第1話「断片の先で」
第1話「断片の先で」
炎が街を喰らっていた。
崩れ落ちる建物。
夜空を赤く染める業火。
叫び声と剣戟の音が、焼けた風に混じって響いている。
それでも、レイは止まらなかった。
「退け!! 俺がいく!!」
怒号とともに前へ飛び出す。
振るった剣が火花を散らし、行く手を塞ぐ敵を薙ぎ払う。
背後には仲間たちの気配。
誰かが名を呼ぶ声も聞こえた。
「レイヴン!! 戻れ!!」
聞き慣れた声だった。
だが、足は止まらない。
視線の先。
崩れた瓦礫の中に、一人の少女が倒れていた。
黒い艶やかな髪。
血に濡れながらもなお、消えない気高さ。
「……ユーア!!」
喉が裂けるほど叫び、駆け寄る。
焼けた石を蹴り飛ばし、崩れた柱を押しのけ、彼女のもとへ辿り着く。
「しっかりしろ……!」
震える手で肩を抱く。
「……レイ……?」
ゆっくりと、ユーアが目を開けた。
その声を聞いた瞬間、胸の奥が強く締めつけられる。
失いたくない。
そう思った理由すら、考えるまでもなかった。
「来ると思った」
かすかに笑う。
「無茶しすぎだよ」
「お前に言われたくねぇよ」
反射のように言い返していた。
こんな状況でも、変わらないやり取り。
それだけで、少しだけ現実に戻れた気がした。
「立てるか?」
「……ちょっと、きついかも」
小さく息を吐いた彼女の指先が、レイの服を掴む。
「……ほんとに来てくれたんだね」
「当たり前だろ」
即答だった。
「でも迎えに来るって言ったの、レイだよ」
その言葉に、一瞬だけ息が止まる。
覚えている。
遠い昔、何気なく交わした約束。
子供じみた、笑い話のような誓い。
それを、彼女だけは忘れていなかった。
「……ああ」
短く返した、その時だった。
「……相変わらずだなお前らは」
低い声が、炎の音を裂いた。
空気が変わる。
レイはゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、一人の男。
燃え盛る炎を背に、静かに剣を構える影。
そして、その瞳だけが異様なほど赤く光っていた。
「……お前か」
自然と口から零れる。
忘れるはずがない。
何度も競い合った。
何度も背中を預けた。
誰よりも強く、誰よりも信じていた男。
――なのに。
「こんな形で会うことになるとはな」
男は静かに言った。
「それはこっちの台詞だ」
剣を握る手に力がこもる。
「なんでだよ……聞いていいか?」
問いかける声は、自分でも驚くほど震えていた。
わずかな沈黙。
男の視線が、ユーアへ向く。
ほんの一瞬だけ。
すぐに、レイへ戻った。
「任務だ」
短い答え。
それだけで十分だった。
「……そうかよ」
胸の奥が冷えていく。
「てめーがユーアに剣を向けてる時点で、もう十分だ」
一歩、前へ出る。
男もまた剣を構えた。
無駄のない姿勢。
研ぎ澄まされた殺気。
完成された構え。
見ただけで分かる。
――強い。
それでも。
「逃げろ、ユーア」
「やだ」
即答だった。
「一人で行く気でしょ」
「アイツなんて……俺一人で充分だ」
強がるように笑う。
すると、ユーアは泣きそうな顔で微笑んだ。
「無理してる時のレイ……昔からそういう顔するもん」
胸の奥が熱くなる。
「待ってろ。すぐ終わらせる」
地を蹴った。
次の瞬間。
視界が砕けた。
何が起きたのか分からない。
剣が見えなかった。
気づいた時には、身体が宙を舞っていた。
「が……っ!!」
背中から地面に叩きつけられ、肺の空気が一気に抜ける。
痛みより先に理解した。
勝てない。
力が違う。
速さが違う。
技量が違う。
これは戦いですらない。
「レイ!!」
ユーアの声が遠く響く。
立て。
立たなきゃいけない。
そう思うのに、身体が動かない。
「だめ! レイ……来ないで!!」
必死な叫び。
「これ以上は、もう無理だから……!」
震えていた。
泣きそうな声だった。
それでも彼女は、自分よりレイを心配していた。
「逃げて」
「ふざけんなよ……」
血を吐きながら絞り出す。
「お前を置いていけるかよ……!」
腕を伸ばす。
指先だけが、情けなく震える。
届かない。
赤い瞳の男が、ユーアへ歩み寄る。
ゆっくりと。
確実に。
剣を振り上げる。
「……終わりだ」
間に合わない。
何もできない。
「……レイ」
ユーアが呼ぶ。
不思議なほど穏やかな声だった。
「レイ……」
彼女は笑った。
優しく。
少しだけ寂しそうに。
「約束、だから」
その言葉が胸を貫く。
「やめろォォォ!!」
叫ぶ。
手を伸ばす。
それでも――届かない。
剣が振り下ろされる。
その瞬間。
世界が白く染まった。
閃光。
轟音。
すべてが断ち切られる。
遠のく意識の中、最後に見えた赤い瞳の男の顔は――
どこか、悲しそうだった。
――何も、守れなかった。
⸻
◆
冷たい。
深い水の底へ沈んでいくような感覚。
暗闇の中を漂い、やがて意識が浮かび上がる。
目を開けた。
見知らぬ天井。
木の梁。
差し込む朝の光。
「……っ」
身体を起こそうとした瞬間、鋭い痛みが全身を走った。
「起きたぁ?」
少女の声。
視線を向ける。
そこにいたのは、見覚えのない少女だった。
緑の瞳。
年は十歳ほど。
人懐っこい笑顔。
「ここ……は?」
「私のおうち! 村の外れだよ!」
無邪気な声が返ってくる。
レイは息を呑んだ。
頭の中を探る。
何もない。
名前も。
過去も。
戦った理由も。
すべてが空白だった。
「……俺は」
言葉が途切れる。
少女が不思議そうに首を傾げた。
「覚えてないの?」
レイはゆっくりと頷く。
不安だけが胸に広がっていく。
その時、扉が開いた。
一人の男が入ってくる。
鋭い目。
静かな威圧感。
おそらく、この少女の父親だろう。
「起きたか」
短く言う。
「しばらくここで休め」
その言葉に、張り詰めていた力が少し抜けた。
「……ありがとう」
自然と口をついて出る。
少女がぱっと笑った。
「じゃあ、とりあえず名前決めよっか!」
「覚えてないんでしょ?」
名前。
その言葉に、頭の奥が軋む。
砕けた記憶の底で、かすかな響きが揺れた。
「……レイ」
口から零れ落ちる。
それが正しいのかも分からない。
けれど――
それだけは、失いたくなかった気がした。
その瞬間。
頭の中で誰かの声が響く。
――何も守れなかった。
割れるような激痛。
「ぐ、ああぁぁっ!!」
視界が歪む。
身体が崩れ落ちる。
遠ざかる意識の中、胸の奥にただ一つだけ残った感情。
――俺は、弱い。
再び、闇がすべてを呑み込んだ。




