8(魂を閉じ込める)
ヨシ君について歩きながら、わたしは事の重大さをようやく理解しはじめていた。触った薬缶が熱いことに、火傷してから気づくみたいに。
仮にヨシ君の言うことが正しいとすれば、これからモミジを殺した犯人と会うことになるのだった。そんなの、平気でいろっていうほうがどうかしてる。
わたしは場違いなコンテストにでも出場したみたいに、後悔していた。正直なところ怖かったし、ものすごく緊張もしている。
でも、たぶん――
もしもヨシ君についていかなかったとしても、わたしはそのことを後悔してしまうだろう。何日も、何ヶ月も、何年も、きっと思いだしてしまう。
そんなふうに同じところをぐるぐるぐるぐる回っているのなんて、絶対にごめんだった。
「……でもヨシ君、犯人の家なんてどうやってつきとめたの?」
歩きながら、わたしは訊いてみた。
「もちろん、あとをつけたんだよ」
ヨシ君はさらっと、犯罪者的な発言をする。
「ほかにも、勤め先とか、趣味とか、いくつかの習慣なんかについてもわかってる」
「――――」
わたしとしては、コメントしにくいところだった。善悪のさかいめなんて、案外シャボン玉の泡くらいに薄いのかもしれない、とは思う。
やがてヨシ君とわたしは例の踏み切りまでやって来て、それを渡った。幸い、和菓子屋のおばさんには見つからなかったみたいである。あるいは、見つかったほうが幸いだったのかもしれないけど。
帰り道を思いだすのに苦労しそうな、特徴のない住宅地を歩いていく。大きな庭のある家を曲がって、公園の横をまっすぐ進んで――あとは、よくわからない。
でもヨシ君は地図が頭に入ってるのか、迷いもなく進んでいった。人の顔じゃなくても、こういうのを覚えるのも得意なのかもしれない。
自動販売機を通りすぎて、小さい橋を渡って、歯医者さんの建物を左に曲がる。そんなことを何回か繰り返すうち、ヨシ君は立ちどまっていた。
そこは、一軒のマンションだった。四階建てで、外壁は灰色のタイルで覆われている。集合写真みたいに行儀よくドアが並んでいて、それは裏向きになったトランプと同じくらいよく似ていた。
「ここが……?」
と、わたしは聞かずもがなのことを訊く。藁を捨てるのはまだ早い。
「うん」
でもヨシ君は、あっさりと言った。やっぱり、浮き輪くらいじゃないとダメみたいだ。
オートロックはついていなかったので、ヨシ君とわたしはそのマンションの二階にあがった。それから外廊下を歩いていって、はしっこの部屋に向かう。
そこにはほかと同じ黒いドアがあって、部屋番号とのぞき穴だけがつけられていた。ほかには全然何の特徴もないし、目立ったところもない。私がモミジを殺した犯人です、なんて印がついてるわけでも。
そのドアの前で、わたしは訊いてみた。悪あがきなのはわかっていたけど、やってみなくちゃわからない。
「本当に行くの、ヨシ君? 今ならまだ、全部なかったことにできる気がするけど」
ヨシ君は少しだけ強めに、首を振ったみたいだった。
「ううん」
と、ドアのほうをまっすぐ見ながら言う。
「そうしたら、ぼくはきっと後悔しちゃうと思うんだ。たぶん何日も、何ヶ月も、何年も――」
「――うん」
と、わたしもうなずくしかなかった。それ以上、言えるようなことがなくなってしまったから。
そうして、ヨシ君はドアの横についたインターホンの前に立った。さすがにヨシ君も、ほんの少しだけ間を置く。運動会のかけっこで、スタートの合図を待つときみたいに。
でも――
しばらくして、ヨシ君はボタンを押した。特に強くも、弱くもなく。何かを決意するわけでも、諦めるわけでもなく。
ただ、小石を地面に落とすみたいに、そっと。
それからほどなくして、ドアが開けられていた――
ドアから姿を現したのは、若い女の人だった。よくはわからないけれど、三十歳前後という気がする。でもそれより十歳若くても、十歳年をとっていてもおかしくないような、不思議な雰囲気をしている。
ウェーブのかかった髪はアップにしてまとめられて、自然な感じにほつれていた。ほっそりした、きれいな顎の線をしていて、整っているけど表情のない口元をしている。光を通さない特別なガラスみたいな目をしていて、その目は月くらい遠い場所からこっちを見ている感じがした。
