1-3 美鈴と絢香
アイは自分たちのテントに姉妹を引き入れた。ゼンさんは何も言わず姉妹のために飲み物を準備している。
「入って……。しばらくここで休むといいわ」
そう言うとアイは自分の寝具の上に姉の美鈴を寝かせた。コンクリートの床に段ボールを重ねて敷いて、その上に寝袋を置いただけの簡易的な寝床。それでも安全なはずの避難所に来てすぐに他の大人から搾取を受けた姉妹には、とても暖かい寝床だった。
何をされたのか、自分で起き上がることもできない姉の美鈴だけではなく、それに寄り添っていた妹の絢香も安心したのか気絶するように眠りに落ちてしまった。テントに来るまでに簡単に話を聞こうとしたが姉妹の口は重く、名前しか聞きだせなかった。
そこに器用に杖をつきながらゼンさんが暖かい紅茶を入れたカップを乗せたお盆を持ってきた。アイがそのお盆を受け取って、机にしている台の上に置くと、ゼンさんが姉の美鈴の様子を見て、怒ったような顔をしているのに気づいた。
「ゼンさん?」
アイが声をかけると、ハッとした様子でいつものゼンさんの顔に戻った。
「私……おじいちゃんのさっきのこと話してくる!」
険しい顔で寝息を立てる姉妹を見ていた心優ちゃんがそう言って出て行こうとするのをゼンさんが止めた。
「ちょっと待って心優ちゃん。いいかい?君の気持ちはわかるけど、ここで二宮さんに言うと犯人探しが始まる。そしてこの姉妹から物資を搾取した奴は何か罰を受けるかもしれない。でも問題はその後だよ。ここの避難所は言ってみれば無法地帯だ。外が危険だから大人しくしているけど、決まりに従っている者はほとんどいないだろ?そんな奴らに罰を与えたら……」
そこまで言うとゼンさんは険しい顔になり、心優ちゃんはその先が想像できたのか、泣きそうな顔になる。
「わかるね?この避難所は決して統率がとれているわけじゃない。本来なら管理組……武器を持って戦う力がある生き残りの自衛隊員や、ネメシスとかいう連中が先頭に立って物資の回収やこの避難所の防衛をしっかりしながら、内部の治安をしっかりとしていくのが理想なんだけど……。今は誰も管理組との折衝や避難民のとりまとめなんてやりたくないから二宮さんに押し付けているけど、変に刺激するとそんなことも気にしないで騒ぎ出すかもしれない。そうなってしまえば二宮さんも危なくなる」
そのゼンさんの言葉に、小さい手をキュッと握りしめて、心優ちゃんはこらえているような顔をしていた。
ゼンさんはそんな心優ちゃんの頭を撫でて、優しい顔で言った。
「だから、誰にも気づかれない所でこっそり言うんだ。二宮さんも現状は理解している。きっと彼女達から搾取した連中には分からないように締め付けるだろうし、この姉妹のことも気にかけてくれるだろう。それでも二宮さんの負担にはなってしまうけどね……」
心優ちゃんはそれを聞いて、黙って頷いた。
「ゼンさん……私あんな奴らのために危険な目に遭うのは嫌だ……。あんな奴らばかりじゃないからって思ってやってきたけどさぁ。美鈴ちゃんだけじゃないよね?きっと」
小さな声でそう言ったアイに、ゼンさんは険しい顔をして頷いた。力のない避難民のグループは何も美鈴たちだけじゃない。年配の女性ばかりのグループや、けが人ばかりのグループだってある。
そういう人たちもまた搾取されている可能性がある。
「大体わかるよ……。この大広間の中央に固めてテントを張っているどこかのおじさんばかりのグループ。そのうちの何人か偉そうにしている奴がいるけど、少しデブってきてるもん」
アイが言ったグループはゼンさんもすぐに分かったようだ。どこかの会社の社長が、社員ごと避難してきた連中で、当初、避難民達の取りまとめをする代表を選ぶときに二宮さんと激しくぶつかっていた。
