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5(ステンドグラスとカメラと和菓子屋)

 それから、ヨシ君は学校に来なくなった。

 踏み切りでモミジの死体を見つけた、次の日からだ。あのあと、結局わたしたちは遅刻をして、先生にこっぴどく叱られることになった。でもそれは、何となくうやむやになっている。

 何故ならヨシ君が、次のように言い訳したからだ。

「学校に来る途中、具合の悪そうなおばあさんがいて、二人で介抱してたんです」

 このうえなく真剣に、表も裏もないみたいな表情で言われて、疑える人間なんているはずもない。そんな人がいるとしたら、その人の心臓はきっと石で出来ているに違いなかった。

「…………」

 わたしは教室の自分の席から、斜め右前方あたりに目をやる。

 そんなヨシ君の席は今、空白だった。

 どうしてヨシ君が学校に来なくなったのか、それはわからなかった。モミジのことがショックだったんだろうか?

 正直なところわたしは、モミジが死んだという事実を、時間がたつにつれてようやく理解しはじめていた。死んでいたその場所から遠くなればなるほどそのことを実感するなんて、ちょっと変な話ではあったけど。

 ともかくもわたしは、重たい石が水の底まで沈むみたいに、ゆっくりそのことを事実にしていった。次の日くらいの夢に首のないモミジが出てきて、目が覚めたくらいである。

 でも、ヨシ君は――

 ヨシ君は、そんな感じじゃなかった。ショックを受けてるとか、そういうふうにしては冷静すぎた。悲しんでいるかどうかさえ、わたしにはよくわからない。

 もしもヨシ君が何かを考えたり、感じたりしているとしたら、それはもっと別のことのような気がした。

 わたしはそっと、綿菓子くらいの重さのため息をついてみる。

「宇代くん、どうかしたのかしらね?」

 と声をかけてきたのは、こよりちゃんだった。

「さあ」

 わたしは死んだ魚みたいに机につっぷして、返事をした。

「これって、モミジと関係があるの?」

「――――」

 ちらっと、わたしはこよりちゃんの顔を見た。

 こよりちゃんはいつもとあまり変わらない、無愛想に近いくらいの表情をしている。ヨシ君の無表情とはまた違うけど、その雰囲気は鉄と鋼くらいには似ていた。

 わたしの反応には特に興味はなさそうに、こよりちゃんは休み時間の騒々しい教室に目をやっている。まわりで起きてるつまらないことになんて、興味も関心もなさそうなこよりちゃんだけど、意外なほど勘の鋭いところがあった。

「何で、そう思うの?」

 死んだ魚状態のまま、わたしは訊き返す。

「だって、モミジが姿を見せなくなったのと、宇代くんが学校に来なくなったのは、ほぼ同時期のことでしょ」

「…………」

 死んだモミジがその後どうなったかは、実のところわたしも知らない。十分な枚数だけ写真を撮ったらしいヨシ君は、「あとは駅員さんにでも任せておこう」と言って、その場をあとにしてしまったからだ。

