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■図書館の少年編 その3~暴漢の過去~

貧して鈍するだけなら、まだましなほう。

それが極貧ともなれば……。


アジアのとある場所にあるK国某地域は、世界でも下から数えたほうが早いほどの最下層の町だ。


人々の生計は主に、物乞いか犯罪か売春で成り立っている。


富裕層の人間たちが、よく買いに来やってくる。

大人はもちろん、少年、少女まで。


そしてそんな大人や少年、少女たちが、富裕層の懐を狙ってもいる。


負のスパイラルからは、抜け出すことはできない。

それは負の吸引力があまりに絶大だから。


すぐに頭打ちとなるプラスと違って、マイナスの底は知れない。

空が青いのは誰でも知っていることだが、深い井戸の奥には何があるのかは誰にも分からないこととよく似ている。


人が集まり、国、そして社会ができてからの幾千年もの間、変わらずにこんなことが続いているのは、腐りきっているなによりの証拠。

国が、政治家が、軍人が、警察が、そして人々が。


チッタはそんな国で生まれ、育った。

言うまでもなく、金はない。

教養もない。

食べ物もない。

着る服も、履く靴もない。


あるのは若さと、体の弱い母親、それに年端も行かない多くの妹たちだけ。

財産となるのは、自分自身のみ。


この町には、嘘とペテンしかない。

すべてがあてにできず、信用もできない。

自分の存在以外は。


だから、日本という国に行くという話も当然信用などできなかった。

ヤマタと名乗る肌の黄色い、頭の禿げ上がった小太りの男は、いかがわしい臭いをプンプン漂わせていた。

そう、町の人間と同じ臭いを。


しかし、嘘しかないこの町と、もしかしたら本当かもしれない日本行きという話を天秤にかければ、その答えは自ずと導き出された。


どうせ騙されたところで失うものなどないのだ。

自分の命以外は。


『賭けてみよう。どうせ、ここにいた所で代わり映えのしない貧窮した毎日……このままでは母も、妹たちも、路頭に迷うのは目に見えている。それなら俺が飛び込んでみて、一か八か……』


