12,巡る命に深呼吸を捧げて
エフェメールはベッドに横になったまま、視線だけを動かして部屋に入ってきたオネットを見た。オネットは大きく息を吸って、エフェメールに向き合った。そして自分の本当の気持ちを、素直にぶつけた。
「俺も、本当にエフェメールが好きだよ!でも、それは多分エフェメールの言う好きとはちょっと違うんだと思う。天秤で測れるような物じゃないとは分かっているけど、エフェメールの好きと、俺の好きは、きっと釣り合う。ただその根本的な要素が違うだけなんだ。だから俺もやっぱりエフェメールが大好きで…って、返事になってるかな…?」
心にある言葉をそのまま口に出していたオネットは、自分の発言がまとまっていないことははっきり分かっていた。それでも、伝えなければならないと思った。エフェメールが、こんな状態なのに相手を傷つけるような返事をして大丈夫なんだろうかと、オネットは不安だった。でもその不安は、すぐにかき消された。エフェメールはくすぐったそうに、少し困ったように、でもとても嬉しそうに笑った。自分の返答がエフェメールにとって喜ばしいものではないと分かっていたオネットは、何故エフェメールがそんな表情をするのか分からなかった。それでも、ずっと入っていた肩の力が、ゆっくりゆっくり抜けていくのを感じ、少し口角を緩めた。
「あのね、オネット。アレクサンドライトの石言葉知ってる?」
今までより極端に小さいその声に、オネットはエフェメールに耳を近づけ、小さく首を振った。それを見たエフェメールは嬉しそうに微笑んで、そっと口に手を当ててオネットの耳に囁いた。
「私ね………」
エフェメールが何かをオネットに告げると、オネットは驚いたようにエフェメールの顔を見た。エフェメールはその様子を見て満足そうに笑い、細めた目から一筋の涙を流した。ころん、とアレクサンドライトが生まれた。それは、今まで見たどの宝石よりも輝いていた。それが、エフェメールの最後の煌めきだった。幸せそうに笑ったまま、エフェメールは息を引き取った。オネットは暫くエフェメールの体を揺らし、名前を呼び続けたが、もう返事をすることはと分かると、泣いた。子供のように泣いた。子供のらしく過ごすことのできなかった幼少期を埋めるかの様に、声を上げて泣いた。オネットの声を聞いて部屋に集まってきた家族にも、その涙にも気づかないほどがむしゃらに泣き続けた。夜も遅くなり、やっと泣き止んだオネットは、そこで初めて自分の周りの家族の存在に気がついた。その中に未だに泣いている者はいなかった。メルベイユーから話を聞いた時点で、覚悟はしていたからだ。オネットは急に怖くなった。自分が自己満足の為に連れてきた尊い命は、もあっさりと、いとも簡単に崩れ去ってしまうものなのだと、目を逸らしてきた現実を突きつけられた気がした。オネットの頭の中を、ある光景がフラッシュバックした。あの時のように、また8つもの命を失ってしまうのではないか、そんな考えが頭を過った。オネットはふらふらと立ち上がり、虚ろな目で言った。
「俺は、どうすればいいか、分からない。命は簡単に壊れるものだって、思い出した。皆も、命があって、いつかは死んでしまうんだって。そういうものを、俺は預かってるんだって。でも、そんな資格、俺にはないのかもしれない。皆は連れてこない方が、幸せな暮らしをしていたのかもしれないって…」
オネットがそこまで言いかけて言葉を飲み込んだ。メルベイユーに勢いよく胸ぐらを掴まれたからだ。驚いた表情のオネットに、メルベイユーは憤りを露わにして叫ぶように言った。
「ふざけるな…!ふざけるな!!俺たちはそんな軽い気持ちでお前に人生を渡した訳じゃない!!お前の言葉を信じたから!お前の言葉に救われたから!だから今ここにいるんだ!!エフェメールだって!お前にそんな事を言って欲しかった訳じゃない!!ちゃんと彼女の声に耳を傾けろよ!!彼女の願いに気づけよ!!彼女の涙を!命を!無駄にするなよ!!」
メルベイユーはぽろぽろと涙を零しながら、今にも殴りかかりそうな勢いだった。オネットは、久しぶりに見たメルベイユーの涙は、変わらず美しいと思った。それでも出会った頃と違うのは、それが誰かのための涙だからだろうか。メルベイユーは肩で息をしながら、鋭くオネットを睨みつけたまま、噛み付くように、昔話をするように言った。
「俺たちは、死んだ者たちがいるから今ここにいるんだ。いつも道を歩く時、今自分が死体の上を歩いているんだと考えたことはないか?それは小さな虫かも知れない、もしかしたら名高い戦士かもしれないし、盗賊の一味かもしれない。全員の可能性だってある。そういう上に成り立ってるんだよ、この世界は。俺たちは。…そういう事も、考えろ。」
オネットはその言葉を聞いて驚いたような、きょとんとした顔をしていた。そんな事、考えた事もなかったからだ。メルベイユーがそんな事を考えながらいつも一歩一歩を歩いていたのかと思うと、自分が酷く小さく思えた。それを見て、メルベイユーは突き放すようにオネットの胸ぐらから手を離した。そしてそのまま階段を降りて行った。残された7人は、それぞれメルベイユーの言葉を噛み締めていた。何人かがちらほらとメルベイユーの後を追って階段を降りていく。最後に残ったのは、フレルとオネットだけだった。フレルはこめかみあたりにある小さな傷跡をそっと撫でた。
「私は、オネットに出会えて良かったと、思ってるよ。」
