最終話 全てこの世は大団円
「まだ起きませんね。僕は大分前に目が覚めたのに」
「もう~あなたが乱暴に術をかけるものだから、ましろちゃん気を失っちゃったじゃない」
「お前が襲って来るからこっちも余裕なかったんじゃ!」
みんなの声がする。私はうっすら目を開けると、しみだらけの天井が目に飛び込んで来た。帰って来たんだ。ほっとしたのも束の間、状況を把握して慌てて飛び起きる。私は、店の奥にある居間の畳の上に寝かされていた。狭い部屋の中に密集して、いつものあやかしたちが心配そうな顔をして私を取り囲んでいた。
「ましろ! 気づいたか?」
「寿寿亭に帰って来たのね? みんなは大丈夫?」
「自分より他人を気遣うなんて、さすがましろだな。ますます惚れた」
その声の主に私はがばっと振り返った。赤い髪に赤い目の少年。思い出した。何で忘れることができたのだろう。
「蘇芳! あなた蘇芳ね!」
「その名前は影郎にあげたから今は紅蓮だぞ」
「でも私にとっては蘇芳のままよ……ごめんなさい、ずっとあなたのこと忘れてた。寂しい思いをさせたわね」
私はしんみりとした口調で蘇芳に向かって言った。ずっと頭にこびりついていた違和感がやっと消え去ってすっきりした気持ちになる。そこへ、元の姿に戻ったカゲロウが、少し気まずそうな感じで割って入った。
「それはわしが意図的にやったことじゃ。お前とコン猿の記憶を抜いた。ついでにわしたちに関する記憶も」
「どうしてそんなことしたの? そこまでする必要はなかったのに?」
「お千代さんの意向だったんじゃ。例の件を後から知ったお千代さんは大層心を痛めてな、子供から預かった大事な孫が変なことに巻き込まれて、一歩間違えれば大惨事になっていた、二度とこんなことが起きないようにあやかしに関する記憶ごと消してくれと懇願されて、わしも断り切れんかった」
「そんな……だから、自然とここから足が遠のいて行ったのね。なんでおばあちゃんはそんなことを頼んだのかしら? 自分だって寂しくなかったのかな?」
「わしたちのことがなくても、子供は成長すれば自然と自立して親元を離れていくものじゃ。お千代さんもそんなもんだろうと言っておったわ」
それでも、おばあちゃんの死の間際は疎遠になっていたことが、今になって恨めしく思った。自分が悪いのだから仕方ないが、あやかしとの絆が残っていれば少しは違ったかもしれないのに。
「まあ、気にすることはない。ましろがこうして寿寿亭を継いでいると知ったらお千代さんも喜ぶじゃろう。わしらもおぬしともう一度巡り会えて嬉しかった。忘れられるというのは、自分の存在がなくなるのと同じことだから、それはそれで断腸の思いだったんじゃ」
あやかしにとっては、人間から忘れられることは死を意味すると前にも聞いたことがある。それと同じ意味だろう。私は、彼らと再会できてよかったとしみじみと思った。
「じゃあ、最初に会った時、『一緒に店をやらんか?』と言ったのは……」
「まあ、もう一度関係を築きたかったというのが大きい。わしだけじゃない、他の奴らもましろに忘れられて寂しがってた。わしも大層恨まれたもんよ」
「そうじゃ、いくら千代ちゃんの頼みとは言え、影郎のかけた術はしぶとくての。ましろはちっとも思い出さないからやきもきしたもんじゃ」
「記憶をなくした後も俺たちは寿寿亭に出入りしていたが、ましろに話しかけるのを千代ちゃんから止められた。千代ちゃんの心配ももっともと思ったから我慢したものの、お前を見るたび辛い思いをしたよ」
「ごめんね、みんな。あと、待っててくれてありがとう」
「わしらは、ましろと再会できればそれでよかったんじゃが、紅蓮が乱入したことで過去の記憶を解放することにした。お千代さんの死後も契約を守るのは努力義務ではあるんだが、まあその辺は臨機応変でいいかなと思って」
相変わらずあやかしの契約は厳密なのか適当なのか分からない。でも、私はこれですっきりしたが、まだすっきりしてない人が残っていた。一緒にいた佐藤さんが、しびれを切らしたように口を開いた。
