていき、鼻にツンとした刺激が走る。
「嬉しいに決まってるじゃない”でずがぁ”……!」
「うわ、鼻水垂れてる」
「空気読めよぉ、グゾイ”ケ”メ”ン”~」
「褒めてんだか、貶してんだか」
涙や鼻水でグシャグシャの顔になどまるで気にせず、私のことを抱き締め、頭をワシャワシャと撫でる。そんな行動にもまたもや涙腺が緩み、ギャンギャンと泣き出してしまう。転生前に19歳だったことなど、とうに忘れてしまっている。精神は肉体と環境に合わせて変わっていくというのが、この転生で覚えたことだ。嬉しかったら笑うし、悲しかったら泣くし、不満を抱いたら愚痴を吐く。イセラさんはそれは人間みんなに与えられた当然の権利だよ。と言ったが、前世の私はそうではなかった。感情をあまり表向きに出してはいけなかったし、声を出して笑ったらお祖母様にぶたれる。
「はいはい、よーしよし、狂偽ちゃんは可愛いねぇ~」
「……そんなに撫で回さないで下さい、ハゲます」
「大丈夫大丈夫、若い子の発毛舐めんなよ」
「なんですかそれ、じゃあ好きに肉体年齢変えられるイヴァンさんはまだしも、今25歳で四捨五入したら三十路のイセラさんの毛根は死にかけって事ですか?」
「んなわけないでしょ! もっさもっさだわ、ていうか年齢で四捨五入したら終わりだからね!!」
「ンヘヘへ」
これも転生して初めて気づいた事だが、私は笑うと「ンヘヘへ」というらしい。イセラさんは性格相応でいいじゃんと爆笑していたし(決して可愛いとは言わない)、イヴァンさんにはもっと可愛い笑い方は出来ないのかと言われた。二人とも、10歳の愛らしい幼女に随分と失礼極まりない事を言う。性格相応とはなんだ?
「あっ、言い忘れてたけど俺こんなに優しくてイケメンだけど一応犯罪者だから前の方の席は取らなかったよ。劇観に行って捕まるとかシャレになんないしね」
「一応も何もイセラさんは詐欺師ですが、了解しました」
「いっつも一言多いんだよなぁ……」
そんなことを悪態をつきながら言うと、私を膝から下ろし、手帳を取り出す。そして、チケットに記載されている1月24日に劇とサラッと適当な字で書き込む。意外とこういう所はこの人忠実なのである。結構前に意外ですねと言ったら、営業商売(犯罪)なので、時間と予定を守るのは話の巧妙さの次に重要なのだとか。確かに、時間を守れる人は信頼度高いよね。
「楽しみだね」
「はい。でも、いつから私がこの劇行きたいって知ってたんですか?」
「ん? だって、狂偽ちゃん分かりやすいじゃん。コイ……いや、ラゼンテさんの劇の再放送いっつも録画してるしさ。本物とはもう会えないけどね。せめて一回ぐらい可哀想だし、行ってあげようと思って」
私ってそんな分かりやすかったんだ……!?
分かりやすい、可哀想などの言葉に軽くショックを受ける。
「ま、当日は予定開けとくから楽しみにしといてね」
「はいっ!!」
☆★☆★☆★
ピロンピロリン
久しぶりに聞いた馴染みのある着信音から、連想的に電話の主が分かり、吸っていた煙草を咥えながら電話に出る。
『よぉ、イセラ』
「ひはひふりふぁな、いふぁん」
『なんて??』
「久しぶり」
『あぁ、おう、久しぶり』
声色からして三十台前半。イヴァンはその類い稀な年齢操作の異能で仕事に適した年齢になる。家に居るときは、見た目だけでも若く見せたいのだか20代前半か10代後半の姿だ。
イヴァンは電話を掛けてくることは少なくない。だが、ここ半月は忙しいのか掛けてくることも無かった。
「なんだよ、まさか俺の声が聞きたくなったとか気持ち悪ぃこと言うつもりか??」
『んなわけねェだろ。なんだその三カ月位で別れそうなカップルの女のセリフみてェなのわ。今、俺のいる地域で追加で仕事入ってな。なんでも、戦い慣れたベテランが少ないらしくて、俺みたいな名家入りしてねぇ、特異異能者でも欲しいらしい』
まとめると出張が伸びるらしい。
「いつ位まで伸びそうだ?」
『一月いっぱいは帰れねェだろうなぁ』
「そうか」
『あいつ、俺がいなくてさぞ悲しんでたろ』
「いや全然。お前のことなんぞ毛程も気にして無かったし、一人でテレビでも見てた」
『は? え………、は!?』
「現実を受け止めろ、お前の存在意義はテレビに負けた」
『はぁ? マジかよ、あいつ帰ったらド突くわ』
「あっそ」
言うだけ言って、イヴァンは暴力的な事を狂偽ちゃんにしたことはないので適当に相槌を打つ。されど、ぶつくさ言うイヴァンをよそ目に時計の針を見ると、一時四十分頃を指している。
「もういい時間だし。じゃあ、切るわ」
『おい、イセラ、気をつけてねとかなんか一言ねぇのかよ』
「なんでだよ。気をつけろもなにもこのご時世、異能を持った犯罪者なんてのは、国に見つかったら殺されてもおかしくねぇだろ」
『フハッ、違いねェなァ。だが、俺みたいな耄碌ジジイはいいが、お前みたいなクソガキは死ぬのにはまだ勿体ねェからよ、ま、気をつけろよ』
「分かってるよ、んなこと。じゃあな」
『おう』
そろそろあいつペースに飲まれそうだったので、話を切り上げすばやく電話を切る。あの男はこういう時に限り、自分は年長者だと言う。全く都合の良い野郎だと思うが、それに救われてきた面もあるので不問にしてやっている。
「……フゥ……」
気が付けば三本目に突入する煙草に火を付け、ライターをしまった代わりに手帳を取り出す。1月の概要欄に【イヴァン出張】と書き、昼に書き込んだばかりの【1月24日演劇】の文字をなんとなく眺める。彷彿したのはテレビに映っていたあの女だった。劇場にいる全ての観客の視線を奪い、世界で1番とまで謳われた舞台女優。ただ一人の男の愛に溺れ焦がれ渇望し、最後には実の息子に殺された愚かな女。
「ラゼンテ・レフ・ヒルディ……」
因みにイセラさんが座っていた、ロッキングチェアというのは脚がカーブしている椅子のことです。揺りかごみたいにギコギコ出来るやつですよ(語彙)。




