8.アイテムストレージと事務窓口
ニアさんが帰ったので、宿舎から数百メートルほど離れた場所にある第4師団の事務所に足を運ぶ。
各師団の事務所が1列に並んだ通称・窓口通りであるが、各事務所の外観デザインは基本的に全部同じなのである。
そのせいで、看板を見間違えたり、通い慣れているからと油断した騎士たちが目当ての事務所の隣に入ってしまい、気まずそうに出てくることがある。
事務所の並び順が順不同なのが問題なのではないかと思うのだが、騎士団の編成が昔と変わっていたりするようだし、たぶんそのへんで色々な事情があるのだろう。
公用語で“第4師団”と書かれていることをしっかり確認し、ついでに必要書類の類がちゃんと揃っていることを確認した上で、年季の入った木製の扉を潜り抜ける。
この1週間でもはや顔なじみとなった初老の受付係員と軽く挨拶を交わし、番号札を受け取る。
自分が持っている札の番号が呼ばれたら、用向きに対応した指定の窓口で手続きを受けることが出来るのである。なんだか郵便局とか役所みたいなシステムだ。
今日はいつもよりも少しだけ混んでいるので、番号札を受け取ったらすぐに対応してもらうというわけにはいかなかった。
ちょっと待合室で時間を潰す必要がある。
待合室を見渡してみても顔見知りは見当たらなかったので、物珍しそうな視線を避けながら空いている席に腰掛ける。
日本では赤く髪を染めた俺はものすごく目立っていたのだが、この世界であればちょっと町に出ればあちこちでカラフルな髪色を拝むことが出来る。原宿なんて目じゃない。
だがこの世界でも、日本とは違った意味で、俺のように真っ赤な髪というのは珍しがられてしまうらしい。
少なくともこの国では寒色系の髪の人が多く、町で赤髪の者が歩いていたら思わず振り向いてしまうぐらいにはマイノリティなようだ。
髪が伸びてきたら、染めている赤い髪の下に、染められていない黒髪が生えてくることだろう。それはそれでまた目立ってしまいそうだ。
…まあ俺の悪目立ちの要因には、髪の色に加えて顔中のピアスがあるのだろうが。
さて、待合室には3社分の新聞と騎士団の広報誌などが置かれている。
だが今回はあえてそちらには手を出さず、持参した書籍を読んでこの世界についての造詣を深めていくこととする。
今日の本はこちら。『ヒュドラでもわかる!便利な魔法大全』である。
読んで字のごとく、日常生活で有用な魔法が数百種類も記されている書物である。
魔法学校の推奨図書としても設定されているベストセラーで、一家に一冊は常備されていると誰かが言っていた。
なぜヒュドラなのか?ヒュドラといえば高位の蛇型魔物なのではないか?と思われるかもしれない。
だが、この世界におけるヒュドラは、ドラゴンのなりそこないである飛竜の、それまたなりそこないという認識が根付いているらしい。
要は、『馬鹿でもわかる』というフレーズをこの世界なりにもじった表現なのである。
また、その本って要するに魔導書なのでは?なんて思う方もいるかもしれないが、これはあくまで魔法の使い方が記された書物でしかないのである。
というのも、この世界で一般的に魔導書と呼ばれる書物は、それ自体が一種の魔法のようなものなのだそうだ。
魔導書は大規模魔法を速やかに発動する際の補助魔法、いわばインスタント魔法のようなものである。記された呪文を読み上げたり、描かれた魔法陣に魔素を流すなどして魔法を手早く完成させることを目的として著された書籍なのだ。
一方で、この本はあくまでも魔法を使う方法が書かれた参考書。この本に魔素を流し込もうが何のリアクションも返ってこない。
まあ、書いてあることを音読したら頭に入りやすくなるというのはあるのかもしれないが。
さて、そんな『ヒュドラでもわかる!便利な魔法大全』の、栞を挟んであるページを開く。
読みかけのそのページに記載されているのは、5属性魔法のうちの“空属性”に分類される魔法だ。
