4(そんな死にかたを選ぶ猫じゃない)
通学路はいつもみたいに子供たちでいっぱいで、いろんな声や物音であふれていた。神様が上のほうから見たら、アリの行列みたいに見えたかもしれない。
わたしは途中でいっしょになった友達二人と、特に意味のないおしゃべりをしたり、ふざけあったりしながら並んで歩いていた。実に有意義な時間の過ごしかたではある。
やがて線路沿いにある、地下道の前までやって来ていた。朝の時間帯はわりと電車の本数が多いので、小学校では踏み切りじゃなくて、こっちが通学路になっている。
思いがけずヨシ君と出会ったのは、その時のことだった。
「おはよう、ちょっといいかな?」
と、ヨシ君は声をかけてくる。
わたしとヨシ君の登校時間は、特にかぶったりはしていない。よっぽどの偶然か奇跡がないかぎり、いっしょになることはないはずだった。
つまるところそれは、ヨシ君がわたしのことを待っていた、ということを意味している。
はて、ヨシ君がわたしに用事なんてあったかな、とわたしは考えてみた。特別な約束や計画があるわけでもない。何かを貸したり、借りたりしているわけでもない。もっとも、本当にそうだという自信はなかったけど。
ともかく、ヨシ君の言う「ちょっと」がどれくらいの分量なのかが問題だった。このまま、友達を少し待たせておいたほうがいいのか、いさぎよく先に行かせてしまったほうがいいのか。
でもわたしはヨシ君の様子を見て、友達とは別れることにした。ヨシ君とは、伊達に長いつきあいがあるわけじゃない。それくらいのことはわかるのだった。
友達とはいったん手をふって別れて、わたしはヨシ君のほうに向かった。川を遡上するサケの群れから抜けだすみたいにして、登校の列から少し離れる。
「それで、ヨシ君どうかしたの?」
わたしはあらためて訊いてみた。
「実は頼みがあるんだ」
「頼み?」
何を言ってもおかしくなさそうな、何を言われてもおかしく思わなさそうな、そんなヨシ君の顔を見ながら、わたしは首を傾げてみる。
「うん――紬のお父さんが持ってるカメラを、ちょっと貸してほしいんだ」
「お父さんのカメラ?」
わたしのお父さんは映像作家というものをやっていて、その手の機材をたくさん持っている。ヨシ君が言っているのは、そういうことだろう。
とはいえ、何のためにそんなものが必要なのかは見当もつかなかった。下手な鉄砲を撃っても流れ弾が危ないだけなので、単刀直入に訊いてみる。
「いいけど、何に使うつもりなの?」
わたしの質問に、ヨシ君はこともなげに答えた。
「モミジの死体を撮るためだよ」
正直なところ、ヨシ君が何を言っているのかはさっぱりわからなかった。モミジの死体? それをカメラで撮る? 何のために?
そもそも、モミジが死んだってどういうこと――?
でもわたしの家までカメラを取りに戻るのには、それなりの時間がかかってしまう。どんなに急いでも、学校に遅刻するかどうかぎりぎりというところだ。
詳しい説明をしている暇も、聞いている暇もなさそうだったので、わたしはとにかくカメラを取ってくることにした。両親は二人とも出かけていたので、わたしとヨシ君は一直線に家に入って、一直線にカメラを持ちだす。
わたしたちはそれから、ハムスターみたいに急いで元の場所まで戻ってきた。さすがにこの時間になると、登校する児童の姿なんてほとんどない。
「もう少し先のところだよ」
ということなので、わたしたちは地下道の連絡口を通りこして、その先にある踏み切りに向かった。
本当を言うとそっちのほうは通学路になっていないのだけど、ヨシ君は主にそっちのほうの道を使っているのだった。きちんと訊いてみたことはないけど、たぶんそっちのほうが人が少ないからだ。
「こっちだよ」
というので、わたしは言われるまま、ヨシ君のあとを追っかけて踏み切りに向かった。何となく、怪しい笛吹き男に踊りながらついていってるみたいでもある。
その辺は住宅地で、道がやや小さいこと以外は特に変わったところはなかった。線路の反対側には和菓子屋さんがあって、開店準備中の看板がかかっている。
ヨシ君は迷いもためらいもない足どりで進んでいくので、わたしの歩調も自然とそれにならっていた。とはいえ、まだ全然状況は理解できていなかったし、何に戸惑えばいいのかさえわからなかったけど。
時間的な問題なのか、あたりに人の姿はなかった。電車もちょうど途切れていて、踏み切りの遮断機が下りてくる気配もない。
それからヨシ君は、当然みたいな顔をして線路にあるレールのあいだを歩きはじめた。敷石を踏んで、奥のほうに向かう。こんなところを先生にでも見られたら、ただじゃすまないのは確かだった。
でも、わたしはヨシ君と同じように、当然みたいな顔をしてあとについていった。毒を食べようと思ったら、皿まで食べてしまうしかない。
踏み切りの場所からたいして離れていないところで、ヨシ君は立ちどまった。どうやら、そこが目的地みたいである。
「そこに、モミジがいるんだ」
言われて、わたしには一瞬何のことかわからなかった。でもじわりじわりと、カタツムリが這うくらいの速さで事態を理解しはじめる。