 もちろんそれはわたしもいっしょで、だからモミジの死体がどう処理されたのかはわからないし、学校のみんなはそもそもモミジが死んだことさえ知らないのだった。

「……実は、モミジは死んじゃったんだ」

「それと、関係が?」

 わりと衝撃的な発言だったはずなのだけど、こよりちゃんは凍ってないバナナで打たれた釘くらいに反応が薄かった。

「わかんない」

 仕方なく、わたしは正直に答えておく。こんなことで嘘をついたって、三文の徳にもならない。

「宇代くん、確か前にも不登校になってたよね」

 違うクラスだったけど、こよりちゃんは意外にもそのことを知っていた。

「それとも関係が?」

 わたしは一部分だけかじった綿菓子みたいな、そんなため息をついておく。

「それも、わかんない」

 教室はコップから水があふれたみたいに賑やかで、みんな笑ったりふざけたりしていて、窓の外には相変わらずの五月が広がっている。

「こよりちゃんは、どう思う?」

 と、わたしは逆に訊いてみた。

「…………」

 こよりちゃんは少し、考えている。その場の雰囲気とか勢いでしゃべるタイプじゃないのだ、こよりちゃんは。

「透明なガラスを作る方法って、知ってる?」

 雲と泥くらい違いそうなことを、こよりちゃんは訊いてきた。

「さあ――?」

 質問の意図もふくめて、わたしには見当もつかない。

「鉛を加えるの」

 と、こよりちゃんはゾウが蚊に刺されたくらい気にした様子もなく言った。

「本当はもうちょっと複雑だけど、とりあえずはそういうこと。銅を加えると青色、マンガンを加えると紫色、それから金を加えると赤色になるの」

「ふうん」

 何だか、想像のつかない話だった。金属を加えるとガラスに色がつくわけだ。

「たぶん人間だって、同じなのよ」

 こよりちゃんは少しだけ重たい息のつきかたをした――気がする。

「ちょっとしたことで、思いもしなかった反応が起きる。本人も、まわりの人も思ってもみなかった反応が。人間も、ガラスも、そこにたいした違いはない」

「――うん」

 わたしは何となくうなずいておいた。何となく、こよりちゃんの言いたいことはわかったから。

「それから、色ガラスで作るステンドグラスの〝ステンド〟って何のことかわかる?」

 わたしは首を振った。再び、見当もつかない話ではある。

「〝染み〟とか〝汚れ〟とか、そういう意味の英語」

 親切にも、こよりちゃんはすぐに答えてくれた。

「ステンドグラスがきれいなのは、色がついて汚れた、割れたガラスで出来てるからなのよ」

 こよりちゃんはそう、まじめなような、少しとぼけたような、とても厳粛な顔つきで言った。


 ヨシ君の動向の一部がわかったのは、意外なところからだった。

 ある日の夜、夕ごはんを食べていると、お父さんが言ってきたのだ。

「ところでツムギ、宇代くんは最近どうしてるんだ?」

 わたしは口元まで持っていった箸をとめて、ササミのフライをのどの奥に押しこんでから言った。

「何で、お父さんがヨシ君のことを気にするわけ?」

「いやこの前貸した機材で、何を撮ってるのか気になってな」

 蜘蛛の巣のはしっこにひっかかるみたいに一瞬とまってから、わたしはお父さんのほうを見た。

 前にも言ったとおり、うちのお父さんは映像作家というものをやっている。依頼されて何かのプロモーションを作ったり、自分で撮った作品を編集したり、いろいろな仕事をしていた。

 あまり似あっているとはいえない口髭を生やしていて、何となく人の好さそうなクマみたいな顔をしている。おおらかで、細かいことは気にしなくて、意外と頼りになったりするお父さんだった。

 そのお父さんには、性格的に少し抜けている、というところがあった。肝心なことを忘れていたり、余計な一言を口にしたり、そんなことだ。

 たぶん今のも、それと同じ系統の発言だった。

「ヨシ君に貸したって、何のこと?」

 冷蔵庫に入れられてたみたいなわたしの口調でようやく気づいたのか、お父さんはしまったという顔をしている。

「おっとまずいまずい、これはしゃべっちゃいかんことだった」

 水をこぼしたうえに盆まで落っことしたというところだけど、今は不問にしておくことにする。

 それより問題なのは、ヨシ君のことだった。

「お父さん、ヨシ君にカメラを貸したの?」

「うん、まあ、そういうことだな」

 さすがに、九割くらいは観念しているらしい。

「それを誰にも言わないって、約束して?」

「ふむむ」

 往生際の悪いうめきは、つまりそうだという証拠だった。

 わたしは食事中なことも忘れて、ちょっと真剣に考えてみた。ヨシ君はわたしにもないしょで、何かを撮っているわけだ。極力、誰にも秘密にしておきたいような、何かを。

「お父さんがヨシ君にカメラを貸したのって、いつのこと?」

 ともかく、わたしは訊いてみた。

「一週間くらい前だな」

 お父さんの答えは、だいたい予想通りではあった。つまりそれは、死んだモミジを見つけてすぐのことなのだ。

 ヨシ君がカメラを借りた目的は、九割くらい間違いなくモミジに関連したことだった。問題は、それがどう関連しているか、ということなのだけど。

「お父さんは、ヨシ君から何か聞いてないの?」

「どうしても人には言えないけど、大切なことだから、って話だったからなあ。宇代くんがそう言うんだから、よっぽどなんだろう。あとは、絶対に秘密にしておいてくれとも言ってたな」

 まじめな顔で秘密をもらしているお父さんはともかくとして、やっぱりヨシ君がカメラを借りた理由は謎のままだった。何かを撮影するためなのは、確実なはずなのだけど。

 一体、ヨシ君は何を撮るつもりだったんだろう――?

「いいなぁ、ボクも今度カミキリ撮るから、カメラ貸してよ」

 と、不満そうな口調で言ってきたのは、弟のさとしだった。

 弟は昆虫好きで、特にカミキリ虫がお気にいりなのだという。南アメリカだかどこかにいるという何とかカミキリについて、丸一時間くらい熱弁をふるった(ふるわれた)こともある。

「智がお父さんのカメラを扱うのは、まだ早いなあ」

 と、お父さんは渋い顔をした。それは、わりと賢明な判断ではあったけど。

「えー、ヨシのにいちゃんはよくて、ボクじゃダメってこと?」

「まあそういうことだな」

 どうやらお父さんは、我が子よりヨシ君のほうに信頼を置いているらしい。

 そのあとも弟とお父さんのあいだで不毛なやりとりは続いていたけど、わたしはさっさとひきあげてしまうことにした。そうしてキャベツのスープやポテトサラダを口にしながら、じっくり考えてみる。

 モミジが死んだその次の日から、ヨシ君は学校に来なくなった。お父さんがカメラを貸したのは、ほぼ同時期。それから一週間のあいだ、ヨシ君は何かの撮影を続けている――

 ヨシ君は今、一体何をしているんだろう?