この5属性魔法というのも、どうしてこの5つをチョイスしたんだと大昔の魔法体系の編集者を問い詰めたくなるような5つだったりする。
なんせ、火・水・岩・風・空の5属性であり、それぞれが相克しているというような五行思想的属性選出ではない。
ただ単に使うことが多い5つの属性を5属性魔法と呼んでいるだけだし、5属性の他にも、光属性とか聖属性のような何種類もの魔法属性が存在しているのだ。
なのに、この5つを5属性魔法とする認識が普及してしまっている。
例えるならば、国語・数学・英語・理科・社会科の5教科に加えて芸術系や体育があるみたいな。
めんどくさー。
…愚痴続きになってしまったが、『便利魔法大全』に戻る。
今回覚えようとしているのは、空属性魔法の中でも特に有名な魔法である『アイテムストレージ』だ。
RPGの類を多少なりとも遊んだことがある人ならば、名前を聞いただけでどういう魔法なのか予測ができるのではないだろうか。
だがまあ、ここは一旦解説させてもらおう。
まず、空魔法というものは、4次元空間や並行世界、虚数空間に干渉することができる魔法系列である。
こういった概要だけ聞けば物凄く強そうな魔法のように感じられるし、理論上は大体予想通りの無茶苦茶が出来る。
タイムワープや並行世界間移動、虚数空間を満たす謎エネルギーを用いた概念攻撃等々、理論上はこの世界の概念を塗り潰すような魔法モデルが考案されている。
だが、それはあくまで『理論上』のお話。実際のところそんな甘い話はない。
まず、空間干渉に必要とされる魔素量は他の魔法の比にならないほど膨大なのだ。
虚数エネルギーを兵器転用しようとしても、風呂桶一杯分の湯を沸かす程度のエネルギーを制御するのにさえ、最上位魔法使い数万人が協力する必要がある。
比較的重量の軽い意識体だけで世界間を渡ろうとしても、世界間を繋ぐパスウェイに意識が突入した時点で、こちらの世界に取り残されている“魂”を構成する魔素が吹っ飛ぶ。
そう、基本的に大掛かりな空属性魔法は『理論上』の存在、机上の空論にすぎないのだ。
実現すればできそうなことが多いだけに、研究が進んでいるものの、個人単位で実用化に至っているものといえば両手の指で数えきれる程度だ。
そんな数少ない汎用化されている空魔法の一つが、今回俺が手を出そうとしている魔法『アイテムストレージ』なのである。
空魔法の詳しい原理というものは基本的にどれほど初期の魔法でも煩雑すぎるのだが、このアイテムストレージという魔法もその例に漏れない。
なんで魔法学のために相対性理論の勉強しなきゃいけねえんだ。
まあ、詳しい原理については俺も理解が及んでおらず、説明のしようがないのだ。
どういう魔法なのかということだけ説明しておこう。
アイテムストレージを一言で表せば、収納魔法である。
具体的には自室や倉庫等あらかじめ定めておいたこの世界の一定の場所に、収納しておきたい物を転送したり、逆に収納しておいたものを取り出したりすることが出来る魔法だ。
予め収納先の場所を結界で密閉したり、その場所と自分を結びつけるのに数十工程必要だったりと準備が大変だし、結界内とパスを繋ぐために常時魔素が消費されたりと面倒な制約が付いてしまったりするが、使いようによってはそのデメリットを補って余りあるほどのメリットが得られる。
遠隔地でも物資を自由に倉庫と行き来させられる、というだけでも有用さがよくわかるだろう。
外周都市では、この魔法を使える魔法使い向けの貸倉庫なんてものも営業しているし、この魔法が使えない者向けにアイテムストレージを代行する企業もあるようだ。
このように便利な魔法だからこそ明後日の遠征では絶対に役立つことだろう。
早いうちに覚えておきたいと思ったのだ。
混線した工程を無理矢理一本化しようとしてゴチャゴチャになったような手順を改めて精読してみる。
たぶん、それぞれの手順を分解していけばいくつかの魔法の集合体だという事がわかるのだろうが、そんなことをしたところで現状は無意味なだけだ。知識も足りなければ時間もない。