時間的には仕事が終わって帰ったところだと思うのだけど、わりときちんとした格好をしている。スウェットのパンツにトレーナーという部屋着だけど、変に隙のないところがあった。
彼女の名前は、阿崎さん――阿崎芳子というのだった。
「どちら様かしら?」
と彼女――阿崎さんはまず言った。澄んでいるけど冷たい、丁寧だけど機械みたいな、そんな声で。
「ぼくは宇野、彼女は杏西といいます」
ヨシ君はさらりと、いつも通りの口調で言った。
「今日は、あなたに話があって来ました」
「話? あなたたち、小学生よね。あたしには小学生の子供なんていないし、小学生の知りあいもいないわよ」
そう言う阿崎さんの声は、きれいなのにどこかきつさがあった。おいしいけど小骨が多くて食べにくい、魚みたいに。
「ぼくの話は――」
ヨシ君は、そんな阿崎さんに向かって言う。
「あなたが殺した猫についてなんです」
一瞬、ほんの一瞬だけ、間があった。輪ゴムをぱちんと弾くくらいの、そんな一瞬ではあったけど。
「猫……? 何のことかわからないわね。もしかして、家を間違えてるんじゃないかしら。小学生だからって、あまり変なことを言うようだとただじゃすまないわよ」
当然だけど、その人が本当にモミジを殺したかどうかは、まだわからないのだった。証拠はあくまで、ヨシ君の推理しかない。その推理だって、間違いじゃないとはいえない。
でもヨシ君は頑固にくっついたシールみたいに、まるで動揺なんてしてなかった。
「ぼくも、ただですますつもりはありません」
阿崎さんはちらっと、ヨシ君のことを観察したみたいだった。夏休みの朝顔なんかじゃなくて、リンゴの皮をゆっくり剥いでいくみたいな、そんな視線で。
「面白いわね。どうすまないのか、教えてもらえるかしら?」
ほんの少し、一番細くなった三日月みたいな笑顔を浮かべて、阿崎さんは言った。
「二週間くらい前のことです」
ヨシ君はあくまで、落ち着いてしゃべっている。
「線路の近くに、猫の死体がありました。殺されて、首を切られたんです。現場には、胴体しか残っていませんでした」
「物騒な話ね。それで、それとあたしに何の関係が?」
「さっきも言ったとおり、殺したのはあなたです」
「証拠があるとでも?」
「目撃者がいました」
ヨシ君の言葉に、阿崎さんはストップウォッチでぎりぎり計れるかどうかくらいの時間、口を閉ざした。実のところヨシ君の隣でわたしも、何とか顔に出さないくらいには、口を閉じていた。
「何を目撃したっていうのかしら。もしかしてあたしがかわいそうな、罪のない猫を縊り殺したところ?」
「あなたが夜中、線路に死体を捨てにいったところです」
ヨシ君はそしらぬ顔で続けた。隣で、わたしもその表情の右にならう。
「駅前で、ぼくはチラシを配りました。殺された猫についての情報を集めるためです。そのうちの一人から、死体が捨てられるところを見たという話を聞かされました」
その話は半分くらい、嘘じゃなかった。
「人違いじゃないかしら? それに、あまり信じられる話じゃないわね、それ」
「証拠はほかにもあるし、いろいろ調べもしました。ぼくたちがここにこうして来ていることで、それはわかってもらえると思います」
「…………」
阿崎さんは、ちょっと黙った。反対側に何か乗せて、重さを量るみたいな沈黙だった。
「ぼくはあなたが猫を殺したことで、どうこうするつもりはありません」
その沈黙に小さく穴を開けるみたいにして、ヨシ君は言った。
「ぼくはただ、知りたいだけなんです」
「……何を、かしら?」
「あなたがどうして、あの猫を――モミジを殺したのか」
ヨシ君が言うと、阿崎さんはじっとヨシ君のほうを見つめた。何だかそれは陳列棚の商品を手にとって、確かめる感じに似ている。
「もしも、そうだとして――」
と、阿崎さんは言った。
「あたしがそんなことをする理由があるかしら。あなたにたいした証拠があるとは思えないし、仮にそれで警察に訴えたとしても、あたしが否定してしまえばそれまでの話ね。それに小学生の話なんて、まともにとりあうとも思えないし」
「ぼくのお父さんは警察官なんです」
ヨシ君の隣で、わたしは鉄面皮をたもった。もちろん、ヨシ君のお父さんがごく普通の会社員だなんてことは、おくびにも出さない。
「…………」
阿崎さんは再び、ヨシ君の様子をうかがった。本当かどうかはわからないけれど、嘘だと断定することもできない――たぶん、そんな感じで。
「もう一度言いますが、ぼくはあなたのことを誰かに訴えたりするつもりはありません」
小さな穴をぐりぐり広げるみたいにして、ヨシ君は言う。
「けど、あと二時間ほどのあいだに話を聞かせてもらえないと、自動的にメールが送られて、もう少しだけ厄介なことになります。警察が信じるかどうかはともかく、このことについて調べる可能性は高いです」
ヨシ君の話は隣にいるわたしにも、本当かどうかわからなかった。ヨシ君ならそれくらいの準備はしていそうでもあるし、全部ただのはったりだとしてもおかしくない。
そしてそれは、この場のヨシ君しか知らない阿崎さんにとってはなおさらのことのはずだった。
「どうしますか?」
ヨシ君はそう、冷たくも熱くもない、色のない絵の具みたいな声で言った。
その人の部屋は、何もない部屋だった。
――ううん、違う。
必要なものは、そろっている。趣味とかセンスとか、そういうのだって感じられる。居心地が悪いわけじゃないし、清潔だし、どこかがおかしいわけでもない。
でも何だか、大切なものが欠けている気がする。
普通なら、そこにあるはずのもの。あたりまえすぎて普通なら意識しないものが、その部屋にはなかった。それが何なのかと訊かれると困ってしまうのだけど、とにかく人間味のある何かが。
野原の一面を飾る草や花が、よく見ると全部作りものだったみたいに。
ワンルームの間取りの、その人の部屋に通されたわたしたちは、テーブルの前に置かれたクッションに座っていた。床にはカーペットが敷かれて、部屋の隅々まで念入りに掃除されている。ちょっと、念入りすぎるくらいに。
阿崎さんは冷蔵庫にあったオレンジジュースをコップに入れると、わたしたちの前に置いた。正直なところ、毒か何かが入っていそうで、口をつける気になれなかったけど。
そうして同じように床に座ると、阿崎さんは言った。
「あの猫、モミジっていうのね」
それは自分が犯人だとほぼ認める発言だったけど、阿崎さんの声に動揺とか、ためらいみたいなものはない。嘘発見器にかけたとしても、何の反応もなさそうなくらい。
「素敵な名前ね、モミジって」
かすかに微笑んで、阿崎さんは言う。本当にモミジを殺したのか疑ってしまうような――ううん、本当はこの人がモミジを殺したんじゃないんだと信じたくなるような、そんな笑顔で。
「あの猫は、ぼくたちの小学校によく来てたんです。それでいつのまにか、みんなからモミジって呼ばれるようになりました」
ヨシ君が説明する。
「そうね、あの毛並みと色彩なら、そういう呼ばれかたがふさわしいでしょうね」
阿崎さんはまるで他人事みたいに言う。
「――それで」
と、ヨシ君は少しうつむいてから言った。オレンジジュースに怪しいところがないか、確認してたのかもしれない。
「どうしてあなたは、モミジを殺したんですか?」
「…………」
その質問に、阿崎さんはすぐには答えなかった。まるで、お菓子の家に住む魔女が子供の様子を確かめるみたいな目で、じっとヨシ君のほうを見ている。
「あたしはあの猫を愛していたのよ」
やがて、阿崎さんは言った。その声には興奮がなくて、抑揚がなくて、温度がない。
「いえ、今も愛しているわね。あたしがこんなにも愛しているんだから、あの子はそれに応えるべきだった」
「モミジはあなたに懐かなかった、ということですか――?」
「気位の高い猫だったから、あの子は」
かすかに笑って、阿崎さんは言う。たぶん、微笑んで。
「初めて目にしたときから、あたしはあの子の虜だったわ。繊細な毛並み、優雅な仕草。何よりも、純度の高い魂を凝縮したみたいな、あの瞳」
「…………」
「でもあの子は、決してあたしをそばまで近づけさせようとしなかった。どんなに時間をかけて馴れさせようとしても、あの子はあたしの手の届かないところにいた。いつも少しだけ、過去か未来に存在してるみたいに。それは実にあの子らしいし見事なものだったけど、憎らしくもあったわね」
「だから、殺したんですか?」
思わず、わたしは口を開いてしまっていた。頑固な貝みたいに、黙っているつもりだったのだけど。
わたしの質問に、でも阿崎さんはいともあっさりと言った。読みかけの本のページを、また開くみたいに。
「そうよ、おかしいかしら?」
阿崎さんの言葉にはまったく嘘がなかったし、表情はおしゃれなカフェでコーヒーを飲んでるくらい落ち着いていた。
「あたしがこんなにも愛したんだから、あの子もあたしを愛するべきだった。だって、不公平でしょ、そんなの? 正しいことじゃないわ、あんなふうにあたしのことを苦しめたりして。だからこれは、正当な復讐というところね」
わたしは金槌でネジを回そうとするみたいに、訳がわからなかった。阿崎さんは正気だし、冗談を言ってるようにも見えなかった。
でも言ってることは冗談にしか思えなかったし、正気じゃない。
おもちゃのお金を入れられた自動販売機くらいどうしていいかわからないわたしの隣で、ヨシ君はそれでも冷静だった。
「けど、どうやってモミジを殺したんですか?」
と、ヨシ君は言う。
「モミジは人に捕まるような猫じゃない。簡単に、人に殺されるような猫じゃ」
「あら、あたしだってそこまで嫌われてたわけじゃないのよ」
阿崎さんは何だか、愉快そうに言った。
「毎日餌をあげてたから、それを食べるくらいには親しかった。その餌にちょっと毒を混ぜるくらいは、簡単だったわね」
「…………」
わたしはやっぱり、訳がわからなかった。この人が何を望んで、そんなことをしたのか。心のどんな部分を満足させるために、そんなことをしたのか。
ヨシ君はそんなわたしとは無関係に、意外なことを訊いた。
「首は、どうしたんですか?」
モミジの首は鋭利な刃物で丁寧に切断された、というのがヨシ君の意見だった。
「あなたは目的があって、わざわざモミジの首を切ったはずです。ただ殺して線路脇に捨てるだけなら、そんなことする必要はない――でもあなたが何をしたのか、予想はつきます」
「ふうん、それは面白いわね」
阿崎さんには全然、焦りとか迷いとかはない。そんな阿崎さんに向かって、ヨシ君は少しだけためらうみたいにして言った。
「あなたは、モミジの首を剥製にしたはずです」
ヨシ君が調べたところによると、阿崎さんは生き物の標本を作る会社に勤めているのだった――
「それ以外、あんなふうに首を切った理由は考えにくいから」
阿崎さんはそう言われて、しばらく黙っていた。そのあいだ、歯車の噛みあわせでも確かめるみたいな目で、ヨシ君のことを見ている。
「あたしのことを、ずいぶん調べたみたいね」
と、阿崎さんはまず言った。
「昔、外法仏とかいって猫の頭を呪いの道具として使っていたそうだけど、まあそうね。あなたの推測は正解よ。確かにあたしは、あの子の頭を剥製にした――」
少しの時間、お風呂の天井から滴が一つぽつんと落ちてきたみたいな、そんな沈黙が広がった。わたしも、ヨシ君も、阿崎さんも、その中でじっとしている。
「――モミジの頭は、今もここにありますよね?」
不意に、手からボールでも落とすみたいにして、ヨシ君は言った。
「それ、見せてもらえませんか」
阿崎さんはもう一度、さっきと同じ目でヨシ君のことを見た。ヨシ君は平気そうだったけど、その目線にわたしは少しだけ、ぞっとさせられてしまう。
「ええ、いいわよ」
何の留保も、条件もなくて、部屋の電気をつけるくらい簡単に、阿崎さんは言った。
「あの子の頭は、ここで大切に保管してるから。残念だけど、猫の頭部を見ていい顔をする人は、ほとんどいないのよね」
阿崎さんはそう言って立ちあがると、部屋の収納スペースらしいドアのほうに向かった。折り戸が開けられると、中は不思議なくらい薄暗くて、よく見えない。もしかしたら、そのほうがよかったのかもしれないけど。
やがて阿崎さんは戻ってくると、テーブルのうえにそれを置いた。
――モミジの、頭を。
それを見て、わたしは全身の皮膚が粟立つのがわかるくらい、ぞっとした。何しろそれは、本物のモミジだったから。