『ニポンに行こう』


チッタは覚悟を決めた。

日本で金を稼ぎ、病弱な母や妹たちのためにひと稼ぎして、いままでの糞ったれた惨めな生活から脱する夢を抱いて。



「ヤマタじゃねぇ、ヤマダだ」


「ヤマ、タ?」


「ちっ! もういい。とりあえず、日本でのお前らの仕事は俺が面倒見るから安心しろ」


通訳を通して、山田の言った言葉を聞く。

そして、紙を渡されて書名するように言われた。

もちろん、書くことができる者はいない。

生まれてこのかた、字など読んだこともなければ、書いたことなどもちろんないのだから。


「拇印でいいから、さっさとそこに押せ」


山田は面倒くさそうにそういった。


チッタはもちろん、全員山田の言うことを全面的に信用しているわけではない。

自分の手で金を貰うまでは。

もし、山田が嘘をついていたときは……。


そして、密航は行われた。

貨物船のコンテナの中に、何人かの現地人とともに詰められて。


コンテナの中とはいえ、船の旅は悪くなかった。

それどころか、食べたこともないような美味しい食べ物や飲み物を与えられた。

貧乏を極めた密航者たちは、それをむさぼるように食らった。

それはチッタとて同じこと。


『この世にこんなうまいものがあるのか!』


それまでは、毎食がゴミ箱からあさってきた半ば腐ったものばかりだっただけに、新鮮な食材というだけでもう満足していた。

日本では粗末に扱われている食材でも、飢えた彼らにはこの上ない美味と感じられたのだ。


『二ポンはいいところなのかもしれない』


与えられた豊かな食事を通して、チッタは夢見た。

というよりは、夢を見ずにはいられなかったというのが正しい。


数日後、船は日本の某港にイカリを降ろした。

チッタたちが入っているコンテナも、通常の荷物として無事に到着した。

密航者を荷物として扱われたのは、山田が荷受人に鼻薬をきかせたのはいうまでもない。

山田にとっては手馴れたことだ。

これまでも、何度となく、この手の激貧の発展途上国の人間たちを日本に連れてきた。


が、返したことはない。

ただの一度も。


『ここは、どこなんだろう?』


チッタたちが、連れてこられたのは、暗い闇の中。

そこでひたすら、穴掘りに従事していた。


労働は過酷を極めた。


しかし、国でゴミをあさるような生活とは比べ物にならないほど充実してはいた。


働いていることの充実感。


窃盗では決して味わうことができない手ごたえが、そこにはあった。


飯もうまかった。

もちろん日本の水準から見れば、ホームレスへの配給食レベルの粗末なものだったが、チッタたちにとっては考えられないほどのご馳走であった。


そして、指定日まで働けば金がもらえるという喜びも。


最初の給料が出るまでは、チッタをはじめ誰もが山田のことを信じてはいなかった。

仲間内でも話し合っていた。

もし山田が嘘をついていたときは、どうするかについてを。


しかし、そんなみんなの疑心は杞憂に終わった。


それどころか、当初約束していた金額よりも多い給料を払ってくれたのだ。


「お前らはよくやってくれている。だから特別だ」


それには全員が、喜び感謝した。

山田も全員の顔を見回して、満足げに笑顔を見せた。


「ところでお前ら、送金の仕方はわかっているのか?」


もちろん、分からない。全員首を横に振る。


「だろうな。なら、俺がやってやるよ」


しかし、この言葉には当然簡単には首を縦に振ることはできなかった。

危険なその日暮らしを送っていた者たちにとって、金はやすやすと人になど渡すことはできないもの。

皆、沈黙してしまった。

しかし、山田はその辺は手馴れたものだった。


「安心しな。ちゃんと、送った証拠は見せるから。いままでもお前らをよくしてやってたんだ。いまさら疑うこともないだろう? な?」


「……」


誰もが口をつぐんでいたが、やがて一人が仕方なしに山田を頼ることにすると、また一人という具合に、次々とお願いするのであった。

そんな場の空気に逆らえず、チッタも仕方なく山田に金を託した。


その数時間後、山田はチッタたちの前に戻ってきて、送金した証明を知らせる用紙をひとりひとりに見せて回った。


そこには確かに母国語で、実家宛に送金したことを証明すること記載されていた。


ただ、送金したことがないチッタたちには、それが本当にそれを証明するものなのかどうかは分からない。

貧乏の底を舐めた者たちの心魂は疑い深い。

貧しさが、気持ちをゆがめたのだ。


「本当に送ってくれたのか?」


「送るもなにもここに証明があるだろ? それに、金がお前らの家に届いたら、手紙をよこすように言ってあるから安心しろって」


はたしてその後、実家から手紙が届いた。


そこには確かに母親の筆跡で「金を受け取った」ということが書かれてあった。


『神』


想像の上でのものでしかないと思っていた存在が、こんな身近なところにいようとは!