避難民達の事を思って名乗りを上げた二宮さんと、避難民を支配して私腹を肥やそうとした社長とで激しく揉めたが、管理側……自衛隊やネメシスの連中が避難民たちのことを放置した事で状況が変わった。
管理側は、避難民達を捨て駒としか考えておらず、物資など雀の涙ほどしか分けようとしなかった。それを何とか交渉してある程度確保しているのは二宮さんが根気よく交渉してくれているからだ。
それをしなければいけないとなったら、実にあっさりとその社長は身を引いたものだ。
「それ以来目立ったことはしていなかったけど……そんな事をしていたとは」
険しい顔のままゼンさんはそう呟いた。その社長がいるグループは働き盛りの男性を多く抱えている。元社員なんだろう。それだけの労働力を持ちながら一切協力はしようとはしない。
アイが愚痴をこぼすのもわかるというものだ。
美鈴も絢香もしばらく目を覚ましそうもないので、心優ちゃんは一度二宮さんの所へ戻ることにした。一応アイが付き添って二宮さんの所まで送り届けて、戻ってくるとまだ目を覚まさない姉妹の周りに、ゼンさんとお母さんが座っていた。
「お母さん!寝てなくていいの?」
アイがそう言うと、お母さんと呼ばれた女性はやつれた頬を持ち上げて笑顔を作った。
「ええ。今日は体調がいいの。それより……話があるわ、アイちゃん。ここに来て?」
そう言われてアイはおとなしくお母さんのそばに座った。「お母さん」とアイは呼んでいるが、実の母親ではない。長篠みゆきというその女性は、目の前で夫と二人の幼い子供を感染者に襲われ、一人だけ生き延びてしまった。それだけで罪の意識につぶされそうになったが、それからが本当の地獄だった。
感染者に殺された夫と子供たちが起き上がり、みゆきに襲い掛かってきたのだ。
物資を探していたアイが、激しくドアを叩いていた感染者をやっつけて、ドアを開けた時にはみゆきは呆然自失の状態だった。今でも発作的によみがえるトラウマに苦しんでいる。生きる望みを絶たれ、助けようとするアイの手を取ろうとしなかったが、咄嗟にアイがお母さんと呼んだことで我に返り、何とか一緒に逃げてきたのだ。それ以来アイはずっと「お母さん」と呼んでいる。
「アイちゃん?この避難所を出ましょうか?」
隣に座った途端、アイの頭を撫でながら微笑んでそう言ったお母さんの言葉にアイは動揺した。
「で、でも……」
アイも本心ではそうしたい。もうあの社長の脂ぎった顔を見て、殴らずにいるのが我慢できそうになかった。ただアイには大きな気がかりが二つある。それは片足を失い、満足に動けないゼンさんと、心を病んでしまい一日のほとんどを伏せっているお母さんの存在だ。
アイは物資補給班で避難所の外の様子はよく知っている。
いまだ救いの手はどこからも伸びてこない。感染者は数を減らすどころか増える一方で、まともな人間のふりをするのをやめた連中は、そこかしこにいる。
そんな世界で満足に動けないことが、どれだけのリスクなのか……。外の世界を見て知っているアイにはよく分かっている。それを考えて口を閉じるアイの頭をお母さんは優しく撫で続ける。
「アイちゃんが私達の事を気遣ってくれているのはよくわかるわ。でも、そのせいでアイちゃんがこんな所に押し込められるのを見るのは嫌なの。それにね?ゼンさんも色々準備してくれてるのよ?」
そこまで言うとお母さんは微笑みを消して、まだ眠っている姉妹に視線を移す。
「かわいそうに……。きっとこれまで安心して眠れることなんてなかったに違いないわ。ようやくたどり着いた安全なはずの場所で、こんな仕打ちを受けて……二人が落胆して心を閉ざしてしまうのも無理はない。……自棄になってしまうのもね?」
小さくこぼしたお母さんの言葉に、アイは背中がゾッとした。自棄?自棄ってどういうこと?




