第二話:『庫倫(新・郿)の産声』
黄河の屈曲部たる朔方を越え、乾いた風が巻き上げる黄金の砂塵に視界を遮られながら、私たちはその地にたどり着いた。
多国籍な血が混じり合い、西域の莫大な富が流転する巨大交易都市、庫倫。
その圧倒的な熱気と喧騒は、かつて太師・董卓が理想として掲げた「実務で民を生かす都」そのものの具現であった。
「私は忙しいからね。世話人を用意してある、あとは頑張りな」
大商団を率いる若き女主人、二十二歳の白涼は、不遜に鼻で笑うと、部下に案内を任せて足早に去っていった。
その背中を見送りながら、私は頭の後ろできっちりと結んだお団子髪をきつく結び直し、煤けた麻衣の袖をまくり上げる。
また一から、泥にまみれて竈を組まねばならない。
かつて一族を滅ぼす引き金となったこの私が、生き延びるために。
案内されたのは、市場の最奥、最も難民や敗残兵が流れ着く境界の路地裏だった。
しかし、目の前に現れたのは泥まみれの廃屋などではなく、周囲の混沌を拒絶するように佇む頑強な石造りの壁と、美しく手入れされた清潔な宿の建物だった。
驚きながら重い木扉を開けると、優しく熾された竈の炭火の熱が、冷えた身体を包み込んだ。
「お待ちしておりました」
迎えてくれたのは、引き締まった身体を持つ二人の若い女性従業員だった。
「アトゥです」
「サナ。……お使いを任されております」
南匈奴と羌族の血を引くという彼女たちの、短く静かな自己紹介。
その無駄のない所作、 そして衣服の隙間に見え隠れする実戦の暗器の痕跡。
私は一瞬で直感した。
彼女たちはかつて洛陽で、董旻様の妻が経営していた宿を影から守っていた、あの「警護と諜報を担う女兵士たち」の正統な系譜なのだと。
(ああ、白涼様……。それに後ろ盾になっている西方の大家様。あなた方は、かつて一族を滅ぼしたこの私を、すでにこうして完璧に守り、生かすための盾を配してくださっていたのですね)
言葉にならない感謝が胸を突き上げる。
私の傍らで、三歳になる順が、自分用に仕立てられていた清潔な前掛けを嬉しそうに胸に当てていた。
順は、亡き高順様の形見である「傷だらけの木椀」を小さな両手で大切に抱えたまま、アトゥやサナの真似をしてトコトコと歩き回り、小さな手で宿の手伝いを始めた。
地獄のような乱世に咲いた天使の姿に、張り詰めていた心がわずかに緩む。
新天地での無名宿が動き出すと、目に見えぬ連携の糸がこの場所に繋がっていることが分かった。
物静かな密使によって匈奴から届けられた極上の生薬を、サナが手際よく大釜の粥へと溶かし込んでいく。
それを、激しく咳き込む難民たちに配ると、彼らの顔に生気が戻った。
さらに、店先で粥を配るアトゥが客たちの雑談から聞き取った噂と、西方の工作網から届けられた「路地裏の治安の様子」が厨房で共有される。
そこには、不穏なごろつきの動向から魏の密偵の動きまでが緻密に記されていた。
お互いに過去の因縁を一切口にせずとも、完璧に噛み合う一族の無言の支援体制が、この薄暗い路地裏に構築されていく。
その盾の真価は、ある深夜に発揮された。
宿の黄金や備蓄された兵糧を狙い、刃物を持った無法者のごろつき数名が裏口から音もなく侵入してきた。
奥の部屋で順を抱きすくめ、息を潜める。
だが、恐怖が満ちる前に、アトゥとサナが無言で影から躍り出た。
一切の物音も立てず、避難民たちに気づかれることすらなく、洗練された格闘術と柄当てだけで、侵入者たちは一瞬にして制圧された。
二人は手際よく男たちを縛り上げると、路地裏の泥の中へと音もなく放り出した。
息一つ乱さず、何事もなかったかのように厨房の道具を整える二人。
ようやく言葉を取り戻した私は、温かい粥を木椀に盛り、二人の前に差し出した。
「ありがとう。本当に心強いわ」
私が微笑むと、二人は高順様の形見である傷だらけの木椀を交互に使い、美味そうに粥をすすり始めた。
その姿を見つめながら、私は新天地で目の前の命を生かし抜くという、言葉を超えた静かな誓いを、深く心に刻み込んだ。




