第十話「悲しみの果て」
第十話「悲しみの果て」
夜市の喧騒の中。
海太は大きな鶏排を油へ放り込む。
ジュワァァァ……
熱い油の音が夜市へ響いた。
林鶏排は今日も忙しかった。
その時。
海太はふと隣を見る。
『福来炒飯』
隣の屋台は、
今日も灯りが消えたままだった。
鉄板も冷たく、埃を被っている。
椅子も片付けられたまま。
少し前まで、
夜市でも人気の屋台だった。
「ちょっと大将んとこ行ってくるわ」
海太が油を切りながら言う。
「いってらっしゃーい!」
美鈴と渚の声を背中で聞きながら、
海太は夜市を抜けた。
少し歩いた先。
古いアパートの前で立ち止まる。
大将は、
夜市のすぐ近くに住んでいた。
海太は扉を軽く叩く。
「大将いるかーい」
返事はない。
その代わり。
中から、
小さくテレビの音が聞こえていた。
鍵は開いている。
「大将ー、入るぞー」
海太はゆっくり扉を開けた。
部屋は薄暗かった。
テーブルには、
食べかけの弁当。
酒の空缶。
洗っていない皿。
以前は綺麗好きだった男とは思えない。
「……随分散らかしてんなぁ」
奥の畳には、
髭だらけの男が横になっていた。
痩せたな。
少し前まで、
夜市で一番大きな声を出していた男とは思えなかった。
海太は近づく。
「大将」
肩を軽く叩く。
男がゆっくり目を開けた。
「……おぉ」
掠れた声だった。
「海ちゃんか」
「大将、
こんな生活してたらダメじゃねぇか」
大将は小さく笑う。
力のない笑いだった。
「……もういいんだよ、俺は」
テレビの光が、
ぼんやり顔を照らしていた。
「母ちゃんも死んで、
子供たちは本土で立派にやってる」
少し間が空く。
「俺は余生を好きに過ごすよ」
海太は黙って部屋を見回した。
酒。
ゴミ。
止まったままの生活。
全部、
この数ヶ月で変わってしまった。
「そんなこと言うなよ、大将」
海太は近くの椅子へ座る。
「みんな、
大将の炒飯待ってんだからさ」
「……うるせぇんだよ」
大将は顔を背けた。
「ほっといてくれ」
しばらく沈黙が落ちる。
窓の外から、
夜市の賑やかな声だけが聞こえていた。
やがて。
海太がぽつりと聞く。
「……本当は屋台やりたいんだろ?」
大将の手が少し止まる。
「……」
「やりたいって言ったって」
掠れた声が返る。
「一人じゃ出来ねぇだろ」
海太は少し笑った。
「大将、アルバイト雇わねぇか?」
「……あ?」
「渚の友達でな、
最近本土から引っ越してきたばっかの子がいるんだ」
海太は小雪の顔を思い浮かべる。
「静かだけど、
とってもいい子なんだ」
大将は黙る。
テレビの音だけが流れていた。
「……アルバイトねぇ」
少しだけ、
考えるように目を閉じる。
そして。
「一晩、
考えさせてくれ」
海太はゆっくり立ち上がった。
「わかった」
扉へ向かいながら言う。
「明日また来るから」
そして。
散らかった部屋を見回した。
「部屋片付けてな」
「……」
「あと、酒も飲みすぎんなよ」
数秒沈黙。
そのあと。
「うるせぇ」
大将が小さく呟く。
「とっとと帰れ」
海太は少し笑った。
そして静かに扉を閉める。
部屋の静けさとは対照的に、
街はまだ賑やかだった。
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