チッタは冗談ではなく、そう思った。


それだけに、チッタは労働に励んだ。

この国では、働けばその分ちゃんとした見返りが帰ってくる。


スリのような危険を犯す必要もなく、川をさらって手に入るかどうかも分からない金を探すのに明け暮れるような徒労もない。


「がんばるぞ!」


チッタはいつか帰るであろう故郷のこと、母親そして妹たちのことを思いつつ、ひたすらスコップで土を掘り返した。


「山田、進行具合はどうなってんだ?」


見るからにヤクザ風の男が山田に話しかけた。


「ちょっと遅れ気味です。申し訳ないです」


「急げ。スポンサーがうるさいんだ」


「はぁ、そうですか。それなら、もう少し人を増やしますわ」


「また、さらってくるのか?」


「人聞き悪いこといわんでくださいよ! 同意の上できてもらっているんだから」


そういうと、やくざ風の男は苦笑いしながら言った。


「作業が終わったら、一緒に埋めることまで同意済みなのかよ?」


「へへっ、そりゃもう、契約書にはそう書いていますからね」


「日本語で書かれた契約書なんぞ、やつらにはわからんだろうが。この悪党が」


山田はニヤニヤしながら言う。


「自分たちの国の言葉も読み書きできない連中なんだから、どこの国の言葉で書いても同じですよ」


「仕事は秘密厳守、口が堅いのが絶対ときたもんだ。だが、人の口には戸は立てられねぇ。そうなるともう、死んでもらうしかないわけだがな」


そういうとヤクザ風の男はタバコを加えて火をつけた。


「あの~、いったい、どんな仕事なんですか? あたしにゃ、とんと検討もつきませんが……」


「いまいった言葉が聞こえなかったのか? 秘密を知った人間は、生きては帰れない。それでもいいなら、教えてやってもいいが」


「うへへ! すんません! 聞かなかったことにしてくだせぇ!」


そういうと、山田はいやらしい上目遣いでヤクザ風の男に言った。


「それじゃ人員の確保、頼んだぞ。約束の期日までにできなければ、お前にも穴掘りをしてもらうことになるからな。覚悟しておけよ」


そう言い捨てると、ヤクザ風の男は去っていった。

それを認めて、山田は一人ごちた。


「へ、うるせぇってんだ! 誰のおかげで作業ができていると思ってんだ!」


そういうと、つばを吐いてその場を後にした。

◆■◆

『最近、手紙が来ないな』


チッタは、思った。


それまでは送金するたびに来ていた手紙だが、ここ三か月というもの、ぷっつりと途絶えているのだ。

他の仲間に聞いても返事は同じだ。


『どうなっているんだ?』


気にはなった。

しかし山田は、チッタはもちろんのことみんなによくしてくれている。

飯や身の回りのことは、変わらずに世話をしてくれているのだ。


それだけに、聞きづらい。


疑うことしか知らなかった人間は、一度でも信じるという甘い罠にかかると、抜け出すことはできない。


騙され、傷つけられ続けてきただけに疑心は人一倍強いものの、逆に信じてしまうとそれもまた一途となる。

答えは簡単なことだ。


信じるということをはじめて体験したのだから。


免疫がない。

それに対して、どう対処してよいのか分からないのだ。


しかし、そんなチッタが抱いていたジレンマから解放されるときがきた。

それも悪い知らせで。


それは新たにこの穴倉へ送り込まれてきた仲間の中に、たまたま近隣に住む者が混じっていたのを見つけたことがきっかけである。

チッタは懐かしむより先に、故郷の家族のことについて聞いてみた。

すると、意外な事実が発覚した。


「チッタ。最近お前送金していなかったけど、どうしたんだ?」


「なんだって! どういうことだ!」


「お前からの送金が途絶えたから、家族の生活が苦しくなったんで、お前の妹たちもニポンに来ているはずだぞ」


「なっ!」


すべては初耳のことだ。

ましてや年端も行かない妹たちがこの重労働に耐えられるわけもなく、また当然会ってもいない。

そんな少女たちができる仕事といったら……。


「ヤマタ!」


チッタは駆け出した。

そして、通訳の日本人に踊りかかって、山田のことを問いただした。


「殺されたくなければ、山田の住んでいる場所を教えろ!」


と。


チッタのあまりの怒りの形相にひるんだ通訳は、命惜しさに山田が最初だけは安心させるために送金していたがその後は一切送っていなかったこと、妹たちをチッタに合わせると誘い出し、売春目的なのを黙って日本のどこかに売り払ったということを話した。


