1(猫の名前は――〝モミジ〟になった)
五月のある晴れた日の昼休み、わたしたちは校庭のベンチに座っていた。
――わたしたち、というのはつまり、わたしと、ヨシ君と、モミジのことだ。
でも、わたしたちという言いかたは正確じゃない。何しろ一番最後のモミジというのは、猫のことだったから。
五月らしい、爽やかな青空だった。寒くもなくて、暑くもなくて、何だかきれいなガラスの中にでも閉じ込められた感じの。
お昼休みの時間は、みんな体育館や運動場に遊びに行ったり、教室で友達とおしゃべりしたりしていた。わたしたちのいる校庭は静かで、まるで世界中の時計がとまってしまったみたいでもある。
「…………」
わたしは黙って足をぶらぶらさせたまま、隣に座るヨシ君とモミジのことをうかがってみた。
二人は(正確には、一人と一匹は)ただ黙って座ったまま、じっとしていた。何かをするわけでも、何かをしようとするわけでもなく、ただじっと。
それでも、そこには親密な空気があった。お互いのことを気にして、お互いのことを気づかって、お互いのことを助けあってる、そんな空気が。
ヨシ君とモミジのあいだには、ほんの少しだけ距離があった。ものさしできちんと測ったみたいな、そんな距離が。二人はべたべた触れあうことも、優しい言葉をかわすことも、お互いを見つめあうことさえなかった。
でも、やっぱり――
二人は親密で、仲がよさそうだった。とても静かに、とても穏やかに。何だか、夕暮れ時に足元にくっついて家まで離れない、影法師みたいに。
春ももう終わる五月の空の下で、ヨシ君とモミジは黙ったまま並んで座っていた。
――わたしはそうして、そんな二人をただ横でじっと見ているのだった。
※
その猫が学校の敷地に現れたのは、わたしたちが六年生になった頃のことだった。
みんなが新しい教室や新しい机、新しい友達なんかにまだ慣れていない頃、その猫は学校にやって来た。帽子の中に手をつっこんでみたら、何故だかそこからウサギが出てきた、というくらいの唐突さで。
はじめは、運動場だった。それがプールの近くになって、体育館の裏になって、いつのまにか校庭や玄関の近くにまで来るようになっていた。何だか、だるまさんがころんだでもしてるみたいに。
首輪はしてなかったから、飼い猫かどうかはわからなかった。野良猫にしてはずいぶん人馴れしていたけど、かといって誰かに飼われてるにしては、野性的すぎる。人間を怖がってもいないけど、頼ってもいない、という感じで。
間違い探しでもやってるみたいに徐々に近づいてきたその猫は、でもその頃にはもうみんなの人気者だった。その猫が学校に現れると、みんながそれを見たがり、もてはやした。ちょっとしたアイドル、というところだ。
そんな猫に向かって、先生たちはあまり強くは出られなくなっていた。もちろん、問題にはなった。学業の妨げというほどじゃないにしろ、学校の敷地を部外者(猫)にうろうろさせておいていいはずはない。
でも、もしその猫を追いだしたりしたら、学校中の生徒から嫌われるのは目にみえていた。みんながっかりするだろうし、場合によっては怒りだしていたかもしれない。少なくとも、総すかんを食うのだけは確かだった。
――ただし本当のところ、それだけじゃなかったのだとは思う。
先生たちもたぶん、その猫のことを気にいっていたのだ。できれば自分たちもそばまで行って、なでたり、遊んだり、甘やかしたりしたくなるくらいに。
そう――
その猫は、きれいな猫だった。どこかの砂漠に住んでいる王様が、特別に作らせたみたいに。
上品で、気品があって、その辺にいる人間よりよっぽど頭がよさそうな顔つきをしている。ぴんととがった、格好のいい耳。光の加減とか、見る角度によって、不思議なくらい印象の変わる瞳。全身が、世界各地から取りよせた上等な素材で出来ているみたいだった。
それから、そのふかふかした、長くて柔らかな毛並み。
三色に分かれたその毛並みは、それぞれが特別な色あいをしていた――高いところにある雲に似た、少し霞がかった白。木漏れ日のさす森の中みたいな、澄んだ黒。橙というよりは、緋色に近い茶。
それはまるで、秋の一番深いところから抜けでてきたみたいな、そんな色あいだった。
だから、その猫の名前は自然と――〝モミジ〟になった。