なんてったって明日までにこの魔法を覚えて、明後日の遠征で利用できるようにしたいのだから。そんな余裕はない。
暗記は苦手なのでちょっと気が滅入りそうになるが、一方で救いもある。
俺はこの魔法の適性がかなり高いらしいということだ。
魔素胞容量が大きいので扱える魔素量が多いし、流失魔素量のコントロールもちゃんと出来ているらしい。
そうするとどういう利点があるのかというと、この魔法にリソースを割いていても、他の魔法を同時発動する際の幅が広がるのだそうだ。
幅が広がる、要するに、魔素量による使用可能な魔法の制限幅が広がるということである。
こないだアイラさんがそう言って褒めてくれた。
…そういえば、アイラさんで思い出したんだけど、最近、アイラさんとけっこう頻繁に会っている。なんなら、ヤタラさんやオリビアさんよりも。
ただ、その割に、彼女の私服姿って見たことないんだよな。
グラバーには私服を貸してたけど、当の本人がそれを着ているのを目撃してはいないし。
彼女が非番の日に魔法を教えてもらったことがあるのだが、その時もかっちりした鎧姿だった。真面目な人だし、きっと騎士の仕事に誇りを持ってるんだろうな。
「23番の番号札をお持ちの方、3番の窓口へどうぞ。」
読書から気が逸れている間に順番が回ってきたらしい。
『うわ、また来た…』とでも言いたげな顔でこちらを見ている女性職員が待ち構えている窓口へと足を運ぶ。
俺が騎士団に入団した経緯が経緯なだけに、ここ数日は足繫くこの事務所に通っていた。それに加えて、目立つ見た目やグラバーと戦った噂のせいで顔を覚えられてしまったようだ。
「…いらっしゃい。今日はどうしたんですか?」
あからさまに嫌そうな顔で対応してくれたこの女性職員とも、これで3回目の対面である。
毎回面倒な手続きばかりを持ってくるから嫌がられてしまっているのだろう。
「えっと、明後日からの遠征に同行者を加えたいんですが…。」
師団長から渡された封筒に同封されていた書類を提出しながら用件を述べる。
封筒から出てきた時には既に必要事項に印が付けられていたのだが、これは果たして親切心からなのだろうか。
むしろ、手のひらの上で踊らされているような気もしなくもないが…。
書類を受け取った職員は、万年筆の尻尾側で条項をなぞりながら記入漏れがないかを精査し始めた。
だが、途中の条項に目を止めた彼女は、右の眉毛を跳ね上げた。
「あら、追加の同行はお一人だけ?」
「えっ、はい。…なんかマズかったっすかね?」
「別にマズいことはないんですけど…。この制度を利用される方って、普通はもっと同行者が多いんですよ。」
どうやら、普通は2~3人程度の従者を遠征に伴う程度の時にはわざわざ申請しにこないらしい。
規約としては人数に関係なく申請することが義務付けられているのだが、それぐらいの人数であれば御者や遠征先との直接的な交渉で何とかなる場合が多いため、騎士のポケットマネーで強引に解決してしまうのだそうだ。
要するに、律儀すぎて驚かれたというわけである。
「なるほど。つまり、今後はわざわざ申請しに来ない方が良いんすかね?」
「申請義務があるっつってんのに、よくもまあそんなことが言えましたね。たしかにこちらとしては手順が増えて面倒ですが、仕事ですので。それに、申請してもらっていないと何かあった際に対応が出来ませんから。」
同行者の報告義務の理由は、不祥事の防止だけが目的ではない。
有事の際に支給される物資が足りなくなったり、避難先の宿泊施設が満員になってしまうという事態を避ける目的もあるのだそうだ。
「よろしい、特に不備はなかったので受理します。初めての任務、くれぐれも怪我をしないように頑張って下さいね。」
確認が終わった書類のど真ん中に四角くてデカいハンコを押した女性職員は、そう言ってシッシッと追い払うように手を振った。




