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今日のあさごはん  作者: あひるのひるね
喫茶店のナポリタン
12/14

3

目の前に座ったアサという女性は、ここによく来ているらしい。


「ここのナポリタン、食べたことありますか?」

「無いです」

「すごく美味しいんですよ。今日は私の奢りです」

「そんな悪いですよ、初めて会ったのに」

「奢ってでも食べて欲しいくらい美味しいんです」


自分が作るわけじゃないのになぜか自慢げなアサは、また自然と私の笑みを引き出した。


「……ふふ、結構強引ですね」

「美味しいものは誰かと共有したいじゃないですか」


運ばれてきたナポリタンは、鉄板の上でジューっと湯気を立てている。スプーンとフォークを用意し、私たちは両手を合わせた。


「いただきます」


熱々のナポリタンを口に運ぶと、酸味と甘みの強いケチャップソースが太麺とよく絡み、玉ねぎやピーマンの食感がいいアクセントになっている。鉄板で少し焦げた部分も香ばしくて、粉チーズの風味ともよく合う。プリっとしたソーセージもジューシーで、正直今まで食べたナポリタンの中でダントツに美味しかった。

アサは服の胸元に紙ナプキンの端を折り入れ、紙エプロン替わりにしてナポリタンを頬張っていた。


「それ、ケチャップが跳ねないようにしてるんですか?」

「そうです。それでも、袖とかに跳ねちゃったりするんですけどね」


彼女は笑って言う。


「でも、跳ねたら洗濯するの面倒だし、服が汚れるのってショックじゃないですか」


そう言うと、アサは「うーん」と首を傾げ、その後、ふふっと笑った。


「その時はショックでも、服に跳ねたケチャップを見て後から思い出すのは好きなんです。あぁ、ナポリタン美味しかったなって」


アサはまた嬉しそうに笑い、ナポリタンを口に運ぶ。


「須田さんは、今まで見た一番綺麗なものって思い出せますか?」

「え? うーん……」


そう言われると、パッと浮かばない。美術館で見た絵画とか、家族旅行で行った海辺の景色とか、綺麗なものはたくさん見た気がするけど、一番かと聞かれるとどれもピンと来ない。


「綺麗なものって、記憶に残りづらいんですよね」

「……え」

「汚れたら、その時はショックでも、その分心に残るんです。ケチャップ跳ねちゃったけどナポリタンは美味しかったよな、って思い出すことが出来る。もちろんわざと汚れるのはどうかと思いますけど、ナポリタン食べるくらい自由じゃないですか。汚れるから食べちゃダメなんて、そんなことは無いです」


自分が食べているナポリタンを見つめ、確かにこんなに美味しいものを、汚れるからという理由で食べないのはもったいないなと感じた。


「誰かに迷惑をかけてるんじゃないのなら、綺麗かどうかより、記憶に残ったそれを、自分が大切にできるかどうかが大事なことだと思うんです」


ナポリタンを食べ終わったアサは、フォークを置いて私を見た。


「だから、汚れてもいいんじゃないかな」


ご馳走様でした、と手を合わせる彼女を見て、私も最後の一口を食べ終え、手を合わせる。


「ここのナポリタン、美味しかったでしょ」

「……めちゃくちゃ美味しかった」

「口の周り、汚れちゃいましたね」


紙ナプキンで私の口を拭ってくれるアサの指に、透明な雫が落ち続ける。少しだけ、自分のことを許せそうな気がした。




蝉の声が響く校内で、私はいつものように先生に数学を教わっていた。


「……と、こんな感じかな。大体理解できましたか?」

「…………」

「須田さん?」

「ごめんなさい、理解、ずっとできてました」

「……そうなんですか?」

「今は、違うこと考えてました」

「どんなこと?」

「……汚れちゃった自分を、許す方法」


私は参考書と筆記用具を持って立ち上がった。立花先生は困ったような顔で私を見上げる。


「もう補習は大丈夫です。だけど、もし分からなくなったら、また聞きに来てもいいですか」

「それは、もちろん」


未だ困惑顔の先生に深々と頭を下げ、私は教室を出る。

染まってしまったものはもう仕方がない。でも、染まらなければよかったなんて、今は思わない。


「さて、勉強すっかー」


この気持ちとどう向き合っていくかは、卒業までゆっくり考えるとしよう。

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