「まだ分からないことがあります。僕って元々霊感が強いわけではなかったですよね? それがなぜ不思議な力を持つようになったんですか? もしかして、紅蓮と一体化したことが関係してます?」
「さすがコン猿、察しがいいのう。一度合わさった魂を二つに分ける時、紅蓮の一部がお前の中に残ったんじゃろうな。それでお前がちいとばかりあやかし寄りの体質になった。まあ、普通に暮らす分には殆ど分からない差異だが」
「ちょっと、それ大変なことじゃないの! まさか、今回二度目だからまた変なことになってないでしょうね!?」
私はぎょっとしてカゲロウに尋ねたが、当の佐藤さんはけろっとしたままだった。
「今んとこ大丈夫です。それに正直ちょっと嬉しいかなって。小学生の時、ましろさんに紅蓮が見えて僕には見えなくて寂しかったんですよね。自分は、オカルト好きで一通りの知識はあるのにそういうのは関係ないんだって。それが、今じゃ陰陽師か山伏かってくらいになれて、昔のオカルト熱がよみがえってきました」
本人が納得していればいいのだけど……でも、もう二度と体を借りるなんてことしないで欲しい。私は紅蓮こと蘇芳に目を向けた。
「すまない……体を借りることの危険性も理解していたはずなのに、衝動を抑えきれなくて……前も影郎に助けてもらったから、今回も甘えていた部分がなかったかと言えば嘘になる。なあ、これは契約違反になるか? それなら罰は甘んじて受ける」
「ちょっと、それまた不自由な身の上に戻るってこと? そんなことしないわよね、カゲロウ!?」
「さーて、どうしようかなあ。ましろがわしへちゃんと敬意を払うのを対価にするなら、不問にしてやってもいいが?」
「敬います! ちゃんと神社にもお参りするから、どうか見逃してください!」
「あの神社はどうでもいいわ。あそこは夫婦神を祀ってるところでの。わしはともかく、おとはと一緒なんてかなわん。さっきも異様に嫉妬してわしを追いかけ回すもんだから、威厳なんてガタガタじゃ。昔のはやり歌で例えるならば『そこに私はいません、寿寿亭にいます』じゃ」
「何言ってるのよ! 自分の妻すら満足させられないくせに、何が夫婦喧嘩の仲裁よ! 私がいながらのうのうと逃げ回っているのは後ろ暗いところがあるからでしょう! さっきの続きをするわよ!」
おとはさんとカゲロウは、再び夫婦喧嘩を始めて店の外へと出て行ってしまった。ぱっと見仲が悪そうに見えるが、あれもまた、一つの夫婦の形なのだろう。彼らは彼らなりに楽しくやっているようなので放っとくことにする。それより、大事なことを今思いついた。
「ねえ、紅蓮。あなた今の名前本当は好きではないんでしょう? 佐吉さんが名付けてくれた名前を取り戻したくはない?」
「全くないと言ったら嘘になるが、それと引き換えに自由になったから悔いはないよ。それに比べたら名前の問題なんて些細なことだ」
「でも、あやかしにとって名前は重要だって聞いたわ。それなら私が、新しい名前を与えるってのはどう? そうね……蘇芳なんてどうかしら?」
それを聞いた彼はそのまま固まっていた。一瞬何を言われたのか分からなかったようだが、徐々に理解するうちに驚愕の表情へと変わっていく。
「いいのか……本当に? ましろが新しい名前をくれるのか?」
「だってあなた、蘇芳というのが気に入っていたんでしょう? 私が新しく名付けるなら、カゲロウとの契約にも触れないし問題ないかなって」
私は、あんまり熱く見つめられるものだから、少し恥ずかしくなって照れながら言った。対価とか契約なんてものがうるさい世界と知ったなら、それを逆手に利用する手もあるのだ。この世界の仕組みがだんだん飲みこめてきた。
「ましろ、本当にいいのか? お前はオラとたまおだけでなく、こいつも従えることになるんだぞ?」
ポン太がこっそり耳打ちするまで、私は名付けの意味を失念していた。指摘されて初めて「あっ」と気付く。しかし、既に遅かった。
「分かった。ましろがくれた名前大切にする。ありがとう。俺は今日から蘇芳だ」
蘇芳のキラキラした顔を見たら、引っ込みつかなくなってしまった。もしかして、新たな厄介ごとを抱えたなんてことある?