――そこには、首のない猫の死体が転がっていた。
レールのすぐそば、敷石の上のところに、ふさふさした毛皮としっぽの猫が横になっていた。下手をするとぬいぐるみかと思うくらいきれいな状態だったけど、それにしては質感がリアルすぎる。
その猫には首がなくて、だから本当のところはわからないのだけど――たぶん、モミジで間違いなかった。
だって、その猫はモミジと同じ毛並みをしていたから。モミジがモミジである、モミジがモミジでしかありえない、あの特徴的な色あい。どんな高価な染料を使ったってまねできない、モミジだけの色。
たぶんその猫――モミジは、電車にはねられてしまったんだろう。その拍子に、車輪で首を切られてしまった。細かいいきさつなんてわからなかったけど、そうとしか考えられない。
モミジがそんな死にかたをするなんて、わたしにはもちろんショックだった。そんな想像なんてしてないし、できもしない。夢にだって、見たことなんてない。
わたしがそうやって、バランスの悪いヤジロベーみたいに心をふらふらさせている横で、ヨシ君は写真を撮っていた。
その様子は冷静そのもので、ロボットのほうがまだ人間味にあふれていそうなくらいである。ヨシ君は悲しそうにも、つらそうにも見えなかった。
あえて言うとそれは、決められたスイッチを押されたので決められた通りに動いているだけ、みたいにも見える。
「何で、写真なんて撮ってるの?」
わたしの声は非難しているわけでも、問いつめてるわけでもなかったけど、かといって自分でも何を考えていたかはわからない。
「記録を残しておくためだよ」
ヨシ君はやっぱり、あくまで冷静だった。
「モミジが死んだ記録?」
と、わたしは訊き返した。そこにはちょっとだけ、ロマンチックな響きがないわけでもない。
でもヨシ君は、あっさり言うのだった。
「違うよ」
そして、意外な一言を口にする。
「犯人を探すための記録を残してるんだ」
「……犯人?」
よくわからないけど、わたしはカラスにつつかれる案山子みたいな、きょとんとした顔をしたはずだ。
「そうだよ」
対してヨシ君は、実にあたりまえのことみたいに言う。
「モミジは殺されたんだから」
「殺されたって……どういうこと?」
わたしは訳がわからなくて、訳がわからないまま訊いた。
「だって、首がどこにもないから」
言われてみると、確かにそのとおりだった。線路のそばをいくら見渡してみても、モミジの首らしきものはどこにも落ちていない。それは状況的に考えると、少しおかしな話だった。
「でも、野良犬なんかが持ってっちゃったんじゃ……」
自分でもあまり確信はないまま、わたしは言ってみた。
「持っていくとしたら、たぶん体のほうだよ」
ヨシ君は呆れるでも、バカにするわけでもなく、どちらかというと丁寧に説明する。
「それに、仮にモミジがここで事故死したんだとしたら、ちょっときれいすぎるんだ。どこにも血の跡がないし、あたりに肉片みたいなものもない」
「肉片……」
やけに生々しい単語ではあった。
「首の切断面にしたって、何だか滑らかすぎるんだ。もしも列車に轢かれてこうなったとしたら、こんなふうにはならないと思う。これはどっちかというと、鋭利な刃物で切られた跡だよ」
「……つまり、どういうこと?」
わたしの思考回路は、まだどこにもつながっていないみたいだった。
「つまりね」
と、ヨシ君はカメラの画像を何枚か確認しながら言う。
「モミジを殺した犯人は、どこか別の場所でモミジを殺して、首を切ったうえで残りの体をここまで運んできた、ってことだよ。たぶん、電車に轢かれたように偽装するためにね」
「でも、何のためにそんな……」
焼きそこねたクッキーみたいな声のわたしに、ヨシ君は首を振った。
「ぼくにも、それはさっぱり見当つかない」
それからヨシ君はまた、何枚か写真を撮りはじめる。ランドセルにあったものさしを横に置いて、ドラマで見る警察の現場検証くらい徹底していた。
わたしは何となく置いてけぼりにでもされた気分になりながら、訊いてみた。
「モミジが殺されたなんて、ヨシ君は本気で思ってるの?」
しゃがんで、モミジの切断された首のあたりを撮っていたヨシ君は、立ちあがって、わたしのほうを見て言った。
「うん、思ってるよ」
「首がないっていうだけで?」
「それもあるけど――」
ヨシ君はちらっと、モミジのほうを見て言う。首のない、かつてモミジだったものを。残酷で、わがままで、何よりきれいだったモミジを。
「――モミジは絶対、電車に轢かれるような猫じゃないよ。そんな死にかたを選ぶ猫じゃない」
ヨシ君の言いかたは少しおかしかったけど、わたしにも何となくそれはわかった。モミジはたぶん、そんな死にかたはしない。自分の死にかたは、自分で選ぶタイプの猫だった。
その時、電車が通過する前の警報音が聞こえはじめた。
わたしにも、ヨシ君にも、死んだモミジにも無関心な様子で、遮断機は音を鳴らし続けた。世界にひびでもいれようとするみたいに、硬くて、大きくて、騒がしい音を。いつまでも、いつまでも、それは響き続けた。