すべてを聞き終えた後、チッタは山田が住んでいる場所が分かるというケータイというものを奪い、使い方を聞いてから通訳の手足を縛った。


すると通訳は泣き声で懇願した。


「待ってくれ! 俺を置いていかないでくれ! 近いうちにここは埋め立てられるんだ! 頼む! 連れて行ってくれ!」


『埋め立てるだと?』


チッタには通訳の言っている真意が分からなかったし、またどうでもよかった。


いまは、山田を見つけ出して殺す。

チッタはもう、そのことしか考えられなかった。


『ケータイとは便利なものだな』


穴倉を守っている警備員たちを殺して車を盗み走り出した。

ケータイを通訳に教えられたとおりに使い、道案内にしたがって車を走らせると数時間後には山田の家に着いた。


『ここか……』


そこには豪華な2階建ての大きな家が建っていた。


日は暮れている。

庭に面した大きな窓から明かりが漏れ、そこから覗き込むと山田とその家族らしき人たちが談笑している姿が見て取れた。

にこやかに、話を楽しんでいる。


その姿を見て、チッタの怒りは倍加した。

自分たちの犠牲の上に成り立っている、その平和な光景を。


『殺してやる!』


今すぐに殺めたい衝動をどうにかして抑えこんだ。

逃げられるようなことがあってはならない。

確実に殺る。

そのためにも、チッタは夜がふけるのをひたすら待った。


そして、時がきた。

中年の女が、門扉の戸締りに来たのを見逃さずに襲い掛かって、片言の日本語で話しかけた。

「ヤマタ、ドコダ?」


中年の女の口を押さえながら家の中へ入ると、いきなりその細首をへし折った。

そのまま土足で居間に上がると、若い男女がテレビを見ていた。

チッタの姿を認めるも、なんのことか分からずにキョトンとしていた。

チッタは獣並みのスピードで踊りかかり、手に持っていた石で思い切り二人の頭をかち割った。


その間数秒。

悲鳴すら上げるまもなく、二人の人間を葬り去った。


まずは玄関で殺した中年の女を念のために居間へと移した。


そして、二階へ。


ゆっくりと、音を立てずに一段ずつ踏みしめながら上る。


先ほど外から二階の明かりのついている部屋を確認していたので、山田のいる部屋はすぐに分かった。


ゆっくりと扉を開ける。

山田は椅子に座りながら外を眺めつつ、ウイスキーをチビチビ舐めているところだった。

チッタはこれ以上ないというほど怒りに満ちた目で、山田を見続けている。

山田は、相変わらず気付かずに、酒をあおっている。


チッタは声をかけた。


「ヤマタ」


突然のことに驚く山田。


「な、なんで貴様がここに!」


「@x^\$」


母国語でまくし立てるチッタの言葉はまるで意味不明ではあったが、その形相から大体なにを言いたいのかは察することはできた。


「コロス」


チッタの顔にはそう書いてある。

逃げようとするも酔いが回っていて椅子から転げ落ち、腰を抜かす。


「う、ひっ、た、助けて!」


チッタは懇願する山田にゆっくりと近づく。

そして、思いっきり贅肉でたるんだ腹を蹴り上げた。


「ぐひっ!」


豚のような情けない鳴き声をあげると、その場でもんどりを打っている。

次は腕をつかみ、力いっぱいひねり回した。


「ゴキッ!」


乾いた音が部屋に響いた。

そして、山田の悲鳴も。


「た、頼む! 助けてくれ! 金ならいくらでも払うから!」


「カネ……ドコダ?」


チッタはいったん山田を解放した。

すると山田は金庫の鍵を開けて、札束を指差して懇願した。


「これをすべてお前にやる! だから、助けてくれ!」


涙と鼻水交じりで助けを請う山田。

チッタはそれを黙って見ている。


「た、頼む! この通りだ!」


土下座をし、頭を床にこすり付けてひれ伏す山田。

チッタはその頭目掛けて、思いっきり踏みつけた。


「ゴキッ!」


またもや乾いた音が部屋に響いた。

そして何度も踏みつけることで、音は次第に柔らかなものへと変わっていった。

そして、床一面が血に染まった。


チッタは金庫から札束を取り出した。


「全部これのせいだ。そして、これのおかげだ」


金の持つ矛盾を口にした。

金欲しさに苦労をし、金のおかげで生活が成り立つ。

チッタは金庫から札束を抜き取り、空に放った。


『もう、これは誰にも渡さない。全部俺のものだ』


ヒラヒラと頼りなげに、ゆらゆら降下する金の動きを黙って見ていた。

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