「多分そうですよ。ましろさんを見つめる彼の崇拝の眼差しを見れば明らかです。本当におっちょこちょいなのか人たらしなのか分からない人ですね」
佐藤さんが呆れたように付け足す。少なくとも退屈はしない……かな? 私は、明日からの生活が、以前にもまして騒々しくなる予感に思いをはせ、ぶるっと震えたのだった。
**********
あれから一週間後、寿寿亭は臨時休業した。なぜ休んだかと言うと、今回のゴタゴタが一件落着したことを祝して、みんなで集まろうということになったからだ。
客席にめいめいが座り、ゆかりのある食事を提供してあげるという寸法である。せっかくのお祝いなのに、私はご馳走を作るのに大わらわだった。
「バクさん! こっちのお皿に唐揚げ盛り付けておいて! 私はハンバーグとカキフライに入るから! 佐藤さんどれくらい食べるかな?」
「若いから胃袋は底なしだと思うよ。あと、蘇芳はコロッケ、たまおはカレーだっけ? 何気に注文多いな。カゲロウの奴はぬか漬けと酒を用意しとけばいいや。あいつあんまり食べないし」
「それだけじゃないわよ! おとはさんは塩むすび。あれ結局試作段階でぽしゃってしまったのよね。ポン太! そっちはどう? みたらし団子できてる?」
「白玉粉は耳たぶの固さになるようにこねるんじゃったな。ましろ、おぬしの耳たぶ触らせておくれ。ほーこんな感じか」
「自分の触ればいいじゃない! 今度は上新粉で作ろうとしたら蘇芳が『前と同じのがいい』って言うから白玉粉にしたけど……本当にいいのかしら?」
「それはともかく、オラの稲荷ずしは忘れてないだろうな?」
「そっちは昨日のうちに仕込んだわよ! 店を閉めてからかかりきりだったんだから! 昨日から碌に寝てないわ!」
結局いつもの開店準備と変わらないかそれより忙しい。私たちはわいわい言いながら料理を作り上げて行った。
「こんにちは。言われた通りアイスクリーム買って来ましたよ。バニラとチョコも入ってます。ドライアイス付けてもらいましたから、ここにおいていいですか?」
しばらくして佐藤さんがやって来た。彼にはアイスを買ってきてもらうよう頼んだのだ。
「ありがとうございます! 業務用の冷凍庫あるからそちらにしまいます。お代は後で払うのでちょっと待ってくださいね。みんなそろそろやって来るわね。急がなくちゃ」
そんなこんなでバタバタしているうちに、たまおと蘇芳がやって来た。たまおはいつもの金髪スカジャン姿である。そのヤンキーみたいな格好どうにかならないのかと思うが、彼自身は気に入ってるようだった。
「うっす。今日はデートの予定入っていたのをずらしてやったんだからな。ありがたく思えよ」
「おい、ましろに向かってその口の利き方は何だ。ましろ。今日もかわいいね。俺たちのためにありがとう。こんなに一杯用意してくれて」
「蘇芳、あなたの食べ物が一番多いのよ! みたらし団子にコロッケにアイスクリームなんだから!」
「それ俺たちが食べてもいいんだろう? いくら何でもカレーライスだけなんて寂しいからな」
「別にいいけど、その代わり手伝いなさいよ! はい!このお皿持って!」
私は二人のあやかしもとい下僕にてきぱきと指示を出した。フラフラするので危なっかしいが、猫の手も借りたい状態なので文句は言えない。
「肝心の影郎夫婦が見えんな。また喧嘩をしておるのか?」
「さあな。遅ければ俺たちだけで始めちゃおうぜ。あいつらなら別に構わないから」
彼らの中では一番位の高い神様相手に随分な物言いである。私も否定はしないが。しかし、そうこう言っているうちにカゲロウたちはやって来た。
「さっき若いおなご見て鼻の下伸ばしてたでしょー! 今日という今日は許さないんだから!」
「たまにはおとなしくはできんのか! これだからお前と一緒にいるのは嫌なんじゃ!」
余りにも予想通り過ぎる展開に、私たちは顔を見合わせて「やっぱり」と心の中で呟いた。
「さあ、これからパーティーを始めるわよ。新生寿寿亭に乾杯!」
バタバタしながらも、無事祝いの席を設けることができた。こうして、あやかしたちが集う定食屋「寿寿亭」は、これからも元気に営業を続けるのであった。
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