フレルはそれだけ言うと、静かに皆の後を追った。1人残されたオネットは、しゃがみ込んで、嗚咽を漏らした。いつもは無口なフレルが、オネットは間違っていないと、肯定してくれたように感じた。嬉しくて、自分がもどかしくて泣きながら笑って、顔はくしゃくしゃだった。エフェメールは最期、オネットに言っていた。
『オネット、私ね、自分はきっと神様が間違えて作り出した不良品なんだって思ってた。でも、此処はあったかいね。明るいね。オネットが自分の正義を貫けば、ここは救いの場であり続けられるんだと思う。私はきっと、幸せ者ね。』
その意味を、オネットは本当に(・・・)理解できていただろうか。ただ自分を励まそうとしているのだと、そう思っていた。もしかしたらあれは、エフェメールの“秘めた思い”だったのかもしれない。オネットは顔を上げた。その眼は、強い生気に満ちた輝きを帯びていた。そしてスイッチを切り替えたかのように素早く立ち上がり、皆の待つリビングへと急いだ。部屋を出る直前、静かに眠るエフェメールを振り返って、愛おしそうに笑った。リビングでは、メルベイユーが夕食を作り終えたところで、オムライスの温かい香りが漂ってきた。メルベイユーのオムライスにはご飯にチーズが混ぜ込んであるので、口にする度とろりととろけた熱々のチーズがふわりと香る。ふんわりと半熟の卵がトマト味のご飯によく絡んでいてとても美味しい。
「メルベイユーのご飯久しぶりだ。美味しいよ。」
オネットはそう言って笑ったが、その笑顔にあまり力は無かった。そして皆がオムライスを食べ終わった頃、オネットは紅茶片手に皆に言った。
「明日は俺仕事を休むから、午後から皆で出かけよう。少し遠出になる。」
オネットはふとエフォールの方を窺い、午前中に買い物に行って、午後までに棺を作れないかと聞いた。エフォールは少し困ったように笑って言った。
「それは簡単だけど、出来れば一生の内で棺は作りたく無かったかな。」
それを聞いたオネットは頼む、と念を押した。エフォールは折れ、エフェメールの為に頑張るよ、と言った。
次の日になり午前中にオネットとエフォール、そしてメルベイユーは買い物へ行き、山程荷物を抱えて帰って来た。巨大な木材に大量の食べ物。メルベイユーは今日のお昼はトルティーヤにするようだ。エフォールとメルベイユーは早速それぞれの準備に取り掛かり、オネットは再び家を出て行った。もうすぐ太陽が真上に上がるというそんな頃、オネットが大量の花を抱えて帰宅した。エフェメールの棺に入れるものだった。エフォールは彫刻を施した素敵な棺を作り上げた。オネットとメルベイユーが2人がかりでエフェメールをリビングの棺へと運んだ。オネットはエフェメールを運ぶ前に、その小さな手の甲にそっと口付けを落とした。それから皆でメルベイユー特性のトルティーヤを食べ、出掛ける支度を済ませた。全員で棺いっぱいに花を手向け、お別れを言った。オネットはいつものように白いコートを羽織っている。棺にローラーと紐を取りつけて、それを引くようにして歩く。まず最初に向かったのは、エフェメールの住んでいた森の奥の家だ。エフェメールから聞いた話を元にたどり着いたそこは、荒らされたままの状態で放置されていた。部屋の中は家具が倒れ、床板も穴が開いていた。そんな光景を切なげに見つめ、オネットは持ってきたスコップで家の近くに穴を掘り始めた。皆もそれを手伝い、30分足らずで棺が収まる程度の穴を掘り終えた。エフェメールの入った棺を穴の中へ入れる。土をかける間、暫く哀感漂う時間が流れた。
「またね、エフェメール。」
エフェメールの亡骸を埋めてから、皆で手を合わせ、そこに桜の種を埋めた。オネットは立ち上がり、皆を振り返って言った。
「もう一個、行きたい所があるんだ。」
オネットは行き先は言わずに、ただ黙々と歩いた。それでもその顔は沈んではいなかったので、何も言わずにそれについて行く。1時間超歩いただろうか。夕陽が世界を紅く染め、直視できないほど眩しく光りを放つ頃、オネット達がたどり着いたのは、浜辺だった。波が心地よい音を奏でるそこで、オネットは持ってきた両手程の大きさの木箱を取り出し、蓋を開けた。そこには夕陽に照らされて輝くアレクサンドライトがびっしりと詰まっていた。オネットはそれをバラバラになるように海に撒いた。エフェメールの生きた証は、小々波に洗われて、いつか跡形もなくなり、地球に還るだろう。それに少しだけ寂しさを感じながら、海に宝石を放つ姿は、とても美しかった。ルポゼが後ろから覗き込んだオネットの顔は、どこか自信に溢れ、どこか誇らしげなものだった。箱の中が空になると、オネットはふぅ、と息をつき、夕陽に負けないくらい眩しい笑顔で言った。
「さぁ、俺たちの家に帰ろうか!」
オネットが騎士の姿で、普段の口調で話すのはこれが初めてだった。帰り道、そろそろ日が落ちるという頃にエフェメールを埋めたあの場所まで戻ってきた。そこでオネットが家の中に何かを見つけ、皆を手招きした。集まってオネットの指差す先を覗くと、割れた床板の隙間から、一本の苗木が生えてきていた。新しい命はいつか大きく成長し、大地に深く根をはり、立派な巨木へと成長するのだろう。この、様々な命の眠る場所で。そんなことを考え、嬉しそうに笑った家族の胸元には、輝く銀のネックレスの指輪部分にはめ込まれた、アレクサンドライトがぽっかり空いたその穴を埋めるかのように幸せそうに輝いていた。
本編はこれで完結になります!
ここからは一人一人の過去の話に入っていこうと思っていますので、もしよければそちらも見ていただけたら光栄です!
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