生きていたときと同じ、長くてふわふわした、上等の織物みたいな毛並み。光の原液で染めたみたいな、鮮やかな色あい。顔の形や、耳の具合、口元の様子なんかもそっくりで、とても作り物には見えなかった。
それに、あの瞳。
モミジの一番の特徴だったあの瞳を、それはしていた。特別な鉱石みたいな、宇宙をいくつも混ぜあわせたみたいな、あの瞳を。
わたしは見ればみるほど、胸のどこかが冷たくなっていくのを感じた。雪山で遭難した人が、だんだん体温を奪われて、凍えていくみたいに。
本物そっくりの、モミジの頭。
それはまるで、まるで――
死ぬことさえ、許されていないみたいだった。小さくて、暗くて、冷たい牢獄に、魂を永遠に保存されてるみたいだった。
「どうかしら、この出来ばえ?」
阿崎さんはまるで、自慢するみたいに言った。
「かなり気を使ったし、なかなか苦労もしたのよ。でも、その甲斐はあったと思わないかしら? 特に力を入れたのは、目ね。あの子の魅力の象徴だった、あの瞳。あれを再現するのには、ずいぶん手間がかかったわ。市販品じゃ間にあわないから、自分で作ったわね。おかげで、かなりの仕上がりになったわ。まるで、魂まで閉じ込めてるみたいに――」
わたしはその言葉に、頭のてっぺんから足のつま先まで、全身の毛が逆立つのを感じた。ちょうど、すごく高いところから地面をのぞき込んだときみたいに。
まるで、小さいけど暗くて深い、ただからっぽなだけの穴でものぞき込んだときみたいに。
体が震えてしまわないように必死なわたしの隣で、ヨシ君はそれでも、いつもみたいな口調で言った。
「この首、もらえませんか?」
それは考えようによっては、戸惑ってしまうような発言だった。そんなこと、阿崎さんが了承するとは思えなかったし、万が一了承されたとしたって、こんな不気味なだけの首なんて欲しくない。
阿崎さんはまた、あの目でヨシ君のことをうかがう。何かを確かめるみたいな、何かを試すみたいな、体の内側を手でまさぐるような目で。
――そして、言った。
「いいわ、あなたにあげるわよ」
代わりに何かを要求することも、何に使うつもりなのかと質問することもなく、阿崎さんはあっさり了承した。そのあっさりさは何だか、王様が誰かの処刑を命じるみたいな、そんな感じがしないでもない。
ヨシ君はポケットから畳んだポリ袋を取りだすと、それにモミジの首を入れた。ちょっとびっくりするけど、最初からそのつもりだったらしい。
モミジの首が入ったその袋は、傍目から見ると、お使いを頼まれた品物か何かが入っているくらいにしか見えなかった。あたりまえだけど、普通の人は猫の頭を持ちあるいたりなんてしない。
そうして、ヨシ君の用事はすべて終わったみたいだった。「それじゃあ――」と言って、立ちあがる。わたしもアリスの白ウサギなみに慌てて、そのあとに従う。
「あたしのこと、怒っているかしら?」
阿崎さんはそんなヨシ君に向かって、不意に言った。
「何しろ、あたしがあの猫を殺したんだものね。怖いとか、不気味とか、理解できないとかは? 許せない――復讐してやりたい、とは?」
ヨシ君は動きをとめて、阿崎さんのほうを見た。その視線は月とスッポンくらいには、阿崎さんのそれと似ていたかもしれない。
「――いいえ、全然」
それが、ヨシ君の答えだった。
阿崎さんはどういうつもりなのか、ちょっとだけ笑った。満足しているのか、嘲っているのか、憐れんでいるのか、どれともつかない顔で。
「どうしてあたしがこんな話をして、あなたに猫の頭まで渡したのか、わかるかしら?」
と、阿崎さんは最後に訊いた。
でも、ヨシ君は首を振る。もちろん、ヨシ君にだってわからないことはあるのだ。そしてヨシ君にわからないことが、わたしにわかるわけなんてない。
阿崎さんは同じ表情のまま、言った。
「それはね、あなたに興味があったからなのよ。あなたが何を考えて、何を望んで、何を欲しがっているのか。あなたが、どんな人間なのか。どれくらい、あたしに似ているのか」
言われて、ヨシ君は訊き返す。
「どれくらい、似ていましたか?」
「さあ――」
と、阿崎さんはとぼけるみたいにして言った。
「どれくらいかしら」