 もう一つヨシ君についてわかったのは、やっぱり意外なところからだった。

 ある日の放課後、わたしは例の踏み切りによってみた。首のないモミジが死んでいた、あの踏み切りだ。

 放課後的な、ゆるんだゴムみたいに()()()した時間の中、わたしは踏み切りを近くから眺めてみた。時々車がとおったり、人がわたったりしてるけど、特に変わったところはない。帰宅ラッシュまではまだ間があったし、元々そんなに利用者が多いわけでもなかった。

 あたりまえだけど、モミジの死体はもうどこにもない。壁の落書きをきれいにとってしまって、最初からそんなものなかったみたいに。たぶん駅の関係者の人が処理したと思うのだけど、どうなったのかはわからなかった。

 そうやってわたしがとりとめなく線路のほうを眺めていると、急に声をかけられていた。

「あら、あなたもしかして、この前男の子といっしょにいた子でしょう?」

 振り返ると、割烹着に三角巾をつけたおばさんが立っていた。年季のはいった丸眼鏡をかけていて、どちらかというとたっぷりめの体型をしている。

 はて、誰だろう? おばさんはわたしのことを知ってるみたいだけど、わたしはおばさんのことを知らなかった。

「私、そこの和菓子屋で働いてるものなんだけど」

 と、おばさんは道路の向こうにある店を指さす。そういえば、確かにそんな店はあった。

「あの男の子に頼まれて、しばらくお店のショーケースにカメラを置いてたのよね」

「……カメラを?」

 わたしは思わず、きょとんとした。ひょうたんからは、いつも意外なものが出てくるみたいだ。

「何でもね、人を探してるんだって」

 そこからのおばさんの説明は、だいたいこんな感じだった。

 ある時、店に男の子が訪ねてきて、カメラを置かせてほしいと頼んできた。それは、線路で死んだ猫の飼い主を探すためだ。その猫とは仲よくしていて、飼い主のことも知っているのだけど、名前も、どこに住んでいるのかもわからない。たぶんこの近所で暮らしているはずだから、この踏み切りを利用しているかもしれない。ついては、猫が亡くなったことを伝えるために、その人のことを探したい。そのために、カメラで通行人を撮影して、その人がいるかどうか確認をしたい――

 どんなふうに説得したのかはわからないけど、ヨシ君はおばさんにそんな話をしたみたいだった。

「カメラはその子が用意したぬいぐるみの中に入ってたから、誰も気づいたりしなかったわね」

 と、おばさんは何だか嬉しそうに言った。たぶん、小学生にしてはしっかりしてると、感心しているのだろう。

「それって――その子にカメラを置いてくれるよう頼まれたのって、いつのことですか?」

 ふと虫の知らせみたいなものを感じて、わたしは訊いてみた。

「そうねえ、二週間くらい前かしら」

 腕を組んで考えながら、おばさんは言う。

 思ったとおりそれは、ヨシ君がお父さんからカメラを借りてすぐのことだった。つまりヨシ君は、最初からそれが目的でカメラが必要だったのだ。

「でもつい先日、もう十分だからってカメラを取りにきてね」

 と、おばさんの話はもう少しだけ続いた。

「ええっと、宇野うのくんていったかしら、その子?」

 急に訊かれて、わたしは少し混乱した。宇野? でもS字コーナーで華麗にハンドルを操るレーサーみたいに、すぐ頭を整理する。

「そうです。宇野くんとわたしは、同じクラスなんです」

 はきはきしたわたしの答えに、おばさんは何の疑いも持たないみたいだった。人は見たいものしか見ないし、怪しいことしか怪しまないものである。

「余計なお世話かもしれないけど、飼い主が見つかったかどうか、ちょっと気になっちゃってね」

 おばさんは言い訳するみたいにそうことわってから、訊いてきた。

「あなた、あの子と友達なんでしょう。何か知らないかしら?」

 でももちろん、わたしに答えられることなんてなかった。むしろ、わたしが知りたいくらいなのだ。ヨシ君が本当は宇野だなんていう名前だったことさえ、知らなかったくらいなんだから。

 正直にそう言うと(名前のことはのぞいて)、おばさんは少し残念そうではあるけど、それ以上訊いてきたりはしなかった。

「そう、気になるけど仕方ないわね。教室でその子に会ったら、和菓子屋のおばさんがよろしく言ってたって、伝えておいてくれるかしら」

 もちろん、そんなのはお安い御用だった。もっともヨシ君は今、教室には来ていないのだけど。

「あと、長々ひきとめちゃってごめんね。お詫びといっちゃ何だけど、これあげるわ」

 そう言っておばさんが最後に渡してくれたのは、店の売り物らしい一口サイズの豆大福だった。甘いものには目がないので、遠慮なんて無粋なことはせずにもらっておく。ヨシ君さまさまというところだった。

 わたしは丁寧にお礼を言ってから、おばさんと別れることにする。これでいくらかのことがわかったわけだけど、むしろわからないことが増えただけみたいな気もした。

 帰り道の途中で、わたしはもらった豆大福を口に放りこんでみる。

 とりあえず、その豆大福が十分においしいことだけは確かだった。

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