第四十二話「中元節」
第四十二話「中元節」
翌日。
小雪と渚は、
いつものようにアルバイトへ向かっていた。
夏の夕方。
まだ日は高く、
台北の街にはむっとするような暑さが残っている。
歩いていた小雪が、
ふと道の脇を見る。
店先に置かれたテーブル。
その上には、
お菓子や果物、飲み物などが並んでいた。
一軒だけではない。
少し歩けば、
また別の店にも同じようなものが置かれている。
「渚」
「ん?どうしたの?」
「帰ってきてから気になってたんだけど」
小雪は店先を指さす。
「あちこちに飾ってある、お菓子とか何?」
「あー」
渚はすぐに納得した。
「中元節のお供えだよ!」
「中元節?」
聞いたことのない言葉だった。
「うん!」
「本土のお盆とは、ちょっと違うかな」
渚は歩きながら説明する。
「お盆って、ご先祖様が帰ってくるんでしょ?」
「うん」
「中元節はね、ご先祖様だけじゃなくて、帰る場所がない魂にもお供えするんだよ」
「帰る場所がない魂?」
「そう」
渚は頷いた。
「こっちでは『好兄弟』って呼んだりするよ」
小雪は少し不思議そうな顔をした。
「どうして、その人たちにも?」
「んー……」
渚は腕を組む。
そして、
「わかんない!」
「知らないんだ」
「だって小さい頃からやってるもん!」
渚は笑った。
それから少し考える。
「でもさ」
「今の自分たちがあるのって、ご先祖様のおかげだけじゃないでしょ?」
小雪は渚を見る。
「昔ここに住んでた人とか」
「街を作った人とか」
「私たちが知らない人も、いっぱいいたわけだし」
「だから、そういう人たちにも」
「どうぞーってするんじゃない?」
「……なるほど」
正しい説明なのかは、
渚自身にも分からない。
けれど小雪は、
その考え方が好きだった。
本土とは違う風習。
自分の家族だけではなく、
行き場のない魂にも食べ物を供える。
知らない誰かを敬う。
その文化は、
どこか優しかった。
「あ!」
突然、
渚が声を上げた。
「小雪!」
「なに?」
「夜に洗濯しちゃダメだよ!」
「そうなの?」
小雪が首を傾げる。
「なんで?」
「……そういうものなの!」
「分からないんだ」
「ダメなものはダメなの!」
そんな話をしているうちに、
二人は夜市へ到着した。
福來炒飯と林鶏排の前では、
すでに準備が始まっていた。
「おー!」
海太が二人を見つける。
「来た来た!」
「うちもお供えするぞー!」
店の前には、
赤い布を敷いたテーブルが置かれていた。
その上には、
お菓子。
果物。
飲み物。
そして、ここでは。
大鶏排。
炒飯。
小雪は思わず見つめる。
「これも?」
「そりゃそうだ!」
海太が胸を張る。
「うちの美味いもん食べてもらわないとな!」
「なるほど……」
いかにも海太らしい。
渚は嬉しそうに笑った。
「大鶏排、喜ぶかな?」
「喜ぶだろ!」
海太は当然のように答えた。
準備が整うと、
海太が線香を手に取った。
「ほら」
「二人もお線香あげて」
小雪と渚は、
それぞれ三本の線香を受け取った。
小雪は渚の真似をして、
静かに祈る。
線香の煙が、
ゆっくりと夜市の空へ昇っていった。
少し離れたところでは、
銀色の金属製の炉から炎が上がっている。
中では、
紙でできたお金が燃えていた。
小雪はその光景に見覚えがあった。
「これ……」
「清明節の時と同じ?」
「そうだよ!」
渚が答える。
「紙のお金を燃やすの」
「あの世でお金に困らないようにね!」
炎の中で、
紙銭がゆっくりと形を失っていく。
小雪は、
その炎を静かに見つめた。
名前も知らない。
顔も知らない。
自分とは何の関係もない。
それでも、
食べ物を用意して。
線香をあげて。
あの世で困らないようにと、
紙のお金まで送る。
死んだあとでも、
知らない誰かが自分を敬ってくれる。
そんな考え方を、
小雪は少し温かく感じた。
「小雪?」
渚が顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「ううん」
小雪は小さく首を振った。
そして、
もう一度だけ煙の向こうを見る。
「いい風習だね」
渚は笑った。
「でしょ!」
台湾県の夏。
小雪はまた一つ、
この土